01:来訪者


 唸るように響く飛空挺のエンジン音を耳に入れながら、少女はデッキに佇んでいた。
 旅行用の大きな鞄を抱え、煌びやかな衣服を身に纏った貴族の乗客が多い中、荷物の少ない彼女の格好はやや浮いて見える。
 暗闇色の外套にすっぽりと身を包み、つばの広い帽子を被って表情を隠しているため、一見で彼女を女性だと判断できる材料は、背中にたっぷり広がる銀色と、外套の上からでもわかる華奢な体格だけだった。
 近寄り難い格好をしているせいか、少女の周りに乗客は少ない。
 けれど、あえてそうしているのだろう。彼女はさして気にした風もなくデッキから望む風景を眺めていた。
 何よりも一番に目を引くのは、空を貫かんばかりにそびえる巨大な剣。
 夕陽を受けてまばゆい光を反射させるそれは、剣の下に広がる城と街を護っているように見える。
 外敵の侵入を遮るかのように城と街の周囲に湖が広がっている。湖はいくつかの川へと枝分かれし、街から少し離れたところにある切り立った崖から零れ落ちて滝となり、飛沫を上げながら崖下に見える霧の濃い森に消えてゆく。
「……いつ見ても綺麗だな」
 感嘆の息を吐き、巨大な剣をじっと見つめる。
 彼女が搭乗しているこの飛空挺が磨き上げられた剣に映し出される程に距離は縮まっていた。高度もだいぶ下がってきており、間も無くの到着を告げる笛の音が船内に響いている。
「久しぶりだな、アレクサンドリアにくるの。あれから、もう三年かぁ……」
 誰にともなく呟いた言葉に返事はない。
 悠々と空を泳いでいた飛空挺は、やがて剣に護られた街の傍らにその船体を横たえた。

「そこの者、止まりなさい」
 船を降り、街の中を進んでいるとふいに静止の声を掛けられた。
 彼女がいるのは、さきほど空から見下ろしていた巨大な剣が護る国アレクサンドリア。その城下街と城を繋げる大きな跳ね橋の目の前だ。
 ここまで迷うことなく歩を進めていた彼女は、静止の声を掛けて来た見張りの兵の様子に首を傾げ、外套の下で何かを探すようにもぞもぞと手を動かす。
 その様子を不審に思った見張りの兵は、手にしていた槍を握る手に力を込める。しかし、そうする必要はなかったとすぐに知ることになった。
「ハクエ・レザイアです。女王ブラネから勅命を受け参りました。こちらが書状です」
 外套の隙間から伸び出た白い手が差し出したのは、アレクサンドリア国章の封蝋が剥がされた跡がある一枚の手紙。
 それを受け取り、内容を認めた兵は姿勢を正すと少女――ハクエに書状を返した。
「失礼いたしました。どうぞ、お通り下さい」
 こくりと頷いて書状をしまいこんだハクエは、通された跳ね橋を渡りながら帽子に手を掛けた。
 穏やかな風に揺れる長い銀糸は夕陽に照らされて赤紫に輝き、帽子を取って露わになった面立ちは、まだ少し幼さが残るものの、大人の女性へと成長している途上にある年頃である事が伺える。瞳を彩るアメジストのような紫は穏やかで、どこか人好きする印象を与えた。
 手櫛で大雑把に髪を整えながら歩くハクエは、遥か頭上に構える巨大な剣をちらりと見上げ、橋を渡り切った。
 ――巨大な剣が護る街、アレクサンドリア。
 この地を治める女王ブラネの一人娘であるガーネット姫が齢16の誕生日を迎えるまで、あと三日。

「おお! よく来たな、ハクエよ! さぁ、その可愛い顔をもっと見せておくれ」
 まるで我が家を歩くかのような軽い足取りで城の中を突き進むハクエが、女王の間へ足を踏み入れると、それに気付いたアレクサンドリア女王ブラネが歓喜の声を上げて立ち上がった。
 待ちわびた来訪者の登場に、ブラネは病を疑うほどに膨れ上がった己の巨体を左右に揺らして喜びを表現する。
 そんな女王を前に、ハクエはにこやかに微笑んで膝を付き、頭を下げた。
「お久しぶりです、女王陛下。今年もお招きいただき、ありがとうございます」
 あらかじめ用意されていた台本を読み上げるように言葉を紡げば、ブラネは満足そうに頷いた。
「今年も任せたぞ。あの娘の事を」
「承りました」
 ブラネが告げたのは、ブラネの娘であるガーネット姫の護衛の任務だ。
 今年も、という言葉の通り、ハクエがガーネット姫の護衛を行うのは今回がはじめてではない。
 さきほど跳ね橋の前にいた兵士に見せた書状には、この任務を受け城に来るハクエの通行を許可する内容が認められていた。
 そうして予定通り任務を受けにやってきたハクエに対してブラネが向ける笑顔は、娘を想う母親のような優しい表情であったが、動く口から流れる音は娘を思う親のものにしてはあまりにも冷淡で、まるで物を扱うような口調だった。
 ハクエは頭を下げたまま胸に手を当て、任務を受けたことを示す。けれど、俯いたその表情は僅かに歪み、胸中では女王への疑問が湧き出ていた。
(やっぱり、様子が変。昔はこのようなお方ではなかったのに……)
 幼い頃から知っている筈の女王の姿は、もっと優しいものだった筈なのに。何が彼女を変えてしまったのか、検討のつかないハクエは困惑するばかりだ。
 悩む胸中とは裏腹に、さきほどと変わらぬ笑顔を作って顔を上げたハクエは、そこではじめてこの部屋に自分とブラネ以外にも人がいることに気が付いた。
「陛下、そちらの方は?」
 たまたま視界に入るまで、全く気配を感じる事ができなかった。
 ブラネが腰掛けていた王座のすぐ隣に立っていたのに、まるで気付くことができなかった。
 波打つような曲線が美しい銀髪を持ち、派手な格好をしたその男は妖艶な笑みを見せると仰々しく一礼し、優雅な足取りでハクエとブラネに近寄った。
「お初にお目にかかります。僕はクジャ。しがない武器商人でございます」
「……ハクエ・レザイアと申します。どうぞ、お見知り置きを」
 差し出された手はハクエの肌よりも青白く、長く伸びた爪は整えられ、美しい色が塗られていた。
 握手を求める手を拒む理由もなく、求められるがままにハクエは手を重ねる。
 その瞬間、ふとした違和感がハクエの身体に生じた。
 重ねた手の平から湧き上がったそれは小さな電流のようにハクエの体内をぐるりと巡り、手の平に戻ってきたかと思うとそのままふっと霞むように消えていく。
 気のせいにするにしてはおかしな違和感に内心首を傾げたが、目の前の男はただ妖艶な笑みを浮かべてハクエを見つめているばかりだ。
 クジャは、この違和感を感じることはなかったのだろうか。不思議に思いながら手を握り返せば、それを見ていたブラネが口を開いた。
「クジャは以前から我が国に強力な武器を提供してくれていてな。見たこともない技術だが、ゆえに我が国は着実に武力を伸ばしている。ハクエ、お前も将来世話になるかもしれぬな」
「そうですか……」
 掴んだクジャの手はいやに冷たく、そして強力な魔力が滲み出ていた。それは、魔法に明るくないハクエでもはっきりとわかるほど。
 本当にただの武器商人なのだろうか? 霧の三大国の一つと呼ばれるほどのアレクサンドリアが、更なる武力を求めている意味とは? そして、この男の手に触れた時に感じた違和感、何か引っかかる。
 渦巻く疑念を口にすべきかハクエが思案していると、やがてクジャは手を離した。満足気に頷くと、芝居がかった大げさな身振りでハクエとブラネに一礼する。
「それじゃあ、僕はこの辺で。女王サマ、また宜しく」
「うむ」
 優雅な足取りで部屋を後にしたクジャという男。
 初対面ではあったが、どうにも胡散臭い印象がぬぐい切れない。
 昔のブラネはあんな男を懐に招き入れるような人ではなかったのにと、少し胸が痛んだ。
 そんなハクエをよそに、クジャが出て行った扉を見つめていたブラネが静かに呟いた。
「ハクエ。お前がこの国を離れてから三年が経とうとしている。……あの男は、見つかったのか」
 振り返ってみれば、ブラネは案じる表情でハクエを見つめていた。
 その言葉にしばらく口を閉ざすが、やがて首を横に振る。
「いいえ。師匠の影はおろか……足取りさえ、いまだ何一つ掴めておりません」
「そうか……」
 不健康な色に膨れ上がった手に握った扇子を口に当てると、ブラネはぎりりと歯噛みする。
「いったいどこへ行ったというのだ。あの男が戻りさえすれば、アレクサンドリアは戦争で負けることなどないというのに」
「……」
 戦争。
 忌々しげに吐き出された物騒な言葉に僅かに目を開き、小さく唇を噛む。
 まぁよい、と目を細めたブラネは、そんなハクエが腰にぶら下げている得物を見て不気味に笑った。
「ハクエ、あの男を探す当てのない旅に出たお前が、あの娘の誕生日にだけは我が国に戻って来てくれている。それはとても頼もしい事だ。……改めて言おう。あの娘から目を離すなよ」
「はい。人が溢れ賊の蔓延るこの数日間、ガーネット姫は私が必ずや守り通してみせましょう」
 今、目の前にいる女は、自分が親しみ憧れた、優しい女王ではないのだろうか。
 かつての面影が感じられぬ冷たい女王の眼差しを受け、ハクエは再び頭を垂れた。

 女王の間を出たハクエは、城の中を迷うことなく進むとひとつの扉の前に立った。
 観音開きの扉は閉ざされており、両脇には見張りの女性兵が立っている。
 兵に愛想良く笑いかければ、跳ね橋にいた兵とは違い、ハクエの顔を知っている彼女達は快く道を開けてくれた。
 静かに扉を開け、部屋の中に足を踏み入れる。
「ガーネット姫……?」
 広い空間の中に必要最低限の調度品だけが置かれたこの部屋は、一国の王女の寝室にしてはいたく質素だと思う。
 そのお陰で部屋の主がどこにいるかを直ぐに見つけることができたのだが、窓辺に置かれた椅子に腰掛ける彼女はどうやらうたた寝をしているようで、ハクエが傍に立っても反応を示さなかった。
 ガーネット・ティル・アレクサンドロス17世。
 現国王ブラネ・ラザ・アレクサンドロス16世の一人娘であり、次期王位継承者。
 あどけなく眠る横顔からでもわかるほどの美貌を持つ彼女は、美姫と謳われ国民からの支持も厚い。
 そんなガーネット姫に対してハクエが誰の監視も無く隣に立てるのは、幼少の頃からの長い付き合いと、今は姿をくらましているハクエの師匠・スヴェンの力があるからだろう。
 まだハクエが物心つく前から、傭兵として城から出される任務をこなしていたというスヴェンは、正規にアレクサンドリア城に仕えている訳でもないのに城の人間――特に、女王ブラネからの信頼が厚い。
 その弟子であるハクエも半ば当然のように信頼されており、そして今のところその信頼に応え続けているため、こうしてガーネット姫の傍にいることも許される。
 そもそも、彼女の誕生祭を控えたこの数日は城の警備がいつにも増して厳重になり、ガーネット姫の身辺警護を勤め上げられる人材が他に割かれて不足がちであるため、毎年女王直々にハクエを呼びつけているのだが。
(大事な一人娘の護衛が城の外部の人間ってのも変な話だけどねぇ)
 ふうとため息を吐けば、ガーネット姫から小さな声が漏れた。
 今ので起こしてしまったのだろうかと思うハクエだったが、僅かに眉間にしわを寄せただけで、彼女が目覚めた様子はない。
 純白のドレスの上で重ねられた手が強張っている事に気付いたハクエは、その手を優しく包む。
「ガーネット、うなされているの?」
 瞳を閉じたまま顔を歪める彼女に呟く。
 自然に目覚めるまで待つつもりだったが、うなされているのであればとガーネット姫の身体を優しく揺らす。
 ハクエよりもずっと細くて白い肩を何度か揺さぶれば、黒く濡れた長い睫毛が震え、黒曜の瞳が姿を現した。
「……ハクエ……?」
「ガーネット姫、お休みのところ申し訳ございません。うなされていた様子でしたので、つい」
 ぼんやりとした表情で視線を合わせようとするガーネット姫に、形ばかりの謝罪を口にしながらテーブルの上に置かれた水差しを手に取りグラスに注ぐ。
 さりげなく一口舐め、味を確かめてからガーネット姫にグラスを渡すと、思いのほか喉が渇いていたらしい、一気に飲み干した。
「悪い夢をみていたような気がするわ……ハクエ、ありがとうございます」
 疲れた表情でも笑みを浮かべたガーネット姫に、ハクエも安心して笑い返す。
 どんな夢をみていたかなんて野暮な事は尋ねずに、ハクエはガーネット姫の足元に跪くと白く細い手を取る。
「女王ブラネの命を受け、この身に代えても御身を護らせていただく事、どうかお許しください」
 窓辺から差し込む夕陽がハクエの髪を赤く燃やしているかのように彩る。
 滑らかな頬は夕陽に照らされ儚く浮かび、外套の隙間から覗く身体はガーネット姫ほどではないが、それでも年頃の少女と変わらず細い線を描いている。
 決意を秘めたアメジストの瞳は真っ直ぐにガーネット姫を貫き、弧を描く口元は許しを請うような言葉とは裏腹に自信に満ちていた。
「……わたくしが望んでお母さまにそう頼んでいるんですもの。そんな事言わないで」
「ふふ、知っているよ、ガーネット。私もあなたに会いたかったよ」
 今までの丁寧な言葉遣いを崩して返事をしたハクエに、ガーネット姫はくすくすと笑って返した。
 二人は幼い頃からの友人だ。畏まった言葉で話すというのは、どうもむず痒い。
「ハクエ、あなたにお願いがございます」
「……ガーネット?」
 椅子から立ち上がってハクエと視線を合わせ、きゅっと整った眉を寄せて姿勢を正すガーネット姫。
 真剣な顔をしたガーネット姫に、ハクエも表情を引き締めた。
「ハクエ。あなたがお母さまから受けた命令は、私を護ること……ですね?」
「えぇ、そう言われているわ」
 不穏な空気を感じるハクエ。続きを促すと、ガーネット姫はしばらく悩んだ末に口を開いた。
「……わたくしを、この城から連れだしてくださいませんか」
「……え?」
 決意の表情でハクエを見上げるガーネット姫の顔は真剣そのものだ。決して冗談などではない。
 その言葉を受けた直後こそ、困惑した表情をしていたハクエだが、やがて真剣な顔になるとそっとガーネット姫の両肩に手を置いて頷いた。
 彼女がこんな事を言う理由に心当たりは、ある。
「わかった。私は必ずあなたをこの城から連れ出そう。どんな手を使っても、必ず」
 窓の外で白鴉が羽ばたいていく。
 夕陽はその身を山間に沈めようとし、蝋燭の明かりが灯されていない部屋は暗くなりはじめていた。




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