06:花緑青の予感


 ピリリ、と高らかな笛の音が耳をついた。
 見上げれば巨大な鳥に跨がった少女が笛を吹き、船の周りにいる海洋生物達を遠ざけるべく誘導している。
 シンドリア王国が八人将の一人、ピスティ。彼女は笛を用いて動物たちとルフの波長を合わせ、懐柔する能力に長けているという。
 この船に乗っている数日間、何度か凶暴な南海生物に遭遇する事があったのだが、彼女が一つ笛を吹けば途端に大人しく海に帰っていくのだ。
 お陰で道中は至って平和なものだった。
 ヤムライハを介して少しだけ彼女と面識があるミディであるが、つくづく敵に回したくない人物だと思う。
 その理由は、彼女の能力だけに限った話ではないが。賑やかで人懐こい彼女は稀に懐まで踏み込んでくるから恐ろしい。
 ミディがそんな事を思っているなど露知らず、太陽の光を目一杯受けて輝くピスティの金髪が眩しくて、思わず目を細めた。
 そんなミディの視線に気付いたピスティが手を振る。
「もうすぐ着くから、いつでも降りられるようにしておいてねー!」
 鈴を転がすような声に、ミディは片手を小さく上げて返事をする。
 告げられた言葉に船首の方へ視線をやれば、彼女の言うとおり目的地であろう島が遠くに見えた。
 ここから見ると、無数の岩礁に囲まれたこぢんまりとした島が見えるだけで、迷宮らしき建築物は見当たらない。
「いきなり迷宮は見えないねぇ〜」
「第61迷宮ザガンはこの岩礁のもっと先なんだろ?」
「でも、大きい船じゃ進めないから小舟に乗り換えるんだよね」
 ミディと同じ目線で島を観察していたのだろう、荷物をまとめていたアラジンとアリババの声が聞こえてきた。
 これらは、先日シンドバッドが迷宮に関する説明をした時に言っていた事だ。
「そうそう、この島はね、シンドリアの国土じゃないんだよ。先住民たちがいるから、失礼のないようにするんだぞ!」
 到着が近いためか、甲板に降りてきたピスティが二人の会話に補足を入れる。
 先住民がいるという事は既に知っている事だったが、いよいよ間近に迫った事で一行の好奇心は膨らむばかりのようだ。
 モルジアナと白龍も、近付く程に大きくなる島を眺めている。
 ミディも例外ではなく、待ち受けているであろう数々の困難に想いを馳せた。
 ――余談だが。島を眼前にしてはじめて、ミディはある事に気が付いた。気付いてはじめて、何故今までそこに考えが至らなかったのだと思うほどに大事なこと。
 彼らの迷宮攻略に同行するとして、シンドバッドがミディを釣り上げるために垂らしたエサである『希少な植物』を採取する時間はあるのだろうか?
 ……ミディは静かに奥歯を噛み締めた。



「駐屯地ってどこだ? まず、どうすりゃいいんだっけ……」
 ここまで送ってくれたピスティたち船の乗組員らと別れを告げた一行は、浜辺付近で立ち往生していた。
 というのも、ピスティに『船を降りたら駐屯地に行ってね』と指示されていたのだが、肝心の場所がわからないのだ。
 辺りを見渡しても、漁で捕れた魚を仕分ける原住民たちがいるばかりで、それらしき建物は見当たらない。
 アリババが困ったように後頭部をガシガシ掻いていると、おもむろに二人の男が近付いてきた。
 ひとりは朗らかな笑顔を浮かべた細長い男で、もうひとりはどこか不貞腐れた表情をしてずんぐりと小さく丸い。二人とも原住民の格好をしているが、肌の色はやけに白い。
「やあ、遅かったね。待ってたよ、アリババ」
「……あっ!?」
 細長い男がアリババに声を掛けると、彼らに気付いたアリババは信じられないといった顔で二人を見つめた。
 アラジンとモルジアナも同様の反応を示し、白龍だけが首を傾げている。当然だがミディも彼らに心当たりは無く、白龍と一緒に首を傾げた。
「サブマド兄さん! アブマド兄さん……!?」
(サブマドにアブマドと言えば確か、バルバッドの王族にその名があったような……彼らを兄と呼んだアリババさんは、まさかバルバッドの……?)
 愛想の良い笑みを浮かべた、サブマドと呼ばれた男と握手を交わしたミディは改めて二人の男を見る。
 太陽の光をそのまま映しこんだかのような眩い金髪を持つアリババとは対照的に、漆を塗り込めたような深い色の髪を持つ二人。顔立ちも全く似ていないが、異母兄弟か何かなのだろうか。
 バルバッド。数ヶ月前にクーデターが勃発し、王政が廃止されたというニュースがシンドリアで話題になった事は記憶に新しい。
 クーデター発生後の元王族らの顛末が一切語られて無かった事に違和感を覚えていたが、まさかこんな所に逃れていたとは。
 彼ら二人とは初対面であるミディと白龍が握手を交わすと、サブマドと呼ばれた細長い男はアリババに向き直って微笑んだ。
「フフ、驚いたかい? 久し振りだねアリババ……僕らが案内役を任されたんだ! そ、それと、その……」
 気遣わしげな目を白龍に向けるサブマド。
「煌帝国の皇子様の話も、おじさんからちゃんと聞いたから……安心しておくれよ」
 おじさんとは、シンドバッドの事なのだろうか。
 彼の視線を受け手を合わせ微笑む白龍を見ていたアリババが、兄弟に会えたという実感が湧いてきたのか、そこでようやく破顔した。
 戸惑いがちであるが、サブマドが身に着けている民族衣装の装飾をいじりながら話しかける。
「お、驚いたよ! なんだよその格好! 今どうしてるんだ?」
「お、おじさんたら何も言ってないんだね……僕らはおじさんの計らいで、この島で仕事をさせてもらってるんだ。シンドリアの考古学調査団としてね」
 じゃらじゃら装飾を鳴らされて苦笑するサブマドは、己がこの地にいる理由を明かしてくれた。
 クーデター後の元王族達の顛末が語られていなかったのは、シンドリアに保護されていた為か。おじさんと呼ぶほどの仲であるなら、シンドバッドが彼らを保護したのも不思議ではないだろう。
「考古学……?」
「そう、この島はね……『トランの民』の島なんだよ」
「!」
 トランの民とは、この世界で唯一異なる言語を扱う民族だと聞いたことがある。
 太古に彫られたと思われる石版に彼らの扱う言語が残されていたり、迷宮の内部でもその文字が確認できたという噂がある、謎多き民族だ。
 それは世界各国の学者たちの興味を惹きつけて止まず、国によっては調査団を組んでトランの民が住まう村へ派遣する事もあるという。
 教養の高い者は共通言語の他にトラン語も学んでいたりと、その神秘的な謎は徐々にではあるが解析されているという。
 とはいえ、ミディはその存在こそ知っているものの、トランの言語には明るくない。生きるために必要な事と、薬学の知識を身に付けるので精一杯だったからだ。
 その程度しか知らず、遠い国のお伽話のような存在程度に考えていたトランの民が住まう地に来たのだと、感慨深く周囲を見渡したところ、足元にトランの民の子供がいる事に気が付いた。
 笑顔で何かを差し出してきているが、言語が違うために何を言っているかは聞き取れない。辛うじて聞き取れるのは、オニイチャン、というたどたどしい共通言語だけだ。
 差し出された装飾品や塗料を喜んで身に着けている白龍とアラジンに慌てたサブマドが、それは物を売りつけられているんだと止めに入ろうとすると、今までサブマドの影に隠れて一行のやりとりを見つめていたアブマドがはじめて動いた。
 手にしていた布袋から幾つかの宝石のようなものを取り出し、子供たちに分け与えていく。
 喜んでそれらを受け取る子供たちに二言、三言声を掛けると、彼らは満足したように走り去っていった。あの宝石のようなものが、トランの民の通貨なのだろう。
「アブマド兄さん……あ、ありがとう」
 唖然とそれを見守っていたアリババを一瞥し背を向けたアブマドは、ぼそりと呟いた。
「別にいいでし。ただ、島民とモメないでほしいでし。トラン文化の研究をさせてもらえなくなるでし」
「……熱心なんだな、トランの研究……」
「そうでし。今、できることの中で僕にはこれが最良のこと……。今は……今は、そう考えて決めただけでし」
 ぼそぼそと呟いた彼はそのまま腕を小さく振って歩き出す。ついて来いという事なのだろう。
「……アブマド兄さん、なんか変わったな……」
「色々考える切っ掛けがあってね。アリババと……ア、アラジンさんと今度その話をゆっくりしたいな。とにかく行こう!」
「……」
 バルバッド王国でクーデターが勃発した原因は、王族の酷い圧政が原因だったと聞く。
 前を歩くアリババとサブマドの話しぶりを見るに、主にアブマドに問題があったのだろう。
 他国の事情は噂程度にしかわからなかったが、どこの国も何かしら問題を抱えているのだなと、バルバッドの元王族達のやり取りを眺めていたミディはぼんやりと考えた。
(そう、どこの国も……あの国も、そうだった)



 その後、トランの民の村長と一悶着あったものの、迷宮ザガンに行くための許可を貰うことが出来た一行は村長と共に市場を歩いていた。
 サブマドが通訳に徹してくれているお陰で言語の隔たりを感じることはなく、市場のあちこちでは外からやってきた商人と思わしき者達がトラン語を使って交渉している場面を見ることができた。
 想像に反して、このトランの村は交易も盛んらしい。
「見とくれ。島のこの市場が賑わっておるのは、シンドバッド王のおかげなんじゃよ」
「おじさんの……?」
「ホレ、そこにシンドリアの駐屯地があるおかげでのう」
 小柄な村長の小さな手が指し示す先には、トランの村を見守るようにシンドリア様式の駐屯地が建てられていた。
 村から近過ぎず遠過ぎずの距離にある建物の入口には、シンドリアの者と思われる兵士が屯しているのが見える。
「島の外から商人が訪ねてくれる。安全に航海と商売ができるから……しかも、遅れた部族として迫害され、南へ追いやられたトランの民に、シンドバッド王は努めて対等に接してくださる!」
 交通の面の悪さの割に、交易が盛んなのはシンドバッド王のテコ入れがあるお陰なのか。
 納得したミディは改めて市場をぐるりと見、そこで人混みの中からいくつかの人影がこちらに向かってくるのを見つけた。
 トランの民の男に誘導されているのは三人組の商人で、見慣れぬ国の衣服に身を包んでいる。
 やがて村長の元までやってきたトランの民の男が何かを伝え、その言葉に村長が頷くと、三人の中で一番小柄な人物が手を組んで口を開いた。
「私たちは、レーム帝国よりトランの民芸品を仕入れに参りました。長よ……どうぞ、トランの許しの洗礼をお恵みください!」
 その言葉を聞いた村長が市場にいるトランの民の人々に声を掛けると、皆が一同に商いの手を休め、壺を持ち出してその中に入っている砂を三人の男女に振り掛けはじめた。
 何故そうしたやりとりが行われているのかさっぱりわからないミディ達に説明を入れてくれるのはサブマドだ。
「商人はね、市へ入る時にああやってトランの銀色の砂でお清めをするんだよ」
「へえ〜……」
 きらきらと降り注ぐ砂の洗礼を受け、三人組は市場の中を此方に向かって進んでくる。
 一番背の高い人物はターバンにマスクで顔を覆い隠し、次に背の高い男は刈り上げた黒い前髪のうちの一房だけを胸元まで長く伸ばし、表情に陰を作っている。そして、残る一人は小柄な女性で、透き通るようなエメラルドグリーンの髪を靡かせ柔らかく微笑んでいる。
 身に纏っている衣服こそ同じである彼らだが、その身に纏う雰囲気は不思議とちぐはぐに感じられた。
 やがて彼らが清めの砂を身に受けながらミディ達の前に差し掛かった時、ふと視線が交わった。
「……ッ!?」
「ミディおねえさん!?」
 彼らは何の気なしにこちらに視線を向けただけのようだったが、その中のひとり、エメラルドグリーンの髪の女性がミディを見た時、ミディは突如何かに心臓を鷲掴みにされたかのような痛みが胸中に走るのを感じた。
 突然の痛みに胸元を押さえ、俯く。けれどその痛みは一瞬で過ぎ去り、後から遅れて全身から冷や汗が噴き出てくる。
 どくどくと騒ぎ立てる心臓をなんとか宥め、顔を上げる。そこには既に三人組の商人の姿は無く、砂を振り掛けていたトランの民達も商売に戻っていた。
「大丈夫かい?」
「えぇ、大丈夫です」
 ミディの異変に気付いたアラジンが駆け寄り、背中を擦ってくれる。
 その好意に甘えながら呼吸を整えて立ち上がれば、心配そうにミディを見下ろしていたアリババ達と目が合った。
「ミディさん、すごい顔色悪いですよ。休んだ方が良いんじゃ……」
「……いえ、問題ありません。それよりも、早く迷宮攻略の準備を整えてしまいましょう」
 冷や汗を拭うために頬に手をやると、ひどく冷えている事に気が付いた。
 ミディと視線が交わった瞬間、あの女性は笑みを深めたように見えた。あれは、先ほど襲った胸の痛みと関係があるのだろうか。
 ……それよりも、あの女性に、得体の知れぬ何かを感じてならないのだ。それは強い焦燥感へと変わり、ミディを急き立てようとする。
 それを振り払うべく、ミディを心配するアリババ達に問題ないと首を振れば、彼らは不承不承ながら頷いた。
「……さぁ、ザガンへの出発は明朝じゃ!」
 サブマドが訳す村長の言葉に動かされ、歩き出す。
 シンドバッドが策略したザガン迷宮攻略は、自分にとって大きな転換と成り得るかもしれないと感じながら。



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