03:研究者


 色とりどりの草花に囲まれた、緑香る静かな庭園。
 決して小さくは無い家屋をぐるりと取り巻く庭園の一画には、意図的に土が剥き出しにされた場所が設けられており、その真ん中でふわふわの黒髪を風に揺らす女が陣取っていた。
「じゃあ、いきますよ。見ててくださいね」
 ざり、と皮のサンダルが土を擦り鳴らす。
 期待に胸膨らますよっつの瞳に見守られながら、彼女はおもむろに羽織の中に手を突っ込み、幾つかの小さな球体を取り出して空高く放り投げ、続けざまに細長い針を球体目掛けて放つ。
 重力に逆らって空中に浮かび上がる球体を追い掛ける針が放たれた勢いのままに貫けば、他に何も無いはずの空中で大きな水のうねりが現れた。
「わぁ……!」
 空に湧き出た水のうねりはぐるぐると空を踊り、飛沫を散らしながらひとつの形を生み出した。
 ある帝国の伝承に出てくるような、蛇のような長い胴体を持った水龍さながらのそれは、やがて興奮冷めやまぬ表情でそれを眺めていた二人の魔法使いめがけて飛び込む。
 思わず目を瞑る二人だったが、直前でその身を崩した水龍は柔らかな衝撃と心地良い冷たさを与えて消え去る。土砂降りの雨にでも降られたかのように全身を濡らした二人の魔法使いは、何度か目を瞬かせた後に黒髪へ飛びついた。
「すごい! すごいよミディおねえさん!」
「あなた、それで研究が行き詰まってるっていうの!? この間より全然すごいじゃない!」
 滴る雫もそのままに飛びついた二人の魔法使いこと、アラジンとヤムライハを受け止めてよろめいたミディがなんとか踏ん張って体制を持ち直し、苦笑いを作ってみせる。
「今回は力作を持ち出してみたんですが……まだ、これの普及および量産化に向けての目処が立っていないのです」
「そんなの私達がなんとか実現させてみせるわ!」
「こんな凄いものを作って、ミディおねえさんは何の研究をしているんだい?」
 これが予備なのですが、と渡された球体を手のひらに転がしたヤムライハは手近にある倒木に腰掛けると早速と言わんばかりにそれを眺め分析に入る。
 高揚した表情でいるヤムライハの持つ球体を見ていたアラジンは、ミディへ視線を戻すと首を傾げた。幼い少年の知識欲に満ちた真っ直ぐな視線に、どう説明したものかと唸ったミディは言葉を選びながら口を開く。
「そうですねぇ……『魔力を有さない人間でも道具を用いる事で擬似的に魔法を行使できるようになる』研究と言いましょうか」
「そんな事ができるのかい!?」
 子供ならでは大きくてくりくりした瞳を、さらに大きく押し上げて驚きを見せるアラジン。しかし、押し上げられた瞼はすぐに降ろされ、今度は疑惑の眼差しだ。
「でも、どうやってそんな事を?」
「ヤムライハ様が持っているあの球体に、一定の魔力を込めております。それに対し、複雑な術式を封じ込めたこの針をスイッチに魔法を展開させるという寸法です。現存する魔法道具では、その道具自体に込められた特定の魔法しか扱えないのですが、この針を使い分けることで球体を媒体に様々な魔法を使えるようにしたいという目論見です」
 球体には私の作った魔力の塊と言える薬を、針にはヤムライハ様の編み出した命令式をそれぞれ入れ込んでいます。今は製作し易いこの形態を用いているのですが、もっと研究を進めてより簡素化するのも目標ですねとごちるように語るミディに、同意するように唸ったのはヤムライハだ。
「そうねぇ……動体視力の良いミディだから飛んでいる玉に針を突き刺す芸当ができるけど、普通の人はそんな事できないわ。まだまだ改良の余地があるわね。ただ、何を媒体にするかが問題か……」
「このように、ヤムライハ様の有する膨大な魔法の知識と私の薬学の知識を掛けあわせて何か出来る事はないものかと模索し始めた次第です」
 再び自分の世界に入ってしまったヤムライハを置いてそう締めくくったミディに、アラジンはそういうことかと頷いた。
「魔法の事なら、僕も少しは力になれるかもしれないね!」
「私は魔法に関しては基礎教養程度の知識しか持ち得ておりません。協力してくださる魔法使いは多ければ多いほど助かります。知識の引き出しもその分増えますからね」
 任せてくれと腕を掲げたアラジンが微笑ましい。
 家に帰る前、昼食のために入った飲食店でアラジンは己の事をマギだと言っていた。にわかには信じ難い話だったが、もしそれが事実ならばとんでもない協力者が現れたことになる。
 ほんの僅かにしか魔力を有していないミディや、ヤムライハら魔法使い達では一度に扱える魔力に限界があるために凍結していたあの実験やこの実験が彼の協力によって出来るようになるかもしれないと、新たに広がる可能性に唇の端が歪む。それを見たアラジンが、得体のしれない恐怖心に思わず数歩引いた時、新たな人影が現れた。
「ミディ、お邪魔しますよ……って、アラジンにヤムライハまで」
「あ、ジャーファルお兄さん」
 身体を覆い隠す官服に鮮やかな緑色のクーフィーヤを被った細身の男。色素の薄い面立ちの中に据えられた灰緑の瞳は薄っすら細められ、優しい眼差しを三人に注いでいる。
 ジャーファルお兄さん、と名を呼んだアラジンが親しげに駆け寄り、ミディもその後をゆっくり追う。
「ジャーファル様、どうされたのですか」
「シンが貴方を呼んでいます。アラジン、君も」
 二人が自分の元まで辿り着くのを待ってから要件を告げたジャーファルに、ミディとアラジンは首を傾げた。
 『シン』と彼が口にした人物は、ここシンドリア王国を治める若き王、シンドバッドの事で、ジャーファルはそのシンドバッドに仕える王宮の政務官だ。食客として王宮に身を置いているアラジンや八人将の一人であるヤムライハに用があるなら兎も角、民間人である自分を王宮に呼びつけるほどの用事というのはどういうことだろう。それも、アラジンと共に呼び出されるとは。
 定期的に発注される薬草などを納品しに行く事はあれど、それ以外で王宮に赴く用事の無いミディには検討がつかないし、またアラジンも知り合って間もない彼女と共に呼び出された事で同じ思いのようだ。
 不思議そうな顔をしている二人をよそに、ミディの魔法球を眺めていたヤムライハが合点いったように立ち上がった。
「そういえば、そんな事を言われていたの、すっかり忘れていたわ」
「全く。あなたの事だからどうせ彼女との研究に没頭しているのだと思っていましたよ」
 事もなさ気に言ってみせるヤムライハに、ジャーファルは呆れたように息を吐いてみせた。彼女の言葉は想定内だったようで、大げさに息を吐いてみせた後に、だから私がこうして来たんですけどね……という小さな声が続いた。
 さして気にした様子を見せることのないヤムライハが名残惜しげな様子で球体をミディに返すと、その手で背中をばしばし叩いた。
「詳しい話は行けばわかるわ。ちょっとお手伝いをしてほしいのよ」
「お手伝い……ですか」
 わざわざ王宮の重役が出向いてまで頼みに来るほどなのだ。さぞかし大変な内容なのだろうと、ミディは内心に面倒くささが湧き始めているのを感じながら、ヤムライハに背を押されるがままに歩き出した。



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