24:湧き上がる疑惑


 リンドブルム城は最上層・大公の間に通されたハクエら一行は、狩猟祭で見事優勝を果たしたジタンの授与式を見守っていた。
 ジタンが望みの品に指定したギルが包まれた袋と、ハンターの称号と呼ばれたエンブレム。
 シド大公の隣に控えていたオルベルタからそれらを受け取ったジタンが一行を振り返り掲げて見せると、ぱらぱらと拍手が湧き上がった。
「うむ、今年の狩猟祭も見事じゃったブリ」
「へへっ、オレの腕前ならこんなの朝飯前だぜ」
 シドの労いに得意気に胸元を反らすジタン。
 ぱちぱちと小さな拍手をジタンに送っているハクエは、表面上は和やかな笑みを浮かべているものの、その胸中は複雑だ。
(ジタン……狩猟祭で優勝したらデートして、って言ったわよね……)
『俺が優勝したら、デートしてくれないか?』
 狩猟祭が始まる瞬間、エアキャブのハッチが開かれる直前に囁かれた、その言葉。
 完全に出し抜かれたと思って頭に血を上らせていたハクエだが、いざ狩猟祭が終わって冷静になってみるとなかなかにすごい事を言われたと思う。
 ジタンが軟派な性格である事は、出会い頭から今までのやり取りで何となく理解したつもりでいる。
 何てったって、ジタンは『可愛い女の子全員がお気に入り』なのだ。
 女性とあらばすぐに口説きに掛かる彼の事だから、その一環として自分にも声を掛けたのではないか。
 ほぼ反射的にそう考えるハクエであったが、それにしては妙なタイミングで話を持ち掛けて来たものだと思う。
 勿論、ハクエの気を引いて出し抜く気持ちも少なからず有ったのだろうが、それならもっと違う言葉で気を引くことも出来た筈だ。
 それなのに、わざわざあの場面で言ってきた、その意味とは。
(……ジタンの事だもの、きっと冗談でしょうけど……)
 ハンターの称号を自慢げに掲げるジタンを視界に入れながら彼の言葉の真意を探ろうとするハクエであったが、モヤモヤと、漠然とした感情ばかりが広がって上手く思考がまとまってくれない。
 ハクエは今まで誰かと特別な関係を持ったことがない。
 物心ついてからは師であり父であるスヴェンとずっと一緒に過ごしていたし、彼が行方を眩ませてからは尚更他人と関係を深めている暇なんてなかった。
 この先、無事に彼を見つけ出して旅を終える事が出来たとして、特定の誰かと親密になる自分の姿がいまいち上手く想像出来ないのだ。
(なんだろう、よく分からないわ)
 短い期間ではあったが、ジタンとは旅仲間としてそれなりに仲良くやってきたつもりだ。
 仲間として共に過ごす自分なら容易に想像がつくし、それこそが今の関係であるのだが、男であるジタンの隣に立つ女としての自分、と言われると途端に脳裏に描く輪郭がぼやけてしまう。
 それは単にハクエの恋愛経験が乏しいからというのもあるだろうが、それ以上に、『彼とはそういう関係になってはいけない』という、自分の心の奥深くに眠る何かがそう訴えて来るのだ。
 果たしてその正体が何なのか、ハクエには検討も付かなかったが、一向に答えの出てこない悩み事を続けても仕方が無いと思考を現実に戻そうとした、その時だった。
「シド大公……ご無礼をお許しください……!」
 狩猟祭の賞与式という、晴れの場に似つかわしくない声が飛び込んで来た。
 その声の主は大公の間の入口に凭れるように身を引き摺り、こちらに向かってくる。
 フライヤと同じネズ族の見た目である彼が身にまとう軽鎧に描かれた紋章から、ブルメシアの兵士である事がわかる。
 けれどその軽鎧は見るも無残に傷が付き、それを身にまとっている彼もまた満身創痍の体だった。
 身体中は血に濡れそぼり、手足は千切れかけ、顔は半分焼け爛れて面立ちの判別がつかない。
 大公の間に弱々しく響いた声もひゅうひゅうと細く、きっと喧騒の中であったならば気付くことは出来なかっただろう。
 誰もが突然の来訪者に息を呑んだ。
 重症のブルメシア兵は大公の間に足を踏み入れようとしていたが、力尽きてその場に崩れ落ちる。
「我が王から……火急の言伝でございます……」
「なに、ブルメシア王から!?」
 その言葉にいち早く我に返ったのは、シド大公とフライヤだった。
 ちんまりと玉座に収まっていたブリ虫の身体を鞠のように跳ねさせ、引き止めるオルベルタを押し止めブルメシア兵に近付くシド。
 ブルメシア兵に駆け寄ると膝を付き、崩れ落ちた上体を助け起こすべく手を伸ばすフライヤ。
 しかし、彼がその手を取ることは無い。
 今にも潰えそうな声色で、ひゅうひゅうと喉を鳴らしながら、懸命にブルメシア王から預かった言葉を伝えようとする。
「……まさか、目が……」
 焼け爛れた顔の奥にある筈の二つの眼は、完全に潰れてしまっていた。
 目の前に差し伸べられた同胞の手も、言伝を伝えるべき相手の姿もわからぬままにブルメシア兵は口を開く。
「『我が国は、謎の軍の攻撃を受けておる! 戦況は極めて不利、援軍を送られたし!』……敵は、とんがり帽子の軍隊でございます……」
 その言葉に、ビビが静かに後退るのが視界の片隅に見えた。
 ――とんがり帽子の軍隊。
 ハクエの脳裏に、ダリの村とカーゴシップで見たあの黒魔道士の姿をした人形達と、執拗にダガーと自分を付け狙ってきた黒のワルツ達が蘇った。
 ビビとそっくりな姿をしていながら、ビビとはあまりにも似つかわしくない行動を取った彼ら。
 ……アレクサンドリアと深く繋がりがあるであろう彼らが、ブルメシアを襲撃したという、事実。
 ハクエは己の背に冷たい汗が流れるのを感じた。
「ブルメシア殿は古くからの盟友、ただちに我が飛空艇団を送るブリ!」
「あ、ありがたきおことば……!」
 力強いシドの言葉に、ブルメシア兵は喉を震わせた。
「我が王もきっと喜ばれましょう。は、はやく……お伝え、せねば……」
「いかん! 早く、その者の手当を!」
 己が使命を果たして安心したのか、とうに限界を超えていたであろうブルメシア兵の身体が傾いた。
 どしゃりと身体が重く崩れ落ちる音に、シドが慌てて声を上げるが、彼に手を貸していたフライヤはゆっくりと首を振る。
「駄目じゃ……傷が深過ぎる。ここに来るのがやっとだったのじゃろう。一体、何があったというのか……」
 目の前で起こった惨劇に、ハクエの背後にいるダガーが小さく息を飲むのがわかった。
 アレクサンドリアの城で何不自由なく過していたダガーにとって、このような凄惨な形で人の死と対面するのは初めてだろう。
 見せたくなかったと思うが、それよりも。
(……戦争がはじまってしまったというの……)
 僅かに俯くハクエ。
 黒魔道士や黒のワルツを見た時から、嫌な予感はしていたのだ。
 けれど、まだ猶予は残されているはずだと、根拠の無い希望にすがり付いていた。
 ダガーを安全な所へ連れ出し、戦争の鍵を握るであろう師匠を探し出せば、きっと何とかなるだろうと、あまりにも脆弱な糸を無意識に握り締めていた。
 しかし突き付けられた現実は残酷で、ハクエの敬愛するアレクサンドリアの女王は戦争を始めてしまった。
 もう、こうなってしまってはスヴェンの力があっても容易に収める事は叶わないだろう。ハクエは掌を強く握り締めた。
「どうなさるおつもりで? 狩猟祭で城には僅かな兵しか……飛空艇団を動かすには足りません」
「国境に配置した飛空艇団を呼び戻すブリ」
「アレクサンドリアから目を離されると?」
「うむ、ブルメシアを見殺しにはできん」
 ハクエが己の認識の甘さに唇を噛んでいる隣で、シドとオルベルタが今後の段取りを整え始めた。
 飛空艇団はリンドブルムが誇る最大の兵力だ。彼らの圧倒的な武力が抑止力となり、近年の霧の大陸では戦争が起こっていなかった。
 そんな飛空艇団を動員すれば、さしもの黒魔道士達も太刀打ちできないだろうという判断なのであろう。
 ……そんな、飛空艇団という抑止力があるにもかかわらず勃発された戦争であるのだが。
 フライヤはブルメシア兵の亡骸に僅かな黙祷を捧げていたが、やがて顔を上げて一行を振り返った。
「とんがり帽子か……ビビと同じ黒魔道士かもしれぬ」
「そ、そんな……」
「お母さまが、ブルメシアを……!?」
 フライヤの推測的な発言に、ビビとダガーはたじろいだ。とはいえ、二人にはそうであると認識せざるを得ない材料を目撃してしまっている。
 自分そっくりな軍隊が一国を襲撃しているという事実にビビは動揺を隠せず、アレクサンドリアと深く結びついているであろうそれらが他国を襲撃しているという事実にダガーが両の手を握り合わせる。
 そんな二人の反応を赤い帽子の下から見つめていたフライヤは、ブルメシア兵の亡骸を通りすぎて大公の間を出ようとする。
「私は失礼する。飛空艇団を待ってはおれん」
「オレも行くぜ、フライヤ!」
 フライヤを引き留めたのはジタンだった。
 重たい空気を払拭するかのような明るい声での申し出だが、フライヤは頭を振る。
「ありがたい事だが、お主には関わりのない事じゃ」
「仲間の故郷が攻撃されているんだ。これを聞いて黙っていられるか! おまえがイヤでもオレは行くぜ!」
 フライヤがそう返す事を想定していたのだろう。
 即座にそう切り返したジタンの様子に、フライヤは暫く間を置いた後に小さな溜め息を吐いた。
 それは諦念の色が出ており、事実こちらに顔を見せたフライヤの面持ちはどこか悲しげに歪んでいた。
「すまない……ジタン」
 小さく零れた言葉に当然だと言うように頷くジタン。
 それを見たビビがおずおずと歩み出た。
「ボクも一緒に行く。自分の目で見たいから……」
 フライヤからすると随分と低い位置にあるビビの頭。
 けれどもビビはしっかりと顔を上げ、帽子の奥にひそむ金色の眼でフライヤを見上げていた。
 とんがり帽子の軍隊。それはまず間違いなくダリ村で見たあれらと同じ、黒魔道士たちの事である。
 自分とそっくりな人形達が、他国を攻撃しているという情報を確かめるという事は、言葉にするには簡単であるが、実際に足を踏み出すにはあまりにも勇気のいる事であろう。
「……わかった」
「すぐに出発しましょう!」
 ビビの覚悟を受け止め首肯するジタンに、ダガーが続いた。
 ダガーは自分が着いていくのは当然だと言わんばかりの様子であったが、しかし周囲の反応は彼女の予想と反したものだった。
「姫さま! 危険であります!」
「スタイナー殿の言う通り! それに、まだ相手はわからんブリ」
 スタイナーがほぼ反射的に声を上げ、シドもとんでもないとばかりに諭しにかかる。
「でも、黒魔道士達だとすれば……あなたにもわかっている筈よ、ジタン?」
「……」
 祖国へ向かおうとするフライヤに同行を申し出、さらにビビの勇気も受け入れたジタンは、しかしダガーの言葉には口を閉ざした。
 そのまま顔を背け、考えこむ仕草をする。
 ブルメシアの戦士であるフライヤは当然として、ジタンは戦い慣れているから戦場に赴いたとしても多少の戦力にはなるだろう。ビビもまた、黒魔道士として戦力になる事ができるし、何より彼には自分そっくりの黒魔道士兵達が他国を襲っているかもしれないという、捨て置けない事情がある。
 彼らがブルメシアに行くことを疑問に思う者は、反対する者はいないだろう。
 けれど、ダガーは違う。
 ダガーは、いやアレクサンドリア国の王女・ガーネットは、おいそれと危険な目に遭わせるわけにはいかない存在だ。
「今すぐ戦争を止めさせるようにお母さまを説得してみせる!」
 ダガーが続けた言葉を耳に入れたジタンは、ダガーに向き直った。
 そして、静かに口を開く。
「……危険だとわかっている所に連れていく事は出来ない……」
「ジタン!?」
「リンドブルムに残ってくれ」
「どういう事なの!? 危険なところなのはわかっているわ!」
 当然、その言葉に納得の行かないダガーはジタンに食いかかる。
 ダガーが必死の剣幕でいる一方で、ジタンは努めて冷静でいようとしながら言葉を選んでいるようだ。
「わかっちゃいないよ、ダガーは……戦争なんだぞ? 人が死ぬんだぞ?」
「そんなこと……!」
「ダガー……今、目の前で死んだブルメシア兵を見てどう思った?」
「……かわいそう、って……」
「そう、かわいそう、だ……そう思うのは悪いことじゃないさ。けどダガーはまだこう考えられない……『自分もこうなるかもしれない』って……お母さまを説得するなんて、そんな事言ってられる状況じゃないんだ」
 自分もこうなるかもしれないと言われ、一瞬でも想像に及んでしまったのだろうか。
 僅かに顔を青ざめさせて口を噤んだダガーは、今度はハクエに向き直った。
 今まで二人のやり取りを見守っていたハクエもまた、ダガーに向き直る。
「でも……ハクエなら、一緒にブルメシアに行ってくれるわよね……?」
 縋るようなダガーの視線。
 けれど、ハクエもまた、ジタンと同様にゆっくりと首を振った。
「どうして!」
「……ダガー。私達では陛下を止めることが出来ないからリンドブルムに来たということ、忘れていない?」
「でも、お母さまが戦争だなんて……止めなくてはならないわ!」
「そうね……私達の目的は、陛下を止めることだわ」
「だったら!」
 悲痛な面持ちのダガー。
 ダガーの焦燥は、ハクエだって多少は理解しているつもりだ。理解しているからこそ、彼女を戦地に連れて行く訳にはいかない。
 実の娘が乗っている劇場艇に容赦なく砲撃を浴びせかけたブラネの姿を脳裏に蘇らせながら、ハクエはあえて厳しい言葉を選んで口にする。
「……私は貴方がどんな道を選んでも護ってみせると言ったわ。けれど、それは自ら戦火の中へ飛び込んでいこうとする貴方を許すための言葉じゃない」
「そんな……」
「依頼は果たした筈よ。それに、戦地で貴方を守り切れる自信が無いの」
「おいおい、何言ってんだ。お前も残ってくれ、ハクエ」
 切り捨てるような冷たい言葉にダガーが下唇を強く噛んで俯き、ハクエがブルメシアに向かおうとしている事に気付いたジタンが慌てて口を挟む。
 ハクエはそんなジタンを暗闇色の帽子の下から睨み上げた。
「何言ってんだはコッチの台詞よ、ジタン」
「それはどういう……」
「まさか、自分なら危ない目に遭っても大丈夫とか考えてるんじゃないでしょうね。私だって戦力になれるだけの力があるし、争いの残酷さは貴方よりも理解しているつもりだわ」
 その言葉に虚を突かれたような表情をしたジタンだが、すぐにハクエを睨み返す。
「だからって、それがハクエが着いてくる理由にはならないだろ! それに、人探しの旅はどうするつもりなんだ?」
「私が探している人こそが、戦争の鍵を握ると思っていたの。けれど、私の予想に反して戦争は始まってしまったわ……それなら、私がやる事は何処にいるかもわからないあの人を探し続ける事じゃない。今目の前で起きている争いを止めること!」
 半ば叫ぶようにして言い切ったハクエに、ジタンは音が鳴るほどに強く歯を噛んだ。
 そして、低く唸るように言葉を絞り出す。
「お前が死んでしまうかもしれないんだぞ……!」
「ジタンこそ『自分もああなるかもしれない』のよ、わかってるの!?」
「わかってるさ! それでも、オレはお前に危険な目に遭って欲しくないんだ!」
「自分の事を棚に上げてずいぶんな事を言うのね。私だってジタンに……皆に危険な目に遭って欲しくない!」
 ジタンもハクエも、アレクサンドリアで二人が出会って以来、一度たりとも見せたことのないような剣幕での言い争いだった。
 戦争の残酷さを、血を流すことの悲しみを理解している二人は、だからこそ互いを守るべく行動しようとするのだったが、悲しいかなそのやり方が咬み合わない。
 周りが唖然と成り行きを見守っている中、言い争いはどんどん白熱していく。
 そんな二人を止めたのは、やたら豪華な身なりの巨大ブリ虫だった。
「まあまあふたりとも……今は言い争うべき時ではないブリ」
「大公殿の言う通りじゃ、早くブルメシアに向かわねば」
 二人の言葉に我に返ったハクエは、ジタンを軽く睨みつけてからシド大公に身体を向けた。
 ジタンもまた、ハクエに何か言いたそうであったがやがて諦めて視線を逸らす。
 周囲もそれに倣い、フライヤが焦れったそうに声を上げた。
「地竜の門を開いてもらえぬか?」
「うむ、歩いて行くのならば、あそこから出るしかないブリな。では、地竜の門が開くのを待つ間、腹を満たしていくと良いブリ」
 地竜の門は霧の下に位置する為、開放させるには安全確認をはじめ、様々な手順を踏まなければならないという。
 戦地へ赴くならば少しでも蓄えは必要だ。地竜の門が開くまでの間、一行はその申し出に与る事にした。



 食事の用意が出来たらお呼びいたしますので城内でお待ち下さい、とオルベルタに言われ、僅かな時間ではあるものの一行は自由行動となった。
 その間、リンドブルム城内を彷徨っていたハクエは塔上のバルコニーに出ていた。
(綺麗な景色……)
 澄みやかに晴れ渡る青空の下に広がる澱んだ霧の大地。グラデーションを描く空の下に広がる世界は、どこまでも続いているかのようだった。
 そよぐ風の心地よさを身に受けながら、手摺に身を凭れさせ、息を吐く。
 地竜の門が開かれた後は眼下に広がる霧の大地を抜け、戦火のブルメシアへ向かうのだ。
 隆々と聳え立つ山脈の向こうで、一体どんな惨劇が繰り広げられているというのか。
 ジタンにはああ言ったものの、ハクエ自身、戦地そのものに赴いた経験はない。様々なものを見てきたという師匠に伝え聞いた内容と、一人旅を続ける最中で依頼を受け、村間で起きている小さな抗争を止めた事が有るだとか、そんな程度のものだ。
 何故なら、ここ数十年の間、国家レベルの戦争が起きていないからだ。
 メンバーの中で戦争の残酷さを直に経験している世代と言えば、スタイナーくらいだろうか。
(……正直言って、怖い。私がブルメシアに行ったとして、戦力になれるのか……そもそも、無事でいられるのか)
 手摺に両腕を置き、その上に額を重ね、うつ伏せの姿勢になる。その細い肩は、僅かに震えていた。
 静かなハクエの様子に、何処からか白鳩が舞い降りてくる羽音が聞こえる。
(もし、ブルメシアの彼のようになってしまったら? 師匠に会えなくなってしまうというの……?)
 脳裏に、先ほど事切れたばかりのブルメシア兵の凄惨な様子が蘇る。
 そして、その光景が自分が『ああなってしまう』姿に置き換わり、ぶるりと身を震わせる。
 慌てて脳内に出来上がってしまった自分の惨たらしい死体のイメージを掻き消すように頭を振った。
(死と隣合わせの世界にいるのは、三年前からじゃない。今更怯えてどうするっていうの)
 今まで魔物を相手にしていたのが、人間に変わるだけ。自分を、仲間を守るためなら斬り捨てることを躊躇ってはならない。
 怯え竦む心に半ば強引に言い聞かせる事で自分を奮い立たせ、顔を上げる。
 視界の隅で白鳩が様子を伺うように此方を覗き込んでいるのが見えて、その様子に強張っていた身体の力が抜けるのを感じる。
 手を伸ばせば、釣られるように指先に止まり、ふと笑みが零れた。
(師匠がいないのに陛下が戦争を起こしてしまったのには、何か理由がある筈よ。ダガーの代わりに、私が原因を突き止めないと)
 戦地へ赴くことへの恐怖が完全に消え去った訳ではないが、それでもハクエはブルメシア行きを辞めるつもりなどなかった。
 自由に動いては困る立場のダガーを城に押し留めるのだから、彼女の代わりに自分が事の全貌を解明し、あわよくば陛下に接触できればと考えている。
 手元に用意された数少ない材料で戦争の火種を探り始めるハクエ。
 黒魔道士達が戦地で暴れているのは間違いないだろう。彼らを製造する事で兵力を確保し、他国を侵攻しようとしている。
 カーゴシップで何をされても無反応でいた彼らが他国を攻め入る姿は想像に難いが、黒のワルツのような存在を考えると否定しきれない。
 しかし、アレクサンドリアはどちらかといえば霧機関の製造には疎く、リンドブルムに供給してもらっている程であるのが現状だ。国民であるハクエはそれを良く理解している。
 そんなアレクサンドリアが、ダリ村にあれだけ大規模な工場を建設し、黒魔道士を量産しているというのは、にわかには信じがたい。
 何故なら、霧機関に詳しくないハクエでも直感的にわかるほど、ダリ村の地下にあったあれらは『違った』のだ。
 アレクサンドリアやリンドブルムはおろか、あんな型のものを見た記憶は、ハクエにはない。
 一体、どうやってあの複雑な霧機関を入手したというのか。
 そうやって少しずつ疑念を並べ立てていくうちに、ハクエはある仮説に行き当たった。
(……誰かが、陛下に手を貸している……?)
 詳しい者の手によれば、あの霧機関を組み立てる事も可能だろう。
 しかし、それだけでは戦争を起こす理由にはならない。
(その誰かが、陛下に入れ知恵をして、戦争を起こすよう仕向けているとしたら……?)
 もし、そうであるならば。
 ブラネが数年前を境に豹変してしまった事も、戦争だなんて物騒な事を口走り始めたのも、実際に『黒魔道士』を生み出して他国に攻め入ってしまった事も。
 全て、ブラネの背後に立つ誰かによってそうさせられているのであるならば。
 ブラネという一国の主の懐に潜り込み、その権力を使って戦争を勃発させんとする存在がいるというのか。
「……一体、誰が……」
 ハクエが辿り着いた恐ろしい仮説は、しかし証明する手立てもなく、白鳩ののどかな鳴き声を耳に入れながらその場に立ち尽くす他なかった。



 あの後、塔上のバルコニーまで呼びに来た兵士に案内されて応接間に戻ったハクエを出迎えたのは、大きなテーブルに所狭しと並んだ料理の数々だった。
 ハクエら一行が並んでも尚ゆとりのあるサイズのテーブルの筈が、ぎっちり並んだ料理のお陰でそれでも窮屈に見えてしまう。
「おいしそうなごちそうがいっぱいあるね」
 既に席に着いているビビが嬉しそうな声を上げ、テーブルの上の空いた台座に飛び乗ったシドがその反応に満足気に身体を揺する。
 害虫にも指定されているブリ虫が食卓に上るという、あるまじき光景にハクエは一瞬気が遠くなりそうになるのを感じたが、他のメンバーは既に見慣れているのか何も言わなかった為になんとかその場で持ちこたえる。
「これらの料理は500年以上も前からこの地に伝わる伝統的な狩猟祭料理ブリ。この料理は手で食べるのがならわしブリ、カッコなど気にせずガツガツ食べてくれブリ」
「……では、お言葉に甘えて、冷めないうちにいただきましょう」
 ダガーがそう言い、皆がおもむろに料理に手を伸ばす。
 肉料理を中心とした狩猟祭料理は特にスタイナーの好みに合っているのか、彼の食いっぷりは見事なものだ。
 がつがつと咀嚼音を立てながら骨付き肉を軽々と平らげ、また次の料理に手を伸ばす。
 その様子を見ていたビビも料理を口に運び、その味に顔を綻ばせた。
「うん、これおいしいよ」
「……」
「せっかくだから食べようぜ、門が開くまではどうしようもない」
 香草に包まれ香ばしい香りの立ち込める肉料理を無言で見下ろしていたフライヤだったが、ジタンの言葉に頷くと料理に手を付けた。
 彼女が口を付けるのを見たジタンもまた手近にあった料理をつまみ、ひょいと口に放り込む。
「うん、こりゃいけるぜ!」
「このような食事は久しぶりであります」
「お城の中でこんな食事するのってなんだか不思議ね」
 ハクエも大きな葉に包まれた肉料理を指でつまみ、一口齧る。
 そうして全員が食事を口に運ぶのだが、ダガーだけが何にも手を付けず、ただ一行の様子を伺っている。
 それに気付いたハクエとスタイナーがダガーに視線を向けた。
「ダガー、食べないの?」
「お召し上がりにならないので?」
「ええ、ごめんなさい」
 二人の言葉に僅かに焦った表情を浮かべたダガーは、すぐにそれを掻き消すと料理に視線を戻す。
「とてもおいしそうね、どれも」
「ハハハッ、いや、まことにっ! この肉料理など格別であります!」
「隊長、それダガーが食べるには大きすぎるんじゃないですか? こっちのハムなんてどう、ダガー?」
「え、ええ……」
 ダガーの呟きに、すかさずスタイナーと二人でそれぞれ食べていた料理を勧め、ジタンがおかしそうに笑うのがハクエには見えた。
 そして、その更に向こう側にいるビビの上体がぐらりと傾ぐ姿も。
「あれ……ボク、おなかいっぱいみたい。なんだか眠くなってきちゃった……」
 そう言いながら、ビビはその場に崩折れた。
 それとほぼ同時に、己の身に急激な眠気が襲いかかってくるのを感じるハクエ。
「し、しまった! 毒かっ!?」
「ダガー……!?」
 手にしていた料理を取りこぼし、なんとか体勢を維持しようと試みる。しかしその努力も虚しく、ハクエはその場に膝を付いた。
 視界の片隅ではフライヤが言葉なく崩折れ、シドが台座から転がり落ちるのが見える。
 ジタンもまた、目を見開いてダガーの方に手を伸ばしていたが、やがてふと糸が切れたようにその場に倒れ込んだ。
 一方で、ダガーだけが何事も無かったかのようにその場に立っている。
「ダガー……まさか……」
「ハクエ……ごめんね……」
 真横にいたダガーの手に縋るようにしがみついていたハクエだったが、遂にその手にも力が入らなくなってくる。
 優しく手を握り返され、呟くような謝罪の言葉を耳にしたのを最後に、ハクエの意識は澱んだ沼の底に沈んでいくかのように遠のいていった。



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