20:王女の想い


 ハクエ達が城下町で食事をしている一方で、既に食事を終えているダガーはシドと共に城内を歩いていた。
「ブラネ女王は元気にしているブリか?」
 歩を進める度に、ぶりぶりと水っぽさの混ざったなんとも言えない音を立てながら歩くシドが、まるで世間話でもするかのように問いかけてくる。
 ブリ虫の姿にされ、非常に短い手足となってしまったシドに合わせて歩いているため、彼の少し後ろを歩くダガーの歩幅はとても狭く、ゆっくり足を運んでいる。うっかり追い越してしまわないよう注意を払いながら首肯するダガー。
「はい、でも……お父さまが亡くなられてからお母さまは人が変わったようになってしまって……」
「愛しておったからな……アイツを亡くし、さぞかし、ブラネもつらかったのだろうブリ」
 頷きながらも続けられた言葉に、シドは虫の手で立派に伸びた髭を撫でる。
 撫でるといっても、複雑な動きの出来ない虫の手で髭を撫でようとしても、傍から見れば顎を掻いているようにしか見えないのだが、現在シドの傍にはダガーひとりしかいないし、そのダガーも後ろを歩いているためその微妙な光景を目にする者はいない。
 やたら豪華な格好をしたブリ虫が微妙な手付きで顎を掻いている事に気付かないダガーはぽつりぽつりと語り始める。
「最近では城に怪しげな者の出入りが目立ち、私ともあまり口をきいてくれなくなりました。なにかを始めようとしているんです。お母さまは、なにかとても恐ろしい事を……でも、アレクサンドリア城の者は、誰もお母さまを疑おうとしないんです。皆、私がそんな事を言うのは、父親を亡くしたからだろうと……」
 最愛の夫であるアレクサンドリア王を亡くし、その心は常に不安定に揺らめいていたブラネ。
 女王を敬愛する臣下達はそんな彼女を我が事のように心配し、半ば盲目的に仕えていた。
 だからなのだろう。ブラネの異変を訴えるダガーに返ってくる言葉は、決まってダガーを窘めるものだった。
 母親と同様、娘もまた父親を亡くした悲しみで不安定な状態になってしまっているのだろうと、勝手に結論付けては憐れむのだ。
『陛下は、未だ王を亡くした悲しみから立ち直られていないのですよ。姫様がそんな事を仰られてはいけません』
 アレクサンドリア内部では、気を病んでしまった女王を止めようとする者は、そもそも様子がおかしいと考える者は誰もいない。
 そして、王女とはいえ大した権限の与えられていないダガー一人では母親を止める事など叶わない。
 ならば、外部の人間。それも、女王と対等に話が出来る人物に協力を仰ぐのはどうだろう? 幸いにして、ダガーはその人物に心当たりがあった。
「それで、父上の親友であった、このワシを頼ろうとしたブリな」
「はい、お母さまもおじさまの話にならば、きっと耳を貸してくださると思って……リンドブルムから劇場艇が来る時を待っていたんです、ここへ来るために。偶然にもその劇場亭には、私を誘拐しようと、タンタラス団の皆さんが乗っていて……」
「うむ、タンタラスに姫の誘拐を依頼したのは他でもない、このワシブリ」
「えっ?」
 驚きに目を開くダガー。
 シドがまさかタンタラスと繋がっていて、さらには誘拐するよう依頼をしていただなんて、夢にも思わなかった。
 思わず前を歩くシドの背中を見るが、振り向くことのない表情を伺うことは叶わない。
 けれど、続けられた言葉に強い思いが込められていることは顔を見なくても知ることができた。
「アレクサンドリア王と約束をしたブリ。もしなにかあったら、姫はワシが助けると。我々もアレクサンドリアの近頃の不穏な動きを早々に察していたブリ。しかしこのワシが直接動いたとなれば、戦争の切欠をつくってしまうブリ。バクーとワシはワケありの仲でな、今回はヤツに一肌脱いでもらったのだブリ。劇団タンタラスが姫を誘拐、劇場艇に乗って姿をくらまし、ガーネット姫も行方知れず! 今のアレクサンドリアは我々に助けを求めてくる事はないブリ。目立つ行動をとらなければ、向こうには気付かれないブリ」
 流暢に語られる言葉は、ダガーが思っていた以上にシドがこの事態を重く認識している事を教えてくれた。
「ダリ村で、黒魔道士を見てしまったんです。心を持たない、魔力で動くゴーレムを……しかもアレクサンドリアの管理下で、黒魔道士軍団が作られていたんです。ビビとの関係はわからないけど、もしお母さまがあの黒魔道士軍団を使ったら……」
「そうなる前にワシから手を打とう。それに、たとえ黒魔道士軍団があったとしても、我らの飛空艇軍団があるか限り、向こうも動かんブリ。あとはこのワシに任せるブリ」
「お願いします。おじさま」
 シドの言葉が嬉しくて、ダガーはその背中に深く頭を下げた。
 衣擦れの音でそれを察したシドが振り返り、ぶりぶりと身を揺らして頭を上げさせる。
「これこれ、よさんか。かしこまる必要はないブリ。ワシはこの君主としてではなく、おじさまとして姫に力を貸すブリよ」
 茶目っ気たっぷりにウインクして見せるシドの優しさに、ダガーはその胸中にじんわりと安堵の気持ちが広がっていくのを感じた。
 ダガーにとってシドは良き相談相手であり、それこそ叔父のように頼れる存在だ。
 そんな彼が力を貸してくれるというのだ、様子のおかしい母親を元に戻せるかもしれないという期待に、ダガーはシドの目を見据えて言葉を改めた。
「ありがとう、おじさま」
「うむ」
 深く頷いた(といっても首が無いために身体を揺すったようにしか見えない)シドは、そこで歩みを止めた。
 それに気付いたダガーも同様に足を止め、周囲を伺う。
 廊下を進んでいると思っていたのだが、いつの間にか円形に迫り出した小さなテラスに行き当たっていた。
 円形のテラスはダガーの肩ほどの高さがある手摺に囲われており、作業台やら設計図やら何かしらの機械やらが整然と配されている。
 手摺の向こう側には、先程カーゴシップを停泊させた所とは別の飛空艇ドックが広がっていた。
 テラスから一望できるドック内には無数の足場が建てられており、しかし肝心の飛空艇の姿が見当たらない。
「ここは……?」
「ここが我がリンドブルムの魂とも言える飛空艇団のドックブリ」
 音を遮るものが何も無い、広いドックにダガーとシドの話し声が響く。
「でも、このドックはからっぽ……」
「そう、この1番ドックは飛空艇の研究をするところでな……半年ほど前までここは、新型の飛空艇があったブリよ。『霧』をまったく必要としない、画期的な動力機関を持っていたブリ」
「まさか、おじさまを襲った人たちが、その飛空艇も盗んだ……?」
 このドックに番号が振られているという事は、似たような規模のドックが他にも存在するという事だ。それも、飛空艇団のドックというからには、それなりの数があるのだろう。
 改めてリンドブルムという国の大きさを実感するダガーだったが、続いた言葉に眉を潜めた。
 しかし、穏やかでない言葉に頬を掻いている(ように見える)シドは、何故か言葉に詰まっていた。
 事件当時を思い出すのはきっと辛いだろう、そう思ったダガーはシドが話し始めるのを辛抱強く待つ。
 そんなダガーの様子に降参したのか、やがてシドは気不味げに口を開いた。
「いや、そこなんだが、実は……城下町の酒場にかわいい娘がいてな……」
「それが、これと……?」
 よもや、その酒場の娘がシドを襲った人物と繋がりがあったのだろうか。
 思わず息を飲んで耳を傾けるダガーだったが、続けられた言葉を聞いていくうち、真剣だった表情は次第に微妙なものに変化していく。
「その娘を見て浮ついていたワシは、怒ったヒルダの魔法でこの姿にされたブリ。そして、皮肉にも『ヒルダガルデ1号』と名付けたこの飛空艇で出て行ってしまったブリ……それ以来、帰ってこないブリよ。すぐに2号機の建造に掛かったが、この姿ゆえ、思うように捗らないブリ。しかし、ブラネ女王の事はしっかりやるブリ!」
「は、はい」
 強引に締め括ったシドに、思わず気の抜けた相槌を打ってしまったダガーであったが、その目は胡乱げだ。
 だって、敬愛する叔父が、妻であるヒルダを差し置いて町娘に鼻の下を伸ばしていたというのだ。
 お城暮らしで恋愛経験こそ無いが、貞操観念の教育をしっかり受けて育った立派な淑女であるダガーは、籍を入れている者の浮気は罪に成り得るという事を当然だが知っている。
 そんなダガーの、少しばかり非難の色が混ざった微妙な視線を受けているシドは萎縮している様子だ。
(……男の人って、皆こうなのかしら)
 脳裏に、自分とハクエにやたらちょっかいを掛ける尻尾の生えた少年の姿がちらつくが、すぐに追いやる。
 シドがブリ虫になってしまった原因たるこの情けない浮気話を掘り下げることや、男の浮気症について思い悩むことは別に今でなくても、それこそ全ての問題を解決した後でも十分に出来る。
「でも、南ゲートが壊れてしまってアレクサンドリアへは……」
 胡乱げだった表情を真剣なものに戻し、何事も無かったかのように話の路線を元に戻すダガー。
 切り替えの早いダガーに安堵の息を吐いたシドもまた、真剣な(ように見える)表情を見せ、頷いた。
「うむ、それなら大丈夫。復興作業はすでに始まったブリ。ゲートが直ったら、一緒にアレクサンドリアへ行くブリ」
「えぇ、きっと、お母さまも目を覚ましてくれる筈です」
 シドの言葉にしっかりと頷き返したダガーは、ふとそのシドがじっと自分を見つめている事に気付いて首を傾げた。
「おじさま?」
「あ、あぁ、劇場艇が落ちたと聞いた時はどうなるかと思ったが、
 バクーのヤツ、優秀な部下を持っているようだブリ……」
「おじさま、そもそも城を出ようとする私を助けてくれたのは、ハクエなんです」
「ハクエ? ……あの、ワシを殴り飛ばした娘かブリ……」
「……はい」
 シドはどうやらタンタラス団の事を考えていたらしい。
 彼の言う通り、タンタラス団の、特にジタンの協力無しには此処まで辿りつけなかった道程であるが、彼らと出会う前からダガーに協力してくれていた人物いる事を忘れてはならない。
 ……害虫にも指定されているブリ虫を大の苦手とするハクエと、そのブリ虫の特大サイズな見てくれであるシドのファーストインパクトは、あまり良くはないようだが。
「ハクエは幼い頃からの私の友人です。本当は、彼女と二人で劇場艇に忍び込んで此処まで来るつもりでした。……ハクエも、お母さまの異変に気付いているみたいで、私のお願いを何も言わずに受け入れてくれました」
「ふむ……そういえば、いつかの手紙にそんな事を書いていたブリな」
「はい。ハクエは、本当はスヴェンという人を探す旅をしている最中だったんです。三年前、行方不明になってしまって……」
「それは、スヴェン・レザイアの事かブリ!?」
 ハクエの事を話していたダガーだったが、意外な所で喰いついてきたシドに目を丸くする。
「はい。ご存知なんですか、おじさま?」
「うむ。とはいえ、行方まではわからないブリ」
「そうなんですか……」
 有力な情報をハクエに渡すことが出来るかもしれないと僅かばかりに期待したダガーだったが、所在地については首を横に振られてしまった。
 親友が三年掛けて大陸中を探しているのにも関わらず、影すら見せないスヴェン。
 あまり彼と話す機会に恵まれなかったダガーにとって、スヴェンはハクエの育て親という程度の認識であったが、彼がハクエの事を深く愛しているという事はよく知っていた。
 それなのに、どうしてこんなにも長い間彼女の前に姿を表さないのだろうと、ダガーは不思議でならなかった。
「……もし、スヴェンについて何か情報が掴めたら教えるブリ。とりあえず、今日はゆっくりと休むが良いブリ。明日は狩猟祭があるから、楽しんでいくブリ」
「はい、ありがとうございます」
 早急に伝えるべき事は粗方話し終えた。
 自身の目的を半分近く果たすことができたお陰なのか、一気に襲いかかってくる疲労を強く感じたダガーはシドの言葉に頷いてその場を去った。
(おじさまの協力があれば、お母さまも耳を傾けてくださるはず……きっと、上手くいくわ)
 宛行われた客室の場所を知っているダガーは迷うこと無く歩を進めていたが、ふと足が止まる。
(ハクエ……)
 その脳裏には、アメジストの綺麗な瞳を持つ親友の少女の姿があった。
 『城から連れ出して欲しい』という己の願いを叶えてくれ、更には安全な場所まで守り通してくれた彼女。
 ダガーがシドの元に身を寄せた今、約束を果たし終えたハクエは再びスヴェンを探す旅に出てしまうのだろう。
 数日前、普通であれば到底受け入れられないような依頼をしたにも関わらず力強く頷いてくれた彼女は、ダガーにとって大きな支えとなっていた。
 そんな彼女と間もなく別れなければならないという現実に、ダガーは胸元のペンダントを握りしめる。
 このペンダントだって、ハクエが巡回兵がいなくなるタイミングを図ってくれたからこそ手に入れることが出来たようなものだ。旅慣れない己を細やかに気遣い、自分と同じような華奢な身体なのに身を張って守ってくれた。
(本当は、ずっと一緒にいて欲しい……ハクエがいれば、とても心強いわ。でも……)
 きっと、彼女は大切な人を探す旅に出るだろう。
 己の胸中を映すかのように揺れるペンダントの光を見つめながら、ダガーは暫くの間その場に立ち尽くしていた。

 一方、飛空艇ドックに残ったままのシドは眉間に皺を寄せていた。
「スヴェン・レザイア……アレクサンドリアの文献に、何百年もの間その名が載り続けているという……? もし、ハクエという娘が探している男と同じ人物なら、放っておくと不味い事になるブリ……」
 静かに響く言葉を耳に入れたものは誰も居ない。



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