12:刃に込めた想い


 ちりん……と微かに聞こえた音色が凍りついていたハクエの意識を僅かばかりに溶かした。
 凍えるあまり完全に固まっている瞼をこじ開け、周囲を伺う。意識を失う前と同じままの姿勢でガーネット姫がハクエの腕に抱かれて気を失っており、辺りはハクエ達の体温を奪うかのように激しく吹雪いている。
 ちりん……
(鈴の音……?)
 再び聞こえた音に、今度ははっきりと意識が戻ってきた。何もかもを凍てつかせる程の寒さだというのに、その音色は滑らかにハクエの耳に潜り込んでくる。
 すっかり感覚が遠のいてしまっている四肢を無理矢理動かして立ち上がると鋭い痛みが身体中を襲い、思わずうめき声が出る。
 恐る恐る自分の身体に視線を這わせれば、完全に凍傷を負ってしまっていた。こんな格好で倒れこんでいたのだから当然だろう、仕方なしにケアルを掛けて痛みを誤魔化す。
 どうやら深刻な症状ではないものの、洞窟を抜けたらすぐにでも身体を暖める必要があるだろう。ケアルでは凍傷を癒すことは出来ても失った体温までは戻すことは出来ない。
 次いでガーネット姫にもケアルを掛けるが、起きる気配が無い。
 彼女をこのまま置いておくのは気が引けたが、それよりもこうしている間にも鳴り響く鈴の音の正体が気になる。
 ガーネット姫の顔が凍った地面に直接触れないよう頭の下に帽子を差し込んだハクエは言う事を聞かない身体を引きずるように歩き出した。

 以前訪れた時は外套を羽織っていたとはいえ、意識を失う危険に遭う程の寒さではなかったとハクエは記憶している。
 それなのに、ハクエ達一行の意識を例外なく奪ったこの吹雪には作為的な何かを感じてならない。
 きっと、先程からしつこいまでに響いている鈴の音がその正体なのだろう。
 がちがち奥歯を鳴らす口を動かして弱々しいファイアを手の平に生み出すと、炎が肌に触れないよう慎重に身体を暖める。痛みを残しながらも荒治療によってある程度自由の利く様になった身体に安堵の息を吐くハクエ。
 とはいえ、魔力の高くないハクエはビビやガーネット姫のように魔法を乱発することが出来ない。再び身体が凍えてしまう前に早急に原因を突き止めて解消する必要があった。
 凍った地面に足を取られないよう注意しながら狭い一本道を抜け、やがて広い空間に出たハクエは凍り付いた滝の前に不気味な笑みを浮かべる影を見つけた。
 その影が片手にぶら下げている鈴が一つ音色を響かせるたびに吹雪が大きなうねりを持ってハクエに襲い掛かり、そのままの勢いでハクエがやってきた一本道目掛けて過ぎ去って行く。
 剥き出しの腕で顔を覆いながらその影を睨み付ければ、なんとその正体はビビと同じような黒魔導師の姿をしておりハクエは目を見開く。
 とんがり帽子を目深に被り、薄暗い顔はよく見えず、不気味に釣り上がった金色の眼が浮かび上がっている。
 濁った朱色のローブの背に大きく広がる巨大な翼はあれだけ吹雪に晒されているというのに全く影響を受けていないようだ。
 ちりん……と再び鈴を鳴らした黒魔導師は、ハクエを冷たい目で見やると走り出した吹雪に乗せるように口を開いた。
「貴様がハクエか」
「私を知っているの……?」
 困惑するハクエの反応を面白そうに見る黒魔導師は鈴を鳴らすのを止めると言葉を続ける。
「それは貴様が知る由の無い事。さぁ、姫を連れて来い」
「誰があなたみたいな怪しい人に私の大事なガーネットを渡したりするのよ、残念だけどお断りするわ!」
 続けられた言葉に困惑していた表情を一変させ、ガンブレイドを構えるハクエ。
 立て続けに浴びせられた吹雪に早くも身体は凍え始めていたが、この黒魔導師の目的がガーネット姫であると分かった以上弱っている暇は無い。
 姿形こそビビに似ているようだが、中身はまるで別人だ。突き刺さる殺意を跳ね返すようにハクエは叫ぶ。
「大人しく姫を差し出せば貴様の命だけは見逃してやろうと思っていたが……まぁよい、せめて一瞬で終わらせてやろう」
 向けられたガンブレイドの切っ先を見てなお嘲るように笑う黒魔導師は、鈴を頭上高く掲げて見せる。
 ハクエもまたトリガーに指を掛け、両者の緊張が極限にまで高まった時、背後から少年の声が飛んできた。
「ハクエ! そいつがこの吹雪を起こしているのか!」
「ジタン!」
 寒さに凍えているジタンが両手に短剣を構えながら走ってきた。
 ハクエの隣に立つと青白い顔で黒魔導師を睨み付ける。
「チッ、死んでなかったか……そのまま眠っていれば、苦しまずに済んだものを」
「うるさい! さっさとこの吹雪を止めろ!」
「ククク……大人しく従うとでも思ったか? ……氷の巨人、シリオン……出でよ!」
 腕を振り上げたままだった黒魔導師がけたたましく鈴を鳴らす。
 すると、黒魔導師の背後で凍り付いていた滝の水面に突如として亀裂が走った。
 氷の割れる高い音を響かせながら、鈴が鳴る度に大きく盛り上がっていく水面は凍った滝を超える背丈まで伸びていき、やがて竜の氷像が出来上がる。
 顔の何倍にも長く伸びた鋭い牙に両肩から生える氷の翼、大きく膨らんだ腹部から伸びる長い尾は蛇のように地面を這う。
 黒魔導師がもう一度鈴を鳴らせば、胸元に浮かび上がったコアクリスタルから青い冷気が迸り、氷像の瞳に殺意が宿った。
「行け、シリオン!」
 黒魔導士の声に応じるように、シリオンと呼ばれた竜の魔物が鋭い咆哮を上げてハクエ達に襲い掛かる。
 身を揺する度にぱらぱらと舞う氷の粒が視界を奪い、ハクエとジタンは思わず目を細め、腕を振るって氷粒を払う。
 叩き潰す勢いで振り下ろされた氷の翼をハクエがガンブレイドで受け止め、その下をジタンが潜り抜ける。
 ハクエが受け止めている翼を斬り付けたジタンにシリオンは思わず怯み、翼を押し返したハクエもまた腹部目掛けて一閃する。
 氷の割れる小気味良い音に手応えの良さを感じたジタンとハクエが畳み掛けるようにそれぞれの得物を振りかぶると、黒魔導士が不気味に笑って鈴を鳴らした。
 鈴を媒体にブリザドを発動させた黒魔導士は、しかしハクエ達ではなくシリオンに向けてそれを放った。
 訝しんだハクエとジタンは、シリオンを覆っていた氷が剥がれ落ちると斬り付けた傷が癒えているのを見て愕然とする。
「あいつ、ブリザドで回復するの!」
「オレがアイツをやる! コイツは任せた!」
「わかってる!」
 言うなり黒魔導士目掛けて走り出したジタンを追うように身を翻したシリオンの肩に銃弾を放ち意識を引き戻す。
「あなたの相手はこっちよ!」
 撃ち込まれた銃弾に吠えて返したシリオンは大きく翼を震わせると幾つもの氷塊を空に浮かび上がらせ、ハクエ目掛けて次々と投げ飛ばす。
 前に転がり出るようにしてそれらを避けたハクエは起き上がり様に腹部を斬り付け、傷口に向けてファイアを投げ込む。
 傷口に潜り込んだ炎はシリオンを守る氷の鱗を内部からじわじわ溶かし、氷の竜は堪らず悲鳴を上げた。
「とろ火でじっくり煮られる感じはどうかしら?」
「結構余裕みたいだなハクエ! ぅおっと!」
「貴様こそ、よそ見をしている余裕があるのか!?」
 弱々しいファイアに炙られて柔らかくなったシリオンの身体に立て続けに刃を浴びせ、魔法では大したダメージを与えられないことに対する自虐とも取れる言葉を吐いているハクエを見たジタンが感心して口笛を吹いたが、黒魔導師が放ったブリザドに慌てて飛び退いて体制を立て直す。
 短剣を持ち直し、身を低くして走り出すジタン。風を切る音と共にあっと言う間に黒魔導士と距離を詰めると、あまりの速さに対処しきれない黒魔導士の眼前で刃を光らせた。
 深手を与えたにしてはいやに手応えが軽いことに眉を潜めながら、再び身を翻して今度はその身を両断する。
「ぐっ……シリオン、後は任せた!」
 やけに軽々しく吹き飛ばされた黒魔導師は、力の抜けた手から鈴を取り零すと霧へと還っていった。
 主を亡くしたシリオンが身体を大きく震わせ、巨大な咆哮を響かせると凍っていた筈の滝壺から大量の水が勢い良く噴き出す。
 それはあっという間に大きな濁流となり、シリオンの背丈を越えるほどの巨大な津波になると、それを呼び出したシリオンもろともハクエとジタンへ覆い被さった。
 襲い掛かってきた冷たい飛沫に叩きつけられた二人は凍った地面に刃を立てて押し流されることを防ぐ。
「ちょっと、冷たいじゃないの!」
「ハクエ、一気にやっちまおうぜ!」
 地面から短剣を抜き取ったジタンはぶるりと身を震わせて飛沫を散らすと走り出す。濡れた尻尾が力なく垂れ下がっている辺り、大分ダメージを負ってしまっているようだ。
 立ち上がったハクエは僅かばかりに残っていた魔力を振り絞ってジタン目掛けてケアルを唱える。柔らかな光がジタンを包むと、地面を踏みしめる足に力が増して一層速くなる。
「でりゃあああ!」
 助走を付けた勢いのままシリオンの身を駆け上ったジタンが雄叫びと共に頭部に短剣を突き立てれば、シリオンは耳障りな悲鳴を上げて身体を振り乱し、ジタンはバランスを崩して飛び退く。
 ハクエが見上げると、明らかに弱っている様子でいるシリオンの胸元に輝くコアクリスタルは真っ赤に染まっている。
 どうやらあともう一押しのようだ。
「ジタン、あれを狙わせて!」
「! ……ああ、わかった!」
 我武者羅にのた打ち暴れ回る相手では、高威力を誇るハクエの銃の照準がなかなか合わせられない。ハクエの言葉の意味を察したジタンはシリオンの動きを止めるべく再び動いた。
 蛇のような尾を縫い止めるように短剣を突き刺し、痛みに仰け反ったシリオンが胸元を大きく曝け出す。
 ガンブレイドを構えたまま機を狙っていたハクエは迷うことなく引き金を引いた。
「ピアーシングショット!」
 ハクエが叫んだ言葉のままに鋭くシリオンの真っ赤なコアを撃ち抜く弾丸。
 断末魔を上げたシリオンは仰け反ったままの姿勢で固まっていたが、やがて滝壺に倒れこむ。
 巨体に耐え切れずに水面に張られた氷が砕け散ると氷の竜は重く沈んでいった。
「はぁ……凍え死ぬかと思ったわ」
「オレは運動して大分身体が暖まったけどな」
 滝壺を覗きこんでいたハクエとジタンが、シリオンが戻ってこないと判断すると深く息を吐いて身体の力を抜いた。その時。
「一人目は倒したようでごじゃるが」
「他の二人が姫を奪い返すでおじゃる!」
「だ、誰だ?」
「……あの声、まさか……?」
 唐突に頭上から降ってきた二つの声に困惑するジタンと思い当たる節のあるハクエ。
 見上げれば、滝の上にそびえる崖から派手な衣服が僅かに覗いているのが確認出来たが、直ぐに姿を消してしまった。
「ハクエ、知ってる奴なのか?」
「あの独特の喋り、聞き間違える訳ないわ。……ガーネットを取り戻す気満々ね、あの人」
 苦い顔をしたまま問い掛けに答えるハクエに、ジタンも眉根を寄せた。娘の迎えにしては、いやにやり方が荒過ぎる。
 手をすれば凍死させてしまいかねないというのに、何を思ってあの黒魔導師を寄越したのだろう。
「……ま、やっつけたんだからいいさ。それより皆が心配だ、早く戻ろうぜ」
「そうね……」

 吹雪を発生させていた黒魔導師を倒したことにより、寒いものに変わりは無いが身の危険を感じる程では無くなった。
 先程まで吹雪を全身で受け止めていたハクエとジタンにとってはかなり過ごし易くなっている。とはいえ、相変わらずハクエは両腕をさすって少しでも熱を保たせようと足掻いていたが。
「そんなに寒いか?」
「当たり前じゃない」
 最初こそ気の毒にその姿を見ていたジタンだったが、既に寒さに慣れきっている今では意地悪く笑い掛けていた。
 歩くハクエの真横に立つと、口の端を上げて覗き込む。
「寒さをしのぐ方法、教えてやろうか?」
「うん?」
「このジタン様の胸に飛び込めばいいのさ! なぁに、遠慮はいらないぜ、オレが誠心誠意込めてあっためてあげ……」
「あ、ガーネット!」
 ジタンが最後まで言い切る前に、前を見据えて歩いていたハクエはガーネット姫を見付けて走り出した。
 腕を大きく広げてハクエを抱きしめようとしていたジタンは一人取り残される。
「……またこのパターンか……」
 ゆっくり腕を降ろしながら呟いた言葉を耳に入れた者は誰もいない。

「ハクエ、ジタン!」
「や〜みなさん、無事だったかい?」
「ガーネット、大丈夫?」
 皆、意識を取り戻していたらしい。身を起こしているガーネット姫の傍に、谷間から這い上って来たのかビビとスタイナーもいる。
 ハクエとジタンに気付いたガーネット姫が声を掛ければ、皆振り返った。
「おい、貴様! 一体何が起こったのだ?」
 訳もわからぬまま意識を失い、訳もわからぬまま目覚めたスタイナーがハクエを通りすぎてジタンを問い詰める。
「いや、大したことなかったよ」
(その返答はどうなの……)
 ガーネット姫を狙ってきた黒魔導士の存在をわざわざ明かす必要もないと判断したのだろう、はぐらかすジタンだったが選んだ言葉があまりにも微妙でハクエはなんとも言えない顔になる。
「貴様、何か隠しているだろう?」
「何も無かったって言ってるだろ?」
 何が起きたと問いかけて大したことなかったなんて訳の分からない答えを返されれば、ハクエだってスタイナーと同じことを言うだろう。
 案の定詰め寄っていくスタイナーにジタンはたじろぐ。
「おいおい、おっさん勘弁してくれよ……」
「スタイナー、何もないと言ってるんです。ジタンに失礼ではないかしら?」
「くっ……わかりました」
 仕えるべきガーネット姫にそう言われれば、スタイナーは引き下がる他無い。
 ジタンを睨みつけながらもガーネット姫の後ろに控える。
「まあ、みなさん無事で何よりです。先を急ぎましょうか。ジタン、どうかしましたか?」
「い、いや、なんでもねえよ」
 疑うこと無くジタンの言葉を受け入れたガーネット姫は、ハクエ達がやってきた方面へ歩き出した。
 スタイナーとビビも後に続き、ジタンとハクエが後に残る。
「……ハクエも何か言ってくれよ」
「残念だけど私、あんまり口が上手じゃないのよ。あんなヘタな言葉じゃフォローできないわ」
「……まぁ、おっさん頭硬いしな……」
 がしがし首を掻いてぼやくジタンに肩を竦めてみせるハクエ。
 ヘタな事を言ってスタイナーのヘイトが自分に向けられるのを避けたかったのだが、案の定ジタンにはバレていたらしい。半目で睨みつけられたので、ハクエは笑って誤魔化した。

 黒魔導士達と戦った広間に戻れば先ほどまで凍りついていた滝は溶け、滝壺に向かって沢山の水が流れ落ちている。
 崖の上に見える洞窟の出口から太陽の光が差し込んでいるのか、滝の周りには小さな虹が掛かっていた。
 水晶にも見える氷に覆われた洞窟の中で見れた幻想的な景色にガーネット姫とビビが小さな歓声を上げ、スタイナーもまんざらでもないようにそれを見ている。
 ハクエもその景色を眺めながら崖を登り、その最中にふと足元に視線を落とす。
 他の皆が気付かないほどの小さな足跡。ばらばらと駆け回った形跡が見られるそれは、洞窟の外へと続いていた。先ほどの特徴的な声といい、この足の大きさといい、ハクエが見当をつけていた二人の人物が犯人で間違いないようだ。
 なんとも厄介な追っ手が宛てがわれてしまったものだ。
「ジタン……」
「ん?」
「ガーネットから目を離さないでね」
 ハクエの視線を辿るジタン。その先にある足跡を見つけると、しっかりと頷いてみせるのだった。

「やっと霧の上に出られましたね!」
 洞窟を抜けた先は切り立った崖道だった。崖道を降り、その先に続く山の下に霧が見える。
 空を見上げれば霧の下ではちっとも見えなかった青空が広がっており、ハクエ達は太陽の眩しさに目を細めた。
「やっぱり青空の下が一番ですね!」
ガーネット姫が指を組んで嬉しそうに美しい顔を綻ばせる。ビビも両手を上げて喜び、ハクエとジタンはぐっと伸びをした。
「なんだかとても久しぶりに陽の光を浴びた気がするわ」
 氷に覆われた洞窟の中で冷えきった身体が、太陽の光だけで暖まるかのようだ。
 ガーネット姫から返された帽子の形を整えると、おもむろに頭に乗せて太陽の眩しさから視界を守る。
「お、あそこに村があるぜ。な〜んかあの村って、前に見たことあるような気が……」
「ジタンは色んな所に行ったことがあるんですね……」
 昨晩ハクエが言っていた村を見付けたジタンはそれを指し示すが、どうやら見覚えがあるらしく首を傾げている。
 そのジタンをガーネット姫は眩しそうに見上げ、羨むように呟いた。
「わたくしが知っている世界は、すべて書物の中の事ばかりですわ。ジタンが知っている村かもしれませんよ、とにかく行ってみましょう」
「おいおい、ちょっと待てよ!」
 新しく開けていく世界が待ち遠しいのだろう、笑顔で歩き出すガーネット姫だがジタンは慌てて道を塞ぐ。
 不思議そうに首を傾げるガーネット姫に、ジタンは訴えた。
「ガーネットはお姫さまなんだぜ? それってどういうことかわかってんのか? 今だって追っ手が来てるかもしれないし、姫だって事がバレたらそれこそ色々面倒だぜ」
「貴様、何を言うか! 姫さまがコソコソする必要などない! 我々はすぐに城に戻るのだから、そんな事は関係ないだろう! それに、貴様のその態度は何だ? 姫さまに対して無礼であろう! その呼び方も改めるのだ!」
 案の定、ジタンの言葉に噛み付いたスタイナーがジタンに近寄ると腕を振るって怒鳴った。
 距離が近すぎたためにその腕がジタンの身体に当たり、ジタンは危うく崖から落ちそうになる。なんとかバランスを保つジタンだったが、その際に懐から一振りの短剣が落ちた。
 ガーネット姫が興味深そうにそれを拾い上げたが、それに気付かないジタンは流石に頭に来たのかスタイナーを睨みつける。
「おっさん、うるせえよ。あんたにゃ関係ねえだろ? だいたい、あんた何様のつもりだ? えらそうにしやがって……」
 ジタンの言葉に不愉快そうに口を曲げるスタイナー。
 険悪な雰囲気に耐えられないビビが縋るように声を上げた。
「ふたりともやめてよー!」
「ふたりともおやめなさい!」
 次いで放たれた鶴の一声に、ジタンとスタイナーは気まずそうに口を閉ざした。
 巻き込まれたくないハクエは完全に傍観者を決め込んでいる。
「……それからスタイナー、わたくしは城に戻るつもりはありません。でも確かに『ガーネット』では何かと不都合がありそうですね……ところでジタン、これは何というのですか?」
 ガーネット姫が掲げて見せた短剣に、ジタンはあ、と声を上げて自分の腰に触れた。
 当然、鞘に収まっていた筈の短剣は抜身の状態でガーネット姫の手に収まっている。
「そいつかい? そいつはダガーって言うんだ」
 僅かに焦った表情を見せていたジタンだが、ガーネット姫に掛けられた言葉に表情をぱあっと一変させた。
 ハクエがぎょっとした顔でジタンを見、ビビとスタイナーは思わず一歩ずつ下がる。
「そいつはダガーって言うんだ。それくらいの長さの短い刀の事をみんなダガーって呼んでるんだ。それよりも長いのをショートソード、両手持ちの大きな刀をブレード、ダガーより小さいのをナイフ、それから……」
「あ、いや……よ、よくわかりましたわ。これはダガーというのですね……」
 ノンブレスで流暢に語るジタンをガーネット姫が引きつった顔で止めさせた。我に返るジタンだったが、周囲は微妙な顔でジタンを見つめている。
 流石のガーネット姫もどん引きの表情だ。ハクエが大げさに溜め息を吐いてみせると、ガーネット姫は手にしたダガーをまじまじと眺める。
「姫さま! 小さくても武具、不用意に扱うと危険ですぞ!」
 スタイナーが慌てて声を掛けるが、それを黙殺するガーネット姫は真剣な表情だ。
 その表情を見たハクエが見守る中、やがて決意したように顔を上げて口を開く。
「決めました! わたくしはこれからダガーと名乗ります。ジタン、これでどうかしら?」
 そう言い切ったガーネット姫の表情は得意気だ。
 それを見たハクエは自然と表情が柔らかくなるのを感じる。
「本当にそれでいいのかい? よし、上等だぜダガー! あとはその喋り方だな……オレみたいにさ、くだけた感じになれば文句なしだ」
「えぇ、やってみます」
 ジタンに同意を得たガーネット姫改めダガーは満面の笑顔を見せるが、口調は未だにガーネット姫のままだ。
 苦笑いを見せたジタンはかぶりを振って言葉を探す。
「違う違う、そこは……」
 流石に自分の言葉をそのまま真似させるのはよくないと思ったのだろう。ジタンが物言いたげにハクエを見、しばらく悩んでからビビに視線をずらす。
 突然見つめられて困惑するビビを見ながら大きく頷いたジタンは再びガーネット姫に向き直った。
「『うん、がんばる』だな」
「……う、うん、がんばる!」
 ぎこちないながらも、ジタンに言われたとおりに言ってみせたダガーは普通の少女と変わらないように見える。
 ハクエが微笑ましく見守り、ジタンが満足気に笑った。
「その調子だぜ、ダガー! ってことで、そろそろ行くか!」
 ジタンの言葉に頷いたダガーの手を取ったハクエは、険しい崖道の中で比較的歩きやすい足場を選んでダガーを誘導する。
 それにジタンとビビも続き、物言いたげにダガーを見ていたスタイナーもやがて諦めたように歩き出した。

 ガーネット姫は、あの短剣を拾い上げたとき何を思ったのだろう。
 そして、何を見据えてその名をあやかったのだろう。
 困難の多いであろう彼女の行く道にどうか幸あれと、ハクエは願わずにはいられなかった。



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