11:厳冬の息吹


 数時間ほど休息をとったハクエが目を覚ますと、ジタンは既に起きているようで代わりにスタイナーが眠りに就いていた。
 瞬きをして身を起こし、大きく伸びをする。
 まだ周囲は暗いから、皆を起こして出発するには早いだろう。立ち上がって身体をほぐしたハクエは皮の水筒を手に取ると静かに歩き出した。
「お、ハクエ。起きたんだな」
「ジタン、おはよう」
 テントから少し離れた所を流れている川で水を汲んで帽子を洗いでいるとジタンがやってきた。
 水を汲んだ水筒を差し出せば、受け取って中身を口に流し込む。
「サンキュ」
「ろくに喉も潤さないままここまで来たからね、染みわたるでしょう」
 喉を潤したジタンから水筒を受け取り、再び中身を満たす。水の滴る帽子を片手にぶら下げて立ち上がると、ジタンに向き直った。
「いつ頃目が覚めたの?」
「さっき起きたばっかだぜ。おっさんは?」
「私が起きた頃にはぐっすりだったわ。強がってる割にはかなり疲れてたみたい」
 二人で肩を竦めて笑い、歩き出す。
 プリマビスタが墜落してから怒涛の勢いでここまでやってきたのだから、誰もが心身ともに疲労困憊の体だ。
 スタイナーだって、王宮騎士の身分であるからには一般人より遥かに体力はあるだろうが、それでも限度はある。
 目が覚めたら魔の森以上に体力を奪うであろう氷点下の洞窟を抜けて霧の上を目指さなくてはならないのだ、今のうちに少しでも休んでいて欲しい。
「早く霧の中から抜けたい所ね。こうして立っているだけで気分が悪いもの」
「あぁ。もう少し明るくなったらみんなを起こして出発しよう」
 ちゃぷちゃぷ水音を立てる水筒を片手に歩くハクエにジタンも頷いた。
 そのまま見張りを続けるというジタンと別れたハクエはテントの中から小鍋と小皿を引っ張りだすと水筒の中身を注ぐ。
 鍋を焚き火に掛け、ポーチに入っていた携帯食料袋から干肉を幾つか取り出すと鍋に放り込む。やがて小鍋の中身が煮え始めれば、辺りには美味しそうな匂いが漂いはじめた。
「……ハクエ?」
「ガーネット、起きたのね」
 その匂いにつられるように、先程までテントの中で寝息を立てていたガーネット姫が顔を出した。
 とろんとした目でハクエを見ていたが、やがてのそのそとやって来て隣に座る。
「もう体の調子は大丈夫?」
「ハクエ達のお陰で、もうすっかり良くなりました」
 水筒の中に残っていた水を蓋に注いでガーネット姫に渡す。それを受け取ったガーネット姫は一気に飲み干した。
「とんだ家出になっちゃったね」
 鍋の中身をかき混ぜながらぽつりと呟くと、ガーネット姫は美しく整った顔を僅かに歪めて俯いた。
「お母さま……どうして」
 空になった水筒を見つめながら悲痛に呟くガーネット姫。彼女に寄り添ったハクエもまた俯く。
「……陛下、去年からなにか様子がおかしいと思っていた。でも、あんな非道な事をするなんて、思いもよらなかったわ」
「去年、ハクエが来る少し前からお母さまは人が変わられてしまいました。それまでは、お父さまを亡くしたショックで落ち込んでいるのだと思っていたのですが……」
 毎年、ガーネット姫の誕生日にだけアレクサンドリアに帰っているハクエがブラネの様子を思い出しながら言う。
 旅に出てから最初の一年が経った時は、ハクエが親しみ憧れていた心優しきアレクサンドリアの女王のままだった。
 けれど、その翌年に訪れてみれば、表情こそ今までと変わらぬ女王のそれを見せていたが、節々に強い違和感を感じたのだ。
 三年目となる今年、その違和感はより顕著な形となってハクエの心に不穏な疑惑を抱かせた。
 僅かに話をしただけであるにもかかわらず、ぎらついた女王の眼差しはハクエの脳裏から離れない。
 だからこそハクエはガーネット姫の城から連れ出して欲しいという願いに何を訊くでもなく手を貸しているし、彼女の目的もまた察しが付いている。
「陛下のあの目、まるで何かに取り憑かれたみたいだった。でも、私やガーネットじゃ陛下の心を動かす事なんて出来やしない」
「……はやく、おじさまの元へ向かわないと」
 抱き寄せられるがままにハクエに身を預けたガーネット姫が、胸元に下げたペンダントを握りしめて言う。
 その手に己の手を重ねたハクエは力強く頷いて見せた。顔を上げたガーネット姫と視線を交える。
「ガーネットの事は必ず護ってみせる。だから、私の傍から離れないでね」
 いつか交わした時と同じようなやり取り。
 輝くアメジストが力強く彼女を捉え、ガーネット姫は頷いた。

 やがて日が昇り、起き出してきたスタイナーとビビ、何やら話し込んでいたジタンとガーネット姫と共に干肉を煮ただけのスープを摂って空腹をごまかした一行はテントを片付け出発した。
 時折襲い掛かってくる魔物を退けながら地図の示していた方向へ進んでいくと、山の麓に口を開いた洞窟が見えてくる。
 足元に絡みつく冷気に、先頭を歩いていたハクエは堪らず両腕を抱きしめてジタン達を振り返った。
「ここが、氷の洞窟よ」
「ここが……まだ中に入ってないってのに、とんでもない寒さだな」
 軽装のハクエと同じく、腕をむき出しにしているジタンも寒さを感じているのか、そっと腕を擦った。
 それを見ていたビビがおずおずと口を開く。
「ぼ、ボクも、おじいちゃんから聞いたことある。魔の森の近くにあって、霧の下から上まで続いている氷の洞窟……」
「わたくしも聞いたことがあります。氷に覆われた美しい場所だそうですね」
 小さな身体が寒さに負けじと一生懸命ジタン達を見上げている。
 その姿にハクエが思わず和み、スタイナーは歓声を上げた。
「素晴らしい! ビビ殿のおじい様は博識ですな! 霧を脱した暁には、是非とも感謝の言葉をお伝えせねば!」
「おじいちゃんからはいろいろ教えてもらったけど、もう死んじゃったんだ……」
「そ、それは……」
 しかし、俯いてしまったビビから告げられた言葉にスタイナーは続ける言葉を失う。
「知らなかったとはいえ、失礼致した……」
「ううん、気にしなくてもいいよ」
 項垂れたスタイナーに笑って返したビビの頭を撫でてやれば、ビビは困ったようにハクエを見た。
 その目には寂しさこそあれど悲しみは含まれておらず、気にしなくていいという言葉は本当のようだ。ぽんぽんと帽子を叩いて手を離し、腕を擦って暖めながら洞窟に足を踏み入れるハクエ。
「ま、とにかく行ってみるしかねぇな……」
 見るからに縮こまりながら洞窟に潜り込んでいくハクエを内心気の毒に思いながら、ジタンもまた寒さに凍える身体を擦りながら後に続いた。
 中に入れば、まるで職人が様々な花の硝子細工を作っていったのではと思うほどに繊細に美しく咲き誇る氷の花々がハクエ達を出迎えた。
 思わず寒さも忘れてその花に近づいたガーネット姫が、膝をついてそれらを観察する。
「まぁ……なんて美しいところなのでしょう。噂には聞いていましたが、これほどまでに美しいなんて……」
「何度見ても不思議ね。こんなに寒い所なのに、どれも生きている」
 僅かに歯を鳴らしながらガーネット姫の隣に立ったハクエも花を見る。
 まだ洞窟に入ったばかりだが、ここだけでも色々な種類の花が咲いているようで、とても幻想的だ。ガーネット姫と二人でうっとりと息を吐く。
「綺麗な花……なんていう名前なのかしら?」
「姫さま! 無闇に触ってはなりませんぞ!」
 咲いている花のうちの一つに手を伸ばしかけたガーネット姫だったが、後ろから飛んできたスタイナーの声に手を引っ込める。
 残念そうな顔をしているガーネット姫に、ハクエは思わずスタイナーを睨みつけた。
「隊長ったら、ぜんっぜん乙女心がわかってないんですね」
「な、なんですと?」
 思わず目を白黒させているスタイナーに、ハクエはガーネット姫の肩を抱いて歩き出してしまう。
 三人のやり取りを見ていたビビもまた、立ち止まっていては凍えてしまうのかゆっくりと歩き出してしまった。
「……どうでもいいけどさ、寒いんだし、早く行こうぜ……」
 かちかちと歯を鳴らしながらスタイナーに言ったジタンもまた歩き出す。
 ハクエの言った乙女心という言葉に首を傾げていたスタイナーだったが、やがて一人取り残されている事に気付くと慌てて追いかけた。

 ダメにしてしまった外套の存在がここまで恋しいと思う事になるなんて、と極寒の洞窟を進みながらハクエは内心ごちた。
 旅を始める際にしつらえた、ハクエの身体をすっぽり覆う外套は雨風だけでなく、暑さや寒さからも身を守ってくれていた。
 だからこそ外套の下は薄いワンピース一枚で入られたし、三年間も旅をしていながらハクエの肌は綺麗なままだ。
 落ち着いたらまた仕立てて貰おうかと思いながら進んでいると、やがてその寒さが尋常でないことに気が付いた。
 この洞窟は、普通に過ごしていても凍えてしまうような寒さなのだが、それが何故だか一層寒く感じるのだ。
 身を切るような寒さを通り越して身体の感覚が鈍り始めている事実に、ハクエは身を揺らして少しでも身体に熱を保たせようと足掻いたが、それでも体温は奪われる一方だ。
「前来た時はこんなんじゃなかったわよ……ビビ、どうしたの?」
「ビビ、何やってんだ! 早くしないとおいて行くぞ!」
「う、うん……」
 寒すぎて上手く舌が回せないハクエとジタンが、ふらふらとした足取りでいるビビに声を掛ける。
 心許ない足取りで歩いていたビビが大きく身体を傾けたかと思うと、なんとそのまま谷間に滑り落ちてしまった。
 慌てて駆け寄るハクエ達だが、ビビは滑り落ちた姿勢のまま動く様子がない。
「ビビ殿! だ、大丈夫でありますか!」
 ハクエ達よりも更に前に出て谷間を覗きこんでいたスタイナーだが、彼もまた力が抜けたように転がり落ちてしまった。
 重い鉄の塊が落下する音に舌打ちをしたジタンが飛び降りて二人に近付く。
「おい、二人とも何やってんだよ! おっさん、ビビ!」
 ビビの身体を揺すり、スタイナーに蹴りを入れるジタンだが、二人はぴくりとも動かない。
 その様子をガーネット姫と抱き合いながら見守っていたハクエは、ふいにガーネット姫に体重を掛けられてそちらに目をやる。
「……ガーネット?」
 長い睫毛は伏せられ、ハクエが身体を揺さぶっても動かない。
 吐く息が白く凍って見せているものの、ガーネット姫の身体は恐ろしく冷たかった。
「ねえ、ちょっと……嘘でしょう」
 意識を失ってしまったガーネット姫の身体を向き直させると頬を叩く。
 氷にでも触れているかのような頬の冷たさに、ハクエはガーネット姫を強く抱きしめた。
「ハクエ? ……まさか、ガーネットもか!?」
「おねがいガーネット、起きて!」
 一向に動く気配のないスタイナーとビビに匙を投げたのか、ジタンが谷間から這い登ってきた。
 しかし、ジタンの動きもまたぎこちなく、彼に振り向こうとしたハクエも全く身体が動かない。
「ハクエ……ちくしょう、オレまで眠くなってきた……」
 なんとか数歩ハクエ達に近付いたジタンだったが、それ以上身体が言うことを聞いてくれないのか、その場に崩折れる。
 僅かばかりに腕を動かすも、それすら直ぐに凍りついたように動かなくなってしまった。
「う、うそ、ジタンまで……」
 ハクエもまた、凍えるあまり意識が朦朧としはじめていた。
 ガーネット姫を抱きしめる腕に力が入っているのか、凍る地面に足腰を着けているのかの感覚すら最早わからない。身体がまるでひとつの氷塊になってしまったかのようだ。
(こんな所で倒れるわけにはいかないのに……)
 悪態を吐こうと口を開きたかったが、それさえも叶わない。
 他の皆と同様に、ハクエの意識も凍りついた。



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