10:揺らめく炎の見守る中


 ジタンの元を離れたハクエが、石化を逃れた木から適当に枝を採集しながらガーネット姫の元へ向かうと、スタイナーがテントを張りながら何事かブツブツ呟いていた。
 岩陰に凭れて休んでいるビビがそれを見守り、その横で荷物を枕にガーネット姫が横たわっている。
 ビビの隣に腰を下ろしたハクエは、地面の砂利を適当に払い除けて採集した枝を積み上げるとファイアを唱えて火を灯す。
 ビビの扱うそれと比べると非常に弱々しい炎であるが、それでも着火するには十分だ。明るくなった視界と焚き火の暖かさにビビが安堵の息を吐き、ハクエは岩に凭れた。
「大丈夫かな、お姫さま……」
 隣に横たわるガーネット姫を見ながらビビがぽつりと呟いた。
 救出した直後と比べれば顔色は良くなっているものの、呼吸はやや浅い。不安気な表情のビビに、ハクエは安心させるように声を掛ける。
「薬は飲ませたんだもの、きっとすぐ目覚めるわ」
「すべて奴のせいである! 仲間が犠牲になったというのにあの態度! もぉう勘弁ならん!」
 ビビとハクエの会話が聞こえていたのか、鎧の擦れる音をけたたましく鳴らしながら地面を荒々しく踏み付けるスタイナーは先程から呟いていた事を改めて声色荒々しく宣うと、テントを張り終えたのかハクエ達の元へやってきてふんと鼻を鳴らした。
 ぽかんと見上げるビビとは対照的に、ハクエは苦笑いだ。
 一見するとジタンを責め立てているように聞こえる彼の憤慨は、よく聞いてみれば自分達――ジタンを助ける為に犠牲となってしまったブランクを案じているようにも聞こえる。
 恐らく本人はその事には気付いていないし、単にジタンを薄情者と言いたいだけなのだろうが、隠し切れていない思いにハクエは何とも言えない。
 スタイナーは恩義に厚い男だ、例え憎むように敵視したとしていても、ガーネット姫を救出するにあたって己もまた助けられた事には違わないから気にせざるを得ないのだろう。
 それでも飽くまでアレクサンドリアの騎士であろうとするのだから、なかなか難儀な性格をしていると思う。
 スタイナーの憤慨に合わせて響く、がしゃがしゃと賑やかな鎧の音を耳に入れていると、それに少女の呻き声が混じった。
 ハクエは勢い良く振り返り、スタイナーはピタリと動きを止める。
「う、うぅ……ん」
「姫さま!」
「ガーネット……!」
 立ち上がるのも間だるいハクエが膝を付いたまま這い寄り、スタイナーが大袈裟な身振りで片膝を付く。二人の勢いに押されたビビは、隙間からおずおずと覗き込んだ。
 赤みを取り戻しつつある滑らかな頬を飾る長い睫毛が震え、ゆるやかに瞼が押し上げられると黒曜の瞳が姿を見せた。力なく開かれた瞳はぼんやりとハクエ達を見上げる。
「ハクエ、スタイナー……わたくし、助かったのですね」
 掠れる声は弱々しいながらもしっかりハクエ達の鼓膜を震わせ、感極まったスタイナーがぐっと何かを飲み込むように口を曲げると、地面に横たわるガーネット姫と同じ視線の高さになるほどに深々と頭を下げる。
「命に代えても姫さまをお守りするのがこのスタイナーの務めであります!」
「姫さんを助け出したのは、オレとハクエの腕とビビの魔法だぜ!」
 力強く言うスタイナーの言葉に被せるようにして、いつの間にか戻って来ていたジタンが声を降らせた。
 その表情は先程冷たく閉ざされた森の出口で見せていたものと違い、わざとらしいまでに明るい。
 それを真横で見ていたハクエはなんとも言えない表情でジタンを見上げたが、その時の事を知る由のないスタイナーはジタンを睨み付ける。
 スタイナーの手を借りて身を起こしたガーネット姫は姿勢を正すとぐるりと視線を巡らせた。
「あなた方に感謝いたします」
「ビビ殿は兎も角、そやつにそのようなお言葉は必要ありませぬ!」
 ガーネット姫がジタンとビビ、ハクエに対して頭を下げるのを見たスタイナーはとんでもないとばかりにかぶりを振った。
 勢い良く腕を振り上げ、鎧の擦れる音と共にジタンを指差す。
「そもそも、このような事になったのは、貴様が姫さまを攫ったことが原因! それを後で助けたからといって、偉そうにするのは全くのお門違いである! よいか、城に戻ったら貴様など……!」
 興奮して捲し立てるスタイナーの腕を掴んで動きを止めさせたガーネット姫が整った眉に僅かにしわを寄せて口を尖らせる。
 膝を付いたままだったハクエが隣に座るのを見ながら、スタイナーに言い聞かせるように語り掛ける。
「スタイナー……わたくしは自分の意志でアレクサンドリア城を出たのです」
「そう、そこへガーネット姫を攫いに来たオレ達タンタラスと意気投合したって訳さ」
「そ、それは真でありますか! ならば、何故ハクエ殿は止めなかったのだ!」
 ガーネット姫が語る真相にあんぐりと口を開いたスタイナーは、今度は標的をハクエに定めた。
 スタイナーの百面相を面白そうに眺めていたハクエだったが、話が振られた事で慌てて表情を引き締める。幸いスタイナーは気付いていなかったようで、そのまま言葉を続けた。
「ハクエ殿は、ブラネ様から直々に姫さまをお守りするよう命を受けている筈だ! それなのに、どうして姫さまを危険な目に遭わせるのだ!」
 先程プリマビスタで行われていたやりとりが、再び持ち出されてしまった。
 溜め息を吐いてスタイナーを見ると、やがて口を開く。
「確かに、私は陛下から直々に書状を授かりガーネットを護衛する任を受けました。けれど、同時にガーネットから、城から連れ出して欲しいと頼まれたんです」
「ハクエの言う通りです。わたくしは、ハクエがお母さまから受けている任務を知りながら、城から連れ出すよう命じました」
「陛下はガーネットを守るよう私に言ったわ。でも、目を離すなって言っただけで、城に縛り付けとけなんて言ってないもの。私は二人からの依頼を忠実にこなしているだけですよ、隊長」
「ま、そういう訳だからさ、仲良くやっていこうぜ、おっさん!」
 ガーネット姫がハクエの擁護をしてはいるものの、ハクエが言葉を重ねる度にスタイナーの眉は釣り上がる一方だ。
 スタイナーにしてみれば、ハクエの行いはジタンの働いたものと何ら変わりがないのだろう。その上、まるで子供のような屁理屈を連ねているものだからスタイナーは信じられないといった表情でハクエを見ている。
 いよいよ何かを叫ぼうとスタイナーが口を開いた時、ガーネット姫とハクエの言葉を黙って聞いていたジタンがそれを遮った。
 場違いに明るいジタンの声に、ハクエに向けていた怒りを再びジタンに戻すスタイナー。
「貴様とて知っておろうが、この霧の呪われた謂われを! この霧特有のモンスターを! 心身に異常をもたらすという話を! 姫さま、このような危険な場所からは一刻も早く離れるべきであります!」
「無茶言うなよ、おっさん! 目が覚めたからって、まだ彼女の体力が回復した訳じゃないんだ」
「貴様の意見など聞いておらん!」
 ジタンの意見を跳ね除けようとするスタイナーだったが、ジタンは先程の明るい口調を引っ込めると冷静にスタイナーを諭しに掛かる。
「どこから霧の上に出るつもりなんだ? この一帯は高い崖に囲まれた低地だぞ? 南ゲートと北ゲートのアーチも今は閉鎖されてるって聞いてるぜ?」
「ケチな私がわざわざ飛空艇に乗ってアレクサンドリアに来たんだもの。当分開放する予定はないそうよ、あそこ」
 ジタンの言った内容に、そういえば、と思い出したようにハクエが言葉を重ねればスタイナーは閉口せざるを得ない。
「……あて、ないんだな?」
「うぐぐ……」
「姫は歩けないほどに弱ってるし、ハクエやビビだって病み上がりなのに無理して戦ってきてるんだ。おっさんだって、直に毒霧を喰らった訳でもないのにホントはフラフラだったろ? あてもなく出発するのは危険なんじゃないか?」
「貴様の指示は……」
 畳み掛けるように言葉を連ねるジタンに、片眉をぴくぴく動かしていたスタイナーが、それでも反論しようと口を開きかける。
 しかし、ジタンは先回りするように鋭く言うのだった。
「スタイナー! ガーネット姫を守るのは誰の務めだ!」
「それは当然、王宮騎士の自分である! ……クッ、仕方ない……。姫さまのお体が回復するまで、ここはこのスタイナーが守る!」
「それじゃ、よろしくさん。オレ達は上へ出る方法を考えようぜ」
 反射的に立ち上がって敬礼してみせたスタイナーは、我に返ると歯を強く噛んで引き下がった。
 ぎろりとジタンを睨みつけると、見晴らしの良い所に姿勢よく立つ。
  ようやくスタイナーを丸め込む事に成功したジタンは、にかっと歯を見せて笑うとハクエ達に向き直って座り込んだ。
「お見事ね、ジタン」
「なかなか仕事熱心な事でいいじゃないか」
 労う様にハクエが声を掛ければ、ジタンはぺろりと舌を出して悪戯に笑った。
 何だかんだで再びジタンに庇われる形になったハクエもそれにつられて微笑む。
「さて、ガーネット姫とビビは疲れてるだろ。見張りはあのおっさんに任せといて、休んでな」
 起き上がったは良いものの、ぐったりと岩陰に凭れているガーネット姫と口数少なく一行のやりとりを見守っていたビビの疲労を見抜いたジタンが優しく二人に言葉を掛け、スタイナーが張ったテントを指差す。
「でも、ジタンとハクエは……?」
「私達も、今後の目処を立てたらちゃんと休むから、大丈夫よ」
 力の入らないガーネット姫に手を貸してやりながら、ビビの問い掛けに優しく答えたハクエは二人をテントの中に誘導する。
 はじめは戸惑うようにハクエを見ていたガーネット姫とビビだったが、疲労には敵わないようですぐに夢の中に旅立っていった。
 備え付けのブランケットを二人に掛けたハクエは木の枝で焚き火を突ついているジタンの隣に腰を下ろす。
「なぁハクエ、ブランクに貰ったコレなんだけどな……」
「大陸の地図……」
 ハクエが戻ってくるのを待っていたジタンがおもむろに紙筒を取り出すと、それを広げる。広げられた羊皮紙一面に描かれていたのは、ハクエ達がいる霧の大陸の地図だった。それも、かなり詳細に書き込まれている。
 地域別に抜粋したものや簡略図と違い、詳細な大陸の全体図を作るのは大変な作業になる為、なかなかに値が張る事を知っているハクエは顔を顰めた。
「とんでもないもの持って追いかけてきてくれたわね、あなたのお友達」
「……あぁ、とんでもなくお節介なヤローだぜ」
 僅かばかりに複雑な表情を見せたジタンは、しかしすぐにそれを掻き消すと地図を指でなぞり始める。
 ハクエもそれ以上この話題を口にする事はせず、ジタンが探しているであろう現在位置を迷わず指し示した。
「ここがアレクサンドリアで、魔の森がこれ。川が左手に見えるから……私達は大体この辺にいる事になるわね」
「ハクエちゃん、けっこう地図読み慣れてるんだな」
 感心したように言うジタンに、ハクエは自慢気に笑って見せる。
「これでも一人旅の最中だったからね、大体の大陸図は頭に入ってるわ」
「へぇ、オレも一人で旅した事あるけど、そんなパッとは見つけらんなかったぜ。……おっ、ここに洞窟があるみたいだぞ」
 ハクエが指差した辺りを眺めていたジタンが声を上げた。
 見れば、ここから少し南下した所に洞窟があるらしく、どうやらそれは霧の上へと続いているようだ。
「氷の洞窟……かな」
「行ったことあるのか?」
「一応ね。とても綺麗だけど、すごく寒い所。確か、抜けた先には農村があった筈」
「よし、それなら明日は此処を目指そう。他に行けそうな所も無いみたいだしな」
 ハクエが言う通り、地図では霧の上へと続く洞窟の近くに村と思わしき名前が書き込まれていた。
 再び現在地の周囲をなぞったジタンは、閉ざされた南北二つのゲートの他に目ぼしいルートが無い事を確かめると地図を畳んで仕舞い込む。
 あっさりと目的地が決定したことで、忍び寄りつつあった眠気がいよいよ二人に襲い掛かってきた。
 頭が思考を放棄しはじめている為、二人とも大人しくそれに従う。
「さて、隊長が元気に立っている間に私達も休まなきゃ。後であの人も休ませてあげないとだし」
「あぁ、正直オレもクタクタだぜ」
 ぐっと伸びをしたジタンがハクエの隣で大の字に寝転がった。姿勢を崩したハクエもまた、岩に凭れて身体の力を抜く。
「なぁ、ハクエ」
 霧に覆われて見えない空を透かし見ようとしながらジタンがぽつりと呟いた。
 焚き火に当てられて暖まる身体は眠気によってさらに体温が上がり、早くも心地良い微睡に片足を突っ込んでいたハクエはとろんとした目のままジタンの横顔に視線を投げる。
「なに?」
「……一人で旅してたのに、何でガーネット姫と一緒にいたんだ?」
 眠気に身を寄せつつあるのか、先程よりもぼんやりとした声音で言うジタンは素朴な疑問を口にしただけの様子だ。
「ガーネットとは子供の頃からちょっとした縁があってね。毎年、あの子の誕生日には陛下直々に護衛の任を与えられてアレクサンドリアに戻ってたの」
「さっきのアレか……城の人間じゃないのか?」
「まさか。ただの一般庶民よ」
 ハクエがくすくす笑って答えれば、ジタンも道理で城の人間には見えないと思ったよ、と笑った。
「じゃあ、なんでハクエは一人で旅なんてしてるんだ?」
 ジタンは話の延長線で何気なく聞いただけだったのだが、その言葉にハクエは僅かに肩を揺らす。しかし、空を眺めているジタンがそれに気付いた様子はない。
 ハクエは努めて平穏な様子を保ったまま簡潔に答える。
「ちょっと、人を探していてね」
「……そっか」
 霧に覆われて一向に見せる気配の無い空を見ることを諦めたらしいジタンが、そこでようやくハクエの顔に視線を向けた。
 ジタンの横顔を眺めていたハクエと自然と視線が絡み合う。
 問いかけた割に、大して反応を見せなかったジタンはいよいよ寝そうになっているのか、半分瞼をおろしている。ぼんやりとした顔が意外と幼く見えて、ハクエは柔らかく微笑んだ。つられてジタンも微笑む。
「……ん、何だかいいムード?」
「何言ってるの、早く寝なさい」
 へにゃりとジタンが笑えば、ハクエは呆れながらもあやす様にジタンの頭に手を置いた。
 ハクエの行動に僅かに驚きを見せるジタンだったが、悪い気はしないようで次第に心地良さそうに瞼を下ろす。
「へへ……おやすみ、ハクエ」
「おやすみなさい、ジタン」
 ジタンの髪にこびりついたまま固まっていた泥を指で落とし、手櫛で簡単に整えてやる。
 指を通す度にぱらぱらと零れてくる泥や埃の量に苦笑していると、やがて寝息が聞こえ始めたのでハクエはそっと手を離す。
 ぼんやりした眼のままスタイナーに視線をやれば、彼はしゃんと背筋を伸ばしたまま見張りを続けていた。
「……この調子じゃ、しばらくはあの人の事を探せそうにないかなぁ」
 ガーネット姫と船に潜り込んで目的地まで息を潜めていれば終わる筈だった任務が、何やら紆余曲折とした道のりになってしまっている。
 誰にともなく独りごちたハクエは一つ大きな欠伸をして目を瞑ると、やがてジタン同様小さな寝息を立て始めるのだった。



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