マーキュリーの純情
「せんせー、そんなこと勉強する意味がわかりませーん」
増田がそう言いながらぐたっと机に寝そべる。
俺はチョークを動かしていた手を止めて、彼のほうを振り返る。
こいつの単位がヤバイせいで、わざわざ放課後に補習をしてやっているというのに。
「大体さ、星がどんな順番で並んでようがどうでもいいし。それって将来なんか役に立つの?」
増田は明るい茶色の髪を引っ張りながら、胡散臭げに黒板に描かれた太陽系の図を見る。
そう、俺の担当は地学だ。
「今、将来のために役立ちます。単位取らないと卒業できないだろ」
「別に卒業してもやりたいことないしー」
俺は教壇に両手をついて、大きく溜息を落とした。
休み時間は元気に騒いでるくせに、授業になるとどうしてこうやる気というものが皆無になるのだろう。
「そんなことよりさ、水星が地球に落ちてきたとき助かる方法とか、そんなこと教えてよ」
「水星?」
増田が指した黒板の図を見て、俺は首を傾げる。
水星?
……彗星?
「……増田。おまえ、まさかとは思うが水星と彗星が同じものだと思ってるのか?」
「は?」
増田が首を傾げたので、俺は黒板に二つの漢字を書いてみせる。
「こっちが今やった水星。こっちはハレー彗星とかの彗星。ほうき星ってやつだ」
「マジで!?スイセイって二つあんの!?」
増田ががばっと起き上がって声を上げ、俺はやっぱり、と肩を落とす。今まで水星も知らないやつに太陽系を教えようとしていたのか、俺は。
「えっ、なに!だったらどっちが落ちてくんの!?」
「落ちてくるとしたらこっち。ほうき星のほう」
「マジかよ!大発見じゃんコレ!」
常識だとつっこみたくなるが、増田が机を叩いてやたら興奮しているのでやめておいた。
「じゃあさじゃあさ、もし落ちてきたらどうする?」
「落ちてこないように祈る」
「落ちてきたらっつってんじゃん。もし今落ちてきたら、先生ここで俺と死ぬことになるんだよ。どうする?」
「あー、そうだなー」
増田にキラキラした視線を送られ、ここで相手をしておかないと次に進めないと悟り、チョークを置いて考える。
「別にここでおまえと死んだっていいかなぁ。俺はできない生徒にできるまで付き合える教師になりたかったから、補習中に教室で死ねたらむしろ本望かもなぁ」
「……せ、先生……」
増田がぽかんと口を開けたので、俺は真面目に答えすぎたかと恥ずかしくなる。
「よし、じゃあ教科書戻るぞ」
「せんせーっ!」
照れ隠しに咳払いをして黒板のほうを向こうとすると、増田が派手に音を立てて椅子を倒し、立ち上がって右手を高く上げた。
「先生!私は将来教師になることを誓います!俺、今の先生の言葉に感動してしまいました!」
「ま、増田……」
突然の宣誓に、俺は驚いて目を見開く。増田が唇を結び、真っすぐに俺を見つめる。
しばしの沈黙の後、俺はゆっくり口を開いた。
「増田、おまえ、宣誓って教師のことだと思ってるだろ」
「へ?」
増田に同音語を教えてほしいと国語の先生に頼んだ、水曜日の放課後のこと。
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