不良、美女、テレレレレッテッテー
生徒会に入って一番最初の仕事は、書庫の整理とのことだった。まあ最初は正直逃げようかと思ったのだが、弓道場で「いやーあの横暴生徒会長に仕事押し付けられそうになってさあ」と愚痴っていたところ突如後ろから肩にぽんと手が置かれ……その後の展開は割愛しよう。しかしながらその書庫という場所、存在自体が半ば忘れられているらしく、そもそも見つけるのが困難だった。その上やっと見つけたと思ったら、その前の薄暗い空間には先客がいたりして。 「あ、あのー」 「あぁン?」 「すいません!」 ヤンキー座りした学ランの人に下から舐め上げるように見上げられると一気に背筋が凍る。三秒で戦線離脱だ。 そう、僕の目指す校舎一階東階段裏の第一書庫の前には、この学校をシメていると噂の女傑集団が鎮座なさっていたのだ。 困る。すごく困る。はだけた学ランの隙間にのぞくサラシと谷間は正直眼福だが、殴られたり、痛い思いをするのは嫌だ。先ほど女傑の皆さんとは別の方(ちなみに言っておくと金髪の誰かさんだ)に頂いた脇腹の青あざをさすりさすり考える。進んでも地獄、引いても地獄。これが世に言う「前門の虎、後門の狼」か。う、うーむ……。 「おや、どうされたんですか?」 「ぬおう?!」 背後から突然声をかけられ、思わずびくりと飛び上がる。振り返るとそこには、さらさらの真っ白な髪を優雅にたなびかせた女性が立っていた。お、おおー、美人。 「いやその、僕、生徒会の者で、書庫の整理をしに来たんですけど……」 「そうなんですか、大変ですねえ」 若干にやけつつ、視線でその禍々しい空間を指すと、彼女は神妙な顔で心配してくれた。美人に心配された! 状況は状況だけど嬉しい! 僕が一人じーんとしていると、そのままふむふむと訳知り顔で頷いていた彼女が、何か思いついたような顔で一歩前に進み出てきた。ふわりと石鹸の香りが漂う。うおおおお……! 「あの、私に提案があるんですが」 「え?!」 意表をつかれた僕は素っ頓狂な声を上げた。案ってつまり、居座っている女傑の方々にあの場所から退いていただくための? 「はい。具体的には、私があの方々の気を逸らしている隙にこっそり書庫に向かってもらえれば」 「ああ、陽動作戦……陽動…………え?」 僕は困惑して目をぱちぱちさせた。目の前には華奢な体でにこにこしている美女。うん、きれいだ。美しい。目に優しい。うんうんと頷いて、それから柱の陰から階段裏を覗く。相変わらずのヤンキー座りのまま粗野な言葉で会話し爆笑している不良のお姉様方。
いや無理でしょ。
屈強な武闘派男性ならともかく、こんな華奢な女の子があの集団に対抗できるとは到底思えない。返り討ちにされてしくしくはかなげに泣いている姿が目に浮かぶようだ。ここは僕が丁重にお引止めせねばなるまい。 「いやーお申し出はありがたいんですけど、ちょっと無理があるんじゃないかなーって」 「すみませーん」 忠告ガン無視で繰り出していったよこの女。いくら美しくても女性相手じゃ神経逆撫でするだけだと思うんだけど違う? 違うの? ああもう仕方ない、一方的な暴力が始まっちゃう前に僕が出て行って……と、なけなしの勇気を振り絞って柱の陰からばっと飛び出した僕だったが、そこでは想像とは180度違う光景が繰り広げられていた。 「ちっ、ルファか」 「んだよ、なんでお前が……」 「おいつっかかんなよ、ルファだぞ」 「わかってるっての」 「もう行こうぜ……」 さっきまで通りがかる人すべてにガンをくれていた女傑さん達が、ぶつぶつ言いながら立ち上がって捨て台詞吐いて、ぞろぞろと連れだって消えてしまった。「彼女に手を出すな」的なかっこいいことを言おうとしていた僕は書庫の前に一人残った白髪の美女を前に、開けた口を閉じることもできずに立ち尽くす。え、何これ、どういうこと。 「ああ、つれない方たち……私はミドリの居場所を知りたいだけなのに」 呆然としている僕は眼中にないのか、美女はアンニュイな溜息をついて、女傑の皆様とは反対方向に歩き去ってしまった。一人残された僕は門番の消えた書庫の扉へ向かいつつ、「とりあえず仕事しよう」と思った。
***
僕は書庫整理という仕事を少々侮っていたらしい。 書庫とは言っても階段下の余ったスペースを物置に使ってるっていう程度のもの。奥に行けば多少のゆとりは感じられるものの、入り口および大半のスペースはちょっと屈まなければいけないほど低い。そのくせ本棚は大量、さらにそこから溢れた本が段ボールに詰められて通路になるべきスペースに積まれている。ジャンルはざっと見たところ文学が中心だ。おそらく学校図書館に入りきらなかったのがここに放り込まれてるんだろう。 僕は端から本を床におろし、埃の溜まった棚を軽く拭くという作業を延々続けた。一時間もたたないうちにすべての本は床に積まれ、本棚はとりあえずのところきれいになった。問題はここからだ。作者をあいうえお順に並べていくのが妥当な整頓の仕方だと思うのだが、この書庫……もう気持ちいいぐらいに作者・作品名・その他もろもろがゴッチャだ。ねーよ。どんな気分屋だよここに本並べた奴。 そんなこんなで、そこからの時間は地獄だった。四時すぎに作業を開始、多少のインターバルを挟みつつ二時間ほど作業を続けているのだが……終わらない。これでもかっていうほど終わらない。もうだめだ死ぬ。四つある棚のうちの一つもいっぱいにならない状態で僕は仕事を切り上げた。まあ別に今日一日でやれって言われたわけじゃないし……また明日やろう。明日。こった首や肩をごきごき鳴らしながら管理棟の生徒会室へと向かう。窓から差し込む光はもう橙色を通り越して薄紫になってきている。 その時、背後から俺の名前を呼ぶ聞き慣れた声がした。振り返った先にはくすんだ茶色い短髪の長身の男。同じクラスのジルバだ。 「なんだジルバか」 「もうちょっと喜べよ」 「お前が女の子ならもうちょっと嬉しかった」 僕が力強く言うとジルバは若干引き気味に「相変わらずだな」と笑った。お前だって男に呼び止めらるより女の子に声かけられるほうが嬉しいだろ! ジルバは私物らしいジャージを着ている。部活が終わる時間にしては早いんだけど、一体どうしたんだろう。 「今日部活が早終わりでさ、先輩に頼まれて用具室の鍵借りに」 「あー、槍術部? だっけ?」 「そうそう」 ジルバが所属している部活は槍術部だ(RPGで出てくるような武器とはちょっと違うけど、とジルバは苦笑する)。いわずもがなマイナ―な部で、ジルバが入らなきゃ今年で廃部予定だったそうな。っていうか僕もこの学校来なきゃそんな部知らなかっただろうな。槍なんてゲームかマンガくらいでしか出てこないもん。 同じクラスのよしみでうだうだ会話しているうちに、話題は僕のことになった。 「そういえばブルースがこんな時間まで学校にいるって珍しいな」 「あーえっと、最近生徒会に入ってさ……」 「へー、すげーな」 全然すごくないです。女の子はかわいいけど某さんが怖い。 「い、いやーそれほどでも……今日は書庫の整理でさ……」 「書庫?」 「階段下にいくつかあるじゃん。あれのうちの一つ」 「んーそうだっけ」 「あはは、まあ普通そうだよ。わりと大変でさ、全然終わらないんだ」 「ほほう、仕事を今日中に終わらせられなかった、と」 「そうそう。いやあ会長もとんだ無茶ぶりしてくるよね」 「……ちょ、ブルースそれ俺じゃねえ」
え?
背筋を駆け抜ける嫌な予感。左隣のジルバのひきつった顔。右隣――ジルバを見ている今は背後となる場所から感じる「何か」の波動。脳が半分くらい機能停止している中、僕はほとんど惰性で振り返った。 「職務怠慢とはいい度胸だ一般生徒A」 まだ一番星も登らない空を映す窓をバックに、会長様がそれはそれは慈愛に満ちた笑顔を浮かべていらっしゃった。あ、僕終わったな。そう思うが早いか、鳩尾に重い一発がぶちこまれ、僕は意識を失ったのだった。
***
何だかいい匂いがする。疲労の残る体にゆっくり沁みていくおいしそうな香り……。うーん、たまらない。働いた後は何でもおいしいっていうしなあ。ところでなんでこんなに暗いんだ? 順番に記憶をたどってみよう。書庫の整理を途中で切り上げて、生徒会室に報告に行く途中にジルバに会って、愚痴ってたら会長が出現して……。そこで僕は気付いた。気を失ったところから目を閉じたままなんだ。 ぱっと目を開けると明るすぎないように調整された光が目に飛び込んでくる。学内でこんな設備があるのは生徒会室くらいだ。もしかして会長が運んでくれたのかと感心するやらゾッとするやらしていると、 「やっと起きたか愚民」 聞き覚えのありすぎる声に僕はひえっと叫んだ。もうほとんど反射だ。飛び起きてきょろきょろする。思った通り生徒会室だ。僕は応対用のソファに寝せられていたらしい。会長はローテーブルを挟んだ反対側の椅子に座り……なぜかもぎゅもぎゅとホットケーキを頬張っている。頬袋でもついてんじゃないかってぐらいの詰め込みようだ。ハムスターですかあんたは。ていうかそんな状態でよく普通に喋れましたね。そんで思わず「あ……ハイ」とか返事しちゃったけど愚民って。愚民って。一般生徒からさらに格下げですか。むしろそれより下はあるんですか。ありそうで怖い。 「おかわりだ!」 ホットケーキの最後のひときれをごっくんと飲み込んだ会長が、かすやハチミツの残る皿に視線を落としながら叫んだ。 「ちょ、ちょっと待って下さいよ、そんなに早くは作れねえって……」 会長の背後の給湯室に続く通路からこれまた聞き覚えのある声。そして会長がナイフとフォークを握りしめて殺気をまとい始めたころ、給湯室からホカホカ湯気を立てるフライパンがやってきた。 「はい、どうぞ……ってか、その、五枚くらい食ってっけど大丈夫なんすか?」
わあジルバくんエプロン似合うなあ。
「いやなんでお前がここに?!」 「あ、ブルースおはよう」 何冷静に挨拶してるんだ。おかしいだろ。ていうかなんでうさちゃんのアップリケがついた薄ピンクの可愛いエプロンをしてるんだ。それテミさんのだから。そのエプロンはかわいいテミさんが着るから似合うのであって、男でしかもわりとゴツい部類のお前が着ていいものじゃない! 一瞬似合ってるとか思ったけど落ち着いて見たらもうヤバいどころじゃねえよ! つっこみどころがありすぎてどうしようもなかったが(主にエプロンについてだ)、会長の前でこれ以上叫ぶとまた意識が吹っ飛ぶ気がしたので「あ、うん、おはよう」と言っておいた。僕の精神力グッジョブ。 僕が心の中で嵐のようにつっこんでいるうちに、会長は五枚目のホットケーキを平らげたようだった。食器を置き、ナプキンで口元を拭く。ひとつひとつの動作が非常に優雅だ(さっきまで顔が変形するほど頬張ってたけど)。そしてフウと満足げに呼吸をし、さっきからぼーっとしている僕とジルバの顔を順に見る。 「気に入った! お前は今日から生徒会お抱えのシェフだ!」 ビシイ! と音がしそうなほど力強くジルバを指さし、会長が高らかに宣言した。ジルバが「ええっ」と叫んで2、3歩後ずさりするけれど、僕はもう悟っていた。あきらめるんだ。この会長にかかっては拒否権なんてものはないだから。 「で、でも俺もう兼部してますし、ってかシェフ? シェフって何?!」 「よしシェフ、とりあえず食後の紅茶だ」 「あっハイ……って話聞いてくれよ!」 ジルバが無駄な抵抗を試みているようだが、当の会長はそんな言葉耳に入れてすらない。鮮やかなノリツッコミを決めたジルバに僕と同じ匂いを感じた。テレレレレッテッテー!――「ジルバがなかまになった!」というテロップが頭に浮かぶ。 そしてなおも悪あがきを続けるジルバがうざったくなってきたのか、会長の華麗なアッパーが決まった。僕はそれを引きつりかけた笑顔で見やりつつ、吹っ飛ばされ気を失った彼の代わりに紅茶を淹れるため、立ちあがった。
[*prev] [next#] |