その笑顔の為に
『以蔵も杏絵って呼んでね』
昨日のアイツの言葉が頭から離れない。
ブンッ
ブンッ
振り払うかのように今朝はいつもより早くから稽古をしているが、集中なんて出来なかった。集中しようとすればする程、アイツがちらつく。
ただひたすら振っていた竹刀を止め、井戸へ向かう
このまま稽古を続けていても無駄だと思ったからだ。何をしていてもアイツが頭から離れない。人斬りが一人の女に心を乱されるなんて…
そんな思いと汗を流す為に井戸の水をざぶりと頭からかぶった。
でもそんな事ぐらいではアイツは俺の中からは消えてくれなくて…なんて情けない。そんな気持ちとは裏腹に、唇はアイツの名前を呟いていた。
「…杏絵、か」
「…呼んだ?」
「…っ!?」
まさに頭に思い描いていた本人がすぐ後ろまで来ていた。そんなことも気付かなかったなんて…杏絵が敵だったら斬られていた。
そんな俺に構わず杏絵はいつもと変わらない笑顔だった。
「やっぱり以蔵は凄いね!」
「え?」「だって声も掛けてないのにあたしが居る事分かっちゃうんだもん」
「…あ、ああ。お前は分かりやすいからな」
「それに…名前呼んでもらえたし」
杏絵は笑顔でそう言った。
ああ、そうか。俺はこの笑顔に惚れたんだ。人斬りとしてしか存在価値がなかった俺に屈託のない笑顔を向けてくれる太陽のような杏絵が好きなんだ。
「杏絵がが笑顔になるなら何度だって名前を呼んでやる」
俺がぽん、と撫でた頭を抑え一瞬目を見開くと、また花が咲いたように笑った。
その笑顔の為に
(何があっても傍にいるから)
2011.04.07
アンスリウム赤(粋で可愛い)
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