そんなこと言ってほしくなかった

 

 けたたましく鳴り響く目覚まし時計の音が、静かな部屋にこだましている。
 カーテンを締めきった室内は薄暗く、けれどたった窓ガラス一枚隔てただけの向こうの世界からは陽気な鳥の囀りや走り抜ける車の排気音が忙しなく聞こえ、陽(よう)は眉間に皺を寄せながら重い瞼を抉じ開けた。

 自室の真っ白な天井をぼうやりと眺めたあと胸に違和感を覚え、のそりと起き上がりムカムカともイガイガとも言い難い謎の不愉快さに小首を傾げる。
 昨日はそこまで酒を飲んだ覚えもないのだが。とは思うが、昨夜の記憶自体があまりないので果たしてそれが本当の記憶だったのかどうかさえ分からず、小さくかぶりを振ってはガリガリと頭を掻いた。

『俺、さ……彼女、できた』

 不意に耳の奥でこだまする、声。
 いつもの凛々しさを潜めさせ、小さく、言い淀みながら告げられたその言葉はまさに、鈍器で殴られたような衝撃があった。
 カラン、と手にしていたグラスの中で氷が溶けてぶつかる音と、騒がしいBGMにも負けない店員の、いらっしゃいませー! という怒号のような挨拶だけがその空間をやけに色濃く、しかしどこか現実味を欠落させたように広がっていて、ただただ爆弾を投げつけてきた目の前の男の、無駄に明るい髪の毛を見つめていた気がする。と未だ霧がかった脳内の記憶を引きずり出し、そしてその言葉になけなしの良心で言った、「まじか、おめでとう」という言葉は震えてはいなかっただろうか。なんて昨夜の、久しぶりに二人で飲もうぜという提案で訪れていた居酒屋での出来事を思い出しながら、陽は深い深い溜め息を吐いては宙を見つめた。


 高校の終わり頃から燻り続けていた、恋。
 叶うはずもないと分かりすぎるくらい分かっていたその恋は五年経ち、久しぶりに彼女が出来た。という男の本当に久々の宣告のおかげでようやく綺麗さっぱり吹っ切れると思っていた筈なのに、告げることもなく誰に気付かれることもなくひっそりと死んだようにただ心臓に蔓を巻き付けてはミシミシと締め付けてくるだけで、その余りにも報われなさすぎる諦めの悪さに、笑いさえ出てきてしまう始末だった。

「ははっ、……あーあ、まじか……」

 苦し紛れに明るい声を出したがそれすらも掠れ溶けていくばかりで、らしくないなともう一度かぶりを振りとりあえず顔でも洗おう。と立ち上がったその時、ピンポーン、と玄関のチャイムが鳴り、こんな早朝に誰だよ。と顔をしかめながらのそのそと玄関へと向かった陽は、覗き穴を覗き込んだ瞬間ガクッと足をふらつかせた。

「え……」

 そう小さく呟きながらも慌ててガチャリと鍵を開け、予期せぬ訪問相手を見下ろす。


「……え、なに、どうしたのこんな朝早くに」
「……っ、あ、わりぃ、まだ寝てたよな」

 こちらもまたどことなくぎこちなく言い淀みながら足下を見る男もとい、俺の長年の片想い相手、進一(しんいち)。
 深くキャップを被っているせいで表情が分からず、お互いおはようの挨拶もなしにどことなく視線を逸らしたまま。

「……いや、大丈夫だけど、てか進一今日早い時間に講義あるって言ってなかった?」
「それはそうなんだけど、ちょっと……、あー、やっぱなんでもない。ごめん俺やっぱ帰るわ!朝っぱらからほんとごめん!」

 なんて話したかと思うと突然の訪問を詫び慌てて踵を返そうとした進一のその腕を咄嗟に掴む。

「まじで大丈夫だから。なんか話あるんだよね? とりあえず上がっていきなよ」

 そう有無を言わさぬ力で陽が扉の中に引きずり込めば、やんわりとした抵抗を見せた進一も、とうとう部屋の中へと足を踏み入れた。




 ◇◆◇◆◇◆



「んで、どうしたの」

 ローテーブルの向かいに座り、とりあえず飲んだら。と差し出したコーヒーのマグカップを両手で持ちながらじっと液体を見つめているだけの進一を気遣うようなるべく優しい声で問い質せば、びくりと肩を震わせつつ、それでもきゅっと結んでいた口を開いた、進一。

「あの、さ……」

 それきりまた口をきゅっと閉じてしまった進一その言葉の続きをじっと待つ陽はどこか遠く傍観しているような気持ちになりながらも、その仕草や表情の機微ひとつひとつに胸が締め付けられるばかりで、ああやっぱりこいつの事を好きじゃなくなるなんてたぶん無理だな。なんて救いのない絶望めいた事をぼうやりと考えていた。


「昨日さ、俺が言った事なんだけど、覚えてる?」
「……どの、部分」
「彼女が出来た、って……」
「ああ、うん、覚えてるけど」

 平静を装いながらも、何が覚えてるけど、だ。寝る前も起きた時もずっとぐるぐる考えていたくせに。と内心で自身に突っ込みを入れながら進一の言葉を待つ陽と、ばっと顔を上げたかと思うとじっと見つめてきた進一の視線が、ばちりと交わる。
 その進一の意を決したかのような鋭い眼差しに、えっ、なに、なに、彼女関係の事で相談とかしに来たとか? そんな傷口に塩を塗り込むような事、悪いけど今はやめてくんないかな、まじで。なんてドギマギとしつつ、それでもそんな相談をされたら乗るしかないのだろう自分の立場にヒュッと陽が喉が鳴らした瞬間。

「あれ、実は、……嘘なんだ!」

 なんて進一が大声で叫んだ。


 ギュッと目を瞑りながら顔を蒼白にさせてそう話す進一を、状況が理解できず目を瞬かせて見つめ返す陽。

「……は?」

 思わず疑問の言葉を落としたが、それでも黙り込んだままの進一に言われた言葉を整理しようと頭を悩ませる。

「え、ちょっと待って、今混乱してる……ていうかなんでそんな嘘、」
「……陽が、なんて言うかなって、思って、」

 そう答える進一に、意味が分からなさすぎて陽は両肘をテーブルに付け頭を抱えた。


「いや、ほんとに意味が分からなさすぎるんだけど」

 思わずポロリと本音を溢しながら、てか嘘って、じゃあ俺の昨夜の失恋記念日(以前居た彼女の事も換算すればこれで二度目だ)を返せよバカ野郎。なんだよ何て言うかって。どんな返しを望んでたんだよ。ハードル上げて面白い返しとか言わそうと思ってたってのかこの野郎。と内心でボロッカスにこき下ろしながら進一の弁明を仕方なく待ってやっていれば、

「……俺、陽が好きだから、」

 なんて昨夜に続き二発目の爆弾を投下された。


 ……ん? と固まったまま、え、これも嘘? なに、なんなのコイツ、支離滅裂すぎない? えっ怖い。とぐるぐる考える陽を尻目に、「だから、俺に彼女出来たって言ったら陽がどういう反応するかなって、それで陽がなんかリアクションしてくれたら脈ありかなとか考えてたんだけど、……まぁ結果はあっさり良かったなとか言われちゃったんだけど、あはは……」とボリボリ頭を掻いた進一は小さく俯いたまま、

「……でも結局諦めきれなくて、勢いで告白しに来ちった。……ごめん」

 なんて呟く。
 その言葉と無意識だろうがあざとく上目遣いでちらりと見てくる進一に、はぁ? なにその顔。とこめかみに青筋を立てながら、ていうかまじで言ってんの? ここに来て形勢逆転とかどんな青春ドラマだよ。いや俺らもう二十歳超えてますけど。などととりとめもない事を考えつつ、項垂れる陽。

「……ほんとなんなの、まじでなんなのお前、はぁーー、俺のセンチメンタルを返せよまじで。落ち込んで損したわ」

 そう深く息を吐き突っ伏したあと顔だけをあげて、昨夜どん底に突き落としたその代償はでかいぞ。と言わんばかりに陽が進一を見つめ返す。


「嘘ついた経緯は納得した。……んで? 肝心の告白とやらをまだちゃんとされてないんだけどな、おれ」

 まさかのまさか、さよなら逆転満塁ホームランを決めた恋にニヤニヤと口元を弛めたまま少々意地の悪い事を言えば、えっ、と目を見開いたあと、えっえっ、まじで? えっ、これってまさか、えっ、陽も俺のこと、えっ? と向かいでテンパりながら百面相をし続ける進一に、うるさいよばか。と笑った陽は、晴れやかな気持ちで愛の告白とやらを待ったのだった。



【そんなこと言ってほしくなかった。から始まるラブ】






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