#76

 まだ彼を洒落たウイスキーの名でしか呼べなかった頃、降谷の胸の内を占めたのはある種の遣る瀬無さと怒りだった。
 親友との固い絆で結ばれた潜入生活に、スリーマンセルを組むよう投じられた男が実は別機関の捜査官であることなど当時は知る由も無い。今思えば裏切り者ばかりで寄せ集められたチームには何らかの組織の思惑が働いた可能性もあるが、それでも少なからずあの頃の降谷は彼を組織の切れ者と判断し油断を許さなかった。
 彼は、一体ここで何を成し遂げたいというのだろう。だから降谷は、時を重ねれば重ねる程にその想いを強くした。
 いけ好かない男ではあるが、腐った組織の中で群を抜いて秀でていた。スナイパーとしての腕は一流で、物事への洞察が深く、推理力は自分に比肩する。何よりも、下る指令に対し残虐な組織の方針に迎合せず、犠牲無き手段を好む点に限っては好感すら覚えた。どうしてこれ程の人間が降谷の憎むべき犯罪組織に身を委ねているのか、どうして共に正義の道を歩くことを選びはしなかったのか、この嘆きに耳を傾けたただひとりの親友はもう居ない。
 程なくして、彼の素性は組織に知れた。得体の分からぬ遣る瀬無さばかりが消失して、行き場の無い「怒り」だけが降谷の胸に残った。

「降谷君、次のインターを降りてくれ。潜伏先が割れた」

 助手席から飛んだ指示には、降谷は無言のまま車線を変更して応える。どうやら追跡中であった端末は移動を止めたようで、赤井はカーナビに目的地を入力した。さながら滝のような雨は相変わらずだが、東都を抜けて南下を続ける内に次第に渋滞は緩和され車両も流れ始めていた。
 存外、この心は落ち着いている。攫われた花井律の居所を掴めたことはもちろん、赤井秀一という後ろ盾を得た事は大きい。詰まるところそれは、単純な戦力の増強に当てはまる話ではない。現況下で赤井は降谷の指示に従う素振りをしてはいるものの、いざ現場で律の身に危険が迫れば彼は迷う余地なく――その命を別の何かと天秤にかけなければならない降谷と違って――律を選ぶだろう。降谷はそれを承知の上で赤井の同行を許したし、皮肉な話であるがそれが己の望みでもあることを自覚していた。
 ああ、だからこれは、何と不快な矛盾だろう。外へ逃がせぬ粗悪な感情が、ゆっくりとアクセルを踏み込む降谷の足許の辺りに錨のように巻き付いたままでいる。

「グローブボックスを開けろ。予備の拳銃が入っている」

 今ここで赤井の協力を跳ね除けて律を失うこと、今ここで赤井の生存を暴き組織に放つ銀の弾丸を失うこと、冷えた頭で俯瞰すればそれらは紛れも無く降谷にとって損失である。
 しかしそれを、そればかりを、容易には受け入れられない。そこに赤井秀一という人間が介在するだけで、物事が容赦なくねじれて見える。あの時殺し損ねた「怒り」が、不正な形で降谷零の心に長年に渡り干渉し続けているからだろう。
 
 "目先のことに囚われて、狩るべき相手を見誤らないでいただきたい"
 "彼の事は今でも悪かったと思っている"

 あの日来葉峠でジョディを追わせた風見には今、彼女と協力して三吉の持つカスタマーリストの行方を追わせている。あの日澁谷夏子殺人未遂事件で降谷に侮辱されたジョディは今、無償でこの国の事件の解決に向けて尽力している。果たして自分は、あの頃から一体何に時間を費やしていたというのだろう。この胸にのさばらせた感情に翻弄されるがままにいつまでも終止符を打てず、少しずつずれはじめた進路を自らの手で正すことすら出来ずに。
 降谷は、慣れた手付きで銃の装填を確かめ始めた赤井の様子を一瞥した。今はまだ曇りの無い瞳で直視することができない、その横顔を。

「――あの時、引き金を引かせたのは俺だろう」

 ガチャリと、静かな車内にリロードの音が響いた。 
 赤井が緩慢な動作でこちらへ視線を寄越した気配がしたが、やはり応えることは出来ない。

「一方的に謝罪を聞かされるのは、癪だ」

 ウインカーを出して、速度の遅い車両を何台か追い越した。赤井の微動だにしない視線が刺さったまま、しかし彼は随分と長い間無言を貫いていた。

 "残念なのは奴の胸のポケットに入っていた携帯ごとブチ抜いてしまった事"
 "おかげでそいつの身元は分からず仕舞い"
 "幽霊を殺したようで気味が悪いぜ……"

 今でも夢に見るあの日の鮮烈な光景に、降谷は一言一句違わずライの言葉を思い出す事が出来る。
 生まれて初めて、身を灼かれるような熱量で人を恨んだ。彼は確かにここに存在していた、この強大な犯罪組織を潰すためにここに居た、祖国の安寧と平和ばかりを願ってここで生きていた。遠くなるライの背に向かってその功績を叫んでやりたいのに、穴の開いた携帯の端末を握り締めながら口を噤むしかなかった。
 ようやくひとつの疑念が胸の端に生まれたのは、赤井が本当は犯罪組織に潜り込んだ正義のスパイだと分かった頃だった。組織の任務ですら少しの犠牲を嫌ったあの男が、言ってしまえば身分を同じくする公安警察の諸伏景光に安易に死の道を提示しただろうか。彼を安全に逃がすだけの時間も技術も残されていたというのに、彼の首を組織への献上品にする道を本当に――?
 来る日も来る日も、降谷はふと生まれたその疑念に束縛された。何かが腑に落ちない事実に、自分の納得のできる結論を探し続けた。
 ――そうか、あの時ヒロは、俺の鳴らした足音を聞いて。降谷がその真相に辿り着いたのは、ひとしきり赤井秀一という人間を憎んでしまった後だった。

「……たとえ命を奪われたとしても、銃を奪われるな。捜査官は皆そう教わるだろう」

 電話越しの謝罪に、降谷は息の止まりそうな緊張感と共に次の言葉を待っていた。ライとバーボンではなく、赤井秀一と降谷零として初めて言及したスコッチの死に、赤井は自分に真相を告げ己の汚名を雪ぐと思ったからだ。しかし、赤井はそれ以上何も語らなかった。

「あの時、引き金を渡してしまったのは俺だよ」

 あの瞬間、穏やかな刃で首を刎ねられたようだった。慈悲はあるが、容赦はない。その善悪を判断しない内に、落ちた首の切り口は二度と縫合できぬように塞がってしまう。
 ふたつに分離してしまった頭と胴は、最早そのどちらも、降谷零とは言えない気がした。いずれこの首から別の頭が生えるのを待つ他ないのだと、そう悟った。
 ――やめてくれよ、全部、終わってしまうだろう。
 彼の罪を許すことは、己の罪を許すことと同義だ。彼を受け入れるということは、諸伏景光の死を受け入れるということだ。
 俺はあの日からずっとまだ彼の死に拘ったまま、折り合いをつけることすらできずにいるのに。

「降谷君、俺は君が何に彼の死の意味を宛がおうが構わない。だが、彼の遺志を正しく背負う権利は俺にもあるだろう。あの頃から俺達三人はずっと変わらず、同じ方向を向いているのだから」

 その言葉を最後に、赤井の視線が退くように消える。目の端に捉えた彼は既に、雨で煙のように靄がかる進路を眺めている。怒りも、許しも、嘆きもない、その洗練された主張がしばらく降谷の耳に残っていた。
 責任を分け合った所でこの傷は永遠に癒えないし、その所在を明らかにしたところで彼はもう還らない。慰めて欲しいわけでも、罪滅ぼしをして楽になりたいわけでもなくて、ましてや口伝の真実とやらに辿り着きたかったわけでもない。
 降谷はただ、諸伏景光を英雄として弔いたかった。燃え尽きて灰と骨になったその身をこの瞳に焼き付けておいてなお、彼の魂はまだ日の目を浴びぬままあの屋上の壁際に張り付いている気さえする。だからずっとこうして、彼の死を糧にして得られる何かを探していたのだろう。

「……時間がかかる。彼は……俺の、本当に大切な友人だったから」

 ゼロと自分を呼ぶ懐かしい亡き友の破顔が浮かんで、すまないと、謝罪の言葉は続けて自然とこの口から零れていた。それは赤井の謝罪に呼応するような単純なものではなくて、彼等に対する誠実な敬意が含まれている。
 降谷は無意識に、何かを確かめるような仕草で首のあたりを何度か摩った。この心に長い年月をかけて蓄積されたあの行き場のない「怒り」が、時間がきて潮が引くように少しだけ遠のいていく。

 "私はただ、あなた達が不正に隠した真実を知りたいだけ"

 人が求めるのは、真実ではない。その真実の向こうに妄信する、己の理想それだけだ。
 蘇る三吉彩花のあのぎらついた眼差しは、鏡の中に映る自分のそれと良く似ている。妄執的に赤井秀一という人間に執着していた、あの眼差し。
 だから降谷には彩花の求めるものが真実の中には存在しないことを確信したし、おおよそ彩花の包み隠された欲望というものに見当がついた。ただしそれは降谷同様、彼女自身がその傷に直に触れなければ意味のないものだった。

「……ああ。気長に待つさ」

 降谷には、それがいつとは言えなかった。この命が尽きるまでの時間を思えば、とてもではないが足りないような気がした。
 赤井の言葉は相変わらず淡泊なもので、彼はとうの昔にスコッチの死に決着をつけたことだけが分かる。おおよそ自分と似て周囲に失う人間は多かっただろうに、彼は自分よりも感情の切り替えに長けているのかもしれない。降谷は、今度は確かに、何かを見透かしたくて赤井秀一の横顔を盗み見る。
 
 "律を失いたくない"
 "俺を使え"

 その不似合いな美しいグリーンアイに獰猛な光彩が宿る瞬間を、初めて目にした。見る者の心臓に一瞬で喰らい付くような、それでいて目を離せなくなるような、それはとても恐ろしくて魅力的な光。
 そこに僅かの打算や嘘が垣間見えでもしたのなら、赤井がどれ程己の有用性を説いたところで降谷は赤井を排除したのに、それだけが出来ない。ずっと俺にだけは正体を明かしたくなかった癖に、仮にでも俺に使役されるなど耐えがたい屈辱の癖に、彼は彼女を取り戻す最適な手段を採るために全てをかなぐり捨てる選択ができるのだと思い知らされた。そこには、ひとつの偽りさえ疑う余地が無かった。
 彼が遺した彼女宛の留守録を聞いた時から、降谷が頑なに否定し続けていた疑心が確信に落ちる。これ以上どう踏み躙ってやればよいのだろう。それを愛と呼ばずして、何を愛と呼べば良いのだろう。花井律を失ってもなおそうして感情を切り離せる赤井秀一の横顔を、降谷は少しも想像できないのに。
 数秒と経たぬ内に降谷の視線に気付いた赤井が振り向くから、降谷は静かに目を逸らした。一般道に下りて現場に向かう間、もうふたりの間に言葉は交わされなかった。

「まずは状況の把握だ。二手に分かれて、律の居場所と犯行グループの規模を特定する」
「この巨大モールを虱潰しか?あぶり出した方が早いだろう」

 インターを降りて十分と車を走らせると、そのショッピングモールは住宅街に突如出現する墓地のように静かに、しかし確かにその土地に息衝いている。平面駐車で優に三千台は上回るであろう広大な駐車場のその先、正面玄関口を持つイーストサイドの建物の一部が骸のように構えていた。
 アウトレットモールを中心に、十三のスクリーンを備えるシネコン、ボーリング場やカラオケなどの遊戯施設や温泉施設、スーパーやドラッグストア等も併設されたその規模は国内でも有数の大きさであったが、運営元の大手アパレルメーカーの経営悪化が飛び火し程なく売却、客足も遠のく中で経営能力の無い個人の手に渡り結局破綻した。理由無く廃墟として生かされていたこのモールも、来春には解体が決まっているらしい。

「特定が先だ。それが嫌ならここで待機してくれ」
「……従うよ。今は君が俺のボスだからな」

 目立たぬよう駐車場入り口の手前に車を停めると、雨に紛れながらグリーンフェンス沿いに駆け抜けた。正面玄関口に横付けされた一台の車はどうやら律を乗せたそれに間違いは無いようであるが、見張りも含めて人気は無い。正面を避け侵入口を探して壁沿いをぐるりと回ったが、吹き曝しの階段は風化により底が抜け、手頃な扉の取っ手にはまだ新しい鎖が巻き付けられ錠がかかっている。硝子戸が多く物理的な破壊は難しくはないが、あまり派手に動いて警戒されては意味が無い。
 別の入り口を探そうと踵を返した降谷の名が、その時後頭部の辺りで呼ばれた。振り返った降谷に伸ばされた左腕に見上げれば、赤井は既にひとつ上の階層の柵を超えている。どうやら隣の雨どいを器用によじ登ったらしい男の雨に濡れたその手を、反射的に一度躊躇って、それでも降谷は確かに掴んだ。一度屋内に入ってしまえば、開口部は多かった。

 ――俺達もシアターコートで合流した方がいいんじゃない?
 ――いや、女が逃げるとしたらイーストに戻るしかない。連結路の見張りを続けるべきだ。

 モール内はおよそ七つのエリアに分かれ、ガーデン広場を中央に大方は連絡通路で行き来できる。まだ壁の随所に残るフロアマップはほとんど当時のまま、それは降谷と赤井が各自の探索ルートを確かめていた時だった。
 朽ちたコンクリートを、遠くでスニーカーのような運動靴が擦る。ほぼ同時にそれを感知したふたりは音を殺してメイン通路から外れると、壁を背に身を隠した。
 程なくして通路の奥から顔を出した二人の男は、これといった特徴の無い凡庸な、年齢は共に三十代といったところだろう。咄嗟に構えた拳銃を降谷は下ろすと、同様に隣でセーフティを外した赤井の拳銃を手で制した。彼等が武器を携帯している様子は無いし、最初に声を上げた男に至っては悠長に手元の傘を上げ下げしては遊ばせている。

 ――それよりネオが女を刺したって本当か?

 降谷の関心は既に彼等の会話の末端に滲む律の居所に移っていたが、まるで世間話をするように男が不用意にそう口にした瞬間、背筋の辺りがひゅっと凍りついた。下ろしたはずの拳銃を握る指の先が、電気が走ったようにぴくりと一度だけ震える。
 ネオが、女を、刺した。ひとつひとつの単語がフラッシュするように瞼の裏に走るから、降谷は何度も意図的に瞳を瞬く。身動ぎの許されない状況で血管を巡る血の流れだけが急加速し、早すぎる心拍の音が耳のすぐ近くで聞こえるような気がする。

 ――いや、刺したっていうか、切りかかったらしいけど。しかしあのイカれ野郎、うっかり殺したらどう責任取るんだ?
 ――ふうん。俺はこの老朽化したモール内をひとりで逃げ回っている方が危ないと思うよ。うっかり滑落してあの世行きってことも、

 猶予は、無かった。もともと降谷と赤井が身を隠した通路に退路は無く、鉢合わせるまでの時間稼ぎにしかならないことを互いに理解していた。
 彼等と対峙した瞬間、まず降谷が右の男に飛び掛かり、その様子に意表を突かれた左の男を赤井が遅れず一蹴した。何の合図も、意思疎通も、肯定も否定もないままに、あまりに容易く、それはまだ降谷がバーボンとしてライと任務を熟していた頃の呼吸だった。

「……イーストサイドに戻るにはガーデン広場を抜けなければならない。……が、彼等の目が節穴で無い限り、このだだっ広い庭を横切れば気付いただろう。つまり彼女はまだセンターモールの向こう……。シアターコートから離れるとすればノースかサウスだが、連絡通路が一本道のノースは避けたはずだ」

 悲鳴ひとつ許さず意識を奪った二人の懐から、赤井は連絡手段である携帯を探すと躊躇い無く窓の外へ放った。その身を拘束し何処かへ縛り付ける僅かの時間すら惜しいのは、どうやら赤井も同じである。しばらく目を覚ますことは無いだろうし、盗み聞きした会話以上に搾り取れそうな情報も無い。
 そうして赤井はフロアマップを横目に、淡淡と言葉を続けた。それは本当に言葉通り、淡淡と、不気味なほどに。こちらの見解を確かめているというよりは、何だか冗長な前置きを聞かされているようだった。
 緩慢な動作で振り返った赤井が、こちらを見遣る。その分析に口を挟む余地は無いから、降谷は無言のまま答えられない。

「降谷君。律はサウスサイドに居る可能性が高いが、先にシアターコートを抑えるか?」

 だから降谷は、そう質問を置き換えられて目を瞠った。
 今後の算段を尋ねているようで、花井律の価値を問われているようだった。まるで、彼女の父親が降谷に遺した留守録の中で、そう降谷に尋ねたように。
 今回の事件における降谷の最大の危惧は、綾瀬明が三吉彩花に託したカスタマーリストの外部流出だ。残念ながら赤井の指摘通り、そのリストに日本警察上層部の名が連ねられていることは事実である。綾瀬事件の揉み消しが実際は蜥蜴の尻尾切りであり、日本警察という組織単位でテロ組織と癒着のあった証拠を、世間に露呈させることは許されない。風見とジョディがリストの回収に失敗した場合に備えるならば、受渡先である彼等の身柄をまず押さえるべきだろう。あるいは既にその受渡を断念したのだとすれば、逃走を図る彼等の身柄をまず押さえるべきだろう。
 しかし、降谷零として変わらぬ選択をするのであれば、わざわざこの男の手を取った意味が無い。付け焼刃の信頼に賭けて、現場を選んだ意味が無い。
 悠長に悩む時間は無い。決断は今、しなければならない。

「状況が変わった。二手に分かれて律を探す。後れを取った方が残りの後始末だ」

 降谷は拳銃のグリップを、固く握り直した。不思議と、想像していたよりもずっと滑らかにその答えはこの唇から紡がれた。
 決して認めたくはないのに、この男とならば二兎を追う判断が合理的なものであると分かっているからだろう。

「早い者勝ちだ。赤井秀一」

 まだ彼を、洒落たウイスキーの名でしか呼べなかった頃。
 あの頃確かにこの胸の奥深くに抑え付けていた名も無い感情が、息を吹き返すような心地がする。

「――それはいいな。分かり易くなった」

 やや挑発的な物言いに、赤井は僅かに口角を上げる。そうと決まれば先に行かせてもらうよと、ふらりとすれ違いざまに振り返った降谷を赤井はもう意識の外に追いやって、サウスサイドを目指すため雨の降り頻るガーデン広場に向かって駆け出してゆく。その背はすぐに、見えなくなった。
 静寂の戻ったイーストサイドの片隅には、何処からか聞こえる雨の音が返って来る。フロアマップ上のサウスサイドを指の腹でなぞりながら、せめて律が雨から逃れられる場所に身を寄せている事を願った。
 赤井は、程なくして律を探し当てるだろう。それならば俺は、本丸のシアターコート近辺を捜索しつつ彼の連絡を待つべきだろうか。ガラス板の上で滑らせていた指が、その時ひたと止まる。
 ――いや、まさかな……。
 雷光のように降谷の脳裏を過ったひとつの予感がしかし、降谷の身体をその場に絡め取ったままでいる。
 その数秒後、弾かれたように赤井に遅れてイーストサイドを飛び出した降谷零の脚は、シアターコートに繋がる唯一のゲートである、ウエストサイドを目指している。


prev next
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -