as like as two eggs(風見)

(reset#58読了推奨ですが、読んでいなくても。時系列は#01以前で風見視点のお相手は降谷です。)

「はあ?上司と後輩の仲を取り持つ方法が分からない?相変わらずお前の悩みって真面目腐ってるな」

 パキリと軽快な音を鳴らして缶コーヒーのプルタブを開けると、男は芝居がかったように大袈裟に表情を顰めながら、必死の相談を他愛も無い事のようにそう一蹴した。続け様に事の次第を伝える予定であった風見は出端を挫かれる思いであるが、一方で彼のその反応は重たい碇を括り付けて沈んでいた風見の心を次第に穏やかにしてゆく。
 既に外事課で頭角を現している彼は、警察学校時代にあまり同期に恵まれなかった風見にとって唯一馬の合う人物であった。明朗闊達で極めて外交的なその性格は、生真面目で実直、やや繊細で神経質と言われる風見とは一線を画しているように見えて、案外と互いに嗜好や価値観が似るのだから不思議なものである。予定調和のような温度感で傷を舐め合うのも悪くはないが、風見は己の不安を些細なものとして鼻で笑ってくれる男のその軽やかさが好きだった。

「もう一週間も口を利いてくれなくて……、二人して、俺を仲介して会話するんだ」
「……小学生じゃねえんだぞ。直属の上司に掛け合えよ」
「そんな告げ口をしたらチームが崩壊するよ」

 事の発端は、言葉通り一週間程前に遡る。花井律が風見と共に降谷の指示を仰ぐようになって早半年、相変わらず他人行儀の二人ではあるが職務は何一つ滞りなくむしろ頗る順調に機能し軌道に乗っていた頃だった。一方で、ある一定の水準以上のリスクを伴う任務からは律を遠ざけたい降谷と、ステップアップのために誰よりも積極的に危険な現場へ出たがる律との間の確執が深まり始めた頃でもある。風見はと言えば何よりもまずはチーム存続という最低ラインを確保したく、のらりくらりと互いの主張を受け止め受け流し、誰の目にも明らかな延命治療を陰ひなたに施していた頃だった。

 "現場で成果を挙げました。これは名誉の負傷です"

 いつも通りの早朝ミーティング、しかしその場に左頬を広範囲に腫らした律が何食わぬ顔で現れた時は、降谷も風見も言葉を失った。聞けば前の晩に他課で行われた囮捜査にヘルプとして自主的に参加し、挙句に本来の担当者ではなく律で釣れてしまった犯人と一戦交えたと言うのである。よくよく見れば彼女の怪我はそればかりではなく、擦過傷は全身の至る所に、痛痛しく挫いた手首はきつくテーピングが施されていた。しかしどうにも晴れやかな笑顔でそう言い切った律に、降谷は当然、激怒した。

「放っとけ、放っとけ。駄目になる時は、何やったって駄目になるさ。大抵の事は時間に任せときゃいいんだ」

 雷が落ちる、という慣用句を今まで自分は軽んじていたのだろうなと、風見はその時思い知った。もちろん風見だってこれまでも仕事で大小の失敗を繰り返しては降谷に都度叱られて育ってきたものだが、その言葉はいつも理性的で的確で、何よりも失敗をした部下に対する上司としての思い遣りや愛に溢れていたものだった。間違ってもそうして律の脳天を攻撃的に貫くような、勢い任せの感情的な罵詈雑言などを詰め寄って浴びさせられた経験など全く無かったのだ。
 ――殺されるのかと、思いました。降谷の退出後に震える声でそう絞り出した律の心境に、不本意ながら風見は完全同意である。
 どうにも花井律を相手取ると降谷の教育方針は大幅に道を外れるようであるが、しかし自分の与り知らぬ所で大切な部下が満身創痍となればその心境に少しも理解が及ばぬわけではない。律のような向こう見ずには案外と良い灸になったのかもしれないと、唇を噛み締めて涙を堪える律に風見は一緒に謝りに行こうと優しく諭した。私は悪くないので絶対に謝りませんと、だから強情にそう吐き棄てた律には風見は気の遠くなるような思いだった。

「ほら、これやるから。元気出せって」
「……、これ流行ってるのか?今朝降谷さんにも貰ったんだ。しかも大量に」

 慰めるように風見の肩を叩きながら差し出されたのは、コンビニやスーパーで手軽に手に入るエッグチョコである。風見がそれこそ手軽な栄養補給にしばしばチョコレートを口にする事は降谷は勿論周知の事実であるが、お裾分けと降谷のサインの書かれたメモと共に三十個近くのエッグチョコが机上を占拠する光景はなかなか不可解だった。
 どうせまた潜入捜査に付随する余剰品か何かだろうと風見はいつも通りの当たりをつけてはいるが、胃袋に消えるチョコレートは別として、中身の食玩をどう処理するべきか風見は考えあぐねている。第七弾はベジタブルシリーズと朱書きされたファンシーなパッケージの通り、どうやら数十種類に及ぶ野菜の模型がその卵の中にランダムで収まっているらしいが、風見は律儀にそれを組み立て何処かへ飾ってやらなければならないのだろうか。指の先で箱の角を撫でるようにして、風見は虚ろな眼差しでそれを遊ばせている。

「降谷さん、この間の台風で家庭菜園が全滅したって言ってたからな。ミニチュアに鞍替えしたのかも」
「まさか、趣旨が違うだろう。あの人は自分で育てて食べるのが好きなんだから」

 連日の徹夜と任務で帰宅出来ずにベランダの野菜の苗を駄目にしてしまったと落ち込んでいた降谷の姿を、風見は脳裏にふらりと過らせながらそのパッケージを裏返した。描かれている色とりどりの野菜は百円かそこらの値段の食玩としては精巧な作りであるように思うが、中身も分からぬオマケの収集のために投資を続ける降谷ではないし、そもそも大してチョコレートが好きではない降谷があえてこの商品を選ばねばならない理由も無い。
 キャベツにトマト、茄子に南瓜にホウレン草。しかし何の気なしに眺めていたその絵柄に、風見はふと思い当たって目を細める。記載順のその通りに並んだそのミニチュアを、風見は何処かで一度目にしたような記憶があった。そう、あれは確か。確か、普段余計なものを一切排除して整頓されているはずの、彼女のデスクの端だったのではないだろうか。

「風見さん!」

 背後から一週間ぶりに聞こえた明るくやや上ずった声色に、風見は驚いて振り返った。もちろん喧嘩をしているのは降谷と律の二人であって風見は各々との間に隔たりなど無いのだが、それでも律はやはり萎びた気持ちを引き摺ったままのようで今この時まで風見にすら笑いかけてくれた事など無い。
 同席していた同期の存在に気付くとやや慌てた様子で遠慮するが、彼も風見もそれよりも律が両手で大事そうに抱えているそれから目が離せない。セロリだ、セロリの食玩である。二人の視線が同時に宙を彷徨っては、つい先ほどまで手持無沙汰に弄っていたエッグチョコのパッケージの一点に落ち込み妙に交差した。シルエットばかりが黒塗りされてシークレット扱いであった最後の野菜の正体は、成程、セロリなのである。

「すごく嬉しくて、今すぐに御礼だけ伝えたくて」
「……え?何で?」
「何でって、これを机に置いていってくれたのって風見さんでしょう?」

 惚けないでくださいよと満面の笑みを浮かべる律を前に、神妙な面持ちのままの風見は同期の男と目配せをする。解法の分からない数式の答えばかりを急に閃いたような感覚に、風見は律に何と答えて良いのか分からず口籠るしかない。
 無論、風見は律に誤解を与えたままのこの状況を良かれと思っているわけではない。何よりも、目当てのミニチュアを手に入れたいがために多大な時間と手間を費やした上司の努力が水泡に帰す様などあまりに物悲しい。しかしだからと言って、真実をただ伝えてやる事ばかりが双方の本意では無い事も風見は経験則から分かっている。それが降谷の努力の賜物だと暴露すれば律の笑顔など簡単に凍り付くだろうし、降谷は降谷で確たる証拠を並べたとしても贈り主が自分である事など絶対に認めはしないだろう。素直に面と向かって仲直りさえしてくれたならそれで済む事が、何故こうも余計に食い違いを繰り返すばかりなのだろうと風見は頭を抱えたくなる。

「最後のセロリがどうしても出なくて。これでやっと応募できるんです」
「応募?コンプ特典でもあるわけ?」
「ほら、ここ。実はそれぞれのミニチュアにアルファベットが彫ってあって。全部揃えると慣用句になるらしくて」

 答えが何か分かりますかと計十五文字のアルファベットを書いたメモを、律は帰国子女である同期に差し出した。やや難度の高そうなそれに眉間を動かした男を横目に、風見は再び事の元凶であるエッグチョコのパッケージを持ち上げる。
 ゲームのキャラクター集めに暇さえあれば東奔西走している風見には収集癖を持つ人間の気持ちというものに理解があるが、律の場合はそうではなくて目的は懸賞か何かへの応募であるらしい。懸賞で当たる賞品と言えば風見には現金や旅行などと言った在り来たりな想像しか及ばずに、旅行所か金を使う暇すら無いと嘆いていた律が何をそうまでしてと風見は不可思議だった。
 ――ああ、成程。そうして恐らく早早に答えに辿り着いたであろう男の声に、風見がパッケージの下方に小さく記載された懸賞賞品の文字を見つけたのはほぼ同時である。

「ほら、解けたぞ。よっぽど良い物でも当たるのか?」

 風見の牽制は、間に合わない。手中のスマホの画面に打ち込まれた答えを律はご機嫌な様子で覗き込んだが、続いた男の言葉にはこちらに不安を抱かせる程に表情をつっと凍らせた。いや、と言うよりも、我に帰ったという表現の方が的を得ているのかもしれない。
 途端に顔色を曇らせた律に眉を寄せた同期に、風見はそろりとエッグチョコのパッケージの下方を指差した。俄かにひくりと口の端を引き攣らせた彼は同じように合点がいったようで、気まずそうに律に視線を戻すが既に時は遅い。お野菜栽培キット一年分。無機質な印字がゲシュタルト崩壊を起こす傍らで、野菜の苗を買い直さないとなとぼやいていた上司の横顔が、浮かんで消える。

「……お家で、野菜を育てて、食べるんです」

 やや視線を下げたまま泣き出しそうな声で切れ切れにそう呟いた律は、ふらりと風見達に背を向けると覚束ない足取りで談話室を去っていく。その寂しげな背中にやはり二人は何と声を掛けてやったらいいのか分からず、あれ程その心を躍らせたはずのセロリのミニチュアはテーブルの端に置き去りにされたままだ。
 律が本当に欲しがったのはその食玩ではなくて、ましてや何処でも手に入る野菜の栽培キットなどでもなくて、ただただ素直になり切れない降谷に対して適当な理由を付けて贈り物をするその体裁それだけだったのである。目に見える程の亀裂が生じた今となっては律はその目論見を実行などできないだろうし、律がただただ食玩集めに勤しんでいると思い込んでいる降谷が律の真意に気付く事も無いのだろう。

「難儀だな。似た者同士の歯車の噛み合わせ方を考えた方がいい」

 世の中には時間が解決してくれない事もあるからなと、不憫な二人の様子を思って主張を翻した男は青青としたセロリの模型を爪弾く。
 机上に放られたスマホの画面に表示されたまま消えないそのイディオムを一瞥して、風見は今日も、噛み合わない二人の想いに重たい溜息を吐いている。

( *as like as two eggs = 似た者同士)


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