*昭和パロ。戦争ものです。
出兵した坂田が戻ってきたときの話。
不謹慎だと思う方、不快に感じる方はプラウザバック。



警笛が鳴り響く構内は人で溢れかえっていた。人を掻き分けながら、あのひとを探す。

「あ、」

丁度、汽車から降りてきた姿を見つけた。少し疲れた顔をしているが見間違えるはずがない。私の愛しい旦那様。

「銀時さん!」

お腹いっぱいに力を入れて、大きな声で名前を呼んだが、人込みに呑まれそうになる。
刹那、大きな手にむんずと掴まれ、強い力で引き寄せられる。

「相変わらず、ぼんやりしてるなぁ。お前は」

耳に降ってきた懐かしい声。この声を聞くのは何年ぶりだろうか。一時は生死不明だった彼が生きて帰ってきてくれた。嬉しさが込み上げ、泣きそうになる。ここで泣いては駄目だ。みっともない。涙をぐっとこらえて、銀時さんと顔をあげようとした刹那。
力強く包容された。

「ただいま。……また、千草の顔が見れてよかった………よかった。本当に」

銀時さんの声は震えていた。記憶より少し痩せた背中に手を回して、あやすように撫でる。

「ご無事で何よりでした。幸い、家は焼けずに済んだので、帰ったら熱いお風呂を沸かしましょう」
「……お前、強くなったなぁ」
「男がいない分、女が強くならなくちゃいけませんもの。満員の汽車に乗って田舎に着物を売りに行ったり、闇市に繰り出してもいるのよ」

銀時さんがいない間、家を護らなくてはいけないと強くならなければと自分なりに努めてきたのだ。
銀時さんは驚愕した顔を向けて、それから苦笑した。

「頼もしい奥さんで、何よりだわ」

引っ込み思案な私は小さな頃から銀時さんの影に隠れていた。いつもおどおどしていて、緊張しいで、言いたいことも言えない臆病な女の子だった。
銀時さんはそんな私をいつも助けてくれた。ぶっきらぼうな物言いで、私の背中を押して、私を引っ張ってくれた。
頼れるお兄さん的な存在の彼が私の旦那様になってくれたのは、戦争が始まる数ヶ月前のこと。先の戦争で勝利を納めていた日本は軍事景気に沸いていて。誰もが有頂天になっていた時代だった。
二人で幸せな家庭を築いていこうと、閨で誓った日が懐かしい。



何処からか流れるリンゴの唄を耳にしながら、焼け野はらの中をふたり並んで歩いた。

ここいらは空襲が酷く殆どが焼けてしまっていた。
私と銀時さんが住む地域は郊外なので、幸いにも家は焼けずに済んだのだ。

「この歌、よく聞くな。復員船のラジオからも流れていたぜ」
「並木路子さんのリンゴの唄ですよ。今、すんごい流行っているんです。あーかーいー、りんごーに……って」
「相変わらず、音痴だな」
「まぁ、ひどいっ。あ、トラック!あのトラックに乗せて貰いましょうよ」

闇市の帰りのひと、復員帰りのひとで満杯になるトラックに揺られること数十分。
我が家に着いた。


「あー!やっぱ、家が一番だわ」

銀時さんは家に入るなり、大きな伸びをして居間の畳へ寝転んだ
数年前、当たり前のように見ていた光景。
鼻をほじり、屁をこく銀時さんはあの頃と変わりのないままだ。

途端、引き締めていた筈の涙腺が緩んでほどけ、気づけばボロボロと涙を溢していた。

「ぎ、銀時さ、ん…ひっく…お帰りなさい…生きて、帰ってきてくれて……良かった…本当に本当に、良かった……」

銀時さんに赤紙が来た時、絶対に泣くもんかと決めていた。

「おめでとうございます、お国のために立派に戦ってきて下さい」

当時はあたりまえに交わされていた言葉。
私はこの言葉が大嫌いだった。
日本は負ける。世の中の景気に疎い私でさえ薄々気付いていた。負け戦と分かっていながら、無駄に命を捧げて、お国のために戦って、なんになるというのだ。
本当は、生きて、生き抜いて、無事に帰って来て下さい、と言って送り出したかったのだが、それが出来ない世の中だった。
戦争なんかに行かないで、と言えば憲兵に引っ張られ、スパイ容疑をかけられ地獄のような拷問が待っている、そんな時代。
出立する日の前夜は堪えきれずに泣いてしまったのだけれど。

銀時さんが出兵して以降、戦況は悪化する一方で泣く暇さえもなかった。
兎に角、生きることに必死だった。

一度目に泣いたのは戦争が終わった日。

近所のひとたちと並んで、玉音放送を聞いた時は何のことだかさっぱり分からなかった。
戦争が終わった、日本は負けた。
でも、家に帰っても銀時さんはいない。
戦争は終わったのに、銀時さんは戦地から帰って来ない。空しくて、悔しくて、畳に拳を叩きつけながら泣いた。
二度目に泣いたのは、銀時さんが生きていると報せを聞いたとき。

「ずっと、ずっと……帰りを、待っていましたっ……ひっ、」
「……ああ。……お前を残して死ぬわけにはいかねぇって……」

上体を起こし、銀時さんは優しく私の頭を撫でる。後頭部に回った手に軽く引き寄せられ、唇が重なった。

「此れから、大変だろうが……一緒に頑張っていこうぜ。もうひとりにしねぇから」

優しく力強い包容はあの頃と変わらない。
ひぐらしの鳴き声と共に、私は子供のように泣きじゃくった。これが三度目。


戦争が終わった丁度、一年目の夏。
銀時さんは帰って来た。



昭和パロは一度、書いてみたかったものです。
不謹慎かなとは思いましたが、戦争を知らない世代が戦争ものを書くのは、戦争を風化させないひとつの手段だと思い書かせて頂きました。
参考資料など沢山ありますが、時代考証は目を瞑ってやって下さいませ。


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