其の五



「はぁ、俺がですか」

「ああ。君がだ」

旦那様は、俺からティーカップを受け取ると本人曰、立派だと自尊する髭を指でなぞった。

「いやいや。俺みたいな書生には、とても場違いだと思いますよ」

「ふん。今の時代、身分も関係なかろう。私が行けない変わりにあの娘(こ)の付添人になってはくれないか?それに、社交界を体験するのは良い機会ではないか」

そう言って旦那様はティーカップを傾けた。
が、直ぐさま紅茶を吹き出してしまう。

「甘っ!!さ坂田!砂糖何抔入れたっ」

「え?七抔ですが…」

「入れすぎだ馬鹿者がァア!!」

俺には調度、良いくらいの甘さなのに旦那様の口に合わなかったらしい。
旦那様は額に青筋を立てて、暖炉の上に飾っていた日本刀を手に取ると、あろうことか鞘から引っこ抜いて俺に向かって振り下ろした。
俺は、それを咄嗟に手に持っていたお盆を盾にして受け止める。
ゴギャンなんて鈍い音が響いた。

(ゴギャンってなんだよ。ゴーギャンですかッ)

「やはり、アイツの門弟だけはあるな。非常に素早い反応だ」

「そりやァ、勿体なきお言葉で。」

間一髪というところだった。
純銀製のお盆は折れることはなかったが真中が妙な具合に凹んでいた為、このお盆はもう使用することはないだろう。
それならば質屋か何処かに売っぱらって金に換えた方が…俺や、お盆にとっての幸せな未来。
傷がついたとはいえ純銀。幾ら儲かるのだろうか。餡蜜が沢山食えるぐらいだと良いのだが。
そう、あれこれ考えていると、旦那様が鞘に閉まった刀を俺に向けて云った。

「坂田、久し振りに手合わせと行こうじゃないか」

「旦那様、あまり無理なさると腰にひび―…」

「誰が、歳だって?これでも、昔は松陽と引けを取れないくらいの腕だったのだぞ」

そう云えば、昔たった一度だけだったが、旦那様と先生が手合わせしているのを見たことがある。
旦那様の剣の腕前は確かなものだ。俺は溜息をついてニヤリと笑った。

「どうなっても知りませんよ。俺ァ…」

「ふんっ、若造が。しかし、この格好では動きにくい。着替えて来るから先に中庭に出て待ってろ」

うぃーす。と間の抜けた返事をして俺は旦那様を送り出した。
ここは旦那様の我儘を聞いておかないと後々、面倒なことになる。

「あぁ…面倒臭ェー」

屋敷の広くて長い廊下を歩きながら俺は一人呟いた。
そう云えば、ばばぁから使用人専用風呂場の掃除を頼まれていたっけ。
欠伸を噛み殺しながら、そんなことを思い出した。
まぁ、それは新八に押しつければ済むことか。

「ていうか、俺もここ最近、竹刀なんざァ握ったことねェからな」

俺は独り言を発する口を思わずつぐんだ。
丁度、二尺先にあった部屋の戸が開いて、その部屋の主であるお嬢さんがひょっこり顔を出したのだ。
危ない、危ない。
俺の素がお嬢さんに知られるところだった。
そんなお嬢さんは、俺の独り言は聞こえていなかったのか真剣な表情で俺に向かって手招きをした。

「坂田さん。ちょっと宜しいでしょうか?」

「はあ。何か、御用ですか?」

「坂田さん、器用でしたよね」

「ええ、まぁ。人並み以上には…それが、何か?」

お嬢さんは、困ったように片眉を下げて俺の袴の裾を掴むと結構な力で部屋の中へと俺を引っ張った。
それから、ぐいぐいと俺の背中を押して行く。

「お嬢さん?一体なんですか?」

「坂田さん、あのこれ」

俺の背後に立ったままのお嬢さんは、丁度、俺の脇腹あたりから手を出して机の上に置いてあった布を指差した。

「雑巾、ですか?」

「違いますっ!!着物です!お裁縫の宿題で出たんです。でも私、不器用なので」

不器用にも程がある。
花柄の布は着物というよりは、もはや端切れを繋ぎ合せた雑巾の様だった。
本当に、この人は良家のお嬢様なのだろうかと時々、不思議に思う。
でも、そこが可愛いらしいと思う俺は、心底、彼女に惚れているのだろう。

「さっ坂田さんっ!!笑わないで下さいッ!!」

「ククッ、すいません…で、これを俺にどうしろと?」

「えっと…その…大まかな処までで良いので…縫って欲しいんです」

「俺に?」

「ええ。お登勢さんに頼めないし…坂田さんしか頼める人が居ないのです」

確かに、あのババアなら例えお嬢さんだろうが容赦なしに自分で縫いやがれとか言いそうだ。
だけど、新八が居る。あいつだって俺と引けを取らないくらい器用だし、良く自分の着物の解れを直したり雑巾を作ったりしている。

「…お嬢さん、どうして俺なんですか?」

「へ?」

「新八や、他の女中だって居るでしょう?」

「え、それは…坂田さんの事が、まっ先に思い浮かんだから…」

お嬢さんは、そこまで云った途端、はっとして手で口を覆った。
お嬢さんの白い頬が紅く染まったので、茶化すように笑いながら俺はその頬に触れた。

「俺の事が、まっ先に思い浮かんだのですか…そりゃァ、嬉しいことだ」

「さ、坂田さんッ?」

「お嬢さんの頭は、常に俺を考えてると云うことですか?」

頬に触れていた手を滑るように動かして、耳を通りこし軽くパァマネントが掛かった髪に触れた。
そんな俺を、戸惑ったような、それでも憂いを含んだ瞳で見上げるお嬢さん。
ああ、畜生。
可愛いな。

「…坂田さっ」

「クッ、ハハハっ!」

堪え切れずに俺が笑いだしてしまえば、お嬢さんは呆気に取られた表情へと変わる。

「すいません、冗談ですよ。少し、からかってみただけです」

「ひっ、酷いッ!!からかうなんて、失礼だわっ!!」

「だから、謝ったでしょう。お詫びに、縫ってあげますよ、それ」

途端、お嬢さんの顔が輝いた。
良く表情の変わる人だと胸の中で思いながら笑いだしたいのを堪え俺は下手くそに縫われた、お嬢さん曰くの着物を手に取った。

「ありがとう、坂田さん。お礼は何が良いかしら?」

「いや、これはお詫びですが」

「いいえ。御礼をしないと私の気が済まないわ。何か仰って下さいな」

「では」

ここは接吻の一つくらい貰いたいモノだけれど、それが出来ないというのが書生と令嬢との壁なのだ。

「餡蜜でも、御馳走して頂けますか?」

「ええ。勿論ですわ」

「あァ、それと…今から、旦那様と手合わせをするので、お嬢さんにご覧になって頂けたいのですが」

「お父様と坂田さんが?まぁ、それは見物ですね」

元来、お嬢さんは好奇心旺盛な性質の様だ。
楽しいものをみつけた子供のように眼を輝かせて笑った。
俺の華麗なる剣の腕を見て、もっと惚れてくれれば良いんだけど。


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