其の四



僕のこれまで歩んで来た人生を簡単に紹介しておこう。
元々は武家の出身で片田舎で道場を開いていたけれど両親は他界し、姉さんは近藤さんと云う帝国陸軍少佐の元へ嫁いでしまった。僕はと云うと帝大を目指して
上京し、一高に通いながら、かの有名な侯爵家で書生として働いて居るのだ。
と、これが僕、志村新八の壮絶……とは言い過ぎだけど。平凡よりちょっと酷い十六年間の歩みだ。


「銀さん、起きてますか?」

僕は、辞書を借りようと同じ書生仲間である坂田銀時…通称、銀さん(彼が畏まった呼び名は嫌いだと言っていたので、そんな呼び方になってしまった)の部屋の戸を軽く叩いた。

「寝てますぅ」

と、気の抜けた返事が反って来たのでムカついた僕は「明らかに、起きてるだろーがぁあっ」とツッコミを入れて彼の部屋のドアを開けた。

案の定、彼は起きて居て机に向かって書物を読んで居たのだけれど、僕が入って来たのでうっとおしそうな顔をしてこちらを振り返った。

「ちょっ、新八君。夜這いですか?」

「何、馬鹿な事言ってるんですか気持ち悪い…辞書貸して下さいっ」

僕は龍陽主義では無い。さぶいぼの立つ腕を摩りながら、銀さんの傍に寄った。
彼は、勝手に借りてけと云ったので僕はその言葉通りに机の上に置かれていた辞書を手に取った時、ふと銀さんが先程まで呼んで居た書物が目に入る。
表紙に書かれた絵柄と題名で、その書物が何か解ってしまった。


「銀さんんんん!?あ、あんた一体、何を読んでるんですかぁあっ!?」

「え?風俗小説に決まってんだろ。何?新八君、興味あんの?」

全く興味が無い訳でも無いけれど、仮にも此処は由緒正しい侯爵様のお屋敷で、僕はそういった事には恥じらいを持つべきだと思って居たのに彼は妖しくニヤリと笑って、風俗小説の濡れ場の部分を声に出して読み始めた。しかも棒読み!

「女のふくよかな白い乳房へと手を伸ばし、揉みしだけば女は『ぁぁん』と橋声を漏らした…」

「ぎゃああっ!な何声に出して読んでるんですかぁあッ!」

僕は慌てて銀さんから小説を取り上げると、そこら辺にぽんと投げた。

「…ははん。お前、その様子じゃあ童貞だな?それ以前に、ろくに手淫もしたことないだろ。」

「どど童貞じゃありませんよ僕ァ!そ、そういう銀さんこそどうなんだよ」

本当は、銀さんが結構、遊郭に行って居るってことは知って居るんだ。

銀さんが女の人と居るのを見かけた時、お嬢様と一緒に居たからお嬢様が二人の方向を見ないようにするのに頑張ったんだよ僕は!


だって、銀さんは猫かぶりの書生だから彼が女遊びしてるって知られたら銀さんは多分、この屋敷から追い出される。
それは、流石に避けたくて僕は誰にも彼の本性を話していない。

「え?俺?俺はとっくの昔に童貞なんざ捨てたさね。悪いねぇ〜童貞」


それなのに、この男は僕を小馬鹿にしたように笑った。あまりにも腹が立ったので、銀さんに鼻フックをお見舞いして僕は辞書片手に自分の部屋へと帰った。



翌朝、庭の掃除をしていた僕に銀さんが竹箒片手に「てめぇ、危うく鼻がもげるところだったんだぞ」と僕にイチャモンを付けて来た。僕は、それを無視して枯れ葉を箒で掃いて行く。

「銀さん、掃除手伝って下さいっ」

「厭だ。面倒臭ェ」

と、そこら辺にあった石の上に腰を下ろした。

彼は周りからは働き者の秀才な書生と思われているけれど、こうやって人の見ていないところで殆どの仕事を僕に押し付ける。

まぁ、帝国大学の医学部に入るぐらいだから秀才とは認めるけれどね…


僕は溜め息をついて眠そうに欠伸をかく銀さんを睨んだ、と其の彼が急に立ち上がってせっせと箒を動かしながら落ち葉を集め始めたのだ。

急に、どうしたんだろと思っていると向こうからお嬢様が自転車を押しながらこちらに向かって来る。


「坂田さん、新八君、おはようございます。朝からご苦労様です」

「おはようございます。お嬢さん、また自転車で学校に行かれるのですか?」

銀さんは、僕と二人きりの時には絶対使わない口調でお嬢様に向かって綺麗に微
笑んだ。
銀さんの本性を知っている僕は彼のこの姿は気色悪くて鳥肌が立った。

「ええ。近代女性はこれくらい乗りこなせなくちゃ。坂田さんと新八君こそ、学校に行かれる時間では?」

「俺達は、まだ時間がありますので志村と庭掃除した後に通学です…ああ、お嬢さん、この前や、その前見たいに転んで膝を擦りむいたなんて事にはならぬよう
に気をつけて下さい」

嫁入り前ですから…と呟くように付け加えた銀さんの横顔が、今までに見た事のない位に切なそうだった。

「余計なお世話ですっ」

拗ねたように、云うお嬢様は自転車に跨がり、危なっかしいぐらいによたよたとした運転で女学校へと向かった。

そんな、お嬢様を先程の哀愁漂う表情とは打って変わって、優しいく愛しい人を見るような瞳で見つめていた銀さん。




この時、僕は彼がお嬢様に抱いている感情を知ってしまった。



一高→旧制第一高等学校
龍陽主義→男色家の事
手淫→自慰


4/12
prev | next


back