其の二



事の発端は数時間前に遡る。
千草と別れるなり、辰馬が「金時、話があるろう」と肩を組んできた。

「金じゃねぇ、銀時だ。近ぇっての。離れろや」

毎度のことながらこいつは距離が近い。なんだ、俺のこと好きなのか。生憎と男に好かれるのは趣味じゃねぇ。辰馬の頭を掴んで引きはがす。

「今日、千草ちゃんをここに連れてきた理由、知っちゅうか」
「久坂から買い物を頼まれたからだろ」

坂本は信じられないという顔で俺をみて、それから顔の前で人差し指を交差させてバツを作った。お前は女子高生か。

「ぶっぶー。不正解じゃき。これだからおまんはモテないぜよ」
「え?なに、それとこれと関係あんの!?おめぇ喧嘩売ってンの?ぶっ飛ばすぞ」
「わかっちょらんの〜。おまんら、付き合ってもう半月は経ちゆうが、そん間にどこまでえったが?」
「なんでてめぇにそんなこと話さなきゃなんねェんだよ、殺すぞ」
「その反応じゃと、ちゅーぐらいしかしちょらんの」

なんで分かるんだよ。エスパーかよこいつ。

「本拠地とか邪魔もんがいる場所ではなにも出来んろう。それに、明日は夏祭りがあるみたいじゃき、千草ちゃんと行くとえいがよ。二泊三日、千草ちゃんと二人きり。しっぽりずっぽり楽しむとええ!」

辰馬は人差し指と中指の間に親指を挟んでウィンクを寄越してきた。
つまりは、あれだ。辰馬も、久坂もヅラも、他の奴らもみんなグルだったってわけだ。
豪奢な料亭でパトロンとの商談中、頭のなかは千草とのしっぽりずっぽりでいっぱいだった。小難しい話は苦手だ。辰馬がうまいこと相手を言いくるめている間、畳の目の数を数えるフリをしながら、
千草をどう誘うか考えた。めったに食えない高級な料理の味も殆ど分からなかった。

「お二人とも、これからどうです」

商談も無事に終えた後、パトロンのおっさんが親指とひとさし指で輪っかを作り、酒を煽るような仕草をとった。

「いい娘たちを呼びますよ。お連れさんがたも一緒にどうです」
と付け加えたことから、芸子を呼んで宴会を開いてくれるらしい。
ただで酒が飲めて、ただで女に酌をして貰えるなんて俺も他の野郎も願ったり叶ったりだが、千草がいる。女が女に酌をされても嬉しくないだろうに。

「やや、嬉しい誘いですがのぉ。はよ帰らにゃならんのですき。それに、おなご連れちょりますからの」
「戦場に女とは、中々血気盛んな娘ですな」
「刀ァ振るってるわけじゃなかとです。わしらぁの暮らしを支えてくれちょります。文句ひとつ言わずに働いて、えい娘ですろ。そんな彼女に羽根を伸ばしてもらおう思いましての。しかも、彼女は銀時のこれですきの」

辰馬が小指を立てると、パトロンのおっさんはほほぉと感心したように声をあげて、それから俺を見た。どこか含みのある目を向けられて腹が立ったので「なに見てんだよ、おっさん」と牙を向いたら、隣にいた辰馬に頭を叩かれた。

「明日は祭りがあるみたいですき。二人で水入らずの時間を過ごして欲しいとゆうわしらぁ全員の想いですがぜよ」
「そうですか!いやはや、白夜叉殿は腕っぷしだけでなく、皆から慕われているお方なんですね。そういうことなら私の知り合いで呉服屋を営んでいる方がいるので、ぜひ彼女さんに浴衣を見繕ってあげて下さい!」
「は?え?」
「ほうですか!いやぁ、ト辺殿は顔が広いと聞いちょりましたが噂通りのお方ですき!まっこと助かりますろう!」

辰馬は商売人の質があって、交渉がずば抜けて上手い。ひとなつっこさもあるのだろうが、相手の隙を探り、このおっさんも辰馬の口車に上手く乗せられているのだ。
二人して盛り上がって、肝心の俺は置いてけぼりを食らっていた。

「そうと決まれば、話がはやい。ささ!はやく仕度なすって。呉服屋の女将には私から連絡いれておきます故」

パトロンのおっさんが手を叩くと、部屋の外で控えていた従者が顔を出した。

「そこのお二人をマツさんとこの呉服屋へ案内してあげなさい。そちらの白いお侍さんが浴衣を見たいそうだからね」
「なんで俺が選ぶんだよ。千草が直接選んだほうがいいんじゃねぇの」

第一、千草が好む柄が分からない。俺の好みで選んだ浴衣よりも自分で好きに選んだほうが嬉しいに決まっている。パトロンのおっさんは首を横に振って緩く笑った。

「男が女に着物を贈るのは深い意味があるんです。それに、あなたはきっといい柄をお選びになる。まぁ、おいぼれの戯言と思っておいて下さい。さ、与助」
「へぇ。ささ、こちらでごぜぇます。あ、お足もとお気をつけを」

与助と呼ばれた男に案内されるがまま、俺たちは料亭を後にした。

呉服屋に向かう途中で、露店を見回りながらウロウロしている千草を見かけた。声を掛けようか迷ったが、辰馬に「サプライズじゃ、サプライズ!おなごはサプライズに弱いぜよ。千草ちゃんにはまだ内緒にしといたほうがえいちや」
と言われ、黙るしかなかった。
パトロンのおっさんが話をつけてくれていたのか、呉服屋に入るなり奥の部屋に通された。

「旦さんからは話は聞いてるよ。ささ。こっから好き柄を選んでちょーだい」

粋のいい年配の女は畳の上にありとあらゆる柄の浴衣を並べる。金魚、朝顔、菊、椿……。よく見かけるありふれた柄。女物の着物なんてさっぱり分からない。正直、どれも似合うと思う。

「坊やの彼女は美人かい?」
「坊やじゃねぇ。……美人ってわけじゃねけが」
「見た目は派手かい?例えば髪が金髪とか。ほら、今若い子の間で流行ってるだろ」
「派手よりは地味っつうか」
「それだったら、この柄なんてどうだい」

女は色々進めてくれたが、どうしてだかどれもしっくりと来なかった。千草は地味と自嘲しているが、俺は千草の黒い髪が好きだった。俺より頭一つ分低い位置にある小さな丸い頭を眺めるのはひそかな楽しみとなっている。ころころ表情が変わる百面相のくせして、おっとりとした柔らかい雰囲気は隣にいて居心地がいい。ずっと、そばにいて欲しいと思うほど。

「いや、これがいい。これにする」

吸い寄せられるように目に入った浴衣。自分でもよく分からないが、この浴衣は千草にきっとよく似合うはずだと思った。

「そう、いい柄じゃないのさ。ただ、ちょっと大きいかもだから裾上げとかしなきゃいけないね。明日までには直しておくよ」

さすがにタダとはいかなかったが、破格の値段で譲ってくれた。しかも、着付けまでしてくれるというからなんとも羽振りがいい店だ。

千草と合流するなり、辰馬が大袈裟な演技で村に残るよう促してくれた。千草はどこか訝しみながらも、俺がいれば安心と思ったのか、辰馬たちを見送った後、「銀さんと二人きりだねぇ」と嬉しそうに笑った。こいつ、二人きりになるって意味わかってんのか。
宿は資金の間柄で安くてボロい部屋だったが、寝る分にもヤる分にも問題ない。

「先にお風呂入るね」

宿につくなり、千草はそそくさと大浴場へと行った。
その間に布団を敷き、壁の薄さを確認し、備え付けのティッシュ箱を持って、あーでもないこーでもないとティッシュの位置を考える。

「あれ?お布団一組しかないの?」

ティッシュを斜め右上に置いたタイミングで、千草が風呂から戻ってきた。

「あ、ああ。まぁ安いとこだしな。し、仕方ねぇんじゃね?ま、まぁあれだったらもう一組借りてきてもいいけどよォ」

声が不自然に跳ね上がってしまった。これじゃあまるで童貞みたいだ。童貞じゃないけど。しかし、湯上がりの千草をみた瞬間、俺はまたチェリーボーイのような反応をしてしまう。
まだ完全に渇ききっていないのか、黒い髪はしっとり艶やかで、睫毛の先に雫が光っている。白い肌が蒸気している分、全体的に色っぽい。しかも、浴衣ではなく、ひらひらした白い布切れみたいなのを着ている。襟元が大きく開いていて、細い身体がより華奢に見えた。

「これね、宿のご主人が貸してくれたの」

南蛮由来のねぐりじぇというやつらしい。なんでそんな洒落たものがこの安宿にあんだよ。あれか。今はやりのいめくらってやつが出来るところか。

「あっちの世界でも、ネグリジェ着たことがなかったから嬉しいな。ふふ」

千草はくるくると回った。足首まである裾が波打つようにひるがえる。
色んな疑問が出てくるが、ねぐりじぇを着て浮かれ気分の千草がかわいくてどうでもよくなった。むしろ、胸元を飾る紐を解いたら柔らかなおっぱいがまろび出てくると想像しただけで、股間が疼いた。

風呂に入る時間も惜しいが、汗臭くて千草に嫌われるかもしれない。それは嫌だ。

「俺も風呂入ってくるけど、ぜってぇ起きとけよな!先に寝るンじゃねーぞ」

念を押して、大股で浴場に向かう。
風呂に入っている間だって、千草とのずっぽりを考えて股間が元気になってしまう。隣にいたよぼよぼじーさんに「若いのぉ。わしも若いころはばーさんと毎夜毎夜ずっこんばっこんしたもんじゃわい。かっかっか!朝までがんばるんじゃぞ!」と激励された。

着替えていると、汚れた着物から小さな包みが転げ落ちた。やべっ。慌てて拾い左右を確認する。誰にも見られていないようだ。
別れ際、辰馬がこっそり握らせてくれたもの。
こんどぉむと言われるやつで、天人の技術によって生まれた避妊具だ。郭なんかで数回使ったことはある。今まで立ち寄ってきた村の娘とずっぽりした時に使ったこともあった。それまでの避妊具に比べ、こんどぉむは中々便利でいい。敵の技術によるものなので、複雑な気持ちはするが、それと性欲は別物。溢れる欲求をおさえきれるはずもない。大事に袂に仕舞った。
部屋に戻ると千草が布団の上で丸まって寝ていた。あれほど念を押したのに何先に寝ちゃってくれてんのぉ!しかも、一組しかない布団の真ん中陣取ってんじゃねぇよ。

「お〜い。千草ちゃ〜ん。千草さぁ〜ん。起きやがれ〜。銀さんもお布団で眠りたいんですけど、寧ろヤりたいんですけどぉ〜」

頬を引っ張っても鼻を摘まんでも起きない。慣れない長距離移動でよほど疲れたのだろう。起こすのも気が引けた。
大きく開いた襟元から見える胸の谷間に生唾を飲み込む。なんつー生殺し。これぐらい熟睡していたら、このまま睡姦してもバレねぇんじゃないの。下衆な考えが沸き上がったが、頬に添えたままだった俺の掌に頬を摺り寄せ、蕩けたようにふにゃりと笑う千草に良心が痛んだ。かわいいことしてくれてんじゃねぇよ。犯すぞ。
一緒の布団で寝るのは毒だ。俺はいつものように壁に凭れて寝ることにした。





目が覚めると銀さんが刀を抱え壁に凭れた格好で寝ていた。やだやだ。私、布団占領しちやった。銀さんだって疲れているのに、ひとり布団でぬくぬく寝てしまった自分が恥ずかしい。
でも、私は悪い子だから銀さんの寝顔をじっと観察するの。唇を半開きにして、口の端から涎を垂らす銀さんのあどけない寝顔はとってもかわいくて魅入ってしまう。ここにスマホがあったら迷わずカメラを起動して、寝顔を撮って待ち受け画面にしていたはずだ。スマホがないのが惜しい。だから、脳内に焼きつけておこう。
ーーかわいいなぁ。キスしたい。
無防備な涎に濡れた形のよい唇を見ていたら、そこに触れたい衝動に駆られる。ゆっくり顔を近付けた。だけど、寸手で恥ずかしくなって、唇のかわりに頬へキスをする。

「唇にはしてくんねーの?」
「っ!?」

咄嗟に逃げ腰になるが、大きな手に頭を押さえ込まれて逃げれない。銀さんの目がゆっくり開いた。起き抜けなのに情欲を堪えたように視線に射抜かれる。心臓が大きく跳ねた。

「おき、おきて……た、の」
「あんなに穴が空くほど見つめられちゃあ誰だって起きるわ」
「起きてたんなら、起きてるって言ってよ。いじわるっ」
「俺、ドSだからね」
「それ、……んむっ……ふっ」

至近距離で銀さんが笑うと吐息が掛かってくすぐったい。抗議しよう口を開いた瞬間、唇を塞がれた。触れるだけのキスを何度も、何度も繰り返される。

「ーーん、ぅ……はぁ、ぁん」

上手く息が出来ない。声が出ちゃう。甘い痺れが身体中に広がって、ぐにゃぐにゃに蕩けていきそうで怖かった。
上唇を食まれ、下唇を食まれ、それから舌先で唇を舐められた。その瞬間、身体を強ばらせてしまった。

「だいじょうぶ。これ以上はしねーよ」

唇を離し、額をくっつけたまま銀さんは優しく言った。
ぐっと大きく伸びをすると、どっこいせという掛け声と共に立ち上がる。

「さて、俺ぁひと風呂浴びて頭すっきりさせてくるけど、俺が戻るまでにその顔どうにかしとけよ」

両手で火照る頬を押さえる私の頭をぐしゃりと撫で、銀さんは部屋を出た。ずるいな、私ばっかいっぱいいっぱいだ。

お風呂から戻ってきた銀さんは帰る支度をしていた私をみて、泡を食ったような顔をした。

「なにやってんの」
「なにって、帰る支度してるの。そろそろ出発しないと暮れには間に合わないんじゃないの?」
「いや。その……帰りは明日になってんだよ」
「え?そんなにゆっくりしていいの?」
「だいじょーぶ、だいじょーぶ。それによ。今日は夏祭りがあるみてぇなんだ。せっかくだし祭りいこーぜ。リンゴ飴食いてぇしよ」
「お祭りがあるの!?」

銀さんの言葉に私は舞い上がってしまった。銀さんと恋人同士になったとは言え、彼は戦をしている身。だから、デートとか恋人らしいことを出来る機会は少ないと覚悟はしていた。
そんな中で、イベントが発生してくれたことはとても嬉しい。

「ぜったい、ぜぇ〜ったいにいく!」

大きく頷いて、はたと気づいた。今の私は男の子の恰好をしている。折角なら可愛い柄の浴衣を着て銀さんの隣を歩きたかった。だけど、そんな贅沢は言えなくて。銀さんとお祭りデートができることだけで幸せだと自分に言い聞かせた。

「旦那にお客さんですよ」
襖の向で声がする。銀さんが「お〜、来たか。通してくれ」と言うと、「へい」と短い返事の後に、襖が開く。
「坊や、昨日はどうも」

年配の女性が風呂敷包みを持って入ってきた。誰だろう、この人。銀さんの知り合いかしら。

「そちらのお嬢さんが、坊やのこれかい?かわいいこだこと」

小指を立てて銀さんを冷やかすものだから、頬が熱くなった。人から彼女と言われるのはなんだか恥ずかしい。

「さ。女の支度には時間がかかるんだ。とっとと着付け始めるよ」
「え、着付け?」
「なんだ、聞いていないのかい。あんたに浴衣を着付けるために私はここに来たんだがね。そこの坊やに頼まれて」
「え?え?」

事態についていけず、目を白黒させる。

「あ、ああ……それはだな……」

銀さんは軽く咳払いをして、なんとなく視線をさ迷わせ落ち着かない。

「辰馬のバカがパンタロンさんにおめぇの話したら、なんか気に入られてよ。パタリロさんが根回ししてくれたんだよ」
「パンタロン?ズボン?パタリロ?国王?」

益々意味が分からない。

「要はそこの坊やがあんたに浴衣をプレゼントしてくれたんだよ」
「ばっ……!ばばあ、余計なことはいうんじゃねぇ!俺はそこらへんぶらぶらしてるから、終わったら呼べよなっ!」
「あ、銀さん、待って」

私の制止も聞かず、銀さんは脱兎の如く飛び出した。お礼言いたかったのに。

「ありゃ、そうとうなひねくれものだね」

女のひとは、マツと名乗った。持っていた風呂敷包みの中から、浴衣や襦袢、帯、下駄を取り出し、畳の上に並べていく。
紺を基調としたブルーのグラデーションの空に、藤の花が優雅に咲き枝垂れている。あまりの綺麗な柄に、私は感嘆のため息をもらした。着物のことはよく分からないが、肌触りもいいのできっと値の張る代物だろう。こんな高いもの、本当に貰ってよかったのかしら。こんな優美な浴衣、私にはきっと似合わない。戸惑っていると、マツさんが「大丈夫よ。これはあんたにきっと似合うから。ほら、ほら。やることはたっくさんあるんだ。さっさと脱いだ!」と急かすように背中を押してくれた。
「よし、出来た。ほら、言った通りよく似合っているじゃないか」
鏡に映る浴衣姿の私。上品で華やかな藤の柄の浴衣は落ち着いた大人の雰囲気に仕立ててくれている。自分で言うのもなんだが、似合っていると思う。銀さんも綺麗だとか可愛いだとか言ってくれるだろうか。あの日、想いが通じ合った日以来、彼の口から好きだとかの甘い言葉が出てくることがないので、きっと言われることはないだろうけど。

「せっかくのでぇとなんだからねぇ」

マツさんは化粧箱を取り出して、白粉を軽く叩いてくれた。それから頬紅と、口紅も引いてくれた。

「そら、出来た。あんまり化粧を濃くしても、あんたの雰囲気に似合わないからねぇ。若いうちは薄化粧が一番だ」
「ありがとうございます。なにからなにまで」
「なに。お礼は外で待ってる彼氏にいいな。うちのお得意さんがあんたの彼氏と知り合いらしく、ぜひにと頼まれてね。お得意さんだし断れないじゃないか。それに、彼氏ときたら自棄に真剣に浴衣を選ぶものだから……ふふ。恋人に着物を送る意味とか、その柄の意味を知って選んだのかねぇ。今だって気が気でないんじゃないかい?」
「だから、余計なことは言うなって」

マツさんが言や否や、銀さんが入ってきた。
私の姿を見ると、目を開いてそれから視線を逸らす。似合ってなかったのかな。

「銀さん。どうかな、似合う?」
「まぁ、その……なんだ……か、かっ……俺の見立て流石だな!」
「そこは可愛いっていうものが男の役目だろ。あと、あんた墓穴掘ってるよ」
「うっせぇ!用が済んだならとっとと帰れよ!」

マツさんの言葉に銀さんは汗をだらだら流して、これ以上にないぐらい顔を赤くさせてぎゃんぎゃん喚いた。照れているのだと悟った私もつられて赤くなる。

「はいはい。邪魔者はとっとと消えるさね。後は若もん同士仲良くやりな」

マツさんの姿が見えなくなると、銀さんは私に向き直って、指で髪の毛をそっと撫でた。

「髪はやってくれなかったんだな」
「マツさんも私もあまり得意じゃないの。でも、いいの。そんなに長くないし、紐かなにかで縛れば大丈夫だよ」

元々不器用なので、アレンジのいらない髪の長さで切り揃えてきたのだが、ここ最近伸びてきた。流石に首元が暑いのでポニーテールにでもすればいい。

「ちょっとそこに座れよ」
「え?なんで?」
「いいから」

促されて、私は座椅子の上に腰を降ろした。銀さんは膝立ちになって私の背後に回ると、手櫛で私の髪を梳かし始めた。

「銀さん?」
「昔よぉ俺が世話になってたひとが髪長くてよ。ヅラもガキの頃から髪が長かったし、二人の髪を弄って色々遊んでたんだよ」

要は髪を結ってくれるということらしい。撫でるように髪を弄る大きな手、首筋に触れる熱い指先の心地よさが、さざ波のようにカラダ中に広がっていく。

「ほらよ、いっちょあがり」
「わぁ!ありがとう!」

頭を動かすと、しゃらしゃら音がする。どこか聞き覚えのある音だった。マツさんがくれた手鏡で見ると、綺麗にまとまった髪に簪が刺さっていた。昨日露天でみた鈴蘭のーー。

「銀さん、これ……」
「ぶらついてたら、たまたまみた露店でたまたま親父に押し売りされてよ。まぁ、高いもんでもねぇしそっからまけてくれるっていうし買ったら飴付けてくれるっていうしよォ」

言い訳がましく言葉を紡ぐ銀さんが愛しくて、袂の下でくすくす笑ってしまった。すると、銀さんがまた真っ赤になって「笑うんじゃねぇ!」と吠える。

「ううん。嬉しい。とっても嬉しい!浴衣も、簪も。すっごくすっごく嬉しいよ!ありがとう、大切にするね!」
「……おう」

とびきりの笑顔で言ったら、銀さんはそっぽを向いて頭を掻いた。





prev list next