其の一



今日も一日働いて、酒を一杯ひっかけて、千草が干してくれていた陽の匂いがする布団に入って眠りについたのだが、ふいに息苦しさを覚えて、ぼんやり意識を取り戻した。腹のあたりに何か乗っている。ぼやける視界に映る白い塊。殺気はない。じゃあ、なんだ。ゆ……スタンドか。ひぃっ。声にならない声をあげて、硬く目をつぶり心の中で念仏を唱える。

南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏、エロイムエッサム!悪霊退散!

「ふふ。それじゃあ、悪魔呼び出してるよ。銀さん私ですよぅ」


耳元に熱い息が掛かった。聞き覚えのある声。だけど、どこか艶っぽい。恐る恐る瞼を持ち上げると、白い襦袢一枚の千草が馬乗りになっていた。

「え?千草さん、千草さん。なになに、どったの?こんな夜更けによ。あれか?夜這いですか?」
「銀さん。私ね、我慢できないの。キスだけじゃ物足りないの」

恍惚とした眼差しで俺を見つめ、うっそりと微笑む千草。白い手が、着物の中に入ってきて胸をさすり、腹筋をなぞって降りていく。

「っ、千草、それやめっ、」

くすぐったさに身をよじると、千草がくすくす笑った。

「気持ちいいの?銀さんも可愛いとこあるのね。あのね、私も気持ちよくなりたいの、だから、ね?」

千草は俺の手を掴むと、そのささやかな膨らみへと誘った。掌に納まる大福餅みたいなおっぱい。指の先に少し力を込めると、千草が甘い吐息を漏らす。

「もっとエッチなことシて?」
「うぁっ、」

突然の刺激に喘ぐような声を出してしまった。昂る股間で尻の割れ目を擦りつけ、恍惚とした眼差しを向ける千草に生唾を飲み込んだ。

いいの?ねぇこれいいの!?まだAまでしかしてねぇのに、Bすっ飛ばして、Cまでいっちゃっていいの!?

ええい、俺も男だ。坂田銀時、いっきまーす!!

そこで目が覚めた。

畜生、夢かよ。せっかく、いい夢見てたのによ。

とはいっても、息子は元気に天井を向いている。今でも千草の胸の感触は覚えている。匂いも、唇の柔らかさだって覚えている。夢の中の千草のえろい姿を頭の中で思い描きながら、右手で上下にしごいた。仕方がない。俺だってお年頃なのだから。

「……っ、千草ッ……ハァ……ぅ」

掌に吐き出された薄汚い欲を懐紙で拭い、盛大なため息を溢した。またヤっちまった。最近、千草とエロいことをする夢をよく見る。

「銀さん、起きてる?」

襖の向こうからする声にぎくりとした。千草だ。萎んだ息子を褌の中にしまい、身なりを整える。部屋に漂うイカ臭い香りにあわてふためき、千草が「入るよー」と襖に手をかけるか否かの寸でのところで、部屋を飛び出した。

「わ、わ!」

急に飛び出してきた俺に驚いたのか、千草は多々羅を踏んで後方へバランスを崩した。

「あぶねっ」

咄嗟に腰に手を回した。欲を吐きだした手で支えた腰は折れそうなほど細い。股間がムズ痒くなった。
卑猥な夢と、今しがた千草をおかずに抜いたことを思い出し、恥ずかしさと罪悪感から視線を逸らす。

「こんな朝からどーしたよ」
「あのね、私も行くの。久坂さんにお買い物頼まれて。だから、一緒に町まで行けるよ」

なんのことか分からなかった。一瞬呆けた後に、今日は辰馬その他数名と、数里離れた町で開かれる市に繰り出して、物資やらなにやらを調達しに行かなければならない任務の日であったことを思い出した。町へ降りたついでに辰馬の金で遊郭にでも繰り出そうと企んでいた数週間前。まさか千草と恋人同士になるなんて思ってもいなかったから、下心丸出して引き受けてしまったことを後悔した。

だが、千草と一緒に町へ繰り出すのも悪くはない。にやけそうになるのを必死に抑えて「おめーはしゃぎすぎだろ。遠足にいく小学生かよ」と悪態ついたら、頬をむくらせた千草に小突かれた。




朝ごはんの支度をしていたら久坂さんがやってきて「今日はあいつらが町に降りる日でよ。悪いけど千草ちゃん一緒にいって買い物頼まれてくんね?」と突然お使いを頼まれて、急遽同行することになった。
二、三時間ほど歩いた先にある町で数ヶ月に一度ある市が開催されるそうで。あちらこちらから多くの行商人が集い露店を開くため、食料や珍しい武器や薬が手に入り易いらしい。

「千草さんは女性やけ。僕の大きいかもしれませんね」

女物の着物で長時間の徒歩移動は厳しいので、背格好が同じぐらいの三太君の股引と脚絆を借りた。
三太君は笑っていたけれど、ぴったりというか少しだけきつい。
三太君はぴったりだったことにショックを受け、私は三太君よりも太い事にショックを受けた。

商いのプロだという坂本さんと、護衛役の銀さん。荷物を運ぶ役割を担ってくれている元飛脚の方たち数十名を引き連れ、町をめざす。
今日は朝から日差しがきつい。笠を被り、木陰で休憩を挟みながらの移動だったけれど、歩装されていない道に慣れていない私には応えた。みんな気を使ってくれて、荷車に乗ってもいいよといってくれたのだけど、私だけ楽をするわけにはいかない。

「ばか。倒れられたらそれこそ迷惑だ。だまって甘えときゃいーんだよ」

遠慮したら、銀さんに頭を小突かれた。渋々荷車に乗り、足が休まったら、また歩くを繰り返した。
太陽が真上にきた頃に、大きな川に辿り着いた。川に掛かる橋を渡れば、町まで一直線らしい。

「坂本さん、坂田さん。川っすよ、川!ちょいとばかし休んでいきましょうよ!」
「汗やべぇっすから、汗流してぇんすよ」
「ほうじゃの。休憩じゃあ、休憩」
「よっしゃあ!くそ暑くてたまんなかったんだ」
「ようやく汗を流せるぜ」
「おーい、てめぇらちゃんと金玉も洗えよ〜。蒸れてカビ生えっぞ」
「ぎゃははっ。銀時さん相変わらず言うことがちげぇ」

辰馬さんの言葉を聞いて、みんなが一斉に服を脱ぎだした。手当で男の人の裸は見慣れてると言っても、褌集団は流石に見慣れない。思わず目を逸らした。
仮にも乙女の前で丸裸同然になって、下品な言葉を口にするなんてデリカシーの欠片もない。だけど、彼らは私の気持ちなんてお構いなしに盛大な水しぶきをあげてはしゃぎ始めた。
いいなぁ、男のひとって。どこでも脱げて。少し羨ましいと思う。
かんかん照りの太陽。のぼせるような暑さ。本当は私だって着物も全部脱いで冷たい水の中に飛び込みたい。お風呂にだって入りたい。だけど、そんなことできるわけもなく。せめて足だけでも冷やそうと影になっている場所を探して、そこに腰を据え足袋を脱いで足を浸す。ひんやりとした感覚に足先が覆われていくのが心地よかった。
楽しそうにはしゃぐみんなの声を聞きながら、足を前後に動かして水を蹴る遊びを繰り返す。

「おじょーさん、こんな岩影でひとり寂しくねぇですか」

顔を上げると銀さんが立っていた。上半身は裸で、肩から白い羽織をひっかけているだけの姿。
周りの男の人たちが屈強な体躯ばかりなので、隠れてしまっているけど、銀さんは着やせするタイプだ。
成長途中の身体ではあるけれど、私より背はうんと高いし、胸板だって厚い。
どっこいしょと言いながら隣に腰を降ろした。羽織から覗く腕は私より太くて、逞しい。
ふわふわの綿毛みたいな髪は、水に濡れてぺしゃんこになっていた。銀色の髪から落ちる水滴が、地面に茂る青葉を濡らす。
水も滴るなんとやら、という言葉がとても似合う。
なんだか別人のようにみえて、思わず視線を逸らした。

「なに、俺の裸みてどきどきしてんの?やだぁ〜。千草ちゃんってば初心でちゅね〜」
「してないもん!」
「いでっ」

心を見透かされた気がして、悔しいから水の中で足を蹴ってやった。

「疲れたか?」
「ううん。大丈夫。銀さんこそ疲れてない?」
「俺ぁ慣れてるしよ。まぁ、なんだ。体力だけはあるからな」
「そう、」

言葉が続かなかった。
地面についていた右手の指先に触れる熱いもの。驚いて息を呑み込む。そっと隣をみると、銀さんは下唇を突き出して真っ赤な顔をしていた。
つられて赤くなる。手、繋ぎたいな。そろり、指を歩ませて、絡めてみる。すると、銀さんの長い指がもっと絡まってきた。私の手を包み込むぐらい、大きな肉厚の手。汗ばんでいるのは暑さのせいか、緊張しているせいなのか分からないけど、でもしっかりと握りしめてくれた。銀さんの掌は太陽よりも熱くて、だけど心地良い。銀さんの横顔を盗み見る。色素の薄い、張りのある頬。通った鼻筋。夕日を思わせる深紅の瞳は濡れてぺしゃんこになった前髪に隠れて見えない。左手を伸ばし張り付いた前髪を指で払う。銀さんの白い額が露になった。眉毛も、睫毛も銀色。日陰の下でも宝石の粒みたいに輝いている。

「ふふ。前髪長かったんだね。いつもくりんくりんだから分かんなかった」
「好きで天パになったわけじゃねぇよ」
「……本当はね。水に濡れた銀さんかっこよくてちょっとドキドキしてるの」
「……だからそれ、反則だって」
「え?なあに?」

ぼそぼそと何かを呟いた銀さんの右手が伸びてきて、前髪に触れていた私の左手を掴んだ。
真夏の太陽に負けないぐらい、ぎらついた銀さんの眼。とらわれて、動けない。
銀さんの顔が近づいてくる。まつ毛長いな、とぼんやり思っていたら、銀さんが少し不貞腐れたように「目閉じろって」と言った。

「どうして?」
「いや、どうしてもなにも。キスしてぇの俺は」
「でも、でも……みんなが、」
「千草」

みんながいるよ。そう言いたいのに言葉が出なくて。それよりも、キスを望んでいる自分がいる。川遊びに夢中だし、私たちが居る場所は岩影になっていて、みんなから死角になっている。
熱い眼差しで見つめられ、びっくりするぐらい甘い声で名前を呼ばれたら私はもう抵抗も出来ない。熱い指先は優しく頬を撫でるの。
目を閉じたのを合図に、熱い吐息が近付いてくる。触れた唇は、少しかさついていて。だけど、柔らかい。砂糖菓子みたいなキス。もっと欲しくて、離れそうになった唇を追い掛けたら、頬にあった銀さんの手が首の後ろに回ってきて、また唇を塞がれた。

「―ん、う」

角度を変えるように触れては離れを繰り返し、呼吸をする暇を与えてはくれない。噛みつくようなキスだった。

「んんぅっ」

銀さんからのキスに応えるのに精一杯で、思わず繋いだ手に力が入る。
どうしよう、声が出ちゃう。銀さんに聞かれちゃう。苦しい、でも気持ちいい。蕩けてしまいそうなほど甘ったるいキスにくらくら眩暈がした。

「悪ぃ、今はここまでな。これ以上は止まんなくなっちまう」

唇を離してそう囁いた銀さんの獣のような視線に射抜かれ、心臓が大きく脈打つ。言葉の意味を理解した途端、全身の力が抜けてしまった。出発の時間になっても足に力が入らなくて、銀さんに抱えられて荷車に乗せられた。恥ずかしすぎて死にたい。


昼過ぎに町についた。
露店が軒を並べていて、まるでお祭りみたいに賑わっていた。
子どもたちは楽しそうに駆け回り、女の子たちは綺麗な着物を着て笑い合う。お客相手にをする商人。ほんの少し離れたところで戦をしているとは思えないほど、平穏な世界が広がっている。

「賑やかな町なんですね!」
「ここいらでは規模のデカい市らしいが。めずらしかぁもんいっぱいあるろう」

元の世界でも中々経験できない光景に私は胸を踊らせていた。
坂本さんは紙を見つめ、あれこれ指示を出している。その隣で銀さんはつまらなそうに鼻をほじっていた。
すれ違った女の子達が銀さんと坂本さんをみるなり、顔を近づけてひそひそ話す。

「あのひとたちかっこいいね」
「背ぇ高い」

きっとこんな会話をしているに違いない。
そりゃ、そうよね。黙ってさえいれば見た目はそこそこいい二人だもの。現にほら、絵にかいたような色っぽい綺麗なお姉さんが「お兄さんがた、少し休んでいかへん?お兄さんたちかっこええからや安うしとくで」と花の匂いを散らしながら二人に近寄ってくるもの。

「やだ、兄さんうちの好みやわぁ!」

なんて言いながら銀さんの腕に抱き着いて、私より大きな胸をあててくるんだもの。銀さんも銀さんで美人に抱きつかれて喜んでいた。かっと身体中が熱った。
だめ、だめよ。そのひとは私の彼氏なんだから。
豪語して、銀さんの腕を奪ってやりたい衝動にかられたけれど、みっともなくて堪えた。
今の私は男の子の格好をしているから、女連れだなんて思われていないだろう。

「すまんが、わしらこいから大切な用があるちや。せっかく綺麗なおねーちゃんが相手してくれるゆうんに勿体ないがのう」
「ちぇ。ケチやなぁあんたら」

坂本さんがやんわり断ると、美人さんはすんとした顔をして銀さんの腕から離れた。それから、私を見て納得したような顔をして、「兄さんいけずやな」と銀さんに向かって舌を出し、去っていく。

「え、なになに。今の俺がまるで悪いみたいな流れになってなかった?なんで?声かけてきたの向こうなのに?」
「……金時、わしゃあおまんの鈍感さにはほとほと呆れるぜよ」
「あ?どういうことだよ」
「わからんなら、えいが。ほれ、おまんはわしと一緒にパトロン殿のところにいくき。向こうが白夜叉に会いたいちゆうから、おまんを連れてきたんじゃ」
「はぁ!?んなこと聞いてねぇよ!?第一俺ぁ千草と」
「こんだけ人がいりぁあ大丈夫じゃろ。千草ちゃん、すまんがのわしらぁこれから大事な商談があるきに。他のもんに千草ちゃんの様子ば見とくよう言っちゅうが。遠くにだけは行かんように気を付けるがぜよ」

坂本さんはそう言って、ごねる銀さんを引きずって町で一番立派な外装の建物の中へ入っていった。

銀さんたちがやれ商談だ、やれ武器の調整だなんだしている間、特にすることがなかった私は久坂さんから頼まれた薬を買った後、そこら辺をぶらぶら見て歩いた。
日除けをかかげた露店に女の子たちが群がっていた。なんだろう。気になって、女の子集団の背後から背伸びをして覗き見る。綺麗な形の髪飾りや指輪、櫛などが並んでいる。小物屋さんだ。
きらきら輝く小物が並べられている机に
それはあった。とても素敵な髪飾り。私はとたんに心を奪われた。
鈴蘭の簪。鈴蘭の花はガラス玉で出来ていて、同じくガラスで出来た緑の葉が美しい。
手に取ると、鈴蘭が揺れてしゃらしゃらと音がなった。ほぅっ、と感嘆のため息を溢す。
綺麗、とっても。

「坊主、それが欲しいのかい。今なら安くするよ」

お店のひとがニヤニヤ笑いながら話しかけてきた。きっと彼女への贈り物を探している少年に見えたのだろう。

「いえ、大丈夫です!」

坊主と呼ばれたことに恥ずかしくなって、慌てて簪を返し逃げるように去った。男装するつもりなんてなかったから、晒しだって巻いてないのに、男の子にしか見られないことにショックだった。そりゃ、プロポーションに自信があるわけでもないけど。これでも女子大生だ。段々みじめになってきて、通りがかった甘味処でお団子を食べて過ごした。

ああ、でも欲しかったな。桂さんから必要な時に使いなさいと申し訳程度のお小遣いを貰っているので、貯めたお金で買える範囲内ではあったのだけれど、それを簪ひとつで使いきってしまうわけにはいかない。第一、お洒落を楽しむような状況でもないし。
後ろ髪引かれるような、切ない思いを抱きながら銀さんたちと待ち合わせ場所に向かう。

「思いの外、商談や買い付けが長引いてもうて、予定より遅れてしもうた。もう日も暮れるろう。こりゃ野宿になる」

合流するなり、坂本さんが声をあげて言った。

「それなら、食料とか買って、」
「ほうても、千草ちゃんに野宿は酷じゃき」
「え?そんなことは」
「えいちやえいちや!おなごを野宿させるんはわしの良心が許さんき。わしら全員の宿代はきついがの、二人分なら余裕はあるろ。安宿やき、えいもんではないがのう。野宿するよりはマシじゃあ」

そんなことを早口で言って、反論する暇も与えず銀さんと私を残し、坂本さんたちは荷車を引いて帰っていった。
銀さんは「まぁ、しゃーねぇんじゃね。ここはあいつらの好意に甘えとこーぜ」と頭を掻いて平然としていたけど、どこかソワソワしていた。





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