五.夏祭り

夏祭りに行かないかと神楽に誘われたのは、新八と神楽がたまった診療費を払いにきた時だった。

「夏祭り?」
「そう!今日の夕方ネ。千草、一緒に行こうヨ!」
「急なお誘いですいません。銀さんとは前々から約束していたんですけど……夏祭りの屋台番をしてくれって依頼が入っちゃって。うちの家計は火の車なので依頼を選んでいられませんからね、あの人だけ仕事なんです。姉上は今日はお店でイベントがあるらしくって……」

ーーなるほど、お守りというわけか。

「ダメアルか?」
「やっぱり急な誘いはご迷惑でしたね」

子供たちは自然と上目使いで千草を見上げる。捨てられた仔犬のような瞳を向けられてしまうと千草はとても断ることが出来なかった。


黄昏時の神社は祭りに参じる人々でごった返していた。金魚柄の浴衣を着た神楽は目をきらきらと輝かせて屋台を見回る。
それを制する新八も浅葱色の浴衣を着ていた。まるで兄妹のような二人を千草は少し離れた後方で見守っていた。
ふたりとも可愛いなぁ、と口許を和ませる。ふいにパッと顔を輝かせた子どもたちは、跳ねるような足取りで一寸先にある屋台に向かった。

「銀ちゃーん!元気に働いてるヨロシ?」
「銀さん、サボっていませんか?」
「うるせぇよ、クソガキども」

銀時は射的の屋台の店番をしていた。甚平の上から『かぶき町夏祭り』と書かれた法被を着て雰囲気は出ているが、呼び込みもしない、しまりのない顔は何時も以上にしまりがなく、覇気もない。全くもってやる気のない店番だ。

「……なんで俺だけ働いてんだよ。ちくしょー。暑いし、帰りてぇー」
「仕方ないじゃないですか。誰かさんが昨日、パチンコでお金を擦っちゃって、うちは本当にすかんぴんなんですからね!きっちり働いて貰います!」

齢十六の少年に叱咤されるのは大人としてどうか。千草は呆れるが、銀時と酒を飲んだ日の夜以来、妙に気まずくて銀時の顔をまともに見ることができなかった。至って普通に接してくる銀時の記憶には残っていないだろうが。
そんな千草を他所に、子どもたちは焼きそばとかき氷を買ってくると一目散に駆けていった。銀時と二人きりになってしまう。

「…… 千草ちゃん、今日は浴衣なんだな」
「お富さんから頂いたんです。昔着ていたもので良かったらって」
「ふーん、いいんじゃねの?」

銀時は鼻をほじりながら間延びした声で言う。やはり銀時にとっての、あの夜は酒に酔って起こした失態のひとつに過ぎないのか。ひとり悩むことが段々と馬鹿らしくなってきた千草は乾いた笑みを浮かべた。

「千草ちゃん、待ってる間に射的する?客来ねぇし。知り合いのよしみで三百円のとこ二百円に負けてるぜ」
「……お金は取るんですね」
「そりゃー商売だかんね。な、頼むよ」
「呆れた人」

そこが銀時らしいのだが。千草は溜め息を溢して、銀時に二百円を渡す。
別段、欲しいものはないし射的を楽しんではしゃぐ年頃でもない。人助けだと自分にいい聞かせた。

「あ、そのキャラメル取れやすいぜ。んで、取れたら俺に頂戴」
「お金取って、しかもお客から景品まで取るって……ほんと、駄目な大人の代表なんだから、銀さんってば」

なんで自分はこんな駄目な人間に胸を高鳴らせていたのか。先日の色気を漂わせた銀時は幻だったのかと疑いたくなる。今は色気というよき金にがめつい親父臭しかしない。

コルクを詰めて、言われた通りにキャラメルを狙う。すこん、と軽い音がして銃口からコルクが飛び出してくるが、キャラメルまで届かず。
まぁ、こんなものかと思っていた時。
ふいに背後から太い腕が伸びてきた。

「……まず、持ち方から違うぜ。片手で持つ持ったら銃身がぶれちまう。脇は締めるのが基本だ」

背後から抱き締められるような体制だった。通り過ぎる人々の訝るよう視線が突き刺さる。
恥ずかしさで身を縮ませる千草とは反対に、銀時は特に気にしていないようで「はーい、銀さんの射的講座ァー」などふざけた口調で言った。
銃を持つ千草の手に銀時の手が重なる。千草の手よりも一回り大きな、武骨な手。ゴツゴツとしていて、しっとりと汗ばんでいてる。
流れるように腹にも手が回された。
帯の上からぐっと力を込められ「腰を落として」と低い声で囁かれる。

「……真ん中を狙うんじゃなくて、斜め上を狙いな」
「……み、耳元で喋らないで下さい……くすぐったい」

批難の声をあげるが銀時はくつりと喉を鳴らして笑うだけであった。千草の反応を見て面白がっているのだ。銃口をキャラメル箱の右上に合わせると、千草の耳許に唇を寄せて息を吹き掛けるように囁いた。

「ほら、イケよ」

色を孕んだ甘い音色に背筋が戦慄く。刹那、千草は引き金を引いた。勢いよく飛び出したコルクはキャラメルの箱に当たり、意図も簡単に棚から落ちる。

「お、やるじゃねぇか。ちゃんと、イケたな」

わざとらしい物言いだった。
先日の出来事を思い出して千草は顔を赤くし、更にきゅっと身体を縮こませた。
ふ、と笑うように息が吐かれる。

「……なに千草ちゃん、赤くなってんの?もしかして、この前の夜のこと思い出しちまった?」

銀時は意地悪く目を細め、ニヤニヤと嗤っている。

「お、覚えてっ!?」
「んー、なんとなくだけど。千草ちゃん、おぼこっぽいと思っていたらマジでおぼこなのな。銀さん、びっくり」

銀時のデリカシーのない発言に腹が立って、千草は無言で銀時の額に銃口を向け、躊躇うことなく引き金を引く。
コルクは銀時の額に辺り、銀時は悲鳴をあげ額を押さえながらのたうち回った。

「うごおおお!!いってぇぇぇ!!酷くね、仮にも医者の助手が酷くね!?あ、これ額に邪眼が出きるわ!」
「し、知りません!か、神楽ちゃんと新八君を探してきます!!」

涙目になって文句垂れる銀時に目もくれず、千草は足早にその場を去った。
火が出そうなほど身体が熱かった。





夏が訪れると真選組は夏祭りやイベントに警備要因として駆り出され、忙しくなる。
今夜もまた警備要因として駆り出されていた。ここ数日、まともな休日も儘ならないというのに沖田はサボるし、近藤はキャバクラのイベントにいくし、山崎は山崎だし……まともに働く人間はいないのかと土方は苛立たしげに煙草のフィルターを噛んだ。
舞台役者顔負けの端正な顔立ちは浴衣を着て涼しい顔をしていれば確実に声を掛けられていただろう。が、今の土方は忠のちんぴらだった。部下と上司の尻拭いに追われ睡眠も儘ならない。加えて、蒸し暑さや人の多さに土方の苛立ちは募るばかりだ。凶悪な面に怯え、泣き出す幼子もいたという。隊服を着ているのが救いで、辛うじて通報されずにいた。
そんなこと露も知らずの土方は、便所へ行ってきやすと姿を消したきり戻ってこない沖田を探して人混みを練り歩く。

人が疎らな境内に足を運んだのは偶然であった。そこに見知った人物、千草の姿を見つけたのも偶然。
しかも、柄の悪い男に絡まれているというおまけ付きだ。

「いいじゃねぇか。ちょっと付き合ってくれたって」
「悪いようにはしねぇから。な」

下卑た笑みを浮かべ千草に詰め寄る男たちに更に苛立ちを覚えた。絶対に悪さをする顔だ。

「おい」

音もなく近付いて、低い声を出す。

「あ?邪魔すんじゃねぇぞゴラァ」

と、青筋を立てながら振り返る男は、瞳孔が開ききった、凡そ自分たちよりも悪人らしく見える土方の凶悪な面を見て、ひっと息を呑んだ。

「祭りに浮かれるのは構わねぇが、嫌がってる女を無理矢理誘うのはよくねぇな。お巡りさん、無視できないわ」
「し、真選組っ!」
「しかも、鬼の副長っ!」

人斬り集団なんてごめんだ、と顔を真っ青にさせた男たちは一目散に逃げ出した。張り合いのないやつらめ。土方は胸のうちでごちる。

「……土方さん、ありがとうございます」
「野村、お前気を付けろよ。祭りは不貞な輩も多い。……ひとりか?」
「神楽ちゃんと新八君と一緒に来たんですけれど、二人を探しているうちに迷ってしまって」
「いい歳こいて迷子たぁな」

くっと喉の奥で笑った。すると、千草が不貞腐れたように唇を尖らせ「迷子じゃありません」とぼやいた。
千草は浴衣姿だった。
瑞々しい青竹を思わせる緑色の浴衣に、鈴蘭の花が可憐に咲く。
ひとつに結い上げた髪には、先日あげた簪が刺さっていた。
普段、飾り気がないぶん今日はどうしてだか何時もより艶っぽくみえる。

「……やっぱりその簪はお前によく似合っているな。こうして浴衣着て着飾っていると、いい女じゃねぇか」

土方の口から何気なく出た言葉に、ぱちりと千草が目を瞬かせた。刹那、千草は真っ赤に染まる顔を隠すように恥ずか気に俯く。しゃらと簪の飾りが揺れ、白い項が視界に入った。風にのって、鈴蘭の香りが鼻を擽る。

「……土方さん、お世辞はいいですから……」
「俺がお世辞を言うたまにみえるか?」
「だって、フォローの達人、フォロ方さんでしょう?」
「……なんで素直に喜べねぇんだ、お前は」
「……慣れないんです、こーいうの。ずっと勉強ばかりしていたから……良玄先生のところで働くまでは、病気について調べていて顕微鏡ばかり覗いていたんです。私、研究室の皆から顕微鏡の虫なんて呼ばれていたんですよ?だから、どう返したらいいのか分からないんです」

胸元に寄せていた手を握り締め、千草はか細い声で言った。

「そりゃ、酷いな」

土方はふっと息を吐いたが、その実、胸の内では別の事を考えていた。

ーー松本診療所の前に研究室にいたとは初耳だ。

一度、千草の経歴について調べさせたことがあった。
松本を信用していないわけではないが、やはり真選組と深く繋がりを持つ位置にいる者、何より医術を施す者だ。毒を知らぬ間に盛られたり、果ては怪我を追って弱ったところを襲われてはたまらない。例え女子供だろうと経歴を調べさ、用心するに越したことはない。
そう考えているのは土方だけで、近藤は千草みたいな柔らかい雰囲気を纏った娘が暗殺を企てるわけがないと楽観的であったが。
千草の経歴は至って普通であった。江戸から然程離れていない田舎の出身で、父親と母親は他界。祖父母に引き取られ大切に育て上げられてきた。祖父母亡き後は江戸へと上京し、以前より付き合いのあった松本良玄のもとで助手として働いているーー。
此れは全て松本が幕府の者に掛け合って作った偽りの経歴なのだが、土方がそこまで辿り着く前に幕府から深く調べることを禁じられたのだ。
普通の娘なのに何故、幕府が経歴を隠すような真似をするのか、と妙な蟠りを感じていた。が、やはり松本は何かを隠していると確信する。真選組は元より、大臣や将軍との関わりもある人物だ。下手をしたら松本の鶴の一声で真選組を簡単に潰す事もできるはず。口は悪いが人徳のある松本に限って汚い真似はしないと思ってはいるが、土方にとっての最優先は真選組と局長の近藤を護ることだ。
何事も慎重に進めないといけない。

「野村が思うほど地味な女だと俺は思わねぇよ」

口からするりと出た言葉。これは本心なのか、はたまた千草の心の隙に入り込むための口八丁なのか。土方にも分からなかった。

「土方さん、それで色んな女の子口説いているんですか?」
「……お前にだけだ、と言ったらいいか?」

千草の皮肉めいた言葉に、含み笑いを浮かべて返してやると彼女はぱちりと目を瞬かせ、それから鈴を転がしたように笑った。

ーーこの女、こんな顔も出来るのか

思い返せば土方は千草の笑った顔を見たことがなかった。いつも真剣な顔で治療をしている姿しか知らない。
口許を浴衣の袖で隠しころころと笑う姿が、記憶の中に住み続ける儚げな女と重なった。
何を考えているんだ、俺は……と土方は胸内で舌を打ち、ポケットに手を突っ込んだ。煙草ケースがくしゃりと音を立てる。鈴蘭の香りが消えるのが何処か勿体なく直ぐに手を引っ込めた。

唇を湿らせて送っていくと口にした時だ。
闇の向こうから、銀時の姿が見えた。
紅い瞳が厭に冷たく、抜き身の刃のような眼光で此方を睨んでいた。
常人では先ず気付かない僅かな、しかし肌を突き刺すような殺気が送られる。

「千草」

と、醸し出す殺気とは裏腹に至極穏やかな声音で銀時が千草を呼ぶ。

「こんなとこで何してんの?ニコチン野郎と逢い引き?」
「違います。偶々合ったんです」
「ふーん。ま、いいか。新八と神楽を探しにいったきり戻ってこねぇから、探したんだぜ」

言いながら銀時はの千草手を掴み、引き寄せる。

「土方くん、おたくの一番隊隊長さんどーにかしてくんない?うちの神楽と勝負だなんだって暴れ捲ってんだよね。俺らの税金で飯食ってんだから、ちゃんと働けよな」

ふざけた口調のくせに向けられる瞳は未だ冷たい色を宿す。普通ならば気圧されるほど、感情が読み取れない深い闇。だが、土方は気圧されることもなく、漆黒の瞳をぎらりと光らせ銀時を見据えた。

「そういう文句はちゃんと税金を納めてから言えや、ニートが」
「ニートじゃありませーんー。自営業ですぅ」
「相変わらずふざけた顔と頭しやがって」
「あ?んだとコラ。ストレートだからっていい気になんなよ」

額に青筋を浮かべ突っ掛かる銀時を無視して土方は千草へ視線を向け、ゆるりと微笑んだ。

「松本先生に宜しくと伝えてくれ。また、診療所に寄らせて貰うぜ」
「はい。お副さんもお富さんも喜ぶと思います」

柔らかく笑う千草をもっと見ていたいと思ったが、「これ以上、こいつと喋ったらマヨラーがうつる」と揶揄を投げる銀時に手を引かれ、千草は薄い闇の中に消えていった。





銀時は千草の手を引いて歩く。
土方と仲睦まじくしている姿が妙に腹立たしい。苛々する。
きっと土方も自分と同じだ、と銀時は思っていた。認めたくはないが土方とは考えることが似ているのだ。

ーーアイツだけには渡したくねぇや

銀時が千草に抱く感情は恋ではない。ただ、鈴蘭の匂いがする女をモノにしたいだけ。一種のゲームだ。千草が自分に堕ちず他の男のモノになればゲームに負けたことになるが、それはそれで構わない。
だが、相手が土方となると話は別である。気にくわない男にだけは渡したくはなかった。

「銀さん、もう少しゆっくり歩いて。足が痛いのっ」

知らずと大股で歩いていたせいか、千草から批難の声が上がる。

「悪い」

歯切れ悪く銀時は呟いて足を止めた。

「ちょっと休ませてください」

慣れない下駄でついていくのがやっとだったのか千草の息は乱れ、両サイドに垂らした後れ毛が汗ばんだ頬に張り付いていた。顔は朱に染まっている。何処か事後を思わせる姿に思わず生唾を呑み込んだ。

「下駄、慣れていなくて。浴衣もあまり着てなかったから……」

ぼやいた千草は近くの石段に腰を下ろし下駄を脱いで足の指を拡げては握るという動作を繰り返す。

「そういえば屋台はどうされたんですか?」
「今んとこ新八に任せてる」
「……心配して探しにきてくれたんですか?」
「……俺はね、いい歳こいた女がひとりで何しようが構わねぇけどよ。新八がどーしても探してこいっつうから」
「……汗凄いですよ?」
「あ、暑いからだよっ!」

銀時は慌てて法被の袖で汗を拭う。悪戯めいた笑みを浮かべた千草をみて、からかわれたのだと悟る。いつもの仕返しだろうか。閥が悪くなって銀時は頭を掻いた。

「ふふ、ほんと素直じゃないんだから」

上目遣いで銀時を見上げた千草の、薄く紅を引いた桜色の唇がふわりと微笑む。

ことり、と銀時の中で何かが落ちた……気がした。

苦し紛れに
「うるせぇ、またちゅーすんぞ」
と口にすれば、千草は頬に朱を昇らせ慌てて口を噤んだ。



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