九.伽羅の座敷 中

山崎退、観察日記
老舗の出会い茶屋として有名な宵櫻屋。
ここ数年、この茶屋で若い女性や美少年の行方不明者が多発している。
店主の伊勢屋藤吉が猪組とつるんで、人身売買をしているという噂だ。
××年××月××日に一度、探りを入れてみたが、何も出なかった。
しかし、××年××月××日、別件で捕らえた猪組の男が所持していた天人製の薬を調べると、媚薬に似た成分が検出された。
どんなに問い詰めても口を割ることはなかったが、副長の拷問を受けてしまえば、男は簡単に口を割った。
宵櫻屋と猪組が手を組んで、天人性の薬を客に使用していると、ころりと吐いた。
(情報を吐いたら吐いたで副長にボコボコにされて殆ど、虫の息状態となってしまったが)
そこで、再び宵櫻屋を調査することになった。

宵櫻屋、張り込み一日目
特に代わりはない。伊勢屋はあまり表に顔を出さないらしく、一日張り込んではいるが、一度しか顔を見ていない。

二日目
今日も変わりはない。
変わりはないといえば、嘘になる。
某芸人が美女と腕を組んで入っていった。

三日目
特に異状なし。
あ、餡パン買い出しに行かなきゃ。

四日目
餡パン買い出しに行ったら、たまさんにあった。
相変わらず美しい。たまさん、なんで貴女はたまさんなんですか。
宵櫻屋、特に異状なし。

五日目
たまさんに会いてぇー

「おい、ざき。てめぇ舐めてんのか」

観察日記を付けていると、背後からドスを効かせた声がして山崎は慌てて観察日記を閉じた。

「ふ、副長!いらっしゃったんですね!来るなら来るっていって下さいよ」

上擦った声をあげながら振り替える。煙草を吹かし眉間に皺を寄せた土方に睨まれた。相変わらず鬼のように迫力がある形相に、山崎はひぃと悲鳴をあげ、蛇に睨まれた蛙のように縮こまった。

「あ?なにボケたこと言ってんだ。今夜辺りに、猪組の若頭がここに顔を出すってつったのお前だろう」

土方の言葉に山崎はぱちりと目を瞬かせた。
そうだった。
猪組の若頭というのがこれまた大層な女好きで、宵櫻屋をよく利用している、という噂だ。最近は江戸で幾つか店舗を拡大している呉服屋の社長妻、シマに入れ込んでいて、不倫をしているとかなんとか。シマの誕生日である×月×日、つまりは今日何かしら動きがあると睨んで、土方に憶測を話していたのだ。

「副長。やはり、今日もなんの動きもないです」
「いいから、仕事しろよ」

背中を蹴られ、山崎は慌てて望遠鏡を持った。
はいはい、ちゃあんと仕事しますよ!知ればいいんでしょう!
心のなかでぶちぶち言って、山崎は望遠鏡を覗いた。窓を僅かに開け、隙間に望遠鏡を差し込むと河を挟んで向こう側にある宵櫻屋がよく見える。
瓦屋根の上で猫が欠伸をしている以外、先刻前と特に何の変化もない。
ふいに山崎がいる位置の、丁度真向かいの部屋の障子窓が開いた。その刹那。山崎は思わず声をあげそうになった。

よく見知った人物、千草が顔を出したからだ。

――ええー!?何で、千草さんがここに!?
いや、千草さんもそれなりの歳だし、そりゃあ恋人としっぽりもあるだろうけれど。

次いで、千草の背後に見えた銀色に、再び声をあげそうになった。
だ、だ、旦那ぁぁぁ!?!?
何故、銀時と千草が宵櫻屋にいるのか。そんなの答えはひとつしかない。
連れ込み宿の目的は、男女の逢瀬。
つまりは、逢瀬をした男女、或いは同姓同士が愛し合う場所なのだ。
銀時が千草にちょっかいを出しているのか、二人の雰囲気は蜜事を始める男女のように甘い。

え、え?
旦那と千草さんって、そんな関係だったけ??
いや、旦那も千草さんに気があるような感じはしたけれど....そんな深い仲になっていただなんて。
ていうか、何時から入っていた?あれ?俺ずっと見張りしていた……。あ、ちょっと厠で大をしていたりしたから……その間に……??

ふと、望遠鏡のレンズ越しに銀時と目が合った、ような気がした。
紅い目を弓なりに細め、此方を見ている。……ような気がした。
そんなはずはない。此処から宵櫻屋まで距離はあるし夜だ。夜目が利いていたとしても、到底見えるはずがないのだ。

ーーいや、旦那のことだから。可能性は……。

山崎はぶるりと背中を震わせた。伝説の英雄、白夜叉と恐れられた男だ。
その証拠に、まるで山崎が覗いていたのを悟るように、銀時の手によって閉められた障子。

「山崎?なんだ、どうかしたのか?」

山崎の微かな動揺を感じ取ったのか土方は訝るように声を掛ける。
山崎は躊躇った。土方は確かに千草に気がある、はずだ。銀時と千草の逢瀬を報告してよいものだろうか。
副長、プライドが高いからなぁ。失恋だなんて、副長のプライドが傷付く。
さて、どうするべきか。悩んで返事にまごついていると、今度は宵櫻屋の入り口付近で大きな影が動いた。
目を凝らしてよくみると、クマと呼ばれる巨漢の男、大井熊野助と、その背後にはクマの舎弟であろう男たちが刀や銃を持ってなかに入って行くではないか。

「副長。猪組のやつらが、入っていきましたよ。しかも、クマもいます」
「あん?クマ野郎がか。おい、総悟」
「ふぁ。へい、なんですかい」

土方が無線を使って呼び掛けると、雑音に混じって眠たげな声が返ってきた。念のために、一番隊の者を数名、援軍として宵櫻屋の回りに配置していたのだ。

「クマの野郎と、そいつの舎弟たちが数名、入っていった。取り押さえろ。いいか。絶対に暴れまわるなよ。クマを押さえりゃ、下のもん達は大人しくなる。情報を引き出すことを優先しろよ」


「へいへい。じゃー、かるーく猪狩と熊狩りでもいきやす」
「斬るなっつてるだろ!」
「ザキぃそこにいるんだろい。食堂のおばちゃんに明日の夕飯はぼたん鍋がいいって伝えといてくれ。そんじゃ、また後で」
「総悟、おい!総悟っ!くそ、あの野郎、電源切りやがった!」

土方の命令を無視するかのような返事に、山崎はまた血の気が引くのを覚えた。

「ふ、副長ぉ。不味いですよ」
「あん?」
「あの茶屋、千草さんと……旦那が……いるんです」

今度は土方の開きっぱなしの瞳孔が更に開いた。盛大な舌打ちの後、コンクリの床にタバコを投げ捨て、足で揉み消す。

「それを早く言え!あのクソ天パはともか、野村を危ねぇ目に巻き込ませるわけにゃいかねーだろ!」

土方は刀を握って部屋を出る。

「あ、副長!待って下さい!」

山崎は土方の後を慌てて追った。






土方との無線をぞんざいに切った沖田は、神山含む部下に指示を出した。
正直、やくざを取り押さえるなどつまらない。
火事と喧嘩は江戸の華。久しぶりの討ち入り。存分に暴れまわってやろう。
ひたりと沖田はほくそ笑む。
報告書など土方に押し付けてやればよいのだ。
それに、先日打ち直したばかりの愛刀の斬れ味を試してみたい。

「ちょいとお邪魔しやすぜ」

宵櫻屋の中に入ると、蛇のような顔をした伊勢屋が怪訝な顔を向けてきた。

「おや。真選組のお方らが、うちに何かご用で?」
「ちょいと、なかを調べさせて貰うぜ」
「……いくら、真選組かて男女の逢瀬を覗くいうのは野暮ってもんですさかい。お引き取りを」
「生憎と、此方はもう令状を取ってんで。おい、神山ぁ」
「はいっ」

神山が伊勢屋に令状を見せている間に、沖田は茶屋の奥へと足を進めた。なるべく軋む音が出ないよう、ひっそりとした足取りで階段を登る。客間となる二階へ行くと、長い廊下の向こうで強面のやくざ達が怯えた表情を浮かべていた。

「俺のもんに手ぇ出してみろ。てめえらの組、丸ごと潰してやる」

聞き覚えのある声。沖田が今まで感じた以上の、肌を突き刺すような殺気。ぶるり。珍しく背筋が戦慄く。
−−こりゃあ、旦那のじゃねぇかよ。
何故、坂田銀時が此処にいるかは知らない。相変わらず神出鬼没で、厄介事に首を突っ込んでしまう質なのだろう。
これは楽しくなりそうだ。
知らずと笑みが溢れる。
視界の端で、こそこそと動く小男をとらえた。音も気配も消して、距離を詰め、斬る。鮮血が渋くすんでで避け、反り血を交わす。

「旦那ァ。ひとりで楽しもうなんざ、駄目ですぜぃ。俺も混ぜて下せぇ」

べろりと口の端についた血を舐める。鉄の味がした。

「し、真選組だ!」
「何で、真選組がっ」

ざわつく男らを無視するかのように、銀時ははたりと目を瞬かせた。

「そーいちろう君、なにしてんの?」
「総悟です」

視線を一巡させる。大男が隣の座敷に突っ込んで延びている。
ありゃ、クマじゃあねぇかい。旦那がやっちまったのかよ。相変わらず、馬鹿力だねぃ。
次いで、座敷の隅で縮こまるように千草の姿を捉えた。なんで、千草さんが此処に、と思ったが、今の沖田にとってはどうでもいいこと。兎に角、暴れたくて仕方がなかった。

「真選組だろうが、なんだろうが、相手は二人で、こっちは倍はいる!兎に角、そいつら片付けて、女だけ奪え!」

数で押せばいいってもんじゃねぇやぃ。

身を屈めて、相手の剣を交わし、刀の柄を溝内に打ち込む。
ひとり殺してしまったが、土方から殺すなと言われている。峰打ちだ。
次々に襲いかかってくる相手を峰打ちで沈めながら、沖田はあることに気付いた。千草の顔が些か赤い。着物は乱れていて、銀時の着流しを肩から掛けている。この騒がしさのなか、我関せずといった風に何処か虚ろな表情をしていた。
沖田はにんまりと目を細める。

「ははあ。旦那と千草さん、この茶屋でしっぽりしていたってわけですねぃ。旦那、ヤってる途中で邪魔されちまったから、こんなに苛立っていたんですぃ」
「……いや、まぁ途中っちゃ途中だけど。つうか、沖田くん、なんで此処にいるの?」
「実はかくかくしかじかでしてねぃ」
「なるほど、そう言うわけか。って分かるわけねーだろ!」

叫びながら、銀時は木刀を振って相手の顔面を殴る。顔面の骨が折れたのか、口から溢れる血を押さえながら、男は呻き苦しんだ。悶絶するような痛みは、刀で斬られて死んだほうがマシだと思うほどだ。
そんな男を邪魔だと言わんばかりに、蹴りあげ、転がす銀時の非道たること。
旦那、あんたやっぱおっかねぇでさぁ。
石鹸で洗おうが、消臭剤で消臭していようが、染み付いた血の匂いは取れない。
普段は気怠い雰囲気に隠れて気付かないが、木刀を握って殺気立つ銀時から色濃く香る血の匂いが漂う。

「ちっ。面倒なことに巻き込まねぇでくれる?俺はね、忙しいの!こんな奴らに構っている暇ねぇの!沖田君、此れは君ら警察の仕事でしょ!」

千草には近付けまいとしてか、自身の立ち位置を変えず。
しかし、銀色を靡かせながら軽やかに木刀を振り回し、時には相手が持っている刀を奪い、切る。勿論、峰打ち。
此れも、千草を気遣ってのことだろう。

「場所変えて、千草さんとのセックスの続きをしたいんですかい。いい店知っていやすぜ。SMの」
「おいおい。ガキがなんでそんなとこ知ってんだよ。その店、教えて下さい」

まるで団子屋で茶を啜っているかのような緊張感の欠片もない会話。もう殆どの男たちは伸してしまっている。
沖田は銀時の耳元に唇を寄せ、秘密をたっぷり含んだ声で囁いた。

「旦那、旦那。知っていやすか。こいつらぁ、この座敷で何やってたか。伽羅にねぃ、天人お手製の薬を混ぜて酔った女を、外国や天人の星に売り飛ばしていたんでさぁ。その薬は、女にしか効かねえ媚薬なんだそうで。千草さん、もしかしたら媚薬にあてられちまってるのかもしれやせんぜ。さっきから、焦点の合わねぇ顔していまさぁ」

そう言って、銀時の背後にいる千草を指差した。
千草は顔を赤に染め、荒い呼吸を繰り替えしていた。

「熱いよ、熱いよ。銀さ、ん。たすけ、て。銀さっ……」

焦点の合わない瞳は何処を見ているのだろうか。
譫言のように、銀時を呼ぶ。

刹那。

「クソが」

地を這うような低い声。今まで以上に色濃く立ち込める殺気。ゆらり、と動く銀色が沖田の鼻先を掠めていき、次の瞬間、意識を取り戻して起き上がろうとしていたクマの顔面に、木刀がめり込んだ。




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