井の中の蛙大海を知らず、されど | ナノ


22

仕立て屋さんが、お腹を抱えまさしく抱腹絶倒しそうなくらい笑っていた。なんでこんなに笑ってるの。私の言ったことが彼女の笑いのツボにはまってしまったのだろうか。
私は困惑を隠しきれないでおろおろしてしまう。するとしばらく日和見に走っていた飴屋さんが口を開いた。その声は笑い混じりで、面白がっているようだった。

「なんだって仕立て屋、そんなに笑ってどうしたの?」
「い、いや、だって……怖いんだったら怖いって言っていいのに……うん、んふふふっ……」

可笑しくてたまらないとばかりに仕立て屋さんはまだ肩を震わせている。
私だって私なりに深くまで考えたのに。こうも笑われるのは納得がいかない。理由だってちゃんとあった。羞恥とも怒りともつかない感情が突沸して、つい声をあげてしまった。

「そ、そんなこと言ったら気を悪くされるかなぁと思ったんですよお!」

しかし私の口から飛び出した音は存外間が抜けていて、思っていたよりずっと情けなかった。そんな私がやっぱり愉快らしい、仕立て屋さんは鈴を転がしたような声を上げる。
私はまた恥ずかしくなった。「お化けが怖い」と言ったら笑われた時と同じ気分。からかわれてるみたいだ。いや、実際問題からかわれているのかもしれないけど。
さすがに、私の態度が気になったのか。仕立て屋さんがフォローじみた発言をした。

「あなたって気遣い屋さんなんだね。」
「そんな他人事みたいな言い方しないでくださいよ、他人事ですけど……」

……なんというか、もはや脱力の域に達した。私は一体なにに対して怒っていたんだろう、という気持ちにすらなってくる。元から大してなかった勢いも削がれてしまった。
情けない心情のまま、同意を求めるつもりで飴屋さんを見上げる。飴屋さんは私の視線にすぐ気付いて微笑み返してくれた。が、なにか言うことはない。違う違う、私がしたいのはそういうことじゃないって。
そんな私を知ってか知らずか、仕立て屋さんは変わらずけろっとしている。眉を釣り上げて彼女は言った。

「お互い姿形が違うんだから怖いに決まってるじゃない。あたしから言わせたら、あなたたちの足の方がよっぽど理解不能な怪物だわ。そんな二本こっきりの足でよく歩けるものねって感じなのよ?」「気遣い屋はいいことだけど、気ばっかり遣ったっていいことないよ。みんな、あなたが思ってるほどあなたの考えてることを気にしてないんだから。むしろ怖いと思ってるのに怖くない振りをした方が自分の感情と相手を偽るほうがよっぽど失礼でしょ。」

冗談めかして言われたけれど、言葉は返せなかった。このままなにかしゃべろうとしたら言い訳がましいことばかり口にしてしまうだろう。「でも」や「だって」ばかりが頭を暴れまわるのだ。表面上はいくら取り繕えても私の中にひどく攻撃的な部分もあるんだなと思うと気持ちは暗くなる。
驚いたのは、彼女の話に納得している自分もいることだった。それもそうだと考えを改善しようとしている。多分、だからこそ「でも」や「だって」がいやに目立ってしまうのだろう。
ここまで考えてから、私ははっと気付いた。
あ。私、拗ねてたのか。
軽くあしらわれるみたいにして笑われて、自分の言動も否定されて、悔しかったのだ。ところが仕立て屋さんは嫌いにもなれないほどさっぱりとした女の子で。そも彼女の話に綻びはなかったし。
悔しいと思うのと同じくらい、好い人だと思った。
そんなんだからまだまだ心の幼い私はへそを曲げてしまったのである。なんともまぁ、我ながら子どもっぽい思考だ。こっちゃんに子ども扱いされてももう文句はいえなさそうだ。
気付いた途端にもやもやした気分は晴れて、「でも」も「だって」も自分の巣に帰って行った。納得し切ってひとりさっぱり気持ちでいると、「それはちょっと違うんじゃない?」と飴屋さんが首を捻った。
うっ、丸く収まったつもりでいたのになんでそんなことを。仕立て屋さんは少し怒ったように飴屋さんに食らいつく。

「今回の場合は状況に問題があったんじゃないかな?なんの説明もなしでいきなりだったし。」
「なによう、あたしはなにもしてないわよう!あたしがどうってよりも、飴屋が彼女にちゃんと説明しなかったのが悪いんじゃないの?」
「うーん、少しだけびっくりさせたかっただけなんだ、怒らないでほしいなぁ。」
「あなたそれ、言う相手間違ってるんじゃない?」
「あぁ、それもそうだね。ごめんよアイリス。」
「えっああ、はい?」

飴屋さんがごく自然な流れで謝罪を口にしたものだから思わず変な声が出た。それに対する突っ込みはなにもなしに、彼はおっとりと尋ねてくる。私の方に向いた彼の短い眉はハの字を描いていて、なんとなく雨に濡れた子犬を思わせた。

「許してくれた?」
「私は怒ってなんてませんから……大丈夫です。」
「あぁ、良かった。君には申し訳ないことをしちゃったと思ってたんだ。」

飴屋さんの表情がほころんだのを見てほっと一安心する。まさに花開くかような表情の変化は彼の風貌の愛嬌を一層強く感じさせた。陽気な彼に無駄な配慮をさせてしまったようで私の方こそ申し訳ない。そう口にしようとしたのだが、手を打ち合わせる音に遮られた。仕切り直しということである。

「ハイ!解決!これでなんの問題もなくなったわね!さっそく自己紹介させてもらうよ!」

私の注目をうまく集め、腰に手を当てて胸を張る仕立て屋さん。妖精屋さんほどではないけど、少なくとも私よりは肉感豊かな胸囲にやるせなさを覚えたのは秘密だ。

「もうわかってるとは思うけど改めて。あたしは仕立て屋。あなたは?」
「アイリスです。仕立て屋さん、どうぞよろしくお願いします。」
「うん、よろしくね。」

彼女が言ったのとほぼ同じタイミングで、手を置いたその辺りの背中からリボンが伸びてきた。文字通り、伸びてきたのだ。リボンはワイヤーもなしに宙に浮かんで、蛇行しながら私の方に向かってくる。
仕組みは置いておくとして、どれくらいまで伸びるのかとちょっとわくわくしたがリボンは私の目の前で止まった。私と仕立て屋さんはカウンターを隔てているからリボンの長さも相応に長い。目測でも私の腕の長さじゃ足りないことは明白だ。
これはどうしろってことなんだろう。顔を伺ってみると、彼女はわずかに顎をあげて勝気な笑みを浮かべた。

「あの、これ……」
「あたしの腕のうちの一本だよ。ほら、握手しましょ!」

そうは言われてもてろんてろんのリボンを握るのははばかられる。どうなるのか想像するのも難しい。ちょっとだけ躊躇ったけど、このリボンがどうなったところでいい。破けることもあるまい。
弱めの力で掴んでみる。思いの外、形状は保たれたままだった。くしゃっと小さくなったりせず原型をとどめている。リボンは手のひらのラインに沿ってしなり、表面のすべらかさに私はこそばゆさを感じた。どこからどう見てもリボンはリボンだけど、動きの自由度はなかなか本物の腕に近い。神経なんかも通ってたりするんだろうか。気になることはたくさんあったものの、私はひとまず手をちゃんと握り直してしっかり上下に振った。

prev / next

[ back to top ]



×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -