井の中の蛙大海を知らず、されど | ナノ


23

「ところでアイリス、ここに来てから何人くらいの人に敬語やめなよって言われた?」
「え?えっと多分……これくらい。」

尋ねられたので、仕立て屋さんの手……リボンを離し、指を折って見せる。仕立て屋さんは呆れたようにぐるりと目を回した。

「あたしも同じことを言わせてもらうわ。敬語じゃなくてタメ口で話して。」
「わ、わかった。仕立て屋さん、私と同じくらいっぽいもんね。」
「さん付けもいらない!呼び捨てしてよ!仕立て屋、でお願い!」

息も荒く身を乗り出す仕立て屋さん。明らかに「お願い」って口調じゃないよ、それ。ついつい苦笑いをしてしまう。
でも怒ってるわけじゃないんだろう。さっきの飴屋さんとの会話を思い出してみる。喋り方がキツいというか、勢いが強いのかもしれない。表情もちょっと気が強そうな感じするし。そういう性格と思えば、なんてことはなさそうだ。
それにしてもここの人たちがこんなにもフラットな口調にこだわる理由ってなんなんだろう。仲良くなってから崩すのじゃ駄目なのかな。別に拒否するような理由もないから、受け入れはするけど。

「はいはい仕立て屋、わかった。わかったから。」
「そうそれよ。ありがとう、それでいいわ!」

仕立て屋、と呼ぶと彼女は「なぁに」と言って顔をほころばせる。ぐいぐいくるタイプの女の子って正直ちょっとだけ苦手意識があったんだけど仕立て屋はかわいいなぁと思った。
ふたりで微笑みあっていると、咳払いが間に割って入った。飴屋さんだ。片目だけつむって私を見ている。

「ね、俺も敬語はヤなんだけどなぁ。」
「飴屋さんは明らかに私より年上じゃないですか。敬語使っててもいいでしょう。」
「そんなことないと思うんだけどな。違ったって、三つ四つしか違わないでしょ、きっと。」

飴屋さんは唇を尖らせた。彼は不満をわかりやすく顔に出す類のひとらしい。お兄さんっぽいイメージだったから、少しだけ意外。
しかし申し訳ないが飴屋さんにタメ口をきく気はちっともおきない。案内屋くらい年が離れれば、あるいは奪い屋くらいちゃらんぽらんになれば、敬語も不要かなって判断できる。彼らを比べるのも失礼な話ではあるが、穏やかでちょっぴりイタズラが好きな飴屋さんはあんまりにもよく『できすぎて』いた。
つまるところ、私から見て飴屋さんは眩しいのだ。敬語を使わなくてはいけないという気持ちがどうしても働いてしまう。そりゃ、仲良くなりたいとも思うけどさ。へっぴり腰になってしまうこの気持ちだって、理解されていいはずだ。
仕立て屋ならわかってくれないかな、と彼女を見返ってみる。目があうと、仕立て屋はこっくりと首を傾げた。

「あたしもさ、"イノナカ"に住んでる人に敬語とか使わなくていいと思うんだよね。年齢なんてバラバラだし、そんな細かいこと言ってたら敬語ばっかりになっちゃうじゃない。」
「それは仕方ないんじゃない、かな……?」
「それでも敬語はまどろっこしいじゃない。」

悪気なさげで、むしろ不思議そうにも見える表情である。あぁ、私の味方、ちょっと年上のお兄さんにどきどきしちゃう年頃の女の子の気持ちの理解者はいなかった。それとも私が箱入り娘すぎるのか。少なくともシャイではなさそうな二人を納得させることはなかなかどうして難しい。
ふと気が付けば艶やかに光を跳ね返す四つの目が私を見つめている。彼と彼女の瞳は、メリーアンの眼差しを思い出させた。なんて眩しい視線なの。

「ねぇアイリス、これをきっかけに"イノナカ"タメ口計画始めようよ。簡単な言葉のほうがきっともっと仲良くなれるって!」
「でも……」
「さっき奪い屋のことは奪い屋って呼んでたのに、俺のことは飴屋さんって呼ぶなんて他人行儀すぎるよ。」
「そ、それは、その……」
「飴屋とオレってタメなんだぜ、こう言ったら抵抗なくなるだろ?」
「お隣さんなんだから、親しみを込めて飴屋と呼んで欲しいのに。」
「ちょっと待って今なんか変なの混ざってなかった?」

矢継ぎ早に浴びせられていた言葉がぴたりと止まる。同時に、飴屋の手が軽く持ち上がるのと仕立て屋の顔が急速に凍りつくのを見た。あ、なんとなく予測できたぞ。後ろ見たくないなぁ。
しかしまぁ確認しないでいるわけにもいかない。気が進まないままに振り返る。するとそこには案の定、意気揚々といった感じに奪い屋が立っていた。前髪をかきあげて格好をつけたポーズを決めていたからちょっと吹き出しそうになってしまったけど。昨日と変わらない様子で「よぉ、アイリス!」なんて言って私に手を振る。

「呼ばれて飛び出てなんとやら、奪い屋様ご本人登場だぜ!」
「いや呼んでない。呼んでないわよ。」

奪い屋の、ちょっと粋がったような物言いは標準装備らしかった。対する仕立て屋はさっきまでの機嫌良さげな姿はどこへやら、にべもない対応だ。彼女の細い眉はハの字を描き、つり気味の目は半分シャッターを下ろしている。例えて言うなら潔癖症の人が泥団子を見た時の表情。
そうであったところで奪い屋はお構いなしにずんずん歩み寄ってくる。別に目が悪いってわけでもなさそうなあたり、彼女が嫌そうな顔をするのを面白がってるのかもしれないと思った。

「いーや嘘だね。奪い屋って言ったろ、な?」
「だから言ってないってば。」
「うんそうだね、俺は言ったね。」
「ほーら。」
「ちょっと飴屋!あたしは呼んでなかったんだから!」
「奪い屋の名前が出たのは事実でしょ。」

仕立て屋がきー!と声を上げる姿は、なんだか子猫が全身の毛を逆立てて威嚇するのを思い出した。のほほんとのたまって見せた飴屋さんはなんというか、強い。
元凶の奪い屋を見てみれば、二人をかわるがわる愉快そうに眺めていた。唇の端はぐうっとつり上がっていて鋭い犬歯が見える。楽しそうだなぁ、なんて眺めてたら本人と視線がかち合った。
すると彼は凶悪ともとれるほどに笑みを深める。あ、これだめなやつだ。危険を察知するセンサーが頭の中でちかちかと点滅する。奪い屋のまん丸で小さな緑色の瞳が揺らめいたそのすぐあとに、おもむろに二人に割って入っていった。

「ま、そんなことよりも今はアイリスちゃんの方だわな。」
「あぁ、それはそうだね。」
「飴屋には同意するわ。」
「素直にオレと同じですーって言えばいいじゃんかよぉー。」
「あなたと一緒なんて死んでもお断り!」

おやおや?なんだか雲行きが怪しくなってきたぞ。
仕立て屋、飴屋、奪い屋が一斉に私を振り返る。ひぃ。自然と喉が引きつった音を吐き出した。

「えっ、あの……」
「さぁアイリス、堪忍しろよ?」
「えええー…」

結局、三対一の押し問答に私が押し負けたのは言うまでもない。
というかここまできたら全部くだらなく思えちゃった、というのが実情ってところかな。馬鹿馬鹿しくもなっちゃうよ、まったくね。

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