井の中の蛙大海を知らず、されど | ナノ


21

「……そう、つまり奪い屋は薬師にだけは頭が上がらないってわけ。あの奪い屋が子犬みたいに見えるんだよ。本当、面白いからアイリスにも見せたいよ。」
「それは、私もちょっと見てみたいかも。」
「でしょ?でもあんまり奪い屋は薬師のところには近寄らないんだよね。」
「やっぱりそうなんですか。」
「やっぱりそうなんだよねぇ。」

雑談をしている間にも、ひらりひらり、前を歩く飴屋さんの服の裾が揺れる。少し跳ねるような歩き方はどちらかというと女の子っぽい。鼻歌でも歌い出しそうで、すこぶる楽しそうだ。
彼の出してくれたお茶は、今まで飲んだこともなかった味だった。アップルティーほど主張せず、ハーブティーほどえぐみがなく、ミルクティーほど甘すぎなかった。一体あれはなんのお茶だったのだろう。おかげで飴を舐め終わった後でべたついていた口が大分さっぱりした。"イノナカ"のどこかにいるらしい紅茶屋さんから買ったとのことなので、いつか行ってみたいなぁと思う。
これから私と飴屋さんは先刻言った仕立て屋さんに行くところだ。ところが彼の口からは一向に仕立て屋さんの話が出てこない。私だって仕立て屋さんがどんなひとなのかくらい知っておきたい。
ので、「ところで、仕立て屋さんってどんな方なんですか?」と尋ねてみる。すると飴屋さんは私を振り返って、にっこりと口の端を上げた。

「それは行ってみてのお楽しみ。きっと、アイリスもびっくり仰天するんじゃないかなぁ?」

なるほど。飴屋さんが楽しそうでなにより、って感じ。彼もなかなかイタズラが好きというか茶目っ気のある人なのかもしれない。


彼が立ち止まったのは、なんの変哲もないお店の前だった。仕立て屋って言うのだから大きなショーウィンドウでもあるのかと思ってたけどそんなことはないらしい。
これから私も"イノナカ"で初めての買い物をするわけだ。ちびっちゃい子のはじめてのおつかいよろしく、緊張してきた。神妙な気持ちのせいでなにも言えない。
そんな私に飴屋さんはちょっと視線を寄越す。かと思えばなんの言葉もなくお店の扉を思いっきり押し開けた。彼は動揺する私なんかお構いなしにお店に入ってしまったので、私も同じくしてお店に駆け込む他ない。まだ心の準備が出来てないのに、してやられた!
あんまり慌てて入ったものだから、おもむろに歩みをとめた飴屋さんに鼻をぶつけかける。勢いを持て余しつつ私も立ち止まれば視界のほとんどは飴屋さんの背中になってしまった。このお店の主どころかほとんどなにも見えない。仕方なく場所を少しずらして中を見ようとした時に部屋の奥から聞こえたのははきはきした元気のある声だった。

「あ、飴屋!いらっしゃあ、い……」

が、音は絞られるように小さくなる。ちょうど顔見知りに語りかけようとしていたその人は、私とばっちり視線がかち合ってしまったのだ。
仕立て屋さんは私と同じくらいの年の女の子だった。顔の半分は前髪で隠れているけど、凛とした面立ちが伺える。背中に流れる髪もボリューミーなのに暗い顔に見えないから不思議。多分、眉の釣り上がり方とか口元とかの表情に快活さが出ているんだろう。
彼女の持つ色彩、これもまた変わったものだった。肌は異様に白くて肌というよりは陶磁器のようで、髪も赤に近いラズベリーのような色だったし瞳なんかはすみれ色をしている。だと言うのに漫画やアニメのような違和感は全くない。彼女は飴屋さんとはまた違った人外っぽさがあった。
目があってしまった手前、話しかけるのには勇気が必要である。飴屋さんからちょっと顔を覗かせて挨拶するのが限界。あんまり愛想のない言い方ならないように、声が小さくなりすぎないように、などとひどく気を使うくらいの余裕があったのは幸いだった。

「はじめまして……」
「あぁ、はじめまして新米ちゃん!ようこそ"イノナカ"へ!」

仕立て屋さんが犬歯を見せて笑う。フレンドリーな雰囲気で、こういう子花形運動部にいそうだ。
などと思っていたらいつのまにか剣呑な目つきになっている。ほんの一瞬気をそらしただけなのに。なにかしちゃったんだろうかと背中に汗をかいていたら、彼女が口を開いた。

「飴屋ったらひどいわ、なんか一言言ってくれてもいいじゃない。」
「そんな、突然のことだったんだから無茶なことを言わないでよ。」

飴屋に文句を言いたかったのか。言われている方は特に気にした様子もなくあっけらかんとしてたけど。正面は見えないからわからないものの、きっと飴屋さんの顔は相も変わらず穏やかなままだろう。

「せめて店に入る前に言うとかあるでしょ!せっかく女の子来てくれたのに準備してないとか、恥ずかしいじゃない!! 」

頬を両手で隠して身悶えする仕立て屋さんは憤慨してるはずなのにかわいい。なんというか、女の子だなぁ。私にはきっと死んでもできない可愛らしい動作だ。
でもそんなに照れなくても、と思った私は飴屋さんの後ろから出る。おかげで飴屋さんの影で遮られていた仕立て屋さんの全身が見え、そして私は目を疑った。

仕立て屋さんの足があるべきところ、つまりは腰の真下は空白だった。その代わりにと広がったエプロンから斜めに伸びているのは四本の艶めく黒。それは到底人の足と呼べないような代物で、例えるなら蜘蛛の足に似ていた。
蜘蛛の足とは言ったが表面は硬質な甲羅で覆われている。タランチュラみたいな毛むくじゃらな足ではない。だからだろうか、虫に抱くような嫌悪感はさほどなかった。それでもこれほどまでに人ならざる生き物を目の前にしたらどうしても背筋が凍ってしまう。
彼女の足たった一本だけ、しかも先端部分だけでも、私の喉を潰せるだろう。仕立て屋さんを見て体が動かなくなってしまったのは異形の生き物と対峙することによる絶対的な恐怖、生物としての本能だ。
正直、すごく怖い。
悲鳴をあげていないのもタイミングを見失ったせいだ。そうできるだけの余裕がない。今すぐ逃げ出したいとすら思ってしまう。これもまた、出来ないことだから思うだけだけど。化け物、なんて言葉すら頭をよぎった。
私を放心から引き戻したのは他でもない、彼女の声。引きつったその声は明らかに「やってしまった」という焦りが滲んでいた。

「あー……足、見えちゃった……?」
「あ、えと……はい……」

問いに対してはしどろもどろになりながら頷いた。あぁ、空気の凍りつく音が聞こえる気がする。

「……こんな気持ち悪いモノ見せちゃってゴメンね?」

はっとして視線をあげた時、私は仕立て屋さんの足に気を取られていたことに気付く。同時に私の顔が今までになかったほど強張っていたのもわかってしまった。
再び目があった仕立て屋さんは、微笑んでいた。彼女は怒った様子もなくてむしろ申し訳なさそうにちょっとだけ肩を竦めているだけだった。その笑い方は悲痛で、ひどく寂しそうで。
思わず視線をそらすと彼女の手がもじもじとエプロンを引っ張ったりこねくりまわしたりしていた。そんな些細な動きでさえ私の目には自らの足を隠そうとしているようにしか見えない。胸に杭を打ち込まれたような衝撃に目が眩む。
そうだ、仕立て屋さんの足は確かに人じゃあないけど、逆に言うなら人である部分もあるのだ。それなのに私は彼女のことを化け物じみているとすら思ってしまった。それがどれほど失礼なことかもわからず。言葉だけならまだしも、表情に出てしまったものならなおさら。失態は取り消せない。
後悔に苛まれて耐えられなくなった結果、私の口はミスを挽回をするべくマシンガンみたいに動き出していた。

「きっ、気持ち悪くなんかないですよ!これでも虫は見慣れてるんで!うち、い、家が古くていっぱいいたんですよ!蜘蛛とかうじゃうじゃいましたから!巣とかはってましたから!大丈夫です!耐性あります!大丈夫です!」

あんまりにも強く言い過ぎたせいで息が切れる。声の上がり方も尋常じゃなかったし、あからさますぎたかもしれない。これではむしろ逆効果じゃないの。再び後悔の波が襲い来る。いたたまれないとはこのことだ。
でもだめだ、これじゃあだめなんだ。後悔してるだけじゃいけない。逃げたらいけない。私は彼女にひどく失礼な態度をとってしまったのだから。意を決して仕立て屋さんの目をしかと見返す。これでもう三度目だ。
彼女は面を食らったのかぽかんとしていた。彼女はなにも言わない。なんの表情も表さない。あぁやっぱり気分を害してしまったのか、それとも怒ってしまったのか。
地獄のような沈黙が場を支配した。それが破られたのは五秒もたたない間だったのか、三分くらいだったのか私には判断がつかなかった。「ぷっ」と吹き出すような音がしたかと思えば忍び笑いが聞こえて、そしてそれが爆発したことによって誰のものだったのかがわかった。

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