井の中の蛙大海を知らず、されど | ナノ


20

私のお隣さん、飴屋さんははつらつとした好青年だった。
顎のラインはしゅっとしていて、髪の毛もさらさら。ふわっとした袖の服を着てるからよく見えないけど、袖口から覗く手首は細い。ぱっちりした瞳には光がきらめいていて、そのへんの大学生なんかよりもずっともっとかっこよく見える。

「この度隣に住むことになりましたアイリスです。どうぞよろしくお願いします。」

しかもわざわざ目の前まで来てくれたものだから、私もおじぎをしてしまった。声が上ずったのはもちろん、飴屋さんのかっこよさのせい以外の他ならない。
すると飴屋さんは愉快そうに笑い声を上げた。なんだかここに来てから私は笑われてばかりいる気がする。"イノナカ"の人は真面目くさった態度の人を見ると可笑しいと思うのかもしれない。不快感がないのは彼らの笑いが嘲笑でないからなんだろう。

「かたっくるしいなあ。そんな他人行儀じゃなくていいよ、俺のお隣さん。ほら、もっと肩の力抜いて!」

ひぃ、肩を叩かれた!
とは言ったけど、軽くぽんぽんと叩かれただけだ。ところが私は女子校育ちの身、奪い屋の接近にもびっくりしたしさらには彼よりはるかにハンサムな飴屋さんにボディタッチされたとなれば私もくらくらしてしまう。そも、家に男の人がいないから身近な成人男性と言えば学校の先生くらいしかいないのだ。だから耐性がなくて当然だ、と言い聞かせることで私はなんとか変な声をあげずに済ませる。
近くで彼を見て、飴屋さんの耳が側方に平たく伸びていることにようやく気が付く。どうやらこのひとも人間ではないらしい。ちゃんとした名前も思い出せない、昔々の絵本なんかで見たイタズラ好きな妖精が頭に浮かんだ。
考えていたことのせいなのか、飴屋さんの顔が少しだけ幼く見える。もしかしたら笑い方が子どもっぽいのかもしれない。

「ほら、ちょっとうちへおいでよ。散らかった店でもお茶の一杯くらいご馳走できるさ!」

そんな彼が、あんまりにも屈託なく誘うものだから。つい頷いてしまった。持参したお菓子もお土産も持っていないのに。……いや、飴屋さんにお菓子を持って行くのは変な話か。
私は言われるがまま、彼のお店に上がった。
部屋の灯りは明るいオレンジ色で明るい雰囲気。それで右手、左手、奥の壁、三面がほとんど棚で覆われているものだから驚いた。棚の引き出しはどれも真四角で、よくわからない文字の書かれたシールがラベリングされてる。
奥の壁の前に置いてあるのは飴の詰まった透明なパイプ。五、六本ほどあって、いかにも飴屋って感じがする。さらにその隣にガムボールマシーンが並べられていた。もちろん、中に入れてあるのはガムボールじゃなくて飴だ。
部屋の真ん中にはペンやら紙のようなもの(紙と呼ぶには少し固そう、もしかしたら羊皮紙と呼ばれるものなのかもしれない)やら飴の包み紙やらなんやらがごちゃっと置かれた大きな机があった。お店だって言ってたのに、これでいいのか。お店の清潔感を保ったまま散らかすってなかなか難しいだろうな。なんとなく、妖精屋さんのお店を思い出した。
ぼんやり突っ立っているうちに飴屋さんが巾着袋をカウンターに乗せる。重たそうで不恰好にごつごつした袋だった。

「これは……」
「はじめましてのご挨拶。遠慮なく受け取って。」
「え、いやそんな、」
「いいんだ、親切心なんだからちゃんと受け取って欲しいな。」

そう言われたらもらうしかないや。私がなにか物を持って馳せ参じるべきだったのに。調子が狂うというか、私の考えていたのと違ってやりづらい。
袋の括られた紐を解く。袋は見た目よりは軽かった。覗いてみると、中でひしめいていたのは柔らかい色をした星形の粒。

「……こんぺいとう?」
「あぁ、わかる?アイリスはこんぺいとうのある世界から来たんだね。」

一瞬、飴屋さんの言ってることの意味がわからなかったけど、確かに言われてみればこんぺいとうのない世界から来た人もいるわけで。一目見て飴だとわからないひともきっといるだろう。
言い当てられたことが嬉しかったのか、飴屋さんは機嫌良さげな得意満面といった表情で話をする。

「俺の作るこんぺいとうってね、結構人気なんだ。お星様みたいだねってみんな言ってくれる。必要なものがあったら、それと交換したらいいよ。一掴み分でも一週間は食わしてもらえるさ。」
「一週間!?」
「そ。ここ、量が少なくて価値の高い物に対しては多いくらいのものと交換してくれるんだよ。」

驚きのあまり頭のてっぺんから声を出してしまった。こんぺいとうでそれだけ生活できるなら、私はしこたまこんぺいとうを買い込んでここに戻って来たい。まぁ、実際はよく考えなくても"アオ"が出るまでは"イノナカ"の外に行けないからそんなことはしないけど。我ながら邪なことを考えてしまったものだ。
巾着の口を縛り、大切に抱える。すると飴屋さんが今度はポケットから三本の棒付き飴を取り出した。

「ついでにもいっこ飴あげる。オレンジとメブラッカとドゥスノだったらどれがいい?」

彼は今オレンジ以外なんて言ったの?
包み紙から透けて見える飴の色はオレンジ色と薄い黄色とピンク色。オレンジって名前が挙がってたんだから果物系の飴なんじゃなかろうか。

「じゃあオレンジでお願いします。」

残り二つがわからなかったから無難にオレンジをもらった。こればっかりは致し方ない。
飴は手のひらより二回りほど小さいくらいの大きさだった。かわいらしく結ばれたリボンをほどき、私は飴を頬張る。
まずはじめに甘ったるすぎない、柑橘類らしい爽やかな酸味が鼻を抜けた。味もはっかほどはすぅっとせずはっきりしている。こんなにフルーティな飴は初めて食べた。想像以上のおいしさだった。

「あ、飴!おいしいですね!」
「へへ、ありがとう。これロリポップって言うんだ。手間がかからない割に人気でね、そのおかげでこんぺいとうと同じ量あっても価値が低いの。」

しゃべりながら飴屋さんは服のいたるところからロリポップを取り出す。まるで手品師みたい。ロリポップは一本二本三本と増え、最後には両手に十本のロリポップを持っていた。
そして机のどこからか引っ張り出した天秤にそれらを全て乗せ、反対側には私のもらった巾着とよく似た袋を置いた。天秤はロリポップの方に傾いている。

「こんぺいとうは作るのが大変だからあんまりたくさんは作れないんだよね。だから自然と量が少なくなって、価値が上がるってわけさ!」

ちょいとつつかれた天秤の、ロリポップが乗った皿が上がった。あれ?
しゃがんでちゃんと見てみても仕組みはわからない。どうなってるんだろう。天秤を爪先で触れたり上から見たり、いろいろしてみてもわからない。
首を捻って考えているうちに、飴屋さんが私を見て肩を震わせる姿が目に入る。うっ、すごく恥ずかしい。耳が熱くなるのが自分でもわかった。どうしてもどうにかしたかったから全力で話題をそらす。

「あの!これだけあれば洋服と交換できますかね!」
「ん、あぁ。おつりがくるくらいなんじゃないかな。」

笑いの余韻を含んだ声で告げられる。さりげにずっと気になっていたことだった。あぁ良かった、これで一人コスプレ大会から抜け出せる。

「アイリス、仕立て屋の場所はわかる?」
「いいえ知りません……」
「じゃ、連れてってあげる。俺からも頼み込んだら安くしてくれるかもしれないし。」

ここにはサポートしてくれるひとが絶えずいて安心はできる。けど、昨日からいろんな人にお世話になりっぱなしでやっぱり心地が悪い。
それでも私はそれを享受するしかない立場なのだ。おとなしく親切にされていようと思う。

「ありがとうございます、なにからなにまで申し訳ありません……」
「まだ"イノナカ"に来たばかりなんでしょ?いいんだよいいんだよ。」

「昔俺もいろんなひとにお世話になったんだよ」と言って目を細める飴屋さんの横顔は、まるで絵画のようで、見惚れてしまうほど美しかった。
彼が懐かしむようなその表情をしていたのはほんの一瞬のことだった。次の瞬間には人懐こい顔をまた私に向ける。

「でもそれはまたあとでかな。まずはお茶を飲もうか!」

飴屋さんは机の上からやかんを持ち上げた。彼がお湯が沸かしに行く間、私はティーポットとカップを探して待つ。物探しは得意だ、飴屋さんが帰って来る前に見つけ出したいところだ。

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