井の中の蛙大海を知らず、されど | ナノ


19

「それが、あなたの器ね。ずっと大事そうに握りしめてるもの。」
「……あ。」

無我夢中で走り出した時、どうやら机の上にあったのをひっつかんできたらしい。こっちゃんの指摘で私は初めて気が付いた。手の中にあった望遠鏡を見下ろし、私はこっそりため息をつく。なんでこんなもの持ってきちゃったのか。
器を持ち歩く人は多いと言われたけど、実際望遠鏡を持ち歩くのはなかなか難しい気がする。筒が短くなるタイプだから手のひらサイズまでは縮むもののポケットにいれると目立ってしまう。大した使い道もないし、もしかしたら重大なセレクトミスをしてしまったのかもしれない。

「知らない星しかないし、第一これ星見るための望遠鏡じゃないから役には立たないよね……」
「あら。いいんじゃない、役に立たなくても。それは役に立てるためのものじゃないんだから。」

器っていうのは「そういうもの」なのかもしれないけど。手に持ってるのは邪魔だし、手に持っていたらうっとおしくなることもありそうだ。
おうち待機かな、なんて考えてはみるものの、それじゃあ"アオ"が出ないかもしれないし。手のひらに収まった私の器を見下ろすと、なぜだか胸の奥がじくりと疼いた。
黙ったままでいると、こっちゃんが「ほら、これ見て。」と私の手を導いてみせる。導かれた先はこっちゃんの胸の上、首から下げられた懐中時計だ。歯車の規則正しい回転が鼓動のように指先から少しだけ伝わってくる。
懐中時計の艶っぽい黒の文字盤には金色の数字がずらりと円を描いていた。ただ、針の数は四本あって、長さがどれも等しい。全て異なる意匠を凝らされているから見分けはつくけど時間の読み方はわからなかった。

「わたしの器なんかはぜんまい式の懐中時計よ?役に立つか立たないかで言ったら、断然役立たずよね。」
「まぁ、確かに……」

それでも時計ならば持ち歩きには困らないだろうに。私が海賊かなにかだったら望遠鏡を活かせたんだろうけど……そうじゃないことは言わずともわかってる。
だけどなにかが引っかかる。
こっちゃんの器、器ってなんだったか。何を満たすための器だっけ――

「こっちゃん、"アオ"は?こっちゃんの"アオ"はどれ?」

こっちゃんはふぅと息を吐いた。それからちょっとだけ肩を竦めて、なかなか寝付かない子どもをあやすように愛おしそうな動作で時計を撫でる。

「これねぇ、文字盤の色がわたしの"アオ"なの。名前はそうね、確か、ミッドナイトブルーって言うんだったかしら。」

もう一度じっくり文字盤を見てみる。どれだけ見つめても、文字盤の色はやっぱり黒にしか見えなかった。月明かりの下じゃやっぱり正しい色は見えないみたいだ。
ミッドナイトブルー、真夜中の青。私の視界の半分を覆うこの空みたいな色なのかな。しかしそれは果たして、あおいろに分類して良いものか。あんまりにも黒に近すぎる気がする。
物思いにふけいっていたら、「ねぇ、アイリス。」と呼びかけられた。

「あおさの測り方ってあると思う?」
「え?」

脈略のない投げかけに、思わず素っ頓狂な声を出してしまった。そんな私にもこっちゃんはにこにこしながら問いかけを噛み砕いてくれる。

「わたしのあおいろ、わたしのミッドナイトブルーがどうして"アオ"に含まれるのか。どこからどこまでがあおいろになるのか。そういうのの測り方ってあるのかしらね、って話よ。あなたはどう思う?」

あおさの測り方。
どうなんだろう。形のないものでも、測れるものは測れる。色に関してはそれが適応されるんだろうか。パソコンとかの機会を通した時に赤味がどうとか緑っぽさがなんとか、数値で表してたけど。でもだからといってそれが全てなわけはなくて、私から見たらあおなのに数値化したら緑だとか紫に分類されることだってある。
というか、最初から私の見ている色と同じ色を他の人が見ているとも限らないのだ。例えば色盲の人なんかは私とは違う世界に生きているわけだし。牛とか馬なんかは色の区別がほとんどつかないらしくて、青と赤の違いもわからないということをどこかで聞いたことがある。
そう、この"イノナカ"にいるのは人間だけじゃない。"アオ"が識別できない生き物のひとだっているかもしれない。それじゃあ、あおさの測り方ってなんだろう。あおいろってなんなんだろう。
……もうだめだ。昼間から考え事ばかりしすぎて頭がパンクしそうなんだ。私は両手を上げて降参の意思を示す。

「難しい、なぁ……」
「ふふ。そうよね。答えなんて簡単に出ないわよ。」

誰もがすぐに答えられるような質問ではなかったらしい。こっちゃんも案外意地悪なことを聞くものだ。でも、こっちゃんがあんまりにも無邪気になぞなぞでも出すみたいに話すから怒る気にはなれなかった。

「ここ、ぼーっとする時間結構あるから考えてみるといいわ。」
「うん。ありがとう。」

そうは答えたけど、考えなくちゃならないことが山積みの私が彼女のお題について考える時間は相当後回しになりそうだった。
あーあ、ママのこと、どうしよ。
考えるとおなかの中はずっしりと重たくなるけど、不思議なことにさっきより追い詰められた気分ではなかった。



目が覚めたとき、何時だかわからないのは結構不安だった。ベッドサイドには使い慣れた目覚まし時計もなく、ここの時間がどういう風に進んでいるのかもまだ知らない。これからどうしようなぁ、なんてことを空っぽの頭で考えようとするも上手くはいかない。
不安で泣き出すほどの精神力のくせに、まくらが変わると眠れないタイプでもなく。こっちゃんと別れて部屋に戻ってからすぐにぐっすり眠れてしまった。案外私も図太いものだ。
あおさの測り方。それにまつわる会話。
ぼんやり頭の中に流れる会話は夢だったかか現実だったか。隣にたたずんで私に語りかけてきたこっちゃんのいかにもお姉さんらしい大人びた顔はやけに鮮明だった。もしかすると現実の会話を夢の中でもう一度繰り返したのかもしれない。考えてみるのもいいかもしれないなぁ。
窓の外を見る限り、太陽の位置はまださほど高くもないから昼までぐーすか眠りこけていたということはないはずだ。まだ気だるい体を奮い起こしてブランケットから這い出す。
さてこれからどうしようか。やるべきことを考えないことにはなにも始められない。
まず服が必要だ。いくら制服が丈夫とはいえずっと着てるのは問題があるだろうし、正直コスプレみたいでみっともないような気がする。
あとは、引越しをしたら隣近所の人にご挨拶しないと。引っ越し蕎麦なんて持ち合わせてないから手ぶらになってしまうけど。
目服の調達、お隣さんへの挨拶。思いつく限りでこなすべきことはこの二つかな。
ひとまず私は制服を着て、家の鍵をしめた。家にいたって仕方が無い。案内屋に服のことを聞きにいってみようと思ったから。なんだか緊張する。聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥の精神で行くのだ。
案内屋の家の場所は聞いたからわかる。さぁ出かけようと回れ右をした。

「ん?」
「あ。」

と、何気なく横を見た時。開け放たれた隣の家のドアからその家に住んでいると思われるひとがちょうど現れ、しっかり目があってしまったのだ。驚きと気まずさで口元が引きつるのを感じる。
そのひともこちらもまたびっくりしたようでぱちぱちと瞬きしては目を丸くしていた。さてなんて言おうかと私の胃が痛くなる前に、そのひとが破顔した。

「やあ君、見慣れない顔だけど新しい子だね?はじめまして。俺は飴屋っていうんだ、よろしく!」

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