井の中の蛙大海を知らず、されど | ナノ


15

思わず深くおじぎをしたら、妖精屋さんは「あらあら〜」と言ってまた笑う。するとなんだか急に気まずくなってきちゃって、頭を上げるにも上げづらくって困った。

「若い娘さんらしくってかわいいじゃな〜い。」
「え、ありがとうございます?」
「お礼言ってばっかりねぇ、貴女。」
「あ、あ!そうですね、ごめんなさい。」
「ふふ、そんな反応してくれるなんて嬉しいわ〜。うぶな子って、最近少なくてねぇ。」

あ、私、遊ばれてるな。
ここにきてようやく気が付いた。
気付いてしまったらもう、あとは恥ずかしいだけだ。耳の辺りがほてっているから、私の耳はきっと赤いんだろう。学校でもたまに友だちからからかわれるけどいつまでたっても慣れない。心の何処かでは慣れたくもないな、とは思ってる。
ぼぅっとしてる時間が人よりちょっとばかし多すぎるんじゃ?と言われることもあった。まぁ、今は妖精屋さんが楽しそうだから構わない。

「あの、ちなみになんですけど……これってほんとだったらどんくらいのお値段、だったんですか……?」
「お値段?」

上目遣い気味に、一番気になっていたところを尋ねてみた。下世話な話ではあるけど、やっぱりそこは気になってしまう。
すると妖精屋がはて、と二三度まつげをたっぷり上下させたのち、視線を私の隣……つまり案内屋がいる方に向けた。つられて私も案内屋に向き直る。彼女と私の眼差しがつらいのか、彼は居住まいをわずかに正した。

「もしかして貴方、お話しなかったのぉ?」
「……すまない。すっかり忘れていた。」
「案外抜けてるとこあるのね〜ランタン頭さん。」

妖精屋さんが、微笑みを浮かべたまま頭を傾ける。案内屋はやれやれといった調子で肩をすくめた。どうやらまだ説明を受けていないこの世界の話があったらしい。
案内屋の様子はさっきまでの奪い屋たちといた時とは随分が違うようで、なんだかおかしくなってしまう。失礼だから頑張って押さえ込んで、ぎりぎりのところで笑いをこぼすまではいかなかった。しかし男の人とはいくつになっても女の人にはかなわないんだろうなぁと理解するには十分だった。
さて、と仕切り直しの常套句をつぶやいてから案内屋は私を見た。そして最初と同じ、優しく言い聞かせる口調で話す。

「"イノナカ"で金銭は流通していない。物々交換が主流なんだよ。」
「物々交換……」

ここは、物々交換で成り立つ狭い社会なのか。なんだか、いなかの農村みたいだ。いなかの農村について、何か具体的な知識があるわけではない。ただ、慣れればなんてことはなく暮らせるんだろうなと思っただけだ。
物々交換ということは、私はこれからここでなにかを買い求めようとする時はお代の代わりになにか渡す必要ということで。学校のカバンも、生徒手帳すら向こうの世界に置いてきた私は差し出せそうなものを持ち合わせていなかった。あるものはこの身と制服、それから使い古したハンカチがあるくらいだ。……ハンカチはともかく制服を渡すのはちょっと困る。

「最も、君はまだ交換に出せるものがないから住民の善意に頼ることになる。君が職に就くまではみんな君に物的代償を求めることはないだろう。」

電気が流れ込んだかのように、こめかみが痙攣する。あぁ憂鬱だ、と思うことがあるとたまにこうなるのだ。
私なんかのためになにか損害が出るんじゃ、なんて考えは少しばかり傲慢なのかもしれない。でも人様に迷惑をかけてしまうのは気分が悪い。自分のせいで誰かが損をしなくちゃならないことが、私はたまらなく嫌だった。
不安とも焦燥ともつかない微妙な気持ちが膨れ上がる。黒くてぐずぐずしたそれが暴れ出してしまう前に、案内屋が穏やかな声色で言ってくれた。水を含んだ筆にちょっぴり絵の具を含ませるように、ほんの少しだけ笑い声をにじませて。

「なに、恩返しが出世払いってだけだ。"イノナカ"の住民は皆、落ちて来た時君と同じように他の住民に世話になっているから快く面倒を見てくれるだろう。」
「は、はぁ。」

そうは言われても、はいそうですかとはなかなか納得しづらい。妖精屋さんがやんわりフォローを入れてきた。

「あのねぇ、ここのひとたちはみんなどんぶり勘定なのよ〜。」
「そう、なんですか?」
「……アイリス、どんぶり勘定という言葉の意味はだね、」

神妙な色を秘めた声色で案内屋が言った。鈍い反応の原因はそこじゃないのに。私だって、そこまでもの知らずではない。不名誉な勘違いにさすがの私も思わず声を上げた。

「ど、どんぶり勘定の意味くらい私にもわかるって!私これでも高校生なんだから!!」
「おや、君は勉強ができる子だったんだね。」

案内屋は悪意のかけらもなく、ただ純粋に彼入っただけだろう。でも、言葉の染み込んだ胸から、じくり、痛みは広がっていく。愛想笑いは作ったものの、なんとか絞り出した内容は謙遜でもなんでもないただの事実だった。

「そんなことないよ。必死にがんばって、やっと学校についていけるくらいの学力なんだから。」

私のいた学校は、いわゆる"進学校"だった。入るのはもちろん難しかったし、そのための努力は惜しまなかった。入学が決定した時なんかはもう、踊り上がるくらい嬉しかった。
でもいざ入ってみると、勉強の進行速度はあまりにも早くて、優秀な成績なんてとてもおさめられなかった。成績表を見せた時に「もっと頑張れないの?」とひどく残念なそうな顔をして言ったママはどうしたって忘れられそうにない。
私の頭はもちろん悪くないんだろう。悪くない代わりに優れてもいなかったのだ。学校が求めるほど、ママが求めるほど、優れてはいなかった。たったそれだけだった。

「そうかね?だがそれは君のいた社会の中の相対的な評価だろう。少なくとも、私の知り得る元高校生の中では君は一番知識の蓄えに偏りがないと見えるよ。」

口角をあげる代わりなのか、案内屋のランタン頭が明るい色にぺかぺかまたたく。私はなんて返したらいいのかわからなくて、結局黙り込んでしまった。
笑ったらよかったのか反論したらよかったのか。わからなくなって、自分の思考回路の鈍さを呪いたくなった。気の利いたことの一つや二つも言えやしない私なんてやっぱりどこに行っても駄目なんだ。
暗い方向へと転がり落ちていく私とは裏腹に、案内屋はなおも明るく光っていた。妖精屋さんの方へ振り向いた。そしてやや声のトーンをあげて尋ねる。

「なぁ、妖精屋。銀細工師なんかは"どんぶり勘定"という言葉の意味を知らないとは思わないか。」
「あの子なら、そうねぇ、そうかもしれないわねぇ。」
「……おっとアイリス、この会話は秘密にしておいてくれないかね。いつか君もあの子と会う機会があると思うんだ。」
「ふふ、約束よぉ?」

まるでイタズラ共犯者のように微笑むふたりをみて、私は呆気にとられた。もっといいこと楽しいことを考えたらどう?と言われているようだった。無意識のうちに入っていたらしい、肩の力が抜ける。
"イノナカ"の人たちの好意に甘えることと昔の話、ダブルパンチで気が滅入っていたのだ。どうにも私は悪いことを連想させるものに触れるとすぐとらわれてしまう。
今しがただけでなく、"イノナカ"に来た時から何度か同じようなことになっていた。案内屋を始めとする"イノナカ"のひとたちは、私だけの力では抜け出すには時間がかかる袋小路で助け出してくれた。気付いていなかっただけで私はここのひとたちのお世話になっていたのだ。
あぶくがはじけるのと同じように、胸の中に詰まっていた重たい石ころが消える。後に残ったのはほんの少しの、先への希望。

「私と同じくらいの年の子、いるんだ。」
「あぁいるとも。君ならきっと仲良くなれる。」
「……だといいな。」

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