井の中の蛙大海を知らず、されど | ナノ


13

「おねむのオコサマは俺にまかしとけ。」

鍵屋をおぶって、奪い屋は声を潜める。いかにもって感じがしてものすごくわざとらしい。さらに彼は真面目くさった顔で「シッ」なんて言いながら人差し指を立てるものだから私まで笑ってしまう。さっきまでくすくす笑いを漏らしていた案内屋は、咳払いをして声を整えた。

「なぁに、旦那はすやすや眠ってるオコサマを意味もなく起こすのが趣味なワケぇ?」
「いや失敬失敬……こほん、少し気管が詰まってね……」
「き、気管……?」

え、案内屋って気管あるの?
不安になった瞬間、案内屋がひらひら手を振った。どうやら冗談ということらしい。まんまと引っかかってしまった。悔しい。

「ほいじゃ、鍵屋はいつも寝てるとこあたりに転がしてくるわ。」
「あぁそうしてやってくれ。」

慣れた調子で彼らは話をする。眠たがりの少年の面倒は、もうすっかり見慣れているということが私にもわかった。
奪い屋が、私をちらり一瞥したのち私たちに背を向けた。ウィンクを欠かさないあたり、実に奪い屋っぽいと思う。鍵屋を極力揺らさないようにしながらアキレス腱を伸ばし、のび上がった。

「アイリスのこと頼んだぜ、なーんて言わなくても案内屋の旦那はしっかりやるんだろーなぁー。かーっ、さすが旦那!」
「はいはい。あまり騒がない方がいいんだろう?早く行きなさい。」
「んだよ、冷てぇなぁランタン頭の癖にぃ。ま、いっか。そいじゃな、旦那、アイリス!」

立ったまま眠れる鍵屋は、風の噂に聞くナルコレプシーってやつなのだろうか。去って行く奪い屋と鍵屋の背を見て考える。
いずれにせよ、奪い屋はいい兄貴分なんだってわかった。だって、メリーアンと鍵屋があんなにも彼に懐いている。それらは肩車して貰ってるメリーアンの笑い声や、だんだん遠くなっていくあの鍵屋の表情から十二分に伺えた。

「さようなら。」
「じゃあね、奪い屋。」

大手を振って別れを告げることはない。それでも、気分としては寂しいような気がした。みんなひょっこり現れてはすぐにいなくなって、忙しいひとたちだったなぁ。

「振り出しに戻った、って感じだね。」
「そうだね。最初と同じ、私と君のふたりきりだ。」

この場に残った私以外のもう一人を、私は見上げる。礼儀正しいひとだからだろうか、彼も私の方を向いてくれていた。

「彼らはいつもあぁなんだよ。皆自分のペースで動くから、何人か集まったかと思えばすぐ散って行く。悪く思わないでやっておくれ。」
「いや。私はそういうの嫌いじゃないよ。」

申し訳なさそうなのか、誇らしげなのか。私には案内屋がどちらの感情を抱いているのかがわからない。いくら見つめても案内屋は炎を揺らすばかりだ。
だけど私は"イノナカ"のひとたちの付き合い方は健全でまともだと思う。同じ人とずっとべったり一緒にいるよりよっぽど。私は通っていた学校のことを思い出してみる。
統制された異口同音、同意の強要。やけに膨大な徒党を組みたがり、同じグループに所属しないものは徹底的にこき下ろす。群れとヒエラルキーを作る女子諸君の姿。耳の裏や口の中、まぶたの内側にこびりついた偽物の言葉こそ、私が"イノナカ"に来た理由のひとつ。毎日を生きていくにはどうしても耐えられなかったことのひとつ。
……うっかり思い出し過ぎたらしい、気分が薄暗くなってきた。例え断片的でも破壊力は十分すぎる。
同時に、私の中で女子という呼称の生き物への評価が下がりきっていることがわかった。女子校の空気感というのは、私には適していなかったんだろう。別に誰か特定の人が悪かったってわけでもないのにね。あの世界から抜け出せた今ならそう思える。

「そうかい。それならいいんだ。ここは気のいいひとばかりだ、不安がる必要はない。」

ぐるぐるする頭に、案内屋の声は優しく響いた。
大丈夫、私はもうなにも嫌悪しなくていい。新しいこの環境に、恐れなくてはならない脅威なんてない。今のところは。彼の声を精神安定剤に、私は毛羽立った心を平らに戻していく。
そういえば、"イノナカ"ではメリーアンしか女の子を見ていない。人形師さんは性別が判断できなかったから別として。ここに住まう女性は一体どんな人なんだろう。きっと女子校にいたようなひととは毛色が異なるはずだ。ささやかな期待が少し膨らんだ。

「時にアイリス。」

私はしばらくぼぅっとしていたらしい、目の焦点が定まっていなかったことにようやく気がついた。どツボにはまっていたみたいだ。考え事を始めるとついついのめり込んでしまうのが私の悪いところ。ため息をつきながら現実世界に戻って、案内屋の声に耳を傾ける。

「なぁに?」
「君は宝物と呼べそうな、大切なものはあるかね?たとえば時計だとか、万年筆だとか。」

宝物、宝物。なんだったかな私の宝物って。質問内容を咀嚼しつつ考えてみる。
話を聞くに物質を持った宝物ってことで頭の中をひっくり返して考えてみるけども。今はこれといって思い出せるものが見当たらない。おかしいな、大切なものなんて両手いっぱいにあったはずだ。ところがいざ取り出そうとすると手のひらからこぼれ落ちていく。
よくよく考えてみれば手ぶらで"イノナカ"に来たんだから手元にあるはずない。しかし私にとって重大だったのは、自分の宝物がなんだったかを思い出せないことであった。

「そんなに思い詰めた顔はしなくていい。あまり難しく考える必要はないよ。」
「嘘。私そんなひどい顔してた?」
「酷い顔というよりも、つらそうな顔をしていた。悪いことを尋ねてしまったようだね、すまない。」

申し訳なさそうに彼は謝罪する。嫌だな、そんな顔をしたつもりはなかったのに。こっちこそ申し訳ない気持ちでいっぱいだ。私の個人的な問題であって、案内屋は悪くないんだもの。
弁明しようと口を開きかけた。すると私が話し出す一瞬前に案内屋が困り果てたような声を上げる。

「またそんな顔をして。アイリスは気遣い屋なんだね。無駄な気を使わせてしまったかな。」

頭をぽんぽんと撫でられた。最後に頭撫でられたのっていつだったっけ。髪越しに感じる温もりがこんなに心地よかったなんて、すっかり忘れてた。子ども扱いされてるなぁと思うより先に、嬉しいと感じてしまった。なんとなく気恥ずかしくて、うつむきがちになる。
おかしなことに、私はなにを言おうとしていたのか自分でもわからなくなっていた。言いたかったことがあった場所にはもう灰しか残ってない。そこから再び言葉を拾い集め、組み立てる気にもなれなかった。それに背中がこそばゆくてもごもごとしかしゃべれない。

「そんなことはない、と思う……」
「ふむ?私はそうは思わないがね。」

あんまり柔らかな言葉をかけられると、うっかり泣きそうになっていけない。鼻をすすって涙を押し込める。かっこ悪いや。
案内屋の手が離れても頭にはじんわり温かさが残った。これもまた彼の持つあおい灯火が成せる技なのかもしれない。それとも、撫でられるって行為自体がそういうものだったのか。私には判別のしようがなかった。

「君の宝物を問うたのは、君の"アオ"の器をどうするかを考えなくてはならないからだよ。もし思い入れの強い品があればそれを器にするのがいいと思ってね。」
「そうなの?」
「気持ちの問題だよ。別にどんなものでも構いはしないんだが、やはり自分の魂の色を映すものは気に入りの品の方がいいだろう。」

"アオ"の仕組みはまだよくわからないところが多い。まぁでも、そのうちわかってくることもあるだろう し、今細かく聞かなくてもいっかな。困ったら、きっと誰かが助けてくれるだろう。なんとなくそんな気がした。

「君のように該当するものがない場合は、器を入手するにぴったりな店に行くのさ。」
「そんなお店があるんだ。」
「あぁそうだよ、あるんだよ。それじゃあ、行ってみようか。」

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