井の中の蛙大海を知らず、されど | ナノ


11

しばらくの後、案内屋の手によって(半ば強引に)奪い屋はメリーアンから引き剥がされ、幼い彼女はようやく帰路を辿れるようになった。「ばいばーい!」と手を振り元気に走って行ったメリーアンは、やっぱりかわいかった。
それからもう用もないとばかりに人形師さんも部屋の奥に帰った。なんでもついさっきまで新しい人形こ造形を考えていたらしい。早く完成させたいんだと人形師さんは言っていた。あのひとがそういう時はもうあと三日間は家から一歩も出ないからちょうどいいタイミングで会えて幸せだったな、と奪い屋からつつかれもした。

そして、この場に残ったのは私と奪い屋と鍵屋と案内屋。さてこれからどうするんだろうか。ほんのしばらく、沈黙が流れる。

「ねぇ。」

その中で口火を切ったのは鍵屋。最初に目を合わせた時と同じ目をして、彼は私を見上げる。

「アイリスは、どんな"アオ"なの?」

二度目の思いがけない質問だった。しかし今回の質問は、なにを問われているのかがさっぱりわからなかった。
どんな青、とは。私の好きな青色を答えればいいんだろうか。しかしそれにしても青限定というのが引っかかる。薄い青です、とか、空みたいに鮮やかな青です、とか、そうやって答えればいいのか。一口に青と言っても広すぎる。そもそも私は青色が特別好きとかそういうことはないし。第一に質問内容が好きな色の前提で考えるのは間違っている可能性もある。
穴があきそうなほど鍵屋を見つめても、なんの補足もない。ルビーの双眸が見返してくるばかりだ。

「あっ、それはオレも気になる木!!」
「え?」

つい、声が漏れた。奪い屋まで食いついてくるとは思わなかったから。この話題は、"イノナカ"では常識なんだろうか。戸惑う私にはお構いなしに、鍵屋と奪い屋は軽い言葉を交わしている。とりあえず、黙って様子を見ることにした。

「アイリス、っつーくらいだから菖蒲の花の色とか、安直すぎるかしらん?」
「あやめの花、って、あれ、青なのかな。花の色の名前、知らないけど。」
「さぁ、青なんじゃね?名前なんざオレだって知らねーよ。けど正直オマエの"アオ"だって青かどうかギリッギリじゃんか。」
「百群はちゃんとした青だよ。あ、でも、見た目ちょっと緑っぽいかー……。」

……なんの話をしているのかさっぱりだ。誰になにを尋ねればいいのかもわからなくて、私はぼーっと突っ立ってることしかできなかった。
だって、まるで知っているのが当然だって調子で話が進んで行くんだから。話の腰を折ってそれはなんですかとは空気的に聞きづらい。もちろん、彼らが嫌な顔をするとは思ってもいないけど。なんとなく、気後れしてしまう。
どうしようかと焦るうちに背中がじっとり湿った頃、奪い屋が顔を覗き込んできた。瞳の常盤色の中には好奇心の黄色い光がまたたいている。つり上がった口元から鋭い犬歯がちらりと見えた。

「あっれぇ、アイリスちゃーん?お話着いてこれてますかぁー?お顔ぽかーんとしてますよー?」

あ、こいつ、うざい。
じわりじわりそう思ったのち、確信した。
私にとって愉快とは言い難い状況下だけど、奪い屋のニタニタ笑いはそれをさらに悪化させた。彼が馬鹿にしてくる感じがびしびし伝わってくる。私は怒りで自分の頬が赤くなるのがわかった。
確かに私は馬鹿にされても仕方ないのかもしれないけどそれは少しだけでも隠して欲しかった。というか、普通は隠しとくはずだ。奪い屋の頬を叩きたい衝動にも駆られたが、良識がすんでのところでそれを留めた。

「ごめんなさい。あなた方がなんの話してるのか、ちょっとよくわからないんだけど……。」

苛立った勢いついでに、『わからない』と言ってみた。眉間にしわを刻まないよう取り繕いながら。口元が多少引きつって、少しばかりとげとげしい物言いになってしまったかもしれないがそれは堪忍して欲しい。
でもわからないと一度言ってしまえば、それはそれは簡単な言葉で。どうしてずーっとこれが言えなかったのか、よくわからなくなってしまった。
奪い屋はぽかんと口を開けてから、「おろ?」と数度瞬いた。それから案内屋を振り返って、まるで店員に苦情を言うお客さんみたいにねっとりとした責める口調で問いかけた。

「案内屋の旦那ぁ、どーなってんですかぁ?ちゃんと説明したんですぁ?」

案内屋は重たげなランタン頭を左右に振る。奪い屋の喋り方にうんざりしているのか、質問の内容に呆れているのか、私には図りかねるけど。ため息混じりに彼は答える。

「まだしていない。それを説明する前に、どこかの誰かが連れて行ってしまったからね。」
「あれぇ?」
「あっれー?」

頭を傾ける鍵屋の隣で、奪い屋はちろっと舌を出した。けど、正直かわいくもなんともないしむしろ獰猛な野獣の舌なめずりにしか見えない。目が野性的すぎるんだろう。隣にいたいけな表情の少年がいるんだからなおさらだ。

しかし、結局鍵屋の言う青はなんだったんだろう。どうやら私は、一連の会話では、その青とやらの説明を受ける前に奪い屋に連れ回されていたらしいということしかわからなかった。
説明してくれるはずだったという案内屋を仰ぎ見る。彼の頭の中では、青みを帯びた白い炎が震えていた。

「アイリス。君には説明しなくてはならないことがまだ幾つか残っているんだ。少し長くなるが、聞いてくれるかね?」

もちろんだ。奪い屋に馬鹿にされっぱなしというのも腹が立つし。それにこの世界における基礎知識にあたるもののようだから、知らないまま放っておくなんて論外。私は二つ返事で頷く。ランタン頭が満足げに点滅する。

「この"イノナカ"に住む住民は皆、自分だけの色、自分だけの青色を持っている。」

自分だけの色、自分だけの青色。
口の中で反芻してみても、あんまりしっくりこない。私はぎこちなく首を傾げてそのことを示した。わからない、と直接口で言えない私は小心者だ。口で言うべきだとわかっていてもなかなか治らない。頭ではわかってるんだ、頭では。
そんな私を見ながら、案内屋は鍵屋の肩を軽く叩いた。

「実際に見た方がわかりやすいね。鍵屋、君の"アオ"を見せてごらん。」
「わかったー。」

鍵屋が自らの胸を指差す。そこに収まっていたのは鈍く輝くブローチ。中央につるりと丸い石が埋め込まれていて、基盤になっている金属は控えめな色合いだった。

「ボクの"アオ"は百群っていうんだよ、ほら、この丸いやつの色が、百群。」

石をじっと見つめてみる。つやつやとした光沢を持っていて、それは石というより玉のイメージに近いかもしれない。だけど今にも透き通ってなくなりそうな淡さや繊細さはなく、どっしりこちらを見つめ返す鍵屋の目にそっくりだと思った。
色はミルキーなエメラルドグリーンのような、少し緑っぽい水色のような。それはネイビーの服と褐色の肌に映えて鮮やかにうつった。どこかで見たことがあるような色で、ほんの少し違う。きっとこの色が鍵屋の言う百群なんだろう。

「きれいな色ね、百群って。」

素直な感想だった。すると鍵屋の口元がみるみるうちに弧を描いて、気付けばふにゃっとした笑みを浮かべていた。なんとなく、頬も紅色に染まっているように見える。その顔は年相応に幼くて、かわいらしかった。鍵屋につられてか、案内屋もにこやかな声で付け足す。

「色はその人の心根を現す。この色は、鍵屋の魂の色そのものということだ。」

目尻を下げ柔らかく笑む鍵屋の印象が、彼の"アオ"とかぶった。あぁ、なるほど。案内屋の言葉は鍵屋の表情と相まって妙に納得できた。

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