井の中の蛙大海を知らず、されど | ナノ


09

「ファンレターは嬉しい。でも、依頼書は嬉しくない。きらい。」

感情のこもった声色だった。にやにや笑いをなんとか収めて、人形師さんを見つめる。人形師さんは長いまつげを上下させて呟いた。

「人形を作って売るのが人形屋。ぼくは人形師であって、人形屋じゃない。人形は売らないの。そう。ぼくは人形師。」

なるほど。この人も、自身の仕事を愛する人なのね。この人に手紙を届けた小さな女の子と同じように。私はそう解釈する。
こういう人の誇りだとか持論を聞くのは嫌いじゃない。頷きながら聞いていると、「あ、でも、」と人形師さんの声のトーンが変わった。

「面白そうな依頼なら、たまに受けるよ。」

付け足された言葉に、私は首を傾げる。奪い屋が人形師さんの言葉じりをつかまえた。

「人形師の面白いの基準って何だよ。教えてくんないと奪い屋ちゃんにはむつかしくてわかんなぁーい。」
「んー、人形のキャラクターが提示されてる依頼とか。お顔だけじゃなくて性格とか、そういうの指定されてたらちょっとだけ興味湧く。」
「へぇ!そんな依頼もあるのか、初知りだわー。」
「まぁ、きみが知らないのは、当然だよね。」

こうして見ていると人形師さんはテンションが上がり切らないというか、一定以上高くならない。元からそう元気いっぱいな人でもなさそうだから、常にこんな感じなんだろう。しかし奪い屋と並ぶとどうもローテンションに見えてくるから不思議だ。
一方奪い屋は会話の間、動きを止めていた瞬間が一秒たりとない。口を動かしてなくても、頭の後ろに手を回したり片足だけで足踏みしてたりせわしなく動いている。なるほど確かに郵便屋さんの言ったように誰かが気をつけていないとなにをしでかすかわからない。ずっと見ていたら目が回りそうだ。
ちなみにメリーアンは会話の内容がつまらないのか大きなあくび。ついでにいうと彼女がいる場所は未だ奪い屋の肩の上である。

「でもそのキャラクターがぼくの好みじゃなかったらやらないよ。」
「あ、そこは主観なんですね……。」
「うん。人形作りは、ぼくの仕事である前にぼくの趣味だから。楽しくなかった趣味じゃなくなっちゃう。そしたらぼく、転職しなくちゃなんない。好きでもないことは、仕事にしたくない。」

人形師さんは、真顔だった。それだけ本気だった。私は言葉を失ってしまったのだけど、それに対して奪い屋は何がおかしかったのかいきなり吹き出したかと思えばお腹を抱えて笑い出した。
あくびをしていたメリーアンはびっくりして舌をかんでしまったらしく、文句も言えないまま髪の毛を引っ張っている。そんなこともお構いなしに奪い屋は転げ回りそうな勢いで笑う。

「ぶっ、ハハハハハ!!井の外だったらとっくに廃業してんだろーな人形師!その考え方じゃ稼げねーだろぜってー!!アッハハハハハ!!」
「知ってる。でもぼくが住んでるとこは"イノナカ"。だから許されてるし、人形師をやめるつもりもない。人形師、楽しい。」

奪い屋の意地悪な言葉にも負けず、人形師さんが言った。どうやら私は先ほどの考えを改める必要がありそうだ。このひとは、ランタン紳士の言った「自分の好きなことを仕事にしている」ひとだ。人形師さんは人形師であることを誇ってるんじゃなくて、単に人形を作って劇をやることが好きなだけなんだろう。

でも人形師さんが人形師をやっている理由がそれだけだったらきっと本当にごはんは食べていけないだろう。仮に食べていけたとしてもいずれは駄目になる。しゃくだけど、奪い屋の言ってることは正しいんじゃなかろうか。
人形師さんがやろうとしてることは趣味を仕事にしようとする芸術家なんかと一緒で、現実味のない夢想だ。自分の描き出すものだけで生きて行こうとするなんて正直なところ傲慢だと私は思うし、そんなことができるのはごく一部の人間だけだと思っている。

「そだねぇ……ヒヒ、ここは"イノナカ"だぁ……趣味を仕事にしたって誰も文句を言わないしフヘッ、実際食っていける奴ばっかだもんな……グヘェッ……。」

しかし、奪い屋と人形師さん曰く。そんな夢想がここでは成り立つらしい。むせながら笑いながら話す奪い屋は正直なんだかとてもやな感じがしたが、言っている内容は気になった。
どうして夢想が成り立つのか?私にはまだわからない。だけど、決して悪いことじゃないように感じる。そしてここは趣味を仕事にした人形師さんにとっては、生きやすい環境に違いない。


そしてちょうど奪い屋が笑過ぎで流れ出した涙を拭き始めた頃。人をコケにしてよくもあそこまで笑えるものだと呆れているところだった。

「アイリス。」

ふいと、耳に優しいバリトンが私の名前を呼んだ。
呼び声に振り返ればランタン紳士もとい案内屋が、ちょうど私たちが来た方向から歩いてきているところだった。遠くから手を降る彼に私のそばの人たちは三者三様の挨拶をする。

「こんにちはー!」「案内屋の旦那チーッス。」「こんにちは案内屋。」
「やぁメリーアン、奪い屋、人形師。よい午後の日だね。」

なんてことはないって風に彼は現れたけど、私は申し訳ないことをしてしまった。あの部屋に戻ってきた時私がいなくなっていたのだから、それなりに心配させてしまっただろう。私を探す手間だってかけてしまった。だから、私はしっかりと頭を下げた。

「貴方を置いて出かけてしまって、ごめんなさい。」
「これこれアイリス。頭をあげなさい。」

言葉に従って、私は頭を上げる。案内屋の声は少し驚いた様子だった。だけどすぐに優しい調子で私に言ってくれた。

「君が出かけてしまったことに関して私は怒っていないよ。君にもなにかわけがあったんだろう?話してごらん。」
「奪い屋に、連れ出されちゃって……。」
「ふむ、やはりか。そんなことだろうと思っていたよ。君は悪くない。」

ため息をつくかわりにと案内屋はかぶりを振った。ランタンの中の炎が揺れる。奪い屋の顔はさっきの笑顔を保ったままだったけど、事情を知らない人形師さんとメリーアンはきょとんとしていた。場に沈黙が流れる。
案内屋のランタン頭が、ゆっくりと奪い屋のほうに向いた。あまりに緩慢な動作だったから若干ホラーっぽい。

「奪い屋。」

少し険しい、たしなめるような声色が彼を呼んだ。奪い屋はやれやれといった動作で肩を竦める。まるでお説教を受ける前の子どもみたいだ。……いや、あながち間違っちゃいないのかも。ふたり並ぶとイタズラ小僧とその保護者に見える。ランタン頭の彼は実にそれらしく言葉を説きはじめた。

「自分がなにをしたか、わかっているかね?」
「旦那には悪いことしちゃったと思ってますぅ。」
「そのような軽い言葉で思ってもいないことを言わなくてよろしい。嘘にしか聞こえないからね。君は先ず思ったことを口にすべきだ。」
「はい!!やばいと思ったけど好奇心が抑えられませんでした!!!」
「あぁ…………そんなことだろうと思っていたよ……。」

二度目のその台詞には呆れとほんのちょっとの疲れがにじみ出ていた。奪い屋の相手をするのも楽じゃないだろうに。他人事のようで彼には悪いが、同情する。
しかしそれとは関係なく案内屋には迷惑をかけてしまった。きっと私を探して、この通りを行ったり来たりしたんだろう。すごく申し訳ない気持ちだ。そんな私の考えを見透かしてか、案内屋は「私のことは気にしなくていい」と言った。

「なに、奪い屋に連れて行かれることもなんとなくはわかっていたから君のいそうなところの見当はついていたんだ。鍵屋を探し出すのに時間を食っただけだよ。」
「え、鍵屋?」
「この子だよ。ほら、出ておいでなさい。」

案内屋の影から、ひょっこり男の子が顔を出した。露出の多い服に褐色の肌の、まだ小学生くらいの子だ。今まで出会った"イノナカ"の誰とも似ていない独特の雰囲気を放っている。今まで見なかったエスニックな格好をしているからだろうか。
全体的に少し風変わりな彼の所持品で、一番目を引いたのは背中に背負った大きな大きな二本の鍵。見たところ金属でできているみたい。模型だろうか。なんだか不思議で、ついじろじろと見てしまう。だけど彼はそんなことは気にならなかったようで、幼さの残る笑顔を私に向けてくれた。

「こんにちは、おねーさん。ボクは鍵屋。おねーさんがアイリス?」

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