井の中の蛙大海を知らず、されど | ナノ


08

奪い屋に連れられ爆走すること何秒か。後ろを振り返れば、もう郵便屋さんの家は手のひらサイズにまで小さくなっていた。息が切れる前にと舌を噛みそうになりながら私は彼に問う。

「人形師ってどんな人?」
「んー。ともかく不思議なやつだな。」
「不思議って、どういう風に?」
「会ってみればわかるって!」

この人に聞いた私がばかだった。私はちょっとだけ後悔する。横顔だけでふざけているとわかる表情で言われてたんだから、悔しいったらない。それを体現しようにも今や私の身体には負荷がかかりすぎている。私が走ることに専念せざるを得なくなった頃、奪い屋の頭の上から幼いさえずりが割って入った。

「人形師はね、スイッチがあるの。スイッチが入ると、座長さんになるの。」
「ざ、ざちょ……?」
「座長さんスイッチ、言い得て妙だねぇ…………お!いたいた!!」

奪い屋、急ブレーキ。私は前につんのめって倒れそうになった。というか私はほとんど倒れた。奪い屋は全く親切じゃない。文句の一つや二つでも言ってやりたかったけれど、体力メータゼロな私は精々レンガの上に転がらないように膝に手をついて子鹿のように立っているので精一杯だった。噂に聞くデジャヴとはこんな感じなんだろうか。
でもなけなしの意地と根性で、顔だけはあげる。ここでへばったら奪い屋に負けたような気がするんだ。汗とほんのちょっとの涙で歪む視界で奪い屋は、左手の家の空いた窓の桟に肘をついていた。会話を聞くになるほど、窓の向かいにいるのが人形師さんらしい。

「よぉ人形師ィ!今日はちょいと用があって来たんだけどさ、窓から顔だしてるとはまたナイスなタイミングだねぇ?」
「なんとなく、誰かくると思って待ってた。そしたら奪い屋と、メリーアンと、それときみ。新しい住民がきたんだね。」
「私はアイリスです。よろしくお願いします。」

スカートのほこりを払い、よろけながらも立ち上がる。窓枠に収まる人形師さんその人は、人の良さげな笑みを浮かべていた。ボブカットよりも短いマッシュルームヘアにたれ目で黒目がち(とは言うが瞳の色は黒ではなくごく薄い藍色だ)な瞳。外国の絵本に出てきそうなひと。私はそんな印象を抱いた。その目が私を捉えた時、双眸はきらりと光って見えた。

「アイリス。発色が鮮やかで花弁が繊細な、いい花だ。あなたの髪は生糸のように細くしなやかで、肌はすべらかな大理石のようだしほんのりピンクでかわいらしい。おまけに瞳には真昼の星を浮かべている。実に見事。あなたはその花アイリスの名を持つに相応しい女性です。おっと、最後は花に関係なかったね。」

息はもう切れていない。人形師さんがすべらかにしゃべっていて呼吸を整える時間があったから。その間は呆気に取られて、私はただぼんやりと頷くことしかできなかった。
なんともまぁよく動く口だこと。奪い屋に対する初対面の印象とどこか似た感想だが、内容はまったくちがう。私が感心してしまったのは、どこからそんな言葉が出てくるのだろうというほど不思議な言葉遣いだ。日常生活では使わないような言葉ばかり選んで組み合わせられている。まるで口の中におしゃべりなピエロが組み込まれているみたいに奇妙だ。

「わたくしは人形師。土塊に身体を、人形に魂を、ひとに夢を与える仕事に心身を捧げた者です。人形作成と、その人形で劇の上演を至上の楽しみとして生業にしております。以後お見知り置きを。」
「は、はい。」

なんとか絞り出した言葉はとてもありきたりだった。鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていたに違いない、人形師さんがおかしくて仕方ないといった調子で吹き出した。そしてさっきとはまるっきり違う、人懐こい気の抜けた笑顔で私に右手を振る。まるで廊下ですれ違った時の、仲良い後輩みたいな表情だ。私は初めて人形師さんが年下の可能性を疑った。

「なぁんてね。きみはきっとまだつぼみ。とにもかくにもよろしく、アイリスちゃん。」
「よ、よろしく。」

……あまりにもギャップがありすぎる。私は気圧されて、つい挨拶を口ごもってしまった。同じ人の同じ笑顔でこうも印象が変わるものか。いろんな意味でどきどきする。
奪い屋がさり気なく私の肩を肘おきにして人形師さんに話しかけた。重い。一介の女子、しかもさっき知り合ったばかりの人に肘をおくとは図太い神経をしていると思う。そんなやつに気を使ってやれるほど私もいい人ではないので、身を揺すって肘を払い落とした。それでも構わずに話を続けているんだから、きっと奪い屋はこういう扱いでいいんだろう。

「人形師っていつ座長さんスイッチ入るかわかんないから怖いわー。 」
「座長さんスイッチ?面白いこと言うね。でも奪い屋はぼくよりもっと怖い。」
「そうか?アンタはいきなり言動からフインキまで変わるんだぜ?行動が読めねー奴のが怖いっての。」
「お互い様。きみの行動も読めない。ぼくは意図的にやってるんだけども。」
「それが怖いっていうのよぉ人形師ちゃん!」

奪い屋の調子からして、きっと軽口を叩いているだけだろう。大げさに慌てて見せる彼とわざとらしく考え込むふりをする人形師さんの仲は良さげだ。

ところで、人形師さんは勝手に男性だと思っていたが、もしかすると女性なのだろうか。クスクスと笑う人形師さんを見てぼんやりと思う。一人称が『ぼく』と『わたくし』二種類あったが、声は男性にしては高いし女性だと思って聞くと少しばかり低すぎる気もする。彼?彼女?一体どちらなんだろうか。
しかし、性別を問うなんて失礼なことは私には到底できず。もしそんなことを聞かれたら人形師さんは確実に気を悪くするだろう。別に性別なんてわからなくたって付き合っていける。そう自分に言い聞かせ、私は疑問を押し殺した。こういうところが私を日本人たらしめているんだと思う。
メリーアンは未だ奪い屋の後頭部にしがみ付いて、人形師さんを見下ろすような形で話をしていた。人形師さんは、あやすように彼女の帽子のつばを少しだけ下げる。

「人形師ー、メリーアンも人形師の劇見てみたい!」
「それはできない。ここ、お客さんになってくれそうなひと少ない。」
「人形師のけちー!」
「ケチじゃないよ、こっちは商売なんだから。」

人形師さんってどんな人形を作って、どんな劇をやるんだろう。脚本も自分で書くのかな、それとも既存のものをやるのかな。ふたりの会話を聞きながら考えてみる。人形師さんのその肉の少ない手のひらがどんなものを生み出すのか、それは私にも興味があった。でもどうやら人形師さんは私たちに公開するつもりはないみたいだからちょっと残念だ。

「それより。なにかぼくにわたすもの、あったんじゃない?」
「あ、そうだ!!」

どうやら用があった張本人が本題を忘れていたらしい。よりにもよってそれを届け相手に指摘されてしまったのがまた笑ってしまう。おつかいの途中でなにを買ってくればいいのか忘れちゃう、なんていうのは最早テンプレートのようなものだけどメリーアンもまだ幼い子どもということか。
彼女はがさがさと肩にかけたかばんを探り、ようやく目的の品を取り出した。辞書ほどの分厚さに束ねられた便箋の集まりである。はい!と快活な声と共に人形師さんはメリーアンから束を受け取った。彼(彼女)は何枚か封筒をめくって送り主を確認したのち窓のサイドに置いてあった机に置く。その動作があまりにおざなりだったから、少し尋ねてみたくなった。

「あの、それ……誰からの手紙なんですか?」
「ファンレターが半分、人形作成の依頼書が半分……ってところ。ようは、お仕事関係。」

なんてことはない、そんな調子で人形師さんは窓枠を爪で叩く。あれだけ手紙がくるということは売れっ子ってやつなんだろうか。すごいなぁ。人から注目をあびるお仕事をしている人もいるのか。"イノナカ"って、私の今まで生きてきた世界にはいなかったような、いろんな人が住んでいるのかもしれない。柄にもなく、わくわくしちゃうなぁ。私はこっそり微笑んだ。

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