井の中の蛙大海を知らず、されど | ナノ


07

「ところで、メリーアンはさっきなんで大声で郵便屋を呼んでたのん?」

ひょい、とメリーアンが奪い屋に抱き上げられる。一瞬だけ、郵便屋さんの歯ぎしりの音が聞こえた気がしなくもなかった。が、当のメリーアンは上機嫌に笑い声をあげて喜んでいる。小さなもみじを広げて、めいっぱいに腕を伸ばして、奪い屋に話かける。

「あのね、おつかいの準備ができたからなの!はやくいきたいなーって!」
「ほー、そうだったのねー。ばっちり帽子もかぶってたもんなー。」
「ねぇ、おつかいって?」

メリーアンがこっちを見た。まん丸などんぐり眼が私を捉える。と、ふわふわのおさげの髪の毛を揺らしながら、お日さまみたいにぺかぺか笑い出した。私もつられてちょっと口角が上がってしまう。メリーアン、なんてかわいらしい子なんだろう!

「"イノナカ"の人にお届けものするの。トミーから頼まれた、郵便屋のおしごと。」
「偉いね、メリーアンは。まだちっちゃいのにね。」
「ううんえらくないよ。だってこれメリーアンのおしごと。メリーアンは、郵便屋だもん!」

ふいと、部屋の中で、私だけ時間が止まったみたいだった。瞬いて黙り込む私とは裏腹に、彼女は無邪気に奪い屋に遊んでもらって上機嫌な声をあげている。奪い屋は笑ってるだけだし郵便屋さんもなにも言わないから、メリーアンのそれだけが部屋を埋めた。

この子、すごいな。純粋にそう思った。
同じ通り道に住んでいる人にものを届ける程度、と言えばその通りだ。でもこの子はそれを自分の仕事して認識している。自分を郵便屋であると理解し、その職務を全うしようとしているように見える。
私の勘違い、深読みのしすぎかもしれない。なにせメリーアンはまだ幼子なんだから。それでも私はかまわなかった。こんなに小さい子でもちゃんと職についているんだな、と思えたことが私にとって価値があることなんだ。

ぼんやり私が考え事をしている間。例のにやにや笑いを浮かべた奪い屋がメリーアンに語りかけていた。ただ、彼から犯罪者臭がするのは笑い方の問題なのか、性格の問題なのか、私には判断ができなかった。

「でー?誰にお届けものすんのか、オレにも教えてくれねーかなぁ。」
「人形師!人形師だよ!!」
「あぁ、あいつか。よっしゃ、じゃーオレらも一緒に行ってもいいかな?」
「うん、いいよ!」

人形師、なんだかファンタジックで素敵な響き。面白そうなお仕事だなぁなんて思って聞いていたのに、どうも対岸の火事ってことでもないらしい。
私だって、人形師さんに興味はある。だけど私と奪い屋が着いていったら人形師さんはどう思うのか。さらにメリーアンのおつかいに私たちが着いていったら彼女の邪魔になってしまうかもしれない。ここは、二人の会話に割って入らなければならないわ。

「ねぇ?そのオレらって、もしかして私も含まれてるのかな。」
「もぉーちろん。郵便屋がついてきちゃったら、おつかいになんねーじゃあん?」
「私と奪い屋がいてもおつかいにならない気が……。郵便屋さんはそれでいいんですか?」

郵便屋さんは長い間静かにメリーアンを眺めていた。彼自身はどんなことを考えているのか、知りたかった。メリーアンに仕事を任せたのは彼なのだから。そしてきっと、彼がこのメリーアンの保護者なのだから。判断は彼がすべきだと思った。

「メリーアンはどうしたい?」
「奪い屋と、アイリスといっしょがいい!」
「そう。じゃあ一緒にいってらっしゃい。」
「え!?」

てっきり、反対すると思っていたのに。平然とした様子で彼は言った。いってらっしゃい、と。驚いて声を失った私の隣では、メリーアンが奪い屋の腕をぺしぺし叩いていた。

「メリーアンかばんとってくるからおろして。」
「いっそいで準備したら、まただっこしてやるから。ほれ、四十秒で支度してこーい!」
「あいあいさー!!」

床にリリースされたかと思えば背筋を伸ばして敬礼し、カウンターを下からくぐり抜けて軋むドアの向こう側へと彼女は消えた。一々愛らしい動作をするなぁ、と思う。かつて私は身近に小さい子がいなかったから、小さい子の魅力をじかに感じることが少なかったんだ。だから私がメロメロになってしまうのは仕方のないことだと思う。
一方奪い屋は大きな声で、いーちにーさーんと数を数えている。近くにいるとうるさいけど、その意図はわかっていたからなにも言わないでおいた。奪い屋は子どもの扱い上手みたいだし。……いや、子どもの扱いが上手というより、メリーアンの心を上手に掴んでいると言った方が正しいか。
その声の下に潜り込むように、郵便屋さんは波立たない調子でとうとうと話す。郵便屋さんの顔は、影になってよく見えななかった。

「自分ですることは自分で決める。それがここのルール。だから僕があの子に強制できることなんて、なにひとつありはしないんだ。」

ここで一度言葉が途切れる。
メリーアンが、これまた身の丈にあっていない斜めがけのかばんをさげて飛び出してきた。帽子と同じ深緑のポンチョを着込んでいるけど、もしかしたらあれが仕事着なのかもしれない。郵便屋さんも同じ色の制服らしきものを着ているんだし。
奪い屋のカウントは、三十をすぎたくらいだった。間に合った!と口にこそしないものの歓喜と興奮の入り混じった呼吸がそう物語っている。子どもは何事にも全力だ。

飛び跳ねるようにして一目散に奪い屋の元へ駆け寄っていった彼女に聞こえぬように、と郵便屋さんは人差し指を立て唇に当てる。それからこっそり音もしない程度のため息をついた。

「もちろん、不満ではあるけどね。だけどどうやらあの子は奪い屋に懐いているらしいんだ。」

郵便屋さんが立てた人差し指で示した先では、奪い屋が彼女を肩車していた。それだけでも不安定なのに奪い屋はその場でくるくる回ったりしてるからはらはらしてしまう。あの至極楽しそうなメリーアンがふり落とさないかが心配でならない。
おもむろに郵便屋さんが帽子のつばをあげた。当然のごとく口元はへの字だ。それだけだとどうも卑屈っぽい表情に見えてしまう。だけど、目は違った。さっき光の速さで目をそらした人とは思えないくらい強く私を見つめている。郵便屋さんの目は真摯な光で私を射抜いた。

「奪い屋がおかしな動きをしたら、君が止めてくれよ。」
「え、なんて私がそんな大変そうなことを……。」
「いいかい。奪い屋と行動を共にする限り、奴の動きには常を気を配っていなくてはいけない。それは最早、奴に同行する者の義務と言える。」
「え、えええ……。」

頑張れ。そんな言葉と共に左肩に手を置かれる。そんか重労働とかなんとか、口の中がもにゃもにゃしているうちに今度は右手を掴まれ引っ張られた。奪い屋がメリーアンを肩車したまま、ドア(の残骸)を踏み越えたようだった。また肩が痛い。

「おっし、そろそろ行くぜー!じゃな郵便屋!!」
「いってくるねトミー!」

奪い屋とメリーアンはまるで兄妹だ。二人揃って郵便屋さんを振り返って手を振るんだから。肩が痛い私はそんなことをしている余裕がない。かぶり直した帽子の下から郵便屋さんが言葉を投げかける。もう彼の力強い光は見えなくなっていた。

「メリーアン、ちゃんと仕事はこなすんだよ。それからアイリス。メリーアンのこと頼むよ。」
「わかってるー!」
「わ、私も頑張ります!」

ずんずんと引っ張られながらもなんとか応えられた。郵便屋さんは満足そうに頷く。あ、良かったと思ったのもつかの間、気付いてしまった。私の言葉じゃなくてメリーアンの言葉に頷いたかもしれない。なんともやるせない気持ちだ。
無論、奪い屋を制御できる自信は皆無。でも制御できるとは言ってないからいいんだ。頑張るって言っただけだもん。私に申しつけた郵便屋さんが悪いんだ。そう心の中だけでつぶやいた。でもメリーアンが怪我とかしないような努力はしようと思う。

「いっくぜ、メリーアン、アイリス!!」
「わぁぁあぁあい!!いっくぜー!!」
「あ、や、さ、さよならあああ!」

とうとう奪い屋が走り出した。そのせいで、別れの挨拶も断末魔みたいになってしまった。メリーアンは奪い屋に捕まりながらもまだ手を振っている。猛者だ。
郵便屋さんも彼女に応えて、私の肩にあったその手を振り返す。そんな彼の声が、部屋を出る直前、最後に聞こえた。

「……やっぱり、止めとけば良かったかもしれないね。」


なんでこの後に及んでそんなこと言うのかな郵便屋さん!!

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