井の中の蛙大海を知らず、されど | ナノ


05

「そんじゃ、行きますか。」
「ど、どこへ?」

手を離そうとしても、奪い屋は離してくれなかった。にぱにぱと笑いながらむしろ力を強めてくる。ひくひくと顔面の筋肉がひきつるのを感じた。嫌な予感しかしない。

「ストリートだよストリート!いろんなとこ行こうぜ!面白いやつとかいっぱいいるんだぜ!!」
「あ、や、でもランタン紳士が鍵を取りに行ってくれているのに、「ランタン紳士ィ?あ、案内屋の旦那のことな。だーいじょーぶ、旦那は心広いから!オレが連れ出したくらいじゃ旦那おこんないから!!さぁさ、れっつらごー!!」
「わ、うわぁあ!?」

言葉を遮られた上に肩が抜けてしまいそうなほど強い力で手を引っ張られた。奪い屋は身長も高いから力も私よりずっと強いんだろう。私はされるがまま、部屋を飛び出す羽目になる。あぁランタン紳士に悪いことをしてしまう、と部屋を一瞥する間もくれないままに奪い屋は駆け出した。



「疲れ……た……。」

しばらく走ってわかった。奪い屋は体力お化けだ。あのズボンで私より速く、そして私より長く動いてられるんだからおかしい。こっちは息を切らしてはぁはぁ言っているのに、彼はなんでもなさそうに立っているかと思えばまだちょこちょこ動き回っているんだ。運動部にも入っていない、貧弱な現代っ子な私が着いていけるはずもないじゃない。目線だけで彼の暴挙を責める。

「まぁそんなおこんなってー。オレ的にナンバーワンに面白い店がここなんだよ!」
「ここがそうなの?」

目の前の家は、私の家とよく似た外装だった。看板がかかっていないのが気になるけれど、戸の隣には私のいた世界でも見たことのあるものがある。真っ赤なポストだ。しかも道路にあるような真四角のやつではなくて、一昔前の細長い円筒みたいなポスト。

「……郵便局?」
「ふふーん。さぁてどうだろうね?さ、入ろうぜ。」

入ろうと言ったのに、奪い屋は扉から遠ざかった。なにをしているのか、と問いかける前に彼はまた行動に出た。
離れたところから勢いをつけて走って……扉に飛び蹴りをかました。どういうことなの、と尋ねるよりも前に奪い屋は部屋の中へ消えた。なんとも形容し難い、金具が歪む音が私の耳にも聞こえたからあの戸は引き戸だったんだろう。
私はまったく関係ないけど、いまとても扉と家の人に謝りたい気持ちだ。あんなとんでもない入室をした奪い屋のあとには入りたくないけど、うん。仕方ない。覚悟を決めて壊れた戸をくぐった。

部屋の中は、私の家と同じ間取り。大きなカウンターが中央を横切っているのが私の家との大きな違いだ。カウンターの向こう側の棚にいろいろなものが無秩序に並んでいるところを除けば、本当に郵便局のようだ。先に入った奪い屋はカウンターに肘をつき誰かと話していた。

「会いたかったよ郵便屋くぅん。」
「僕は君のために自動ドアの導入の検討に忙しいんだ、帰ってくれ。」
「あぁん、郵便屋さんのいけずぅ!!」

くねくねしている奪い屋と話すのは男性で、郵便屋というらしい。やっぱりここは郵便局のようだ。
郵便屋さんは見るからに郵便屋といういでたちをしていた。深緑の帽子と制服を身につけ、室内だというにも関わらずしっかり第一ボタンまで閉めて、目深に帽子を被っている。そのせいか表情はよく見えないけど、声の調子からして不機嫌そうだ。それはそうだよね、ドア壊されたんだから。
うざったそうに奪い屋に「あっちいけ」の動作をしていた郵便屋さんがふいと私に気が付いた。こっちを見る帽子の奥から視線を感じる。でも顔の半分くらいが影になっているから怖い。ランタン紳士と出会った時よりもずっと怖い。何せ相手は表情のあるべき人間なのに、無表情なんだから。もとから表情がわからないランタン頭のほうがよっぽどいい。

「君は誰だい。見たことのない顔だけど。」

奪い屋に話しかけるよりはいくばか優しい声色だった。しかし愛想なんて呼べるものは微塵もない。そんな中、私はなぜか喉の奥に声が張り付いて一向に出てきそうもない。重苦しい沈黙が流れるかと思いきや、奪い屋がへらへら笑いながら郵便屋さんの肩に腕を回した。空気ぶち壊しだ。私には都合がいいが。

「"イノナカ"に落ちて来た新入りちゃんだよ、郵便屋ちゃん!」
「君に言ったんじゃない、奪い屋。あと敬称を統一してくれ頼むから。気持ち悪いんだよ。」

郵便屋さんは奪い屋の手を容赦なく払いのけ、わざとらしく触れられていたところをはたいた。郵便屋さんの奪い屋の扱いがひどい気がするのは一体何故。なんとなく奪い屋がかわいそうになってくる。でも奪い屋の動きは見ているだけでもうざったいから郵便屋さんの気持ちもよくわかる。ドア壊されたし。
奪い屋がふざけて時間を稼いでくれたおかげで、私の喉は調子を取り戻した。極力はきはきとした、好印象になりそうな声で自己紹介する。

「えと……アイリスと呼んでください、よろしくお願いします!」
「……よろしく。」

くいと郵便屋さんが帽子のつばをおろす。こうも目を合わせることを避けられると、なんだか私が悪いことをしてるのかと思ってしまう。不安になっていると奪い屋がまた茶々いれに入った。

「郵便屋ったら、ぶあいそ。あ、そっかシャイなんだっけ。忘れてた。」
「そろそろ僕の堪忍袋の尾が切れそうなんだけど。」
「やーんこわぁーい!!」


なんてして奪い屋と郵便屋さんの戯れを眺めていると。なんの前触れもなく、甲高い声が空気を切り裂く。


「トミートミー!!ねぇトミーってばぁ!!……あれ?おきゃくさん?」

しん、と静まり返る店内。ここで私は、奥の部屋の戸がわずかに開かれていることに初めて気がついた。柔らかく軋んだ音を立てて戸が揺れる。中から見えたのは、まだ十にも満たないような小さい女の子だった。
そしてため息をついたのは郵便屋さん。

「メリーアン。あまり人前で名前を連呼するなといつも言っているだろう?」
「はい、ごめんなさい。」
「ほら、おいで。」

手招きされた女の子が郵便屋さんの膝にすわる。ごく自然な動作で抱き上げるものだから、驚いてしまった。郵便屋さんは無愛想に見えたから。女の子にはとても優しく接しているみたいで、ちょっとだけ笑ってしまいそうになる。女の子もとても嬉しそうな顔をしているから、きっと郵便屋さんは慕われているんだろう。私の隣で成り行きを見ていた奪い屋が心底羨ましいという口調でつぶやく。

「郵便屋、メリーちゃんには甘いよねぇ。ずるいよな、オレも郵便屋に甘やかされたい。」

奪い屋の言葉は郵便屋さんによって黙殺された。郵便屋さんの膝の上に奪い屋が乗っているのを想像してうっかり笑いそうになってしまったのは秘密だ。女の子と奪い屋を比べたら、そりゃあ女の子のほうがずっとかわいいし、なにより奪い屋はうるさい。正直膝には乗せたいと思えない。……私にも郵便屋さんの辛辣さが少しうつっちゃったみたいだ。
女の子はメリーアンと言うのだろうか、彼女はおとなしく郵便屋さんの腕の中に収まっている。ぽーっと彼女の全身を眺めると、猫の耳みたいな二つの突起がある特徴的なキャスケットに目が行く。その下に覗くのは生糸のような光沢の白髪。つやつやしていてきれいだ。しみ一つない絹糸みたいな髪の毛、ううむ羨ましい。
メリーアンの登場で郵便屋さんの気持ちが少し柔らかくなった気がしたから、質問をしてみることにした。その返答はやっぱり無愛想だけど、さっきよりは確かに好色を示していた。

「その子、妹さんですか?」
「ちがう。血は繋がってない。でも僕と同じ郵便屋だよ。」
「メリーアンっていうの!よろしくね!!」

メリーアンが身を乗り出して私を見た。彼女と目があう。メリーアンは、左右で異なった虹彩の瞳を持っていた。蜂蜜色の左目と、若草色の右目。不釣合いなようでいてふたつとも透き通っていてきれいだ。まるで、彼女自身の幼さや純真さをそのもま写しこんだかのように。
幼い彼女に視線を合わせるようにして、私は膝を折る。口元は自然とほころんでいた。

「私はアイリス、よろしくメリーアン。あなたの目、きれいな色をしてるのね。」

メリーアンのそれぞれの瞳が、トパーズとペリドットの輝きを持った。あぁ、女の子はこういう顔が一番似合うね。

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