井の中の蛙大海を知らず、されど | ナノ


03

「"イノナカ"にはいろいろなひとがいる。君のような人間から、亜人、妖精、そのどれとも言えない者もいる。」

森の小道を歩きながら、ランタン紳士は話す。そう早足ではないが雑草やら木の根っこがはびこる道をしゃべりながら歩くのは至難の技だと思う。現に私は相槌をうつだけでバランスを崩しかける。
さて、ランタン紳士はどれなんだろうか。彼の言葉について考える。少し無粋ではあるが後ろからじろじろとも眺めてみる。まず、人間ではないだろう。妖精?いやしかし、ランタン紳士が人間かどうかより、気になる言葉があった。気になるというより、聞きなれない言葉というかなんというか。口に出して反芻してみる。

「あ、亜人とは一体……?」
「おや。君はファンタジー小説を読まない口かね?」

意外だと言わんばかりの声色が返ってきた。ファンタジー小説……ということは、伝説上の生物なんだろうか。
私はあまりファンタジー小説を好んで読まない。だって、所詮は幻想だから。ファンタジー小説にはそれの面白さがあるんだろうけど、私はそれよりもミステリーの面白さのほうが好きだ。でもなんだかそのことを揶揄されたような気がして。ついむっとした口調で言ってしまった。

「あんまり。ファンタジーよりも推理ものの方が好きだから。」
「私を見てさほど驚かなかったから、そういったものに理解があると思ったのだがね。亜人というのは、人間と似て異なる生き物。獣人だったり鳥人、魚人がそれにあたるね。」
「ははぁ、なるほど……半人みたいなもの?」
「そうそう。君のいた世界では伝説や幻と言われているようだったから、信じられないのも無理はないよ。」

ランタン紳士、笑うとランタンの光が少し揺れる。今ランタン紳士の光が少し揺れたから、きっと笑っているんだろう。私のちょっとぶっきらぼうな反応が面白かったのかもしれない。
そして私は、彼に対して敬語を使っていないことに今更気が付いた。年上であることは九割九分間違いないのに、何故だろうか。以前は友人にすら堅苦しい口調だと言われることさえあったのに。相手が素敵なランタン頭の紳士だから、無意識に甘えてしまっていたのかもしれない。それでも、いきなり敬語に変えるのも照れ臭いから、いつもの話し方のままでいようと思う。

「そして、その"イノナカ"の住民は年齢層もまた様々だ。まだ十にも満たない幼い子から年老いた者まで住んでいる。」
「へぇ……。」
「しかし、彼らの生活はみな一様だ。自らの手でお金を稼ぎ、自身を養っている。」
「それは、小さい子でも?」
「そう。つまり、君もそうして働かなくてはならない。」
「……!!!……はい。」

どうしよう、どうしよう!!表面上は大人しく「はい」なんて言っちゃったけど、働いて稼いでいける自信なんてこれっぽっちもない。そも、ここの働き口はどんなものがあるんだろう。ガテン系の、肉体労働だったらどうしようか。私に体力なんてほとんどない。それよりももっと恐ろしいのは、働き口がないことだ。どこにも雇ってもらえないなんてことがあったら困ってしまう。本当に、わからないことだらけ。
私の混乱を見透かしているのかいないのか、ランタン紳士はこう付け加えた。

「あぁ、それと。ここは狭い井の中だ。他人に雇ってもらえることなど、期待しない方がいい。みな、自身の分を稼ぐことで手一杯だからね。」
「そ、そんな……!!じゃあどうすれば……!?」

ランタン紳士の声から、感情は読めない。パニックを起こしかけている私を嘲笑っているのか、寛大な心を持って慈悲をかけてくれているのか。とにかく不安でいっぱいいっぱいな私に、優しい声色で小さな子に言い聞かせるようにランタン紳士は言う。

「簡単なことだ。自分の好きなこと、得意なことを仕事になさい。」
「え?」
「君の好きなことはなんだい?趣味は?好物は?そうやって自分に問い続け、自分のしたいことを見つけるんだよ。」

言われたことの納得はいく。だけど、そんなことをしていて本当に職につけるんだろうか?もしそんなことで職につけるのなら、私のいたあの国には就職氷河期なんて言葉は存在しないだろう。つい、唇を尖らせてしまう。

「でも、それで自分の『好き』を見つけたとしても、それを仕事に出来るとは限らないよ。」
「それは、君の中の問題だね。いかに自分の好きなものを人に役立てるか。これが重要なんだよ。」

完璧な言葉だった。私はきゅっと口を結んで黙り込む。これらの正しい言葉の羅列が私の反論の余地も許さないのは、私が『そうであって欲しい』と心底願っていることばかり並べられているからだろう。
彼の言っていることは、私の望みであって、その正しいことが正しいこととして世界の歯車の中に組み込まれていて欲しくて。私が反論することで、つまり歯車の存在を否定することで、私の世界を廻すその歯車を壊してしまうような気がしたんだ。だから私は口つぐんで、時がすぎるのを待ったのだった。
いつの間にか草と土のグランドは終わって私はレンガの道の上にいた。歩くたびにローファーの底がかつかつと快活な音を鳴らす。両手側に茂っていた木も減り、じょじょに視界が開けてくる。ランタン紳士は尚もしっかりとした足取りで道をゆく。

「なに、そう焦る必要はないよ。君がやりたいと思える職を見つけるまで、住民は皆を手伝ってくれるだろうからね。…………あぁようやく見えてきた。これが、"イノナカ"の住民の活動拠点だ。」

森が終わった。一気に視界が広がる。ランタン紳士の示す先にあったのは、絵本やおとぎ話に出てきそうなメルヘンチックな広い通り。道の端にはこれまた童話に出てきそうな、ずんぐりとした屋根と生成り色の壁を持つ家がずらり立ち並んでいる。『オズの魔法使い』の、エメラルドの都に来たドロシーの気持ちはこんな心境だったんじゃなかろうか。この通りはエメラルドの都のようなきらびやかさはないけれど、きれいという言葉に釣り合うだけのものを持っていた。生活感があって、雑然としていて、そしてどこか温かい。
この通りのメルヘンらしからぬ点といえば、一つ一つの家の前に看板がかけられているところだろうか。看板はそろぞれ違った素材で、どれも目を引くものばかりだ。そう言えば表記の文字もみんな違っている。
きょろきょろと目移りさせている中、隣でランタン紳士が説明をしてくれる。

「ここは、私たちの生活及び活動拠点となる通りだ。"イノナカ"のすべての住民がここに住んでいるよ。そして私たちはここをストリートと呼んでいる。正式な名称はないから君も好きに呼ぶといい。」
「あ、じゃあ私もストリートって呼ぶ。」
「それが一番伝わりやすくていいと思うよ。」

通りを進んでいくと、それぞれの家の違いが目についた。ショーウィンドウのような大きな窓がついている家、壁一面が観音開きの扉の家、家自体の色を塗り替えている家。もしかしてこれは、『家』ではなく『店』なのかもしれないななんて思いながら足を進める。
ふと、ランタン紳士があるところで歩みを止めた。看板も立っていない、特徴的なところはこれと言ってない一軒の家の前だ。

「ここは?」
「君の新しい家さ。さぁ、中に入ろう。」

ランタン紳士はどこからともなく取り出した鍵を、真鍮でできたノブの下に差し込んだ。

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