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愛の定義を教えておくれ 4


 ヨークシンの郊外にある廃れたホテル街。その一角に、もはや誰も寄り付かないであろう古びたモーテルがあった。この一帯で一番大きな建物であるそのモーテルは、かつてはさぞかし賑わっていたことだろう。だが今や見る影もなく荒れ果てている。外壁にはツタが絡まり、看板も風雨に晒されて文字が読めないほどに汚れている。
 そんな廃墟同然のモーテルの入り口に、一人の男の姿があった。全身黒ずくめで顔すらも目深にフードを被っているため表情を窺い知ることができない。ただ唯一露出している口元から、若い男だということだけは分かる。男はモーテルの看板を一瞥すると、迷うことなく扉を押し開いた。ギィと耳障りな音が響く。
 室内は薄暗く、壁に設置された非常灯だけがぼんやりと周囲を照らしていた。受付カウンターに人の姿はない。男は無人のロビーを通り抜けると、そのまま階段を上って二階へ上がる。そしてある部屋の前に立つと、ノックもせずにいきなりドアノブに手をかけた。鍵はかかっておらず、すんなりと開く。
 室内は外観からは想像できない程に綺麗だった。ベッドメイクされた清潔感のある白いシーツが敷かれたダブルサイズのベッドが一つと、ガラス張りの壁の向こうにはシャワールームがある。窓際には大きなテーブルが置かれており、その上にはデスクトップ型のパソコンと何台ものモニターが設置されていた。それらに囲まれるようにして一人の青年が座っている。年齢は二十代前半といったところだろうか。幼さの残る顔立ちではあるが、その体躯は鍛え抜かれていることが分かる。青年は突然入ってきた男に驚く様子もなく、ゆっくりと振り返った。

「あ、クロロきたんだ」

 クロロと呼ばれた男はフードを外すと「ああ」と答えた。現れた黒髪をかきあげながら、青年――シャルナークの傍まで歩み寄る。シャルナークは再びモニターへと視線を向けると、カタカタとキーボードを叩き始めた。

「クロロの読み通り、美術館に寄贈された絵画は全部フェイクだったよ。念能力者の関与も確認できた。十中八九、念でコピーした贋作だね」
「やはりそうか」
「本物は一人の資産家が独占してる。ほら、こいつ」

 画面に映し出されたのは、恰幅の良い初老の男の写真であった。いかにも成金趣味丸出し豪奢なスーツに身を包み、派手な指輪やネックレスなどのアクセサリーを身につけている。シャルナークは別のモニターに映る新聞記事を拡大すると、そこに載っている男のプロフィールを読み上げた。

「ダモンズ=コービン。世界有数の大富豪であり美術品コレクターとして知られる。慈善家としても名高く、貧しい子供たちへの寄付も積極的に行っている。……まぁ表向きの経歴はこんな感じだけど、裏では闇ルートで手に入れた盗品を高値で転売することで荒稼ぎしてるみたいだね」
「典型的な小悪党だな。それで、本物の絵はどこにある?」
「こいつが所有している別荘の一つに保管されてるよ。一番警備が厳重だし、ここ最近頻繁に出入りがあるから間違いないだろうね。でもちょっと厄介なのがさー」

 そこで言葉を区切ると、シャルナークはマウスを動かしながら説明を続けた。

「その別荘がアイジエン大陸の北方の奥地にあるんだよね。飛行船だと片道三日はかかるかな。しかもそっからさらに山奥に入って、ようやく目的の館が見えてくるっていう話だからさぁ。往復だけで一週間以上は覚悟しないとだね」
「随分と面倒な場所にあるんだな」
「それだけ侵入者を警戒してるんでしょ。このダモンズって奴かなり用心深い性格らしいから。で、どうする? 実行するなら他の団員にも声かけるけど」

 シャルナークの言葉に、クロロは顎に手を当てて思案を始めた。そこまでの労力をかけてまで盗み出す価値のある獲物なのか、今一度見極めようとしているようだ。考え込むクロロを横目に、シャルナークは手持ち無沙汰気味にマウスを動かす。しかし、ふと何かに気づいたように手を止めた。

「あ、ちょっとごめん」

 そう言うと、カタカタと小気味よい打鍵音を響かせてキーを叩く。すると設置された全てのモニターに次々と映像が表示されていった。異変に気づいたクロロが眉を寄せる。
 モニターに映し出されていたのは、どこかの部屋の隠し撮りと思われるアングルの映像だった。寝室や玄関、果てはバスルームに至るまで、あらゆる場所が映されている。リアルタイムの映像らしく画面右下には時刻表示がされている。それらの映像をじっと見つめていたシャルナークだったが、やがて一つの映像を拡大した。そこには姿見の前に立つ女の姿があった。コートを羽織って外出の準備をしている最中といった様子である。

「あれ、どこ行くんだろ。今日は特に出かける予定は無かったはずだけど……」

 ブツブツと独り言を呟きながら別画面を操作する。すると今度は通話履歴やメッセージのやり取りが表示された。シャルナークは画面をスクロールさせて手早くそれらをチェックしていく。一連の動作を見ていたクロロは思わず口を挟んだ。

「一体何を見てるんだ?」
「彼女」

 画面から目を離すことなく、シャルナークがさらりと答える。予想外の答えにクロロは虚を突かれたような顔をした。

「恋人の部屋を監視してるのか?」
「そうだよ」
「……お前、そんな趣味があったのか」
「いや違うけど。でもこうするしかないんだよ。オレだってほんとは直接会って話がしたいけど、それは許してもらえないからさー」

 シャルナークはやや不満げに反論する。その様子に常軌を逸したものを感じ、クロロは閉口した。そんな彼の反応を気にする素振りもなく、シャルナークは更に続ける。

「あー、もう出掛けそうだな。外行かれると映像で追えないから困るんだよね。やっぱり鞄にもカメラ仕込もうかな……」

 ぶつくさ言いながらも素早く指先を動かし、新たなウィンドウを開く。すると今度は地図のようなものが表示された。GPSまで仕込む徹底ぶりにさすがのクロロも若干引き気味になる。
 もう何も言う気になれず、クロロはぼんやりとモニターを眺めた。玄関に設置されているらしいカメラには、女が靴を履いている姿が映っている。こんなの見て何が楽しいんだと思いながら見ていると、画面の中の女が不意に顔を上げた。一瞬目が合った気がして、クロロは息を飲む。気のせいかと思ったが、次の瞬間女の口元が不敵に歪んだ。

(そういうことか)

 納得しつつ、クロロは視線をシャルナークへと向けた。相変わらずモニターに釘付けになっている。その目は真剣そのもので、恋焦がれる相手の一挙手一投足を逃すまいとするする情熱が込められていた。縋り付くかのような必死さも。
 その表情に呆れを通り越して感心すら覚えるが、それ以上の興味は湧かなかった。クロロはモニターに背を向け、思考を打ち切った。


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