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本物ならば綺麗か


「あんたの推し来てるよ」

 休憩から上がったばかりの先輩がバックヤードに顔を出してそう言った。舞い降りた朗報に、私はパイプ椅子から飛び上がった。

「ちょっ、まっ、今行きます!」

 慌てて手鏡でメイクのチェックをして、休憩室を飛び出す。下げ台をチェックするふりして店内の様子を窺うと、窓際の定位置に座った推しの姿を見つけた。

(ひぇっ、本当にいる!)

 思わず声が出そうになるのを必死に抑えて、こっそりと推しの姿を観察した。
 彼はいつも通りコーヒーを頼んでいて、それを飲みながらノートパソコンをいじっていた。今日も相変わらず顔がいい。金髪が艶々光って綺麗だし、長い脚を組んでいるところなんてモデルかと思うくらい格好いい。甘い顔立ちなのに腕の筋肉とか胸板とかガッシリしてるところも最高。全ての造形が完璧。まるで神様が手ずから創り上げた芸術品のようだ。推しが放つ神々しいオーラのおかげで、見慣れたカフェの店内が煌めいて見えてくる。

(今日シフト入れててよかったぁ……)

 己の運の良さを噛み締めつつ、私は心の中で何度もシャッターを押しまくった。でもあんまり凝視してると変な店員だと思われそうだから、あくまでさりげなく。そんなことを思いながらも、やっぱり目が勝手に吸い寄せられてしまう。

(あー幸せ。推しと同じ空間にいるなんて夢みたい。毎日来てくれればいいのに)

 毎日推しの顔を見れるなら朝から晩まで働いたって構わない。でも推しはいつも決まった時間にやってくるわけじゃないし、来る日もあれば来ない日もあるからなかなかタイミングを合わせることができない。だからこうして貴重な機会に少しでも長く目に焼き付けておきたいのだ。
 しばらく推しの尊顔を堪能した後、私はカウンターに入った。

「はぁ、今日も推しが尊い……」

 思わず漏れた心の呟きが聞こえたのか、先輩から「はいはい、尊い尊い」と適当な返事が返ってきた。

「先輩がレジ入ってたんですよね? 私が注文受けたかったぁー」
「よく言うわ。さっきまで疲れたから早く休憩入りたいって騒いでたくせに」
「それはそれ! 推しの顔見たら疲れなんて吹っ飛びますから」

 鼻息荒く訴えると、先輩は呆れたように笑った。
 先輩は去年からこのカフェで働いていて、私より年上だけどタメ口混じりで話せるくらいには仲が良い。いつも彼女に推しの話を聞いてもらってるんだけど、そのたびに呆れられている気がする。
 グラスを洗浄機にかけながら、ちらちらと推しの方を盗み見る。彼は相変わらず優雅にコーヒーを飲んでいた。

(見た目だけでなく所作まで美しいとは何事? 神かな?)

 口元が緩むのを抑えきれないまま洗い終わった食器を拭き始める。そんな私の様子を見かねたのか先輩が声を掛けてきた。

「そんなに気になるなら話しかけてみればいいのに」
「え、無理」

 反射的に即答する。推しに話しかけるだなんて、そんな恐れ多いこと出来るわけがない。

「なんでよ。別にいきなり馴れ馴れしくしろとは言わないし、普通にしてれば大丈夫だと思うけど?」
「推しを前にして普通にしていられるわけないじゃないですか。絶対挙動不審になりますもん。それで引かれたりしたら生きていけない……」

 想像しただけで泣きそうになる。

「大袈裟だなぁ。たかが客相手に何言ってんのよ」
「いやだって推しですよ!?  私にとってはアイドルと変わらない存在なんです」

 そう訴えたものの、先輩はあまりピンときていないようだった。首を傾げている。

「とにかく、こうやって遠くから眺めてるだけで十分。私とは住む世界が違いますから」 
「……まぁ、あんたがそれでいいならいいけど」

 力強く熱弁する私に先輩が呆れた視線を寄越してくる。しかしふとその視線は外され、彼女は推しの方をじっと見据えた。

「でもさー、あの人何かちょっと怪しくない?」
「!?」

 聞き捨てならない言葉に、私は目を見開いた。

「怪しい……ってどういう意味ですか?」

 先輩の言葉の意味を確かめようと身を乗り出すと、彼女が「近い!」と言って押し戻してきた。

「そのままの意味だよ。得体が知れないっつーか、何か裏がありそうな感じしない?」
「ちょっと推しのこと貶さないでください!」
「いや貶してるわけじゃなくてさ。ただなんとなく引っかかるっていうか……うまく言えないんだけど」
「……」

 否定したい反面、彼女の言っていることも一理あると思った。推しは一見すると爽やかな好青年に見えるけれど、どうもそれだけじゃない気がする。底が知れないというか、掴めないというか……そんな雰囲気を感じるのだ。
 私はもう一度窓際の席に座っている彼の方を見た。相変わらずパソコンの画面を真剣に見つめている。
 私は推しのことを何も知らない。名前も、年齢も、何一つとして。でもそれでいいと思っている。推しの素晴らしい顔面の前ではそんなものは些末な問題だ。荒んだ日々に潤いをもたらしてくれる推しには感謝しかない。

「素性なんて何でもいいんです。たとえ無職だろうがヒモだろうが推しの輝きは損なわれません。むしろ私が養います!」

 拳を握って宣言する。先輩は大きなため息をつくと何も言わなくなった。


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