おそろいの檻
※ひそやかな呪いの続きになります。
あぁ、今日も生き延びたのか。目が覚めるたびに心に浮かぶのは、そんな安堵と小さな落胆だった。
閉じようとする目蓋を持ち上げるように、ゆっくりと瞬きを繰り返す。何度か繰り返しているうちに、ぼんやりとした視界もだんだんとクリアになっていった。
しばらくぼうっと天井を見上げる。冬の朝特有の身震いするような冷気や喉の渇きは感じられない。この部屋は、常に過ごしやすい温度と湿度が保たれていた。視線をずらし、天井と同じベージュ系のワントーンで仕立てられた壁と床を見るとはなしに見る。シンプルな造りだが、どこか温かみが感じられるこの部屋を私は気に入っていた。だが、その感想はきっとふさわしくないのだろう。
寝転がったまま左腕を宙に掲げる。すると、暖かな空気に満ちたこの部屋に異質なものが姿を現した。
――手首にくくりつけられた無骨な鎖。これは、クラピカが施した念の鎖だった。
旧アジトの地下室でクラピカの代償を奪ってから約一ヶ月。私は、いわゆる軟禁状態にあった。クラピカの手によって。
こんなことをしなくても逃げるつもりなんてない。そう訴えてもクラピカは頑なだった。そして徹底していた。与えられた空間はこの上なく快適だったが、ありとあらゆる場所によく分からない装置が設置されているようだった。生体の微弱な変化も逃さない赤外線のセンサーによって私の体は常時管理されている。異常を検知すれば誰かしらが飛んでくる仕組みになっているんだろう。
極めつけが、この鎖だ。念で具現化されただけの鎖はなんの効力も持っていない。重さも感じないそれは言うなれば見せかけの拘束具だ。だが、それこそが捕らえられているという証に他ならなかった。
クラピカの過剰なまでの行動にやりすぎだと諌める声もあったらしい。しかしその全てを無視して、クラピカはこの居心地の良い檻に私を閉じ込めた。
フゥ、と息を漏らしてサイドテーブルに置かれた時計を見る。時刻は十一時を過ぎていた。そろそろ起き上がらないと。なんとも手放し難い毛布を決死の思いで剥がし、ベッドサイドに腰を下ろす。途端、ぐわりとめまいがした。起き抜けだからと理由付けるにはあまりにも強烈なそれ。思わず頭をかかえる。一体、どれだけの時間が私には残されているんだろう。
――こんこんと、ノックの音が響いた。
はっと顔を上げる。慌てて立ち上がり、部屋の中央に置かれたダイニングチェアに腰かけた。
「ナマエ、起きてる?」
「起きてるよ」
扉越しの見知った声に平静を装いながら返事をかえす。すぐさまドアが開かれ、センリツが顔を出した。私の姿を確認した途端、呆れたように肩をすくめられる。
「ナマエ、またこんな時間まで寝てたのね」
「……起きてた、よ?」
「そんな寝癖だらけの頭でなに言ってるのよ」
とっさに髪を抑える。しまった。そこまで頭が回らなかった。
もともとセンリツに嘘は通用しないのだ。それでもつい誤魔化してしまうのは、後ろめたいことがあるからだろう。
「顔色が悪いわ」
センリツが痛ましそうに眉を寄せる。私はできるだけ明るい調子で答えた。
「そう?すっぴんだからそう見えるだけでしょ。ね、わたし喉乾いちゃった。センリツお茶淹れてくれない?」
「……分かったわ」
センリツは持っていた袋をクルミ材のテーブルの上に置くと、キッチンの方に消えていった。ふぅ、と息を吐き出した。
――軟禁生活が始まってから、この部屋に人が来ない日はなかった。ほとんどがファミリーの人間だったが、かつて行動をともにしていた仲間たちも足を運んでくれた。
『この大馬鹿野郎が!そのまま死にやがったら死んでも許さねぇ!』と怒鳴りつけたのがレオリオ。『馬鹿だとは思ってたけどここまでとは思わなかった』と呆れながらも怒りに満ちた眼差しを向けてきたのがキルア。『ナマエだって俺たちの大切な仲間なんだよ』そう悲しそうに言ったのがゴンだった。そのすべてが、心に重くのしかかった。
いっそのことあの場で息絶えてしまったらどんなによかっただろう。そしたらこんな風に余計な心配をかけることもなかったのに。そんなこと口が裂けても言えないけど、仲間の辛そうな顔を見るたびにそう思わずにはいられなかった。
「ね、クラピカは?」
感傷を断ち切るため、キッチンでお茶を淹れてくれているセンリツにおきまりの質問を投げかける。
「今日はコルガタの方まで行ってるわ。今日は戻りそうにないわね」
「そっかー…」
コルガタ地方はヨルビアン大陸の最南部に位置する地域だ。そんなところまで足を運んでいる理由は十中八九、除念師を見つけるためだろう
『このまま終わらせてたまるものか。何がなんでも元に戻してやる』
一ヶ月前、すさまじい剣幕でそう宣言した通り、クラピカは日夜奔走していた。除念師を見つけるため、それこそ死に物狂いに。しかし、なかなか難航しているようだった。相当根深い念だから下手すると術者もどうなるか分からない、こんなもの手に負えない、とのきなみ断られるらしい。
(もう諦めてくれたらいいのに)
日に日に憔悴していくクラピカを見るたび罪悪感が募っていった。残された時間をクラピカと過ごしたいと思っていたけれど、そんな身勝手が許されるはずもない。もう、潮時だろう。
頬杖をついて思考に耽る私の前に、マグカップが置かれた。
「はぁ………」
心音を読み取ったらしいセンリツが聞えよがしのため息を吐く。彼女のため息を聞くのはこれで何度目になるだろうか。
「苦労かけちゃって悪いね。あとちょっとの辛抱だからさ」
「……それ、クラピカには絶対に言わないで。彼、激怒するわ」
「わかってるって」
センリツの目は怒っていた。だが、なにを言っても無駄だと諦めてもいるようでもあったた。
「今になって、貴女が言っていたことが身にしみて分かるわ。本当にとんでもなく身勝手ね」
なんとも耳が痛い。返す言葉が見つからなくて目の前のマグカップを静かに傾けた。鼻に抜ける香りに一息つく。いつだって、彼女が淹れてくれるお茶は優しい。
こうした時、ふいに込み上げる寂寥があった。誰かの怒りに、その奥に内包する優しさに触れた時。それは間違いなく見送られる人間が抱くものだった。だが、見送る側の方がずっと苦しいことを知っている。
「……ごめんね」
思わず心の内がもれる。センリツは瞳を揺らがせた。しかしすぐに眦を引き締めた。
「謝罪はいらないわ。まだ終わったわけじゃないもの」
思いがけない力強さに瞠目する。
「全てが貴女の思い通りなるなんて思わないことね」
「……それ、どういう意味?」
意味深なセンリツの言葉にひやりとする。もしかして除念の手がかりが見つかったのだろうか。いや、それならあんな暗い顔を見せない筈だ。だが、センリツのこの確信めいた口ぶりはなんなんだろう。探りを入れるが、いくら尋ねてもセンリツは答える気はないようだった。
「せいぜい思い知るといいわ。自分がどれだけ思われているかをね」
去り際に、言い聞かせるような言われたその言葉がいつまでも耳から離れなかった。