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ひそやかな呪い


 極端な性格だと言われてきた。基本的には自己中心的。自分のしたくないことは死んでもしない。その代わり、欲しいものの為ならどんな手でも使う。
 昔からそうだった。進級がかかったテストがあっても、机に噛りついて勉強するなんて嫌。でも落第するのはもっと嫌。だから、夜の学校に忍び込んでテストの解答を盗み出した。のちのちバレて大目玉食らうよりも、勉強する方が私にとってはナンセンスなのだ。

 ――そんな私の性格を体現したような念能力が『面倒くさがりな泥棒猫《スィーフキャット》』だ。
 この能力は、他人が行動した結果をそのまま手に入れることができる。手に入れられる物はあくまで対象者が行動した結果に限られる。泥棒が盗んだ宝石は奪えても、ショーケースに飾られた宝石は手に入れられないというわけだ。
 嫌いな努力は死んでもしたくない。けど何かと欲しがりな困った性分の私にとっては、まさにうってつけの能力といえた。
 
 念を発動させるためにはいくつかの条件をクリアする必要がある。発動条件は三つ。一、対象者の体に触れること。二、対象者が結果を得るまでの過程を知ること。三、対象者の望みを叶えること。
 厄介であり面白くもあるのがこの三つ目の条件。対象者の望みをどれだけ叶えられたかによって、入手できる物のランクが変わってくる。例えば、ランチを食べた後の満腹感を横取りするくらいなら、落とし物のハンカチを渡す程度でクリア。だけどそれが高価な宝石ともなると到底割りに合わなくなる。対象物の価値に見合う大きさの願望を叶えてやる必要があるのだ。
 使い方によっては悪事にも善事にも転ぶ能力だろう。でもそんなのはどうだっていい。私はこの力を己の私利私欲の為にしか使わないと決めている。

 ――だから、今こうして好みでもなんでもない男にホテルのベッドで組み敷かれているのも、すべて自分の為でしかないことを忘れないでいただきたい。

 ふうふうと鼻息荒く見下してくる男に悟られないよう唾を飲み込む。男の目は血走り、私の胸やら腰やらその下あたりを舐め回すように見ていた。すでに自分の手の内にあると確信しているのだろう。捕えた獲物を甚振るような目線に吐き気がする。精一杯の作り笑いを向けて男の名を呼べば下卑た笑みを向けられた。うへぇ、気持ちわるぅ。
 さて、どうしよう。ここ数日で頭に叩き込んだ男の情報をもう一度ふりかえる。大手の事務所に勤めるエリート弁護士。非常にプライドが高く、狡猾で、警戒心が強い。そして無類の女好き。特に若い女性が好みだとか。

「はぁ……」

 無骨な手がストールを剥いだ。もう片方の手はドレスのスリットに潜り込む。ぞわぞわと全身に鳥肌に立った。
 これまで散々相手の喜びそうなことを試してみたけど、まだ足りないみたいだ。やっぱりこいつの最大の望みはコレか。ああ、ついにやられちゃうのか。これまで散々危ない橋を渡ってきたけど、これだけは死守してきたのに。まあ今回は相手は悪かった。こっちもそれ相応の痛手を覚悟しないと……。

(いや、やっぱり気持ち悪い!)

 胸元に差し込まれる手を思い切り弾く。昨日急ごしらえで整えた爪の先が男の手を掠めた。骨ばった手の甲に赤い線が走る。途端に、男の瞳孔がぐわっと広がるのを捉える。――あ。見つけた。

「抵抗するなんて悪い子だな」

 ものすごい力でシーツに押さえつけられる。きつく睨みあげれば、男は一層愉悦を滲ませた。なるほど、気の強い女を制圧したいというわけか。悪趣味な男だ。
 身を捩って、男の腹を思い切り蹴り上げた。相手が怯んだ隙に髭が蓄えられた顎を鷲掴みにする。鼻先が触れ合うほどの距離で、挑発的に言い放った。

「気色悪いのよ、このクソ野郎」

 ――その瞬間、覚えのある充足感が全身に迸った。
 よし。発動条件は揃った。あとは適当な理由をつけて立ち去ろう……と思ってたけど、どうやら男の欲求に火をつけてしまったらしい。

「ぐ…っ、く、るし…!」

 抗えない力の強さに目を瞠る。なんなのこの馬鹿力。興奮状態の男に拘束され、冷や汗がにじむ。これはいよいよ覚悟する必要がありそうだ。あまりの嫌悪にぎゅっと目を瞑る。
 男の乱暴な手がスカートを捲り、その奥の下着にかかったときだった。

「ガッ……!」

 ガンと鈍い音が頭上で響いた。
 一瞬の呻き声の後、胸の上に何かが落下する感触。おそるおそる目を開ければ、眼前に整髪剤で固められた頭頂部があった。ピクピクと痙攣していたその頭はすぐに動かなくなる。
 状況が飲み込めず固まっていると、覆いかぶさっていた体がべりっと剥がされ、ベッドの脇へと放り投げられる。おかげでクリアになった視界の先には、見慣れたスーツ姿が立っていた。

「やべっ」

 思わず声がもれる。こちらを見下ろす怒りに満ちた表情と、わなわなと震える拳を見つけてしまったから。その後ろに呆れ顔のセンリツを見つけて、助けを求めようと手を伸ばすが、その前に脳天に拳骨が落とされた。

「いっだぁ!!」

 痛い!これは痛い!こいつ、鎖がある方の手で殴りやがった!
 涙目で頭を抱える私に向かって、クラピカは憤慨して怒鳴り上げた。

「勝手な真似をするなと何度言えば分かるんだ!」

 まさに怒り心頭なご様子。小さな輪郭におさまった形の良い眉や目や口といったパーツがすべてつり上がっちゃってる。おー怖。

「大人しく待っていろと言っただろう!私たちの到着が間に合わなかったらどうするつもりだったんだ!」
「どうするって、そん時はそん時でしょ。別に減るもんじゃないし…ってちょっ、暴力反対っ!」

 再び殴られそうな気配を感じ取って後ずさる。慌てて念を発動させ、出現したそれを手渡した。

「ほら、ちゃんと手に入ったんだから結果オーライでしょ!」

 ホルマリン液に満たされたケースの中に浮かぶ赤い眼球――緋の目を前にして、クラピカは一瞬言葉をつまらせる。この緋の目は、かつては床に転がっている男の所有物だった。どこに隠してたか知らないけど『面倒くさがりな泥棒猫』で頂戴させてもらった。
 ふふん、と鼻で笑う。どうだ、これで文句ないでしょう。しかし、それでもなおクラピカは食い下がった。

「……もっと別の方法があった筈だ。」
「別の方法?磔にして拷問にかけるとか?そんなのよりよっぽど平和的なやり方だと思うけど」
「この状況のどこが平和的だ」
「殴って気絶させたのはクラピカでしょうが!」

 ベッドの脇に押し退けられた男を指差せば、クラピカはツーンと顔を背けた。自分の都合の悪いことは知らんぷりかこの野郎。

「てかさ、マフィアの若頭ともあろう人間がこんな些細なことでいちいち目くじら立てないでよね。清廉潔白がモットーの政治家かっての」
「なんだと?」

クラピカの表情が一層険しくなる。

「お前には貞操観念というものがないのか」
「そんなのとっくにドブに捨てたわよ」
「お前はっ…!」
「あっ、また殴る気?ほんとあんたってすぐ手が出るわよね!」
「二人ともやめて!」

見かねたセンリツが声を張り上げた。

「クラピカ、落ち着いて。ナマエも逆撫でするようなことを言うのはやめて。今はこの状況をどうするべきか考えるのが先よ」

 諭すように言われ、啀み合っていた両者の勢いが削がれる。その隙に、剥ぎ取られたストールを肩に掛け直した。止まらない鳥肌を隠すために。

「……センリツの言う通りだね。ったく、クラピカのせいで余計ややこしいことになったじゃんか」
「最初に命令を無視したのはナマエだ」
「命令?あんたの部下になった覚えはないね」
「いい加減にして!!」

 いよいよ本気で怒らせた事を察して、二人ともピタリと黙り込んだ。


 ――緋の目の奪還。クラピカが若頭に就任した新生ノストラードファミリーが行う、唯一の非合法な活動だ。
 緋の目の所持者にはありとあらゆる人種がいた。塾講師、音楽家、投資家、資産家、牧師、教祖、政治家、医師、芸術家……時には金を積んで、時には脅しすかしてこれまで緋の目を取り戻してきた。しかし、そう一筋縄ではいかない相手も存在する。特に裏稼業に身を投じておらず、金を積んでも応じない相手は厄介だった。今回の弁護士がまさにそれだ。下手な脅しを働けばこちらがしょっぴかれかねない。そういうややこしい相手のときこそ、私の出番だった。
 相手の素性を徹底的に調べ上げ接触をはかり『面倒くさがりな泥棒猫』を発動させる。これまで私の能力で取り戻した緋の目は三つ。今日ので四つ目。なかなか素晴らしい功績じゃない?
 それなのにクラピカときたら、どうにも私のやり方が気に食わないみたいだった。人体収集家のド変態野郎どものお望みなんて碌でもないことばっかりだから、今日みたいな危険な目に遭ったのは一度や二度じゃない。汚いことだって散々してきた。クラピカは、自分以外の人間の手が汚れるのをひどく嫌がった。特に性的なことが関わる時の嫌悪といったら。まあ、だからなんだって話なんだけど。私は自分がやりたいことをしてるだけ。クラピカの意思なんて関係ない。


 ふと気が付くと、クラピカは手に持った緋の目を食い入るように見つめていた。その瞳には、深い憎悪と悲しみの影が窺える。過去を見据えるその瞳に、私が入り込む余地など微塵も存在しない。
 ねえ、こっちを見て。そんな幼い言葉が頭の中でだけ反芻され、決して唇を通じて出ていくことはない。

「あ、そうだ」

 感傷を断ち切るように、努めて明るい声をあげた。

「今回もちゃんと報酬はいただけるんでしょうね?」

 手元に落とされていた目線が、呆れた色を帯びてこちらに向けられる。

「支払いを怠ったことはないだろう」
「念の為よ、念の為。何のためにここまで体張ったと思ってんのよ」
「……はぁ」

 これみよがしにため息をつかれる。よし、これでいい。
 センリツが何か言いたげにしているのが分かる。クラピカには見えないよう口元に人差し指を当てれば、より一層複雑な表情を浮かべられた。

 ――かつて、彼女に言われたことがあった。「それじゃクラピカには伝わらないんじゃないかしら?」って。心音で他人の感情が読めるセンリツには、私の愚かな恋心なんて筒抜けだったらしい。観念して、己の心情をその時はじめて打ち明けた。

「こんな感情、今のクラピカには邪魔でしかないでしょ。それにあいつのことだから私の気持ちを知ったらきっと今までみたいに協力させなくなるよ。どんな形であれ、今は傍に居られればそれでいい。」

 センリツは心底驚いたようだった。

「貴女が本当はこんなに健気だってこと、彼に伝えられないのが惜しいわ」
「健気ぇ?私が?」

 その一言にゲラゲラと大笑いしたのを覚えている。どうやらセンリツには愛する男のために尽くす女にでも見えるらしい。心音が読めても、奥底に眠る算段までは読み取れないというわけか。
 笑いすぎて目の端に浮かんだ涙を指で拭う。理解不能な生き物を見るようなセンリツに向かって、こう言い放った。

「私はいつだって自分のためにしか行動しないよ。それだけは覚えておいて。」


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