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おそろいの檻 2


 夜になると、ひたすら静かだった。

 窓際に立ち、満月に少し欠けた月を見上げる。静かに光るそれをじっと見つめながら、昼に言われたことを思い返していた。

(どれだけ思われているか思い知れ、か)

 きっとセンリツの言葉に深い意味はない。そう片付けようとしてもどうにも心に引っかかってしまい、こうして月を見上げながら眠れない夜を過ごしていた。



 ――ふいに、キィ、と軋む音が響いた。足元に冷えた空気がまとわりついてきて、入り口の扉が開いたのだと分かった。

「起きていたのか」

 ドアノブに手をかけたまま、クラピカが目を丸くさせる。
 待ちわびていた相手の来訪に少しだけ早くなった胸の鼓動を落ち着かせるため、ひとつ深呼吸をした。

「うん。昼間に寝すぎちゃって全然眠くなくてさー」

 クラピカが眉を寄せる。

「感心しないな。昼夜逆転の生活は体に悪い」
「……それ、クラピカが言っちゃうんだ」
「何か問題が?」

 澄ました顔で言い切られて鼻白む。つい癖で言い返しそうになったがやめておいた。素っ気ない口調に混じった声の柔らかさに気付いたら、そんな気も失せてしまう。

「……入っても構わないか?」

 思わず苦笑がもれた。おかしなことを聞くもんだ。ここに閉じ込めてるのはクラピカなのに。頷くと、一瞬のしおらしさは何処へやら、クラピカは淀みない足取りでソファに腰かけた。少し迷ってから、一人分の隙間を空けて隣に座る。
 ちらりと横を見る。ついさっきまで外にいたんだろう。見慣れた黒のスーツはいまだ冷えた空気を纏っていて。繊細な白い横顔には疲労の色が滲んでいた。

(疲れてるのに、わざわざ様子を見にきてくれたのか……)

 そう思うと、どうしようもなく胸が締めつけられてたまらなくなる。
 居ても立っても居られず、早々にソファから腰をもちあげたところでクラピカに呼び止められた。

「どこにいくんだ」
「え?や、ちょっとキッチンに」
「……そうか」

 答えを聞いて満足したのか、クラピカは背もたれに体をあずけた。しかし、どうにも視線を感じる。そんな見張らなくても逃げたりなんかしないのに。
 スリッパをはいた足でぱたぱたと音をたてながらキッチンの方へと向かう。すぐさま目当てのものが見つかって、準備にとりかかった。数分を経たずに出来上がったそれをトレイにのせ、クラピカのもとまで運んでいく。

「はい、どうぞ」

 ソファの前のローテーブルに温かい湯気の立ったカップを置けば、ほんのわずかに首をかしげられた。

「ハーブティーだよ。外寒かったでしょ?これ飲んであったまって」
「あぁ、ありがとう」

 クラピカがこちらを見て表情を緩ませる。しかし、すぐさま目線を落とし、ぎゅっと眉を寄せた。視線の先には、私を繋ぎ止める念の鎖。
 痛ましげな顔を見ていられなくて、あわてて口を開いた。

「このお茶ね、センリツの手作りなんだよ。今日のお昼に持ってきてくれたんだ」
「報告は受けている。ナマエは昼過ぎまで寝ていたらしいな」
「げっ、そんなことまで話してんの?てか昼過ぎは言いすぎだから。昼前には起きてました!」
「たいして変わらないだろう」

 ことさらいつもの調子を心がけて会話を続ける。すると強張った表情が徐々に和らいでいくのが分かった。はじめは水と油のようだった私たち。それが奇妙に馴染むようになったのはいつからだっただろう。
 ふいに、人知れず最期を迎えようとしていたかつての姿を思い出す。あの頃と比べたら人間らしい血色に戻ってるけど、目の下には色濃い隈が見てとれた。

「ねえクラピカ、ちゃんと寝れてる?」

 つい余計なことを口走ってしまう。クラピカは目を閉ざすと、ツンとした態度でカップを傾けた。

「必要な睡眠はとれている」
「そうは見えないけどね。ぶっ倒れても知らないよ」
「自分の限界くらい把握している」
「その自己認識が人より振り切ってるから言ってるんでしょうが」
「……ナマエにだけは言われたくないな」

 低い声で唸るように言われ、すぐに口を噤んだ。この話題は鬼門か。じとりと睨まれ空笑いする。このまま説教モードに移行するかと戦々恐々したが、どうやら溜息でひとつで済まされたようだった。

「ナマエの方はどうなんだ」
「どうって、よく眠れてるのは知ってるでしょ。なんも変わんないよ。あーでも最近は暇を潰すのも飽きてきたかな」

 へらっと笑ってみせれば、クラピカはやっぱり渋い顔をして、深く息を吐き出した。
 クラピカが纏うオーラは淀んでいて、除念師探しが難航しているのは一目瞭然だった。予想通りの展開に安堵する気持ちもある。だがそれ以上に、罪悪感で心が押し潰されそうだった。このままじゃ、私の命が尽きるよりも前にクラピカが倒れてしまいそうだ。

 ――もう十分だ。十分すぎるほど、彼の時間をもらった。今は、一刻も早くクラピカを解放してやりたい。

「ねぇ、お願いがあるんだけど」

 口元は笑みの形を保ったまま慎重に切り出す。クラピカの透き通った瞳がこちらを見た。出会った頃よりも翳りを帯びたその瞳。細いあごの曲線を覆っていた金髪は、今は少しだけ毛先が外に跳ねていて。
 この先、彼の変化を傍で見届けられたらどんなにいいだろう。ふとそんな感慨がこみ上げたが、すぐに打ち消した。

「ここから、出して欲しい」
「……なんだと?」

 空気が一瞬で鋭いものに変わった。こちらを覗き込むクラピカの表情は、ひるみそうになるぐらい険しい。だが、引くわけにはいかない。

「だってもう一ヶ月だよ?いい加減飽き飽きしてるっていうか、最後くらい自由に過ごしたいじゃん」

 あらかじめ用意していたセリフをことさら軽い口調で伝えれば、クラピカは傷ついたように目を見開いた。見ていられなくて、うつむきながらさらに続ける。

「私も色々しておきたかった事とかあるしね」

 ――嘘だ。思い残すことなんてない。だが、こう言えば優しい彼が断れないことを知っている。
 本当は、クラピカのそばにいたい。でも、いつまでも彼を縛り付けていられない。どうしようもなく身勝手な私の最期は、一人で迎えるのがお似合いだろう。

「……だから、クラピカもそんなに自分を追い詰めないでよ。何度も言うけど、すべて私の自己満足でやったことだし、クラピカが責任を感じる必要ないから」

 手元の鎖を眺めながら滔々と言葉を続ける。
 最終的には了承してもらえる確信があった。クラピカは私をこの部屋に繋ぎ止めることに罪悪感を持っている。それは鎖を見た時の反応で明らかだ。そこを突けば、きっとクラピカは断れない。
 そうしたら、晴れて自由の身だ。私も、クラピカも。

 ――だが、その予想はたやすく裏切られた。


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