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賽は投げられた 2


「お嬢さん、ひとり?」

 声をかけられ、眉を顰める。めんどくさい。まずそう思った。他人と関わるのは苦手だ。それが知らない人間なら尚更。しかも声から察するに相手は男だ。ナンパとか死ぬほどめんどくさい。
 いま私は会員制の高級ナイトクラブのバーカウンターにいる。顧客の一人がオーナーをしている店で、しつこく誘われるのを断りきれず渋々足を運んだのだ。幸か不幸かオーナーは不在だった。まあいい。あとでメールの一通でも送っておこう。来たという事実が大切なのだ。
 クラブなんて騒がしいだけだと思っていたけど高級と銘打っているだけあって意外にも落ち着いた空間だった。一見すると一流ホテルのバーのよう。唯一、だたっ広いダンスフロアだけがクラブらしさを醸し出している。
 音楽に合わせて踊る人たちを遠巻きに眺めながら、適当に頼んだカクテルをグビグビ飲む。想像よりマシとは言え居心地が悪いことに変わりはない。一杯だけ飲んでさっさと帰ろう。そう目論んでいたのに、不運なことに声をかけられてしまった。
 一瞥もくれずに無視を貫くが相手が去る気配はない。仕方ない、追っ払うか。不愉快な顔を隠しもせず視線をもちあげる。
 薄暗い照明に照らされた男を見て、心臓が止まりそうになった。

「ああ、やっと見てくれた」

 艶のある短い黒髪。髪と同じ色の切れ長で大きい瞳。知的な印象を与える端正な面立ち。青いガラス玉がはめ込まれた印象的なピアス。
 途端に、頭の奥底にしまい込んでいた記憶がフラッシュバックする。
 ――あの男だ。間違いない。思い出の中で、陳腐なセリフを吐きまくっていた男。記憶の持ち主の偏ったフィルター越しでしか見れなかったその男が、今目の前にいる。
 まさか、こんな偶然――あるわけない、か。

「オレも一人なんだ。約束していた友人が急に来れなくなっちゃってね。よかったら一杯ご馳走させてくれないかな?」
「……」

 無言を貫くが、柔らかい微笑を浮かべたまま隣に座られてしまう。柔和な面立ちに相応しい澄んだ声と清潔感を纏った男はいかにも好青年といった感じだ。しかし私の目には稀代のペテン師にしか見えない。
 思い出の中で見た男の表情と、目の前の無害そうな笑顔がピタリと重なる。あの時とまったく同じだ。さも偶然を装って、爽やかな笑顔を振りまいて距離をつめてくる。言いようのない恐怖と不安が胸をつきあげてくるのを感じた。
 偶然なんかじゃない。この男は、とある目的のために私に近づいてきている。二つ目のキャラメルを食べて、男のとんでもない思惑に気づいてしまった。
 
 
 二つ目のキャラメルは、深い絶感から始まった。
 あの夜を境に男は消息を絶ってしまう。交換したはずの番号には繋がらず、男の名を調べても該当する人間は存在しない。依頼人の女性は絶望し、来る日も来る日も泣き続ける。二つ目のキャラメルは、終始悲しみに暮れる思い出のみだった。
 だけど、キャラメルを舐め終わる直前にひとつ気がかりな出来事があった。突然彼女の念能力が使えなくなっていたのだ。本人は精神的なものが原因だろうと解釈していたけれど、おそらくそれは間違っている。
 ――奪われたのだ。あの男の手によって。
 まるで何かの儀式のように行われた不可解な行為。きっと念能力を奪うために必要な制約なのだろう。あくまで予想に過ぎないが妙な確信を持てた。
 他人の念能力を奪える能力者がいたなんて。高揚感を覚えたが、熱はすぐに冷めた。思い出の中の世界で私はただの観客に過ぎない。しょせん他人事なのだ。名も知らぬ男の特異な能力を知ったところで、私には何の関係もない。……そう、高を括っていたのに。
 記憶を反芻して、改めて隣の男を見る。まさか思い出の中の人間と現実で対面する日が来ようとは。私が思っているよりも世間ってやつは狭いみたいだ。

「君と出会えてよかったよ。おかげで楽しい夜になりそうだ」
「はぁ」

 よくもまあ会ったばかりの人間にそんなこと言えるもんだ。うげーと舌を出したくなる。向こうの意図が分かっているからか嫌悪感が半端ない。
 男の目的は十中八九こちらの念能力を奪うことだろう。能力の詳細もある程度知られていると考えた方がいい。今からあの手この手で念について聞き出そうとしてくるのだろう。さて、面倒なことになった。これはさっさと逃げるのが得策だ。

「君、念が使えるだろう?」
「はぁ?」

 いきなりのど直球な問いに、思わず盛大に反応してしまう。おいおい、まだ会って数分だぞ。そんなに私はチョロそうに見えるのか?

「ああ、警戒しないで。念を使える女性と会えて嬉しかっただけなんだ。オレも同じだから」
「……へぇ、そう」

 思わず睨みつけると、男は慌てたように振る舞った。そのわざとらしい素振りがますます腹立たしい。

「オレ、普段は家に篭ってばかりでね。今日はたまたま友人に誘われて外出してみたんだけど、まさか念を使える人と会えるなんて思わなくてさ」

 よくもまあこんなにぽんぽん嘘が出てくるもんだ。こちらの刺すような視線をものともせず男は続ける。

「君のことが知りたいんだけど……ダメかな?」
「……」

 どっかで聞いたセリフに辟易する。こうやって甘く囁けば女は落ちるとでも思ってるのか。馬鹿にしやがって。
 記憶の中とまったく同じやり方を仕掛けてくる相手に無性に腹が立った。感情の高ぶりが冷静さを失わせていく。関わらない方が良いと分かっていても、このスカした優男に仕返ししてやらないと気が済まない。
 ――決めた。絶対に吠え面かかせてやる。
 半分以上残っていたカクテルを一気に飲み干す。グラスを置いて、口元に笑みを刷いた。

「私に興味があるの?」
「あぁ、とても」

 低い声でそう返され、ぐっと距離を詰められる。怯みそうになるのを堪えてゆっくりとした動作で腕と足を組んだ。今まで食べた思い出の中から、とびっきり高飛車な女を思い出して模倣する。

「あなたも念を使えるんでしょう? 見たところ大した使い手には見えないけど」
「参ったな。その通りだから何を言い返せないよ」
「はっ、それでこの私に声をかけるなんていい度胸してるわ。私はね、神に選ばれた特別な力の持ち主なのよ」
「へぇ? それは興味深いな」

 我ながらなかなかの高慢ちきっぷりだ。しかし男の鉄壁の笑顔は崩れない。

「ウォッカを一つ。彼女にスクリュードライバーを」

 先ほどよりも度数の高いカクテルを選ぶのは酔わせて吐かせようって魂胆か。上等だ。運ばれたカクテルを一息で呷る。これくらいじゃ酔わないけど、あえて酔っているように据わった目で男を見た。

「私の能力、知りたい?」
「是非とも」
「ふふ、貴方みたいな男にせがまれるのは悪くないわね。特別に教えてあげちゃおうかなぁ」
「君の目にオレはどう映ってるの?」

 男の手がこちらに伸びる。が、反射的にその手を跳ね除けた。

「でも、タダで教えるのはつまらないわね」

 不敵な笑みを含んだままとある場所を指差す。バーテンダーの背後にある鏡張りの壁に並ぶワインボトル。そのうちの一つ、見覚えのあるラベルのワインを指し示した。

「あれをご馳走してくれるなら教えてあげてもいいわ」

 いつか見た雑誌の中で取り上げられていた年代物のワイン。たしか、相当値段が張るもののはずだ。事実、話題にあげただけで店員たちがこちらに注目してるのが分かる。すると素知らぬ顔でグラスを磨いていたバーテンダーが「こちら、通称『神の祝福』と呼ばれるブヌーム産のシャルドネでございます」と教えてきた。間違いない、あれだ。恐ろしい金額が脳裏に浮かんで冷や汗が滲むが、決して顔には出さず男を見据える。さあ、どうする。
 しかし、その顔色には一片の翳りも見えなかった。

「あれでいいの?」

 さらりと。なんでもないことのように返され、躊躇なく注文される。え、うそ。驚愕で固まっている間に、ワインがグラスに注がれてしまった。

「どうぞ?」

 軽やかな笑みが向けられる。あまりの余裕ぶりに、頭に熱が上っていくのを感じた。ここで怖気付いたら負けだ。

「いただくわ」

 グラスを無遠慮にとり、味わいもせず一気に飲み干した。店員が信じられないとばかりに顔を顰めるのを視界の端で捉える。もったいないのは私だって分かってる。

「とっても美味しいわ。おかわりをいただけるかしら」
「もちろん」

 男は口元の笑みを一層深めた。
 
 まだ足りない、まだ足りないと繰り返し、高級なワインを次々と飲み干していく。いったい合計額はいくらになっているんだろう。想像するだけで恐ろしい。だが引くに引けなくなって、ついにワインボトルを空けてしまった。

「さて、そろそろ満足してもらえたかな?」
「……そうね」

 にっこり笑う男に恐怖を覚える。意趣返しに高い酒を飲みまくってやろうと思ったけど、キリキリと痛む胃に耐えられそうにない。ここは一旦折れよう。

「私はね、人の記憶を読み取ることができるの」
「記憶を? へえ、それは珍しいな」
「そうよ。とぉってもレアなんだから。なんたって特質系だし」
「すごいな。どうやって人の記憶を読み取れるんだ?」

 さも初めて聞くかのような反応を見せ、興味津々とばかりに身を乗り出してくる。さぁ、あんたのお望みのものをくれてやる。

「簡単よ。対象者に触れるだけ。あとね、読み取るだけじゃなくて消すこともできるの」

 底なし沼のような瞳に、一瞬ギラリした光が宿る。震え上がりそうになる体を叱咤して、酔っ払いのフリを続けた。

「嫌な思い出を綺麗さっぱり忘れちゃいたーいって人とか、誰かの記憶を消したい奴とか、そういう色んな事情を抱えた人間が私のところに大金積んで訪ねてくるってわけ。悪い人にはとっても都合の良い能力でしょう?」
「そうだな。悪用しがいがありそうだ」

 冗談交じりに男が笑う。あんたが言うと洒落にならない、と内心で詰った。

「でも本当なの? 記憶を読み取るなんて、そんな能力聞いたこともない。にわかには信じがたいな」

 挑発めいた口調はこちらの神経を逆撫でするためだろう。プライドの高い相手には有効な手段。脳裡に見た彼女ならきっとムキになってこう返すはず。

「何よ疑ってるわけ?」
「すまない。この目で見たものしか信じない性質なんだ」
「あなた、こういう場所でよく女性に声をかけてるでしょう」
「……」

 男から表情が抜け落ち、探るようなそれに変わった。どこまでも見透かされているような心地になる。居ても立っても居られなくなって、沈黙を破るため口を開いた。

「さっき手を振り払ったでしょう。その時に読み取ったの。ちょっとしか見えなかったけど、同じような場所で女の子を口説いてる光景が見えたわ。とんだ色男ね」
「……なるほどな」

 両手を小さくあげて「降参だ」と息を吐いた。

「わかった信じよう。すごいな、君は」
「当たり前よ。」
「記憶を消せるとも言ったけど、それはどうやるんだ?」
「簡単よ。この記憶消していい? って聞くだけ。どんな形でも受け入れる合図がもらえたらそれで消せる。たとえ本人が本当は消したくないって思っててもね」
「なるほど、恐ろしい能力だ」

 台詞とは裏腹に、男は満足気に笑った。途端に、獰猛な獣の檻に放り込まれたような錯覚に陥る。本格的に狙いを定められたのだと悟った。
 男はふと笑い、目を細める。文句のつけようのない柔和な優男の顔に塗り替えられた。

「君の能力に比べたらオレのなんて平凡でつまらないものだよ」
「なによそれ。私はこれだけ話してあげたのに、あなたは教えてくれないわけ?」
「まさか。教えるさ。秘密は共有するものだろう?」

 男は手の上に本を出現させた。あの時みた本と同じ。ごくりと生唾を飲み込む。

「オレは古文書を集めるのが趣味でね。世界中のありとあらゆる文学をこの本に収めることができるんだよ」

 淀みない口調で説明されるが、出鱈目だと分かっている以上まともに聞く気が起きなかった。それよりも、現れた本から目が離せなくなる。
 依頼人の女性は、自らの念能力を明らかにし実演までしてのけた後、最後に本の表紙に手を合わせた。そうして念能力を失ったのだ。
 今、まったく同じことを仕掛けられている。きっとこの後は『表紙の手形に手を合わせてごらん。面白いことが起きるよ』なんて言われるに決まっている。

「だけどこの能力にも一つ面白いところがあってね。試しにこの手形に手を合わせてみてごらん?」

 思わず笑いそうになった。なんてワンパターンな男なんだ。
 男は余裕たっぷりに微笑んでいる。もう手に入れたも同然ってか。酔った女を懐柔するのは楽だな。大方そんなことを考えているんだろう。
 腹が立つ。だけど何より恐ろしい。黄色信号はとっくに真っ赤なサイレンに変わっていた。でも、もう引き返せない。
 差し出される本に手を伸ばす。微かに震える指先には気づかれていないだろうか。ゆっくりと手のひらを重ねると、奴は舌舐めずりをした。略奪成功ってわけね。

「――興醒めだわ」

 本の背表紙を掴み、後ろに放り投げる。思い切り投げたせいでかなり後ろの方から床に叩きつけられる音が響いた。男は目を丸くさせた。

「同じ念能力者を名乗るくらいだからもう少し面白みがあると期待してたんだけど、思い違いだったみたいね」
「そうか。それは残念だ」

 かなり嫌味ったらしい言い方だったが、男は意に介した様子もない。さっきまで爛々と光っていた瞳はもはやこちらを映していない。ワインの注がれたグラスをご満悦で眺めている。用は済んだ、そちらから帰ってくれるなら好都合というわけか。どこまでも腹立たしい男だ。

「ご馳走様」

 そう言い残し踵を返す。引き止められる様子はない。つい駆け出してしまいそうになるのを必死で押さえながら、その場を去った。


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