▽ないしょのおはなし





曇天の下、冷たい風から隠れるようにコートの襟を立てた人々が足早に去っていく。

皆が下を向いて同じように歩く様が面白くて、周りをぐるりと見渡した時、ふと白い何かが視界の端で翻ったように見えた。


流れる人間の群れに垣間見える白。



「…………先生?」


呟くような声に振り返ったのは、十数年前の記憶から抜け出してきたような何一つ変わらない恩師その人だった。



「シャル…君?」



驚愕に見開かれる淡い桃色の真珠のような瞳も、風に揺れる栗色の柔らかい髪も、心地よい音色の穏やかな声も。
思い出のままの、彼女が。


「え……え?先生?本当に?」

「えっと…その、驚いたわ。こんな所で会うなんて」


歩み寄って間近に見てみても、彼女は間違いなく流星街で自分が幼い頃世話になった人だ。

行方不明として、団長直々に捜索の指示が出されていたオレ達の先生。

諸事情であの街に帰った時、住人をなくして空になった学舎を確認したのは自分だった。
懐かしい雰囲気だけがそのままに、埃をかぶって色褪せたあの場所は彼女の不在の長さを表すようで。どうしてもっと早く戻らなかったのかと、漠然とした焦りと不安に暫くその場から動くことができなかった。


その先生が、今。


頭の中が安心と混乱でぐちゃまぜで、口を無意味に開閉するオレに先生は「場所を変えましょうか」と優しく微笑んだ。








「私の見た目が変わらないこと、聞きたいんでしょう?」


暖房のきいた小さなカフェで、温度差に赤くなった指先を擦りあわせながら彼女はそう笑う。
悪戯っ子のような少し幼さの残るそれは、旅団の他のメンバーは見たことがない、自分にだけ見せる特別なものだった。

先生は穏やかで大人びた人だと誰もが思ってるけど、それは半分間違いだ。

先生は子供みたいなイタズラが大好きだし、クロロ達グループの中でも年少だった自分がどうやったら皆を嵌められるか、作戦を考える時はいつも必ず助言をくれた。


皆も先生が好きだったけど、先生の特別な表情を唯一知っているのが嬉しくて誇らしくて。

内緒話をするみたいに声を潜めた彼女を見て、年甲斐もなくむくむくと湧いてきた好奇心。
思わず自分も顔を寄せて聞く姿勢をとった。



「念…って知ってるかしら?」

「うん、オレも使えるし。でもいくら念能力者は若さを保てるっていったって限度があるでしょ?先生それオレが最後に会った時から変わらないじゃん」


老化が遅れるにしても全く変化がないなんてあり得ない。

先生の元を去ってから十数年経っているのに。
凝をして彼女を見てみても一般人と同じようにオーラを垂れ流したまま、おかしなものは見えなかった。



「……これは、呪いのようなものよ」



胸に手をあて、目を伏せて先生は静かに過去を語る。



「昔、ある人に身体の成長を止める念をかけられたの。ずっと若い綺麗なまま側にいてほしいって頼まれて」

「それで?」

「人の成長を止めるなんて簡単にできるわけがないでしょう?いくつもの制約をかけたせいで、その人は死んでしまったわ」


あぁ、考えられなくもない話だ。

永遠の命なんて自然の摂理から外れた願いに囚われ、ろくに考えもしないまま能力を作ってしまったのだろう。
術者が死んでも残るタイプの能力だったならば、彼女が今という今まで変わらなかったことも辻褄が合う。

そして流星街から姿を消した理由も、恐らくは。



「ずっと見た目が変わらない人間なんて気味悪がられる……それが怖くて、ずっと呪いを解く方法を探してるの」



運ばれてきたコーヒーの湯気を見つめる表情からは、彼女の感情は読めない。

一体誰に、どんな経緯で念をかけられたのか。
気にならないと言えば嘘になるが、なんとなくそれを聞くのは憚られた。

先生は賢い。
この人が知らないことは存在しないのだと幼い頃から盲信していたオレが、今さら彼女の役に立つなどできるのだろうか。
そうでなくても、先生はきっと俺を頼ってくれない。彼女は誰も頼らず一人で生きようとしている……そんな気がした。

先生はオレ達が教えを乞う相手で、オレ達に教えを乞う人ではないから。



「ところで皆は元気?流星街を出たのは知ってるけど、今でも一緒にいるの?」

「え、あぁ…うん。何人か仲間は増えたかな」

「あら素敵。小さい頃から皆とても素直で優しいいい子だったものね、心配してたのよ」

「………えーと…」



言葉につまったオレに気付いた先生は慌てたように話題を変えた。
こういう気配りができる所が彼女が好かれる理由であるが…


…………優しいいい子、なんて言われたら自分達がまさか殺しや盗賊をやってるなんて言いにくい。

どうしよう。
先生をうまく誤魔化せる気がしない。



「流星街の住人は色々苦労するでしょう?シャル君は今は何をやって」

「く、クロロ!クロロが先生に会いたがってたよ!」



きょとり。

丸い瞳が瞬く。


まずいと思って咄嗟に話を遮ったはいいが、どう考えても不自然だった。
これじゃ明らかに隠したいことがあるみたいじゃないか。
全身から冷や汗が噴き出す。

で、でもクロロが探してたのは本当だし?
オレ的にはこれが本題だし?


「クロロ君…そう、ね」


けれどクロロの名前を聞いた彼女は、少し困ったように眉を下げて笑った。


しまった、と別の意味で内心頭を抱える。

そりゃそうだ。強くなったら必ず迎えに行くと宣言しておいて、20年近く経った今まで存在を忘れていたような男なんか。
念で成長を止められて、先生はすごく苦しめられた筈なのに口先だけで守ると誓った男はいつまで経っても会いに来ない。

子供の稚拙な約束でも、クロロはそれを裏切ったんだから。

オレだって先生に好意を寄せていたのに、一番彼女を特別に想ってるのはクロロだと知ったから譲ったんだ。
他の男なら嫌だけどクロロなら先生を幸せにできるんじゃないかって。
今となっては昔の自分が抱いていた好意は異性に対するものなのか、母親に対するものなのか判別はつかないが。


こんなことならオレが一緒に外へ連れ出してれば良かった。

本当に困った顔をするべきなのは彼女じゃなくてクロロだろうと、幼い頃のイタズラ心が顔を覗かせる。



「先生に会ったこと、内緒にしてもいいよ」

「え?」

「その代わり、また会いに来てもいい?」



これくらいの罰は与えたっていい筈だ。

先生を探すように言われたのは蜘蛛とは関係のない個人としての頼みだし、自分で迎えに行くと行ったんだから自分で探せばいい。

決めた!
オレは協力しない!


とびきりの笑顔で「いいでしょ?」と首をかしげれば、数秒目を瞬かせて先生はにんまりと口の端をつりあげた。




余談だが、別れてからすぐに先生の名前を聞かなかったことを思い出し、またすぐに会う約束をこじつけたのは決して他意はない。


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