▽好奇心は猫を○○





夜の町の喧騒が微かに響く路地の裏。

ネオンの光が届かないこの一帯は冬の寒さにも関わらず生温い空気が漂っていた。
錆びた鉄の臭いと荒い息遣い。
革靴の爪先に触れた物体を踏みにじれば醜い悲鳴が鼓膜を震わせた。

なんて汚い音色の楽器だろう。
唇を歪ませて転がる粗大ごみを蹴り飛ばす。



「暇潰しにもならないね。せっかく女を抱きにきたのに、私も運がないな」


ハズレもハズレ、大ハズレ。

巻き上げた金は上等な売婦を買うには足りなすぎるし、この昂った感情を鎮めるにはこの男達は脆すぎる。
時間も労力も無駄にしてしまった。全ては無謀にも絡んできたこいつらが悪い。

スーツの裾に血が跳ねるのも気にせず、くわえていた煙草を壁で揉み消す。
一人、離れた所に倒れていた男が逃げようと身を捩った。ああ、その怯えた目は悪くない。



「もう長いこと考え続けてるんだ。あの子供をどう壊してやろうか……特別手をかけて育てた大事な子だから慎重に方法を選ばなきゃならなくてさ。今の気分じゃダメなんだ。衝動的に終わらせてしまったら勿体ないでしょ?」

「ひ…ひぃっ…!く、来るッ、な…!!」

「強い殺気を浴びたのがいけなかったのか、自分でも抑えがきかなくて困ってるんだよ。食べても美味くない、殺しても楽しくない、無価値な君達はどうしようね?」



無害な娘を演じてたのに、無遠慮に殺気を飛ばしてきた彼は何を考えてるんだか。
なんとか平静は保てたけど、そのせいで興奮が治まらない。こんなことならあの場で襲ってしまえばよかった。

ゾルディックの長男坊、とりあえずキープはしたけど少しくらい味見してもよかった気がする。


適当な女でも抱けば満足するかと久々に男の格好をしたというのに、こんな血塗れじゃ娼館にも入れやしない。

恐怖に気を失った男の背に腰をおろし、さてどうしたものかと濁った空を仰ぐ。
ヒソカでも呼び出すか?あの子ならば喜んで期待に応えてくれるだろう。




―――――…が、しかし。

次の瞬間、その考えはものの見事に霧散した。




「あ」



暗がりの向こう、隠しもせずに気配が1つ近付いてくる。

足音を完全に消し、それでいてかなりの速度で迫ってくるオーラ。
私の“目印”が付いた元生徒。




「……ちょうどいい獲物見つけたね。ワタシ今機嫌悪いよ」




奇遇じゃないか。
私も今、素晴らしい獲物を見つけたところだ。


小柄でつり目、片言のハンター語を話す男。
昔から唯一自分に反抗的な態度を通していた問題児。

男物のスーツとサングラスのおかげで相手は私の正体に気付いてないらしい。
傘を片手に1歩ずつゆっくり歩み寄ってきた。




「これ、全部お前がやたか?」


「……………」


「気に食わない女の話聞かされて心底うんざりしてたとこよ。お前、そこでワタシに殺されろ」


「………………」




普通の人間が聞いたら青ざめるくらい理不尽な言葉と殺気をぶつけてくる男に、思わず声をあげて笑いそうになった。

気に食わない女、か。
だとしたら彼は私より運が悪い。いや、逆に運がいいのかもしれないけど。


気を抜けば笑い声が漏れてしまいそうで、なんとか拳を強く握り真顔を貫く。
床に這いつくばりながら怯えていた周りの男達が息をひきつらせて後ずさった。




「私じゃ君の憂さ晴らしにはならないよ」

「……その、声、」



ほら、凍りついちゃった。


サングラスを外し、後ろで1つに纏めていた髪を解く。

驚愕に見開かれる目を覗き込むように踏み出せば、靴音に反応してビクリと肩が跳ねた。




「君は相変わらず警戒心が強いね。小さい頃からそうだった。私が何をやっても絶対に信用しない、とても賢くて臆病な子供」

「……お前、なんで見た目が、いや、その姿、女じゃ…」

「警戒を怠らないのは良いことだよ。でもね、君は私に近付きすぎた。裏の姿を探そうとするあまり、せっかくの警戒を無駄にしてしまうんだ」



ただ警戒して離れていれば良かったものを、自分の力を過信して探りに近寄ってしまった。
自ら危険に飛び込むようなものだと気付けない、さながら好奇心に殺される猫のように。


ひどく動揺する男の前に立てば、ようやく我に返ったのか唐笠に仕込んだ刀を抜いて威嚇をしてくる。
あと半歩でも近付けば首を飛ばされそうだ。

私はヒソカと違って殺し合いを楽しむ趣味はない。
仕方なく動きを止めるため念を発動する。


爪先にオーラを集め、軽く地面を叩く。




「…………? っ!?」


「威勢のいい猫を手懐けるより従順な犬の方が好きなんだけど…フェイタン君は私の正体が知りたいみたいだし仕方ないね」

「貴様…!」




地面から生えてきたのは蠢く念の蔦。

咄嗟に飛び退こうとしたフェイタンの背後からも腕を拘束するように蔓が伸び、オーラを吸い尽くすための根が身体を這っていく。
生命力とも言えるオーラの大半を奪われ、ぐしゃりと力なく地面に崩れ落ちた。

常人なら気絶してもおかしくない状態で此方を睨み付ける余裕があるのは流石と言うべきか。
蔦でぐるぐる巻きになりながら憎々しげに見上げる瞳は、欠片も恐れを抱いていない様子で喜ばしい。


小柄な体躯を肩に担ぎ上げ、繁華街の方向へと足を進める。




「……どこ連れてくつもりか」

「楽しいところ」

「殺すならささと殺すね。ワタシ逃がしたら必ず百回後悔させてあらゆる拷問試すよ」

「ふ、ふ。殺すわけないじゃない。フェイタン君は私の大切な生徒だったのに」

「貴様は昔から胡散臭かた。何が狙いか?」

「そんな君が警戒するような大層な事は考えてないんだよ?私は君達が育つのを楽しみに待ってたんだ。それも含めてたっぷり教えてあげる」




どれだけ自分の警戒が的はずれだったか、無視するべきだったか、これから嫌というほど思い知らされるんだから。
捕らえた獲物に上機嫌で唇を舐める。

気丈に振る舞っていたフェイタンの表情が怪訝に曇るのを横目に、あまり優しくはできないだろうと今後の彼を思って少しばかり同情した。


彼はやはり、私よりずっと運が悪い。



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