▽臆病なきみ
シャルが先生に会ったという日から1週間が経とうとしている。
話を聞いてからずっと町中を探し回っているが、姿はおろか目撃情報すら集まらない。
時間が経てば経つほど彼女が別の地に発ってしまう可能性は高くなる。
持ち得る手段を尽くしても見つからないのならば、やはりもう何処かへ行ってしまったのだろうか。
焦燥感に急かされるように今日も仮宿から出ようとして、ちょうど食料調達から戻ってきたフェイとすれ違った。
「……団長、またアイツ探しに行くか」
「あぁ」
ふらふらと覚束ない足取りで目の下の隈をこするフェイは疲労の色が濃く滲み出ている。
そういえば最近妙な様子で帰ってきたことがあったな。
悪魔がどうとか、化け物がどうとか、旅団で一二を争う実力者のフェイには珍しく弱ったようだった。
他の団員が心配するほど憔悴しきっていたが、オレに報告が来ないあたり大したことじゃなかったのか。
まぁ…何があったか、この一件が片付いたらゆっくり話を聞こう。
「団長、アイツやめといた方がいいよ」
「それは蜘蛛としての忠告か?」
「………………、いや」
「……?」
意外だ。
昔から先生を嫌うこの男ならば「何か裏があるに違いない」などと危険性を訴えそうなものなのに。
何か言いたげに、しかし何も言わず、わかりやすく視線を逸らしてフェイはアジトの奥へと消えていった。
疑問が残りすっきりしないまま内心首を傾げ、今はあまり時間がないことを思い出す。
そうだ、まずは彼女を探さなければ。
アジトを出て、まずは人通りの多い大通りを進む。
今日はどこか気分がいい。
こういう気分の時はよく気に入りの古書を見つけたり興味深い宝を見つけたり、比較的良いことがおこりやすいものだ。
なんとなく今日こそは彼女に会えそうな、漠然とした良い予感にいつの間にか足取りも軽くなる。
女性が好みそうなジュエリーショップ、小洒落た雑貨店、古びた本屋にカフェテラス。
見える景色の1つ1つを流し見ながら考えるのは、最初の目撃情報を耳にした時からずっと変わらない言い訳じみた理由だけ。
彼女に会ったら、何を話そうか。
知りたいことはたくさんあるのに何から聞けばいいのか、考えようとすると1つも言葉が浮かばない。
オレは先生に会ってどうしたいのだろう?
自分で自分の行動が把握できないのに、彼女に会ったらなんて想像もつかない。
実際に会えば変わってくるのだろうか。
今はまず、一刻でも早く彼女に会いたい。
だから、
「は、放して…!」
大通りから裏道へ、半ば引きずられるように連れ込まれた彼女を見て
無理矢理彼女を壁に押し付けて身体をまさぐる男を見て
「―――…先生」
「……、え」
一瞬頭の中が真っ白になり、気が付けば返り血に赤く染まった彼女ば茫然とこちらを見上げていた。
右手に滴る生温かい液体が否応なしに思考を現実へと引き戻す。
殺した。
殺してしまった。
彼女の目の前で。
「クロロ君…?」
「……っ!」
怖々と呼ばれた名前は、疑問というより確認に近い響きを持っていた。
20年近く経過していても自分だと気付いてくれた喜びと、ずっと優等生を演じていたかつての努力が水泡に帰した絶望感。
まだ他人だと勘違いされた方が良かった。
平然と人を殺す自分を見て、彼女はどう感じただろうか。
怖がられたら、嫌われたら、やっと見つけた彼女に否定されたら。
「……あ!クロロくっ…」
赤い斑点の飛び散った白いワンピースを隠すべく、血に汚れていない自分の上着を頭から被せる。
動揺に彷徨いた瞳が隠れた隙をついて、急いでその場から逃げ出した。
慌てて名前を呼ぶ声に背を向けて路地の奥へ奥へと駆け抜ける。
乾いた血の感触が不快でならない。
あの人は何一つ変わらなかった。
容姿も、声音も、オレに対する記憶も。
彼女の中のオレは、知的好奇心が旺盛で素直な子供のままで。
オレの中の彼女は、無垢で穢れを知らない女性のままで。
何も、変わらない。
「いい子ねクロロ君。貴方はとても、賢い子」
変わったのは、自分だ。