★オバケコウモリは昇悪魔の夢を見るか? 中

・『オバケコウモリは昇悪魔の夢を見るか?』サンプル 中編(全3編)
・デリック×日々也中心。
・エクソシスト静雄とヴァンパイア臨也の世界観の近代ヨーロッパ。
・日々也がヴァンパイアの幼体のオバケコウモリなパラレル。


【2】

翌朝、少年はベッドの中で、不可解な音を聞く。大人しくしていろと言われたから、眠っていたのであった。それなのにこの金属音は何だ。
ガン、ガンとうるさく鳴り続ける、その在処は何処か。まだ覚醒していない頭で少年はベッドを出る。秋の朝は涼しく、足元の冷気に震える。物音は、箪笥の上から聞こえていた。
吊られた鳥籠の中で、羽虫のような何かが鳥籠にぶつかっている。一度ぶつかっては反動で投げ出され、もう一度ぶつかっては投げ出されを繰り返している。その姿には真っ赤な血が滲んでいた。

「お、おい!やめろよ、怪我してるだろ!」

少年は制止させようとするが、中の物体はやめようとしない。傷付いて、吹き飛ぶ回数が増えていき、鳥籠の床に転がってしまう。それでも立ち上がろうとするのを見て、少年は気が付いた。

「もしかしてお前、ここから出て、逃げたいのか?」

動きが止まる。羽虫は少年を睨み上げると、その羽を大きく開いてみせた。きいい、と鳴く。威嚇のようにも見える。しかし、羽虫ではない。見たことはないが、例えるならば絵本で見た妖精の様に、蝙蝠の羽を生やした小さな人間であった。彼には、中性的な顔立ちだが、紅色のマントを纏った少年に見えた。頭に載せられた王冠が目立つ。
少年は、とてもこの生物に危害を加える気分にはなれなかった。昨日だって気絶していた上に、今の様に流血沙汰になってしまった動物を悪い様にしたくはない。どうにか安心してもらい、手当てをしてやりたいが、指を入れたら噛まれてしまいそうだった。
少年が、未知の生き物への対処に途方にくれていると、バン、と部屋の扉が開いた。祓魔師である兄である。

「おい、何時まで寝てんだ。良い加減下りてきて飯食えよ」

うぇっ、と、思わず呻きが出てしまったのを、兄が聞かないわけがなかった。バケモノ以上の聴覚は、それこそ羽虫の羽音まで簡単に捉えてしまう。そして、少年の危惧していたことも簡単に起こしてしまうのだ。
青年は暫く少年の方を見ていたが、少年の目が泳いでいるのを見て、つかつかと部屋に入ってしまう。少年は慌てて青年を部屋から追い出そうとするが、無駄な徒労だった。青年が鳥籠を見つけてしまった。中身をまじまじと覗き込む。籠の中の生き物は驚いて威嚇をやめてしまった。

「なんだこいつ」
「あ、あのですね、兄ちゃん、これはですね?おれのことり……じゃなかった、ええと、ええと、そ、そう!妖精です!妖精!」
「妖精?」
「そうです、フェアリーです!小人みたいに小さくて、羽のついている!とてもかわいいでしょう?」

兄は祓魔師だ。悪魔や、その子供を見つけたのなら人に害をもたらす前に退治する義務がある。昨晩のヴァンパイアと互角に戦う彼がこの生き物を滅するのは、赤子の手を捻るより簡単だ。しかし少年は傷付いた憐れな姿に動かされたのか、どうにかして鳥籠の中身を粉砕しないようにしようとする。説得すれば、少しくらい望みがあるのではないかと期待して。しかし兄は、少年の予想を超えてしまう。

「俺には、ただの赤いスライムにしか見えないんだけどよ」

はい?……少年は思わず出したことのない、表記の難しい声を捻出した。赤いスライムと、小さな少年がどうしても等しいと思えない。自分の目がおかしいのではないかと、混乱してきてしまった。兄は更に追い打ちをかける。

「どうでもいいけど、赤いスライムなんて悪趣味なモン飼うなよ。とっとと捨てるぞ。窓から落としとけば死ぬだろ」
「うわわわ!だ、ダメだって!やめてくれ!」

フックに引っかかっていた鳥籠を取ってしまうと、青年は窓辺に近付き、鳥籠の扉を開けてひっくり返そうとする。少年は掴みかかると青年の背中を引っ張って阻止しようとする。その時、またもや部屋の扉が開いた。

「兄さん、デリック、スープ冷めるんだけど」

エプロンを纏い、レードルを手にした二番目の兄が、いつまでたっても食卓に来ない兄弟を呼びにきたのだった。少年は、顔を輝かせると二番目の兄に説得させようとする。

「か、カスカ兄ちゃん、助けてくれよ!兄ちゃんが俺のペットを窓から捨てようとしてるんだ」
「何がペットだよ、ただのスライムだろ、そこらへんの魔物だろ」
「スライムなんかじゃないって!」

二人が暴れるせいで鳥籠はガタガタと揺れる。その中では、小人が床や壁にぶつかって跳ね回っていた。まずい、このままでは傷が悪化してしまう、と少年はその様子に気付く。だが、鈍感な兄はスライムと言い張って聞かないし、逃がすといえば聞こえはいいが、三階から落とそうとしているのだ。そこで二番目の兄に願って、助け舟を出してもらうのである。
二番目の兄は、とりあえず兄を落ち着かせると、鳥籠の中を覗きながら言う。

「スライムにはとても見えないんだけど……と、いうより、ただの赤い小鳥だけど?」
「えっ……、でもカスカが言うなら、そうなのかもしれないよな」
「なんで俺とカスカ兄ちゃんで対応に差があるの?」

少年は疑問に思ったことを口にすると、さっと兄から鳥籠を取り返して、タンスの上に戻した。二番目の兄は、一番目の兄に、珍しく同情するような顔で背をさする。

「疲れてるんだよ、兄さん最近仕事多かったから。早く朝ごはんを食べよう、そうすればきっと良くなるから」

可愛がっている二番目の兄に説得されて、青年は部屋を出た。二番目の兄はちらりと少年を見ながら、小鳥の世話のために早く朝ごはんを食べにきて、とだけ告げる。
少年は鳥籠の中の様子を見た。小人はぶるぶると震えていた。知らない人間に次々と顔を覗かれて、わけもわからず捨てられようとし
ていたのだから。たとえ外に逃げだしたくても、そんな形で飛び出そうなど考えてもいなかっただろう。

「大丈夫、俺が必ずお前を守ってやるからな」

少年は小人に、できるだけ優しく声をかけて、その場を後にする。二番目の兄のことだ、何も考えていないわけがなかった。まずは彼に頼ることにしたい。
少年が食卓に出されていたミネストローネを口にする頃、青年は仕事に行ってしまった。その隙を待っていたのだろうか、二番目の兄が、少年の様子を伺いにきた。小鳥の様子はどうか、と尋ねる。少年が、実はあれは小鳥ではないことを述べようとする前に、二番目の兄は指摘した。

「あれは小鳥ではなくて、悪魔だ」

やはり兄もあの小鳥モドキの背に、蝙蝠の羽が付いていたのを見たらしい。あの生き物は悪魔なのか。それにしてはあまり強そうには見えなかったが、悪魔に大きさは関係ないのかもしれない。少年が、鳥籠の中身について考え込みながら、冷めてしまったスープを飲み切ると、兄は一冊の書物を見せた。古い皮表紙の本である。

「もう学校で悪魔学は学んだ?」
「インプまでなら……」

少年は下級悪魔の名前を口にする。兄の跡を継ぐために、祓魔師になるための神学校に通って十年、しかし未だに下級悪魔の存在しか知らなかった。二番目の兄は本を開き、栞のあるところまで捲ると、指で項目を叩いてみせる。

「ここに、詳しいことが載っているはず」

どうやら悪魔についての辞典らしい。一番上の兄によってここに転がり込んできた身で、教会の所蔵する書物を読んでよいものかと少年は戸惑ったが、あの謎の少年についてわかるのなら、と字を追った。
亜人族・人型・オバケコウモリ、とついた見出しの下、文章は限りなく少なかった……コウモリの羽を持った人間の子供の姿で現れる。大きさはリスなどの小動物程度。あらゆる悪魔の幼体として上級悪魔の配下に付いている中級悪魔。飛行能力は乏しいが、成長するに連れ姿が大きくなるとされており、危険度も増す。詳細な生態は殆どわかっていない……それだけ書かれていて、これでは何もわからないではないかと、少年が溜息を付くと、兄は倉庫から何やら多くの荷物を籠に入れて持ってきたところだった。籠には消毒液や包帯の他に、ワインやトマトなどが入っている。重そうに抱えてきた彼を見て、少年は小走りで駆けていくと籠を持つのを手伝った。倉庫の扉を閉めると、本よりももっと埃っぽい風が巻き上がった。
兄は、籠からトマトを取り出しながら少年の思わんとする考えに答えていく。

「これで例の子の世話を一通り焼いてあげるといいよ。何が主食かはわからなかったから、とりあえずイメージで」

イメージにピンと来なかった少年がハテナマークを浮かべる。

「あのオバケコウモリは、きっと昨日兄さんが 退治しようとしたヴァンパイアの仲間だろう。ヴァンパイアが血を吸うなら、牙の生え揃わない子供は、どんなママゴトをするのだろうか」

それでトマトやワインか、と合点の言った少年は、兄に礼を言うと急いで籠を持って自室に戻った。
自室の扉をしっかり閉めて、鍵を掛けた少年は、はじめにオバケコウモリの様子を観察した。オバケコウモリは鳥籠の隅で蹲っていた。元々小鳥が住んでいた檻なので、汚れが残っているのを気にしながら、できるだけ綺麗な部分を探して避難していたらしい。身体の多くの箇所から溢れた血は止まっているが、殆どはこびりついたままになっているため非常に痛々しい。少年は籠の中から脱脂綿に消毒液を含ませると、人間への手当てと同じで良いのか心配になりながらも、鳥籠へ近付いた。少年に気づいたオバケコウモリは、さっと顔をあげ睨み付けると、きい、とまたも威嚇した。しかしその声に勢いはなく、弱っていることがわかる。それでも一向に弱味を見せようとしないオバケコウモリに、少年はどうしたものかと頭を抱えた。ある程度の知能はあるものと見て、脱脂綿と消毒液を見せたら反応が変わるかと思い、より近くに寄る。オバケコウモリは後ずさった。

「怖がらなくていいんだよ、ちょっとチクっとしたらあとはとっても気持ち良くなれるから」

我ながらまるで危険な薬を取り扱う業者のようなセリフだと、少年は思った。オバケコウモリがますます懐疑的な視線を向けるので、もう一気に包帯を巻いてしまおうかと思ったが、それでは解決に繋がらないので諦めることにする。代わりに少年は、軟膏を塗ってみることにした。そのためにまずは、オバケコウモリを手に乗せて、そこから塗ってやろうとしたのだが、そもそも鳥籠から出ようとしないのでどうすることもできなかった。

「どうすれば許してくれるんだよ」

綿棒にでも軟膏を乗せて、そこから塗ってやるべきかどうか、たっぷりオバケコウモリの傷の治し方を考えていた少年に、転機が訪れる。
オバケコウモリが少しだけ此方を警戒するのをやめたのだ。少年が何も危害を加えようとしないのを見て、また誰の乱入もされないのを見て、これ以上外敵は増えないと認識したらしい。オバケコウモリは恐る恐る少年へ視線を向けた。
その好機を少年は逃さない。怖がらせないように、ゆっくりと鳥籠の扉の前に手を差し出す。オバケコウモリは、じっと手の動きを見つめていたが、やがてマントを引き摺りながら、出入り口へと足を進めるようになった。少年は、その移動が羽を使わない二足歩行であることに気づくと、すぐに逃げる心配はないことを確認した。或いは、飛べなくなってしまうくらい羽に傷がついたのかもしれなかった。
オバケコウモリは扉越しに少年の姿と手を交互に見比べて、危険が無いかどうかをたっぷり十分程使って確認していた。その視線が一点に集中して止まるのを待った少年は、左手で鳥籠の扉を開けてやる。カタン、という物音にも驚くオバケコウモリは小さな手でぎゅっとマントを握りしめた。そして一歩一歩慎重に鳥籠を出て、少年の手に乗り始めた。オバケコウモリは思っていたより軽かった。よく見ると人間のように服を着て、靴を履いているため、その白いブーツのヒールが特に皮膚を刺激していた。
少年は無事にオバケコウモリが手に乗ったので嬉しくなって笑いかける。しかしオバケコウモリは視線を逸らしただけで、手持ち無沙汰そうに立ち尽くしているままだった。そんなオバケコウモリに、まずは消毒を施さなければならないので、先程の脱脂綿をピンセットで掴みながら、ゆっくりとオバケコウモリの紅い頬を拭いてやる。傷口に沁みる痛みに驚いたオバケコウモリは、きぃ!、と甲高い悲鳴をあげてじたばた暴れたが、尻餅をついたところで脱脂綿を近付けるのをやめると、手で自分の頬を撫でて、血が付着していないことを知った。

「消毒だよ、消毒。もう少しだから、我慢してくれよな」

少年はオバケコウモリが落ち着く頃を見計らって、もう一度脱脂綿を押し当てる。すると、オバケコウモリは今度は何も言わずに大人しくしていたのである。
少年が適当に傷口を消毒して、軟膏を塗って、細かく切った絆創膏と包帯を巻いていく間、ずっとオバケコウモリは黙っていた。傷の手当の意味がわかるらしい。また、学習することから、やはり人間の幼児並みの知能はあるようだった。

「暫くはこのままだけど、そのうち治ると思うよ。安心して」

オバケコウモリは、じいっと少年を見上げていただけだった。言葉は通じていないようなので、少年は諦めてさっさと次の行動に移る。
オバケコウモリを鳥籠の中に戻してやる前に、鳥籠を手早く掃除する。掃除といっても、濡らした古布で前の住居者の名残を減らしていくだけだ。少年は、小鳥と過ごしていた事実がなくなっていくことに寂しさを感じながらも、掃除を続けていく。まだ幼体だというオバケコウモリに、動物の黴菌が移ったら大変だ、と掃除を終えたところで、鳥籠の床に真新しい布を敷いた。これで暫くは大丈夫だろうと踏んで、オバケコウモリを鳥籠へ入れる。オバケコウモリはゆっくりと掌から下りると、従順にその中へ入って行った。少なくとも、今日中に逃げ出すのはやめたようだ。
次に少年は食事を用意し始める。といっても何を与えるべきなのかはわからない。渡された籠の中にはトマト、ワイン、チーズ、パンが入っていたが、流石に時間が経って固くなったパンとチーズは、子供には不向きだろうとして、選択肢から除外する。残されたトマトとワインを見比べながら、幼体であるなら酒は尚更駄目だろうと、これも籠に戻してしまった。

「こいつは何を食べるんだろう……」

少年がオバケコウモリに視線を当てた時である。オバケコウモリが、少し大きめに口を開けて欠伸をした。その口には牙がなかった。待てよ、と少年は手を止めて気づく。そしてもう一度籠の中身を漁ってみると、スライサーとストローが入っていた。傍には小さな取り皿が用意されている。

「成程な」

二番目の兄は、こうなることを予感していたのかもしれない。今朝のあの短時間でオバケコウモリに牙がないことを見つけて、適切な方法に食材を加工することを考えたのである。流石は超有名俳優として毎朝新聞のエンターテイメント面を飾る逸材である。他人を観察することには長けているのだろう。
少年はトマトを半分だけスライサーに掛けて細かくやすると、小皿にその中身を移して、指ですり潰した。オバケコウモリはそのままでも食べるかもしれないので、まずは皿だけの状態で鳥籠の中に入れてやった。
オバケコウモリは赤いどろどろした物体にあからさまに警戒してみせた。そもそもこれが食べ物であるか理解していないのかもしれない。青臭いが食べられないものではないとする匂いがするだろうと思っているのは人間の感覚であって、悪魔にはそうでないかもしれないと少年は考えた。いつまで立ってもその場から動こうとしないオバケコウモリに、どうしたら食べる気を起こしてもらうか考える。そこで少年は、トマトを半分残しておいて良かったと思った。
少年は、半分になったトマトを見せつけるようにして、断面からかぶり付いて見せた。汁が飛び散るが、とても美味しい。

「あー、美味いなあ、超美味いなあ。トマトすげーおいしい。トマト大好き。農家の皆さんありがとう。トマト食べない奴は人生損してるわ」

所謂、毒味というやつである。少年はそれにしては誘導的で言動が酷すぎるかと思ったが、オバケコウモリはこれを食物だと理解したのか、小皿に近付いて、くんくんと匂いを嗅ぎ始めた。目で観察するだけでなく耳をすませてみたりもしている。そして、長い手袋を外し、鉛筆の芯より細い人差し指でトマトの果汁に触れると、すぐに引いて、舌先でぺろりと舐めた。暫く口を動かしていたがやがて飲み込んだのを見て、少年は安堵した。

「な?不味くなんてないだろ?」

しかし安心したのも束の間、オバケコウモリは、その後トマトを食べ続けることはしなかった。動作がぎこちない。少年はまさか悪魔にとってトマトは毒だったのだろうかとオロオロしていたが、やがてその視線に気付く。オバケコウモリの視線で、粗方のことが分かってきた少年は、もう片方の手に持ったストローにそれが当てられているだけで、何がしたいのか理解した。

「ストローで飲みたいって?」

ストローを鋏で短く切り、鳥籠に入れてやると、オバケコウモリは早歩きでそれを拾うと、両手で掴みながらトマトの皿に下半分を入れてしまった。そのままストローの口に吸い付くと、チューチューと中身を啜り始めたのである。

「汚したくなかったのかぁ」

動物のように貪れば良いものを、敢えてそれをしたがらない意思を持つ様に、少年は感動した。極悪非道と言われる悪魔にも、そんな人間じみた心があるのだと知った。思えば、最初この部屋に戻ってきた時にも、オバケコウモリはできるだけ汚れていない部分に座り込んでいたのだった。服や体を汚したくない、綺麗好きなオバケコウモリなのかもしれなかった。
オバケコウモリは半分のトマト果汁を飲み干すと、もう一つ欠伸をする。眠いのかもしれなかった。知恵があるといっても、まだ子供だ、人間では赤子に相当するのかもしれない。少年は、オバケコウモリの鳥籠に、小さめのハンカチを二枚いれてやる。オバケコウモリは一枚のハンカチを一生懸命運びながら、鳥籠の奥に敷き、もう一枚を抱えながら敷かれたハンカチの上に座った。そして暫く少年を見つめると、何も言わずにそのまま横たわり、二枚目のハンカチを掛けて、潜り込んでしまったのである。

「やっぱりな」

オバケコウモリの様子を見て、少年は、明日の学校帰りに寄るべき場所を見つけたのだった。
明くる日の夕方、少年はファンシーな袋を下げながら帰宅した。ただいま、と声をあげながら二階に上がると、二番目の兄のカスカが姿鏡の前で身支度を整えていた。

「あれ、カスカ兄ちゃん、もう行くのか?」
「急に今度の舞台の打ち合わせが入ったんだ。本当はもう少しここに居たかったけど、早めに出ることにする」
「そっか、それは仕方ないな」

カスカが帰ってきてからまだ三日と経っていなかったが、彼はまた都に赴くという。仕事柄仕方ないとは言え、少し寂しくなった少年だが、カスカから良い知らせを聞いて目を輝かせる。

「そういえば、昼の間オバケコウモリの様子を見たけど、ずっと眠っていたよ」
「マジで?それは助かった、これならギリギリ学校に行きながら世話ができるや」

少年は良かったと息を付く。オバケコウモリが夜行性であることが分かったため、昼の間は自由に動くことができるのだと確信したのだ。
少年は自分の持ち物をテーブルに乗せると、ジャケットを着せるのを手伝いながら、荷物を持って一階へ降りる。聖堂へ繋がる廊下とは真反対の、小さな勝手口から外に出た。もう既に迎えの馬車が来ている。それを何度も見てきたがその度に、兄は立派な人になったのだと実感する。
カスカは馬車に乗った中から弟の頭を撫でた。

「居ない間、タナカさんの言うことをよく聞くんだよ。あと、兄さんにも宜しく」
「わかった」
「また手紙を書くよ。小鳥のことも気になるしね」

鞭が、馬の体に打たれる乾いた音がした。嘶きと共に馬車が走り出す。冬の近付く夕日の中、一本道をひたすらに進む馬車と兄はだんだんと霞んで消えて行った。
見えなくなるまで見送った少年は、そうだ、と漏らすと慌てて住居スペースの二階へ駆け上がる。置きっぱなしにされた袋と通学鞄を引っつかむと、自室へ向かう。
箪笥の上の鳥篭には、オバケコウモリがハンカチに包まっていた。かと思うと、もぞもぞと動き始めて、ハンカチとハンカチの間からひょっこりと頭だけ出した。まだ眠そうにしている。

「ただいま」

オバケコウモリは声の主に気付いたのか首を回して少年を見た。特に驚きもせず、ゆっくりと瞬きをしただけである。
カスカの話からしても、昨日の昼間からずっと眠っていたようだ。疲れていたのだろうが、この時間に目を覚ますということは、少しは体調が回復したと見える。魔物らしく、逢魔ヶ刻から活動を始めるようである。
オバケコウモリに特に悪い変化が無いのを確認すると、少年はピンクの花柄の袋から次々と中身を取り出していく。それらは家具であった。ただし、ミニチュアの、ドールハウスに飾るための玩具の家具である。ちょうどオバケコウモリの背丈にぴったりとしていそうだと思ったので、急遽玩具屋で買ってきたものだ。彼はまず、設置する前にオバケコウモリを鳥篭から出すことを始めた。鳥篭の扉を開けて、手のひらを差し出してやると、オバケコウモリはのろのろと近寄ってきた。覚醒しきっていない頭で、目が、これから一体何をするんだ、と訴えている。

「今日はお前にプレゼントがあるんだ。でもその前にまず晩……朝ご飯かな」

少年はベッドに座り、オバケコウモリもその上に下ろすと、昨日と同じ生トマトペーストをストロー付きで与えてやる。気に入って食べているようで、その間に鳥篭でくしゃくしゃになっているハンカチを摘みだす。皺ができているが、汚れは一つもなかった。綺麗に使ってくれているようで世話が小鳥に比べて楽だ。そうはいってもオバケコウモリは、ただの小動物ではないため、もっとその人権、いや悪魔権を尊重するべきである。ベッドのシーツを取り替えるように、寝具代わりとして洗い立てのハンカチを、ミニチュアのベッドに敷いてやった。椅子にも小さな布をかけてやる。少年はなんだか楽しくなってきたが、まるで少女のようだと赤面したりもした。
三つの家財道具を鳥篭に設置すると、オバケコウモリの様子を見る。丁度食べきったところだった。トマトは綺麗さっぱりなくなっているが、口周りが少し汚れていたので小指で拭ってやる。手をベッドに置いてやれば、そのままよじ登ってきた。
そういえば、このオバケコウモリは知能があるけれども、そのレベルはどの程度のものなのだろうか。基本的に、話しかけても黙っていることが多いので人間の言葉が通じているかいないかわからない。此方が身振り手振りで説明したり、使い方を教えてやれば、学習してそれを次の機会に生かすことは、食事の件からわかっているものだが、本人から了承した言葉を聞き取れない以上、その真相は闇の中である。大体、オバケコウモリが単語の一つも知っているかも怪しい。知能があることと、言葉を扱えることは全く別物だからだ。
少年は手の上で直立不動のオバケコウモリに話しかける。

「お前、言葉はわかる?」
「ぷきぃ」
「俺は、デリック。ヘイワジマ・デリック。わかる?」
「ぷきぃ」
「これはトマト。ト、マ、ト。さん、はいっ」
「ぷきぃ」
「お前の名前は?」
「ぷきぃ」
「もう眠い?」
「ぷきぃ」
「……もしかして俺と話すのが嫌だったりする?」
「ぷきぃ」
「ああ、もう、全然わかんねえよ」

さてこの少年、デリックは、ほとほと困り果てると、オバケコウモリを枕元に置き、自分はごろりとベッドに横になった。
一体こいつをどうしたものか。デリックは考えた。現状、危害を与える素振りを見せないとはいえ、あくまでもオバケコウモリは悪魔である。人間を惑わし、そして人間が祓うべき対象である。その幼体を世話していると他人に知れたら、何と言われるか分からない。しかもそれを良く思わない人間がもうすぐ帰ってくるのだ。彼は、これをスライムと、わけのわからない扱いをしているが、何時オバケコウモリが悪魔の子だと明確にバレてしまうかわからないのである。
デリックは、そんなあやふやな境遇に置かれてしまっているオバケコウモリを見つめていた。

「お前も、俺のところに飛んで来なければ、今頃仲間と幸せにやってるんだろうなあ」

オバケコウモリの細かい黒髪を撫でてやれば、またしても、ぷきぃ、と鳴いて視線を逸らされる。あんまりじろじろ見ないでほしい、と訴えているように見えた。オバケコウモリは足を抱えて座ってしまう。折り畳まれた羽が開かれて、身体は縮込めているのに羽は、うーん、と伸びをしているようだった。
小さな羽は確かに蝙蝠のものだ。蝙蝠だけでなくヴァンパイアや数多くの悪魔が持つ黒い羽。薄そうな皮膜の割に、芯となって支えている骨は意外に丈夫そうである。紅色のマントから飛び出ている羽以外は、人間と全く同じ姿であることから、書物の中にあった、亜人という区分は正しいのだろうと想定できる。
この名の知れぬオバケコウモリは、とても中性的だった。体付きは子供ながらに確かに男性のものなのだが、顔は美しい少女のように見える。金色の瞳を長い睫毛で縁取られている様は、この辺りでは見かけない瞳の色であった。貴族のような、王子のような白くて金の装飾の施された服を纏っており、載せている金冠からも気品を感じる。もしかしたら自分とは違って、オバケコウモリたちの中でもかなりお育ちの良い方なのかもしれない、もっと言えば俺となんか口も聞いてくれない立場なのかもしれない、とデリックは思った。
階下で、扉の閉まる音を聞いた。この時間に教会に出入りする人間はいないだろうから、きっと兄が帰ってきたのだと気付く。急いでオバケコウモリを鳥篭に入れる。オバケコウモリは増えている家具に対して目を丸くしていた。これで少しは動物っぽい生活から抜け出せるだろう。デリックはランプを消して、兄に余計なことをされないように厳重に部屋の扉を閉めた。



2013.10.01

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