幼馴染 03


 少し緊張した面持ちの、あまり話したことがないクラスメイト。そんなクラスメイトは彼女の席まで来ると、小首を傾げる。可愛らしい仕草だった。
「佐久早くんと幼馴染ってほんと?」
「……」
 彼女は性格が特別良くも悪くもないので、その可愛らしい姿は幼馴染本人の前でした方が良いのではないかと思った。そこに辟易とした感情がないと言えば、嘘になる。
「幼馴染って言うか、幼稚園から高校まで?学校一緒だけ、だったというか」
 困った顔をして、軽く肩をすくめる。この遠回しの段階で気付いてくれと頼みながら、彼女はそれ以上言葉を重ねずにクラスメイトを見つめ返す。おまけに「ごめんね」と両手を合わせて見せた。
「そっかぁ。急に変なこと聞いてごめんね」
「ううん、私こそお役に立てずにごめんね」
 いや、私悪くないけど。でも、不要なことは言わないことが1番楽で、平和に終わる。彼女はもう無知で弱い生き物ではない。強くもないけど。それなりに、生き抜けるレベルには成長した。
 クラスメイトが席に戻っていく後ろ姿を見送って、ホッと息をついた。あれ、なんか嫌な予感する。彼女が後ろを振り向くと、教室の扉のところで古森と佐久早が喋っていた。しかも、佐久早がこちらをじっと見て、機嫌が悪そうに思い切り顔を顰めている。
 な、なんで。普段の彼女ならば、佐久早の元へ駆け寄って「ごめん。怒ってる!?」と確認しに行ったが、今はできない。さっきのクラスメイトと気まずくなるから。彼女はそおっと姿勢を元に戻した。さらに、背中に突き刺さる視線が厳しくなった気がした。
1
「……」
「……」
彼女の友人であるちーちゃんは、弁当に箸もつけず、ぼーっとしている彼女が気になって仕方ない。最近、彼女はあまり元気がない。落ち込んでいるというよりは寂しそうに見える。ちーちゃんはもぐもぐ、とサンドイッチを食べながら、何かあったのかなぁとのんびり思い返す。直近で、彼女が元気な無くなりそうな出来事はあっただろうか。確かに、もうすぐ期末テストがある。彼女はテストに焦るタイプではあるが、本気で落ち込んだり、やる気をなくしたりすることはない。
「あ、そう言えば佐久早くんって」
「え、聖臣くん!?」
急に声を大きくする彼女に、ちーちゃんはビクッと驚いて、ハムサンドのきゅうりと落としてしまった。彼女の何かを期待する視線に、申し訳なくなってきた。多分、私が言いたかったの、おっぽちゃんが知りたいことじゃない気がする。
「……え、えーっと、佐久早くんがおっぽちゃんの運命の相手だった?って気になって」
ちーちゃんが首を傾げると、彼女は目を丸くして、ストンと脱力して席に座る。ちーちゃんの言葉が、彼女の頭の中でうまく処理できなかった。
聖臣くんが運命の人?運命の人って、アレだよね、恋愛を含んだヤツ。恋人。聖臣くんが、恋人?誰の?私の?彼女は思考の海に沈むように、視線を下げてまた虚無を見つめてしまう。だって、分からない。聖臣くんは幼馴染で、友達と呼ぶには色々知り過ぎているし、距離だって近い。でも、恋人と呼ぶには距離がある。
約束をしてわざわざ会うことはしないし、でもいざ顔を合わされば、いつだって同じ距離で話せる。それこそ、定期的に会うことがある、イトコのような幼馴染。趣味が合うわけでも、共通点がすごくあるわけでも、なんでもない。本当に一人の人間として、ただ距離が近く、それなりに仲がいい。
彼女にとって、佐久早聖臣という男の子はそんな存在。それこそ、幼馴染という言葉がぴったりの関係。嫌いでも苦手でもない。むしろ、好きだ。でも、それを恋愛と問われると、答えに困る。
「……」
「おっぽちゃーん?おーい!」
「アッ」
「その反応。佐久早くんと何かあったの?」
「……実は」
 ちーちゃんに核心をつかれて、彼女はうう、と肩を落とした。
「最近、聖臣くんがそっけない気がしてて……あ、前からそんなに喋るって感じでもなかったんだけど」
「うんうん」
 そうだ。佐久早は隣の家に住む幼馴染とは言え、彼女とかなり生活サイクルが異なる。家の近所で遭遇するのは基本レアだし、学校ですれ違う可能性の方が高い。それに、学校ですれ違っても、誰かと一緒のときはわざわざ話しかけたりもしない。目が合えば、よっ!と軽く手をあげたりするくらいで。
「……でも、最近は目をね、ふいって逸らされてる気がするの」
「あー、気になるけど。気にし過ぎの可能性もあるっぽい、みたいな」
「そー。なんかしちゃったかなって気になっちゃって」
「……思い切って、話しかけてみるとか?それで今までと態度変わらなかったら、こっちの気のせいだし」
「う、うーん……」
 彼女は正論かつ実用的なアドバイスに、濡れてしまったアンパンマンと同じ顔になる。ちーちゃんの言うことは、最もだ。この気のせいをこのまま抱えていたくない。でも、もし聖臣くんに話しかけて無視されたら?今までにないくらい、そっけない態度をとられたら?そしたら、私も絶対凹む。落ち込む。泣いちゃう。彼女がうーうーと唸っていると、ちーちゃんは首を捻る。
「実は佐久早くんとケンカしてたり?」
「えぇ、そんな覚えないよぅ」
 弱って参っている彼女に、ちーちゃんもうーんと一緒に考え込んだ。
「でも、今のおっぽちゃん、仲直りできるか不安な感じに見えるけどなぁ」
「仲直り……いつもみたいに話せなかったら、どうしようって思って」
「あー……幼馴染離れのタイミングだったのかも?」
「そ、そんなベッタリ一緒に居ないよ!?」
「幼馴染離れは大袈裟かもしれないけど、疎遠になるタイミング?みたいな?」
「疎遠になるタイミング?そんなのあるの!?」
「ほら、中学で仲良かった友達と、今でも会う?」
「会う子もいるけど、会わない子も居ますね……」
「別に、今会わない子のこと嫌いになったとかじゃないでしょ?会わなくなった理由」
 イエス。彼女は黙って静かに頷く。絶望している彼女を残して、ちーちゃんも「そういうことだよ、うんうん」と頷いた。
「……聖臣くんと、このまま話せなくなるの嫌だな」
「ふふ」
「?」
「やっぱり、おっぽちゃんの運命の相手、佐久早くんっぽいね?」
 彼女は目を大きく見開いて、たっぷり固まる。そして、ぼふんっと顔を真っ赤にして、ちーちゃんに応えてみせた。
2
 一方彼女が佐久早のことで悩んでいる間、佐久早も彼女のことで悩んでいた。悩んでいたと言うか、思い返していた。最近、彼女がオドオドとした様子で自分を見つめてくる。正直、心当たりならある。でも、素直に彼女のことを許したくもない。いや、許すも何もケンカすらしていない。これはただ、自分が一人で意地を張っているのだ。
「はぁ」
 佐久早はゴロンと、ベッドへ転がる。ご飯も、お風呂も、歯磨きも、宿題も全て済ませた。後は寝るだけだ。
 寝る前に、基本スマホは見ないようにしている。ゆえに、時間を確認するときは、暗くても見えるデジタル時計だ。佐久早は時計を見上げて、そろそろ寝る時間だなと電気のリモコンのボタンを押す。暗くなった部屋を見ていると、何となく意識がぼんやりしてくる。自然に下がってくる瞼の裏で、しょぼんとしている彼女の姿が思い浮かんできた。
 俺はどうしてこんなに意地を張っているのだろう。どうして、と思うのに、嫌だと思ってしまうのだ。ものすごく、嫌だ。アイツが俺のことを気にしないのが、嫌だ。昔から、そうだった。俺がいつもアイツを追いかけて、引っ張っていた。確かに、最初はおばさんへのお礼のつもりだったけど、俺自身も彼女のことが心配だから探しに行ってた。
 でも、アイツが俺のことを気にかけたり、追いかけてきたことはなかった。その差が、とにかく嫌だ。今まで、なんとも思っていなかったのに。彼女に特別好かれたいとも、なんとも思っていなかった。それくらい俺と彼女の関係は元也曰く、平和だったから。
 あんな夢なんか見なきゃ、思わなかったかもしれない。「おっぽは俺がこれから誰と生きていくか……ましてや、どう生きていくかなんて、全然興味ないんだな」なんて。まるで、彼女に気にしてほしいと思ってるみたいで、それも嫌だ。
 佐久早は寝返りをうって、二度目のため息が溢れる。自分が意地を張っているのも、何が嫌なのかも、分かるのにどうずればいいか分からなかった。彼女が俺を追いかけたとして、気にかけたとして、だから何?という感じがして。自分のことなのに、意味が分からない。
 グシャグシャと自分の髪をかき混ぜると、従兄弟との会話を思い出した。
「俺に、佐久早のこと聞いてくるからさ。俺てっきり佐久早のこと好きだと思って
「……」
「聖臣?」
「あんまり、そういうこと考えたことなかった」
「そういうこと?」
「おっぽと付き合うとか、そういうの」
 彼女が俺のことを異性として、好き。俺だって、異性として彼女のことを見たことなかったし、彼女と恋人になるなんて、考えたこともなかった。そもそも、あのバージンロードを一緒に歩くのも、その先で待っているのも、俺ではダメなのか?俺は今まで彼女のことを遠からずにしても見守ってきたし、一緒に居て心地もいいし。何よりーー
「やだ。俺以外と、歩いて欲しくない」
 彼女を引っ張るのも、一緒に隣を歩くのも、彼女の髪がいい香りだと気づくのも、ぜんぶ俺がいい。
「……」
 佐久早は脱力するように目を閉じた。今夜は久々にスッキリと寝れそうだった。
 4
 佐久早聖臣は自分のことを特別生き辛いとも、気にしいだとも何とも思っていない。逆だ。周りが気にしなさ過ぎなのだ。佐久早は幼い頃からよく気付き、次のことを考えて備える質だった。その行動が第三者からすれば、「潔癖」や「ネガティヴ」に見えてしまうらしい。佐久早はそう言われるたびに、「慎重」なんだと主張してきた。加えて、始めてしまったら最後までやり通す性質。
 佐久早の性質は、とことんソロプレイに向きだった。そして、繰り返すようだが、佐久早はそんな自分の性質を特に何も気にせずに過ごしていた。友達は多くない。でも、居ない訳でもない。佐久早と同じくらい気にする尺度の数少ない友達はいたし、あまり構ってくれなくても両親も、姉兄もいた。
「キヨお菓子あげる」
「姉さん、急にダイエット始めたからってキヨにお菓子押し付けんなよ。キヨ、それ苦いチョコだけど、食える?」
「押し付けてないし。ちゃんとキヨ向けに個包装のヤツだよ」
 佐久早は姉と兄に頭を撫でられながら、チョコを一つ口に入れる。梅干しとは違った刺激に、佐久早は難しい顔をして兄にチョコを押し付ける。姉に返しても戻ってくるのは学習済みだ。
「ほら、やっぱキヨには早いって」
「キヨ、ブラック好きそうな顔してるのに」
「……苦いの好きじゃない」
「ほら
 姉も兄も、部活で色々と忙しそうだったが、塾に行く前、部活に行く前に少し構ってくれた。佐久早家は総じて自分のやりたいことに打ち込み、親もかなりサポートしてくれる派だ。ゆえに、親も姉と兄の送り迎えや準備で忙しそうだった。忙しくても、構ってくれる時間が少なくても、愛情がなかった訳ではない。
 そんな中で育った佐久早は、教室でクラス目標とされる「友達100人」があまり好きではなかった。自分は今のままで満足しているのに、その事実を否定されているような気分になったから。でも一番嫌だったのはクラス目標よりも、クラス目標の価値観を良しとしているクラスメイトだった
「んなっ」
 小学校の帰り道、彼女は不意にランドセルを引っ張られ後ろへ倒れそうになる。ただあまり力は強くなかった。なんとか踏ん張れた。彼女が後ろを振り返ると、幼馴染は変な顔で自分のランドセルを掴んでいた。
「おっぽは俺のこと、可哀想だと思う?」
「えぇ?」
 佐久早は彼女の腕を掴むと、今度は前に引っ張られて、彼女はとろとろと歩き出す。腕を引っ張る力がいつもより優しい。ぼそぼそと、「ランドセル引っ張ってごめん」と聞こえてきた。彼女は佐久早の手から自分の腕を抜くと、佐久早の手のひらを握る。
「どうしたの。誰かに何か言われたの?」
「一人でいること可哀想って今日言われた。クラスの奴に」
「エッ、聖臣くんクラスでハブられてるの?」
「違う。今最後まで読みたい本あるから、それ読んでるだけ」
「じゃあ、いいんじゃないかなぁ。聖臣くんが過ごしたいように、自分の時間ちゃんと生きてたら、いいと思う」
 妙に決め顔で親指を立てる彼女に、佐久早は訝しむ。
「おっぽ、またなんか見ただろ」
「うん。猫の恩返しのバロンのセリフ。面白いよ、今日一緒に見る?」
「……見る」
 佐久早が頷くと、彼女は嬉しそうに笑う。「聖臣くんが家来るの久々だねぇ」と手を楽しげに振る彼女に、佐久早は少し驚いていた。さっきまで勝手に自分を可哀想と言われて、不快でムカムカしていたのに。そんな気持ちが無くなっている。まるで、両親に悩んでいることを聞いてもらったときのようだった。
 やっぱり、彼女は幼馴染なのだ。友達以上、家族未満。「そのままでいいんじゃない?」とただ言ってくれる彼女が俺は好きだった。
 でも、彼女は俺のことを俺と同じように考えてない。
「最悪だ」
 夜中、不意に目を覚ました佐久早は舌打ちをひとつ。自分の気持ちを自覚した途端に、気付きたくもない事実に気付いてしまった。不毛な意地の張り合いはもうしばらく続きそうだ。

あとがき

- ナノ -