幼馴染 01

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「おはようございます」
 ハツラツとした声に、ぼそり、とした低い声が混じる。部員は振り返らずとも、自チームのエースと守護神が来たのだと分かる。三年になっても、主将になっても、早めに来る飯綱はパッと顔をあげて駆け寄って行った。
「古森、お前大丈夫か?」
「心配おかけしてスンマセン。この通り、元気です!」
 季節の変わり目に、風邪を拗らせてしまった古森はここ二日ほど学校を休んでいた。田舎の祖母のような顔をして心配する飯綱に、古森はマッスルポーズしてニコニコと笑う。飯綱は眉を下げて、「ならいいけど」と頷いた。「病み上がりだから、自主練今日禁止な」と主将らしい一言を添えて。
「佐久早も。最近追い込んでるから、今日はすぐ帰れよー」
「……はい」
 佐久早はビクッと肩を揺らして、小さく頷く。この人、本当に人のことよく見てんな……。ふたりの会話を素通りして、着替えようとしたら、これだ。佐久早は今日の帰りを想像して、少し気が重くなった。今日の朝も、古森を躱すので必死だったのに。

 佐久早が部室を足早に後にして、黙々と校門へ向かう。思った以上に気持ちが身体に出ているようで、佐久早は腕を勢い良く振って歩いていた。そんな佐久早の後ろを小走りで追ってくる人影があった。
「聖臣、今日早くね?」
「……」
 佐久早に追いついて隣に並ぶ従兄弟に、佐久早は「別に」と歩き出す。従兄弟……古森元也は特に気にしないで、佐久早の顔を覗き込む。
「聖臣さ、なんで教えてくれなかったんだよ」
「……」
 佐久早は視線を下げて、眉を顰めた。目の前の従兄弟は、「佐久早」と「聖臣」という呼び方を使い分けている。それはTPOだったり、古森の気分による。今回は古森の気分だ。古森が甘えるように「聖臣」と呼ぶときに、ロクなことがない。佐久早はめんどくさいと顔に張り付けて、算盤を弾く。ここでダンマリを決め込むか。端的に説明するか。どっちが自分の労力が少なくて済むか。
「聖臣が幼馴染だって教えてくれなかったから、俺ヤな奴になったんだからなー」
「……ヤな奴?お前が?」
「そー。俺が」
 古森の自惚れの言葉は、スルーして、佐久早はジッと古森を見つめる。古森は自分は言わないで、人にだけ喋らせる気かよ、と唇を尖らせた。おまけに、「聖臣、それはずるくね?」という追撃も忘れない。佐久早は至極面倒そうにため息をつくと、頷いた。
「多分、元也より先におっぽと会ってる。母親同士が仲良いから」
「じゃあ、マジの幼馴染じゃん」
「幼馴染にマジも何もないだろ」
 呆れる佐久早に、古森はムムッと怒った顔をして佐久早の脇腹を突いた。
「やめろ」
「うるせー。人類みな共通に女の子の幼馴染に憧れるんだよ!」
「主語デカ」
 佐久早は年相応の顔で、古森にフンッと鼻で笑った。
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「俺に、佐久早のこと聞いてくるからさ。俺てっきり佐久早のこと好きだと思って
「……」
 古森は頭の後ろで手を組んで、ゆっくりと歩く。多少佐久早と距離が出来ても、気にしない。声が届かなくなるほど、佐久早が遠くへ行ってしまう心配はもうないから。佐久早はジャージのポケットに手を突っ込んで、静かに古森の言葉に耳を傾ける。側から見れば、佐久早は「話聞いてる?」と尋ねられても仕方ないほど、その横顔は静かだった。
「聖臣?」
「あんまり、そういうこと考えたことなかった」
「そういうこと?」
「おっぽと付き合うとか、そういうの」
 トゲも距離もない声色に、古森は聖臣と楽しそうに佐久早の名前を呼ぶ。佐久早は「なに」と相槌を打つ。呆れもウザそうにもしない。そんな佐久早に、古森はニマニマしそうな頬を適度に引き締める。古森は佐久早とバレーをするようになってから、佐久早と過ごす時間が増えた。
 いまだに、この従兄弟は何を考えているか分からない。でも、古森元也は知っているのだ。“何を考えているか分からない”なんて、生き物全てに言えること。佐久早だけの、特別な特徴というわけではない。違う人間なのだから、分からなくて当たり前だ。
 その当たり前が分かっていても、佐久早が自分の傍で自然体でいるところ見ると、なんだか嬉しくなるのだ。分かりやすく言えば、野良猫が懐いて来たときの喜びと似ている。絶対、佐久早には言わないが。きっと佐久早が知れば、うわぁ……とドン引きするに違いない。
「てかさ、一個気になってたんだけど」
「なに」
「その“おっぽ”って何?あだ名?」
「……」
 佐久早は足を止めて、微かに眉を寄せる。幼い子どもに、車はどういう仕組みで動くの?聞かれた親と同じ顔をして、遠い記憶を掘り起こしてみる。小さな背中とと、プリーツスカートを揺らして階段を降りていく背中が重なる。そうだ。アイツは、まだあの癖が直ってなかった。

 佐久早は早生まれなので、同年代の子たちよりも成長がゆっくりだった。そんな佐久早がトコトコと歩けるようになった頃でも、彼女はよく転んでいた。そう、彼女は幼い頃からよく転ぶ子どもだったのだ。特に坂道や階段が酷くて、よくコロン、と転がったり、ずりずりと足を滑らせて、階段に座り込んでることが多かった。佐久早が水族館で見たタコと同じではないか?疑うぐらい、彼女の足首はぐにゃぐにゃだった。
「歩くのヤッ!」
「こらこら、聖臣くんくっ付かないの」
「……」
 互いの母親に連れられて散歩をすると、彼女は転ぶたびに佐久早におんぷして、抱っこして、と引っ付いた。佐久早も、最初は彼女の体重に耐えきれず尻餅をついていたが、今では引っ付かれても立ったままで居れるぐらいには二足歩行が様になっていた。佐久早は基本、彼女に理不尽に引っ付かれも何も言わなかった。自分にベタベタくっ付いてくる人間があまり身近にいなかったゆえに、あまり抵抗を覚えなかったのだ。
「ダメ。ちゃんと自分で歩きなさい」
「やだあああ」
 叫喚呼号。まさに、そんな光景だった。幼い子どもの泣き声はキンキンと耳に響く。佐久早が少し眉を顰めると、佐久早母が、佐久早を抱き上げて彼女から救出する。それがお決まりの流れだった。
 彼女自身も、そのことを気にしていたらしく、ある日彼女は両手を広げて歩くようになった。公園の平均台を歩くと一緒の要領だ。彼女は両手でバランスをとることで、転ぶ回数を減らそうとしていたのだ。その工夫は当たりだったのか。彼女は転ぶことが減って、テテテ……と色んなところに歩いて行くようになった。
 佐久早は引っ付かれることが無くなって、快適になった。
しかし、逆に彼女は自由に歩けるようになったことによって、迷子になることが増えた。
「聖臣くん、あの子知らない?」
「しらない」
 ふるふる、と首を横にふる佐久早に、彼女の母親は困ったなぁと眉を下げる。佐久早の母は、忙しい人だったので、佐久早はよく彼女の母親に預けられ、過ごすことが多かった。彼女は室内遊びが好きだった。自由帳に絵を描いたり、絵本を読んだり、レゴで動物を作ったり。佐久早は一緒に遊ぶこともあれば、隣でパズルをやったり、レゴで城を作っていた。
 二人は幼い頃から、一緒にいても別のことをしていることが多かった。
 今日も例外なく、佐久早は彼女と公園に連れて来られたが、佐久早は砂場で城を作って、彼女はひたすら枝で地面に書いていた。きっと丸書き職人がは新たなキャンバス(地面)を探して、公園を彷徨っているのだろう。
 佐久早は立ち上がると、公園の水汲み場まで向かう。彼女の母親は慌てて佐久早の後を追う。佐久早まで迷子になったら、冗談ではない。佐久早は蛇口を捻って、手を洗うと、母親が持たせてくれたハンカチで手を拭う。すると、佐久早は彼女の母親の手を繋いで横に並ぶ。
「……」
「聖臣くん一緒に探してくれるの?」
「うん」
「ありがとう」
 佐久早は彼女の母親と、彼女を探すことが増えていた。結局、丸書き職人は遊具がある公園ではなく、グラウンドまで旅に出ていたらしく、彼女を見つけた頃にはグラウンドは大小さまざま丸だらけになっていた。
「……」
「きよおみくん?」
 せっかく見つけたというのに、丸書き職人は両手を広げてまた旅に出ようとする。佐久早はそんな彼女の姿に動物図鑑を思い出していた。佐久早の好んで読む本は図鑑が多かった。物語よりも、色んな知識に触れる方が楽しかったのだ。その中で、子どものイラストが「どうして人間には尻尾がないの?」と問いかけていた。佐久早はその問いかけに衝撃を受けた。確かに、そうだと思ったのだ。尻尾の主な役割はサイン・バランス・移動・掴む等と言われているらしい。人間は進化の過程で尻尾を無くした。
 佐久早は常々彼女は尻尾があったらもっと歩きやすいのではないか、と思っていた。そうだ。彼女にとって、あの両手は尻尾なのだ。だが、彼女が自由に歩くとフラフラとどこかへ行ってしまう。親から離れることの危険を彼女は理解していない。
 佐久早は姉と兄がいるため、その危険性を理解していた。理解していたと言うより、姉と兄が言い聞かせられているのを横目に見てきた。佐久早の両親は遅い時間の帰宅になると、姉や兄を必ず迎えにいくし、幼い佐久早を家に一人留守番させることは基本的ない。佐久早は両親にベッタリと構ってもらうことは多くはなかった。でも、大切に育てられたことは間違いなかった。
 そんな佐久早と対照的に、彼女は無防備なのだ。知らない道でも、ぐんぐん前に進む。外遊びより、室内の方が好きなくせに。
「はぁ、もうあの子ってば」
「……」
 佐久早は最近見たアニメを思い出した。猫が尻尾を揺らして、迷子になった主人公を母元まで道案内する話だった。佐久早は困った彼女の母親と、もう既に歩き始めている彼女を見て、強い使命感を小さな胸に抱いた。
 俺がおばさんのとこまで、アイツを連れていく。
 佐久早は普段彼女の母親にお世話になっている。子どもである佐久早がそんな感情を持つ必要はないのだが、幼い頃から義理堅い佐久早は彼女の母親に恩返しをしようと思った。
「ん?……んッ!ん?」
「……」
 彼女は歩こうとして、足が前に進んでないことに気付く。足が重いのだ。ふんっと踏ん張ってみるが、進まない。おかしいと思って振り返ると、佐久早が立っていた。いつもより、目に力が入っている気がした。だが、彼女にとって、それは些細なことだ。この男の子は表情が乏しいが、嫌なことイヤ!とかなり強めに主張することを知っている。彼女が離しての意味も込めて、佐久早に掴まれている右手を揺らす。佐久早は首を横に振る。
「きよおみくん?」
「勝手に行っちゃだめ」
「……まだ書きたい」
「だめ。おばさんのところ戻るの」
「……」
 彼女はぶぅ、と頬を膨らまして、そっぽを向いた。おまけに、足を踏ん張って、全身で不満を体現してきた。佐久早も、顔を顰める。佐久早はうんうんと首を捻って、思いつく。
「……おっぽ」
「おっぽ?」
「あだ名」
「私の?」
「うん」
 彼女はパァと表情を明るくして、佐久早に引っ付いてきた。佐久早は記録力がいい。幼稚園であだ名をつけることが、女の子の間で流行っていたが、彼女はあだ名が付けてもらえなかった。と、拗ねていた。それを思い出した佐久早は、彼女の機嫌を取るために、あだ名をつけてやった。まだ小さな佐久早では、彼女に全力で踏ん張られると、流石に連れて行けない。彼女はご機嫌になると、大人しく佐久早に腕を引っ張られて行った。
 その日から、佐久早は彼女をおっぽと呼ぶようになった。 

「あーだから、両手広げて階段降りてるんだ」
「知ってた?」
「うん、まあ、俺も小学生の頃から一緒だし。たまに見たことある」
 あだ名の由来を聞いた古森は、佐久早と同じように昔の記憶を掘り起こしていた。佐久早と彼女はお家がお隣さんの幼馴染だ。古森も、佐久早家とは家が近い。同じ小学校に通うくらいには近い。ゆえに、古森も彼女とはそれなりに話したことがある。友達ほどではないが、知り合い以上であることは間違いない。
「でも、高校生になっても仲良い幼馴染って珍しくね?」
「そうか?」
 不思議そうにする佐久早に、古森はやけに真面目な顔をして大きく頷いた。
「俺も小学生の頃、仲良かった女の子とかいたけど。中学上がる頃には疎遠になったしなー」
「それは……」
「ん?」
「何でもない」
 こちらを振り向く古森に、佐久早は視線を逸らした。元也にとって、そんな大事な相手じゃなかったんだろ。言いかけた言葉は消えて行った。佐久早は知っている。この従兄弟なら、気難しいと言われている年頃でも、問題なく異性と仲良くすることが出来るだろうと。ただ問題なくは出来るだろうが、そこにエネルギーを使うことは間違いない。要は、気を遣うのだ。
 古森だって疎遠になることを望んではいなかっただろう。でも、疎遠になりたくない、とも思っていなかった。どちらもで良かった。たった、それだけのこと。元也は優しいし、良いヤツ……だけど、単純な博愛主義の男ではない。優しくて良いヤツで、周りが思っているよりも、打算的で底抜けに切り替えが早い。そして、他人と自分の境界線がハッキリしているから、他人に振り回されずに場の雰囲気を調節することができる。
「ふたりは、全然仲変わらないんだ?」
「たぶん。バレー始めてから話すの少なくなったけど、たまに夜ご飯一緒だったりするし」
「そっかぁ。世にも稀な平和な幼馴染だなぁ」
「……」
 佐久早はそこまで言うか?と少し首を傾げた。

あとがき

- ナノ -