共通√|後編

3
 静かな図書室が少しだけ賑やかだった。賑やかな音の出どころは、友達と一緒に調べものに励む生徒でも、雑誌を読んでいる生徒でもなく、カウンターだった。本の貸出を担当している生徒、図書員の二人がわちゃわちゃしていた。
「……」
「飯綱さん顔がにぎやか過ぎです……」
「なっ」
 飯綱掌は後輩の失礼な言葉に、口をへの字に曲げる。委員会の活動するために図書室へ来たら、顔色の悪い後輩が幽霊のように立っていた。 「何が……アッ、生理か。そんな顔色悪いなら、帰った方がいいんじゃないか?いや、でも俺が気付いてるって、知ったらイヤかも。てか、図書室の冷房寒くない?俺のジャージあるけどエトセトラ」飯綱は彼女を見つけた途端、それだけの情報量を顔だけで語ってくれた。
 一年も一緒に過ごせば、他学年でもそれなりに気がしれた仲になる。故に、図書委員として二年目の中に突入する二人は、特に彼女の方は飯綱に親しみ覚えていた。とっても。飯綱曰く、先輩を舐めているそうだが、とんでもない。彼女はただ飯綱に甘えているだけだ。
 飯綱は何か言いたげな顔のままため息をついて、彼女の膝にカーディガンをかける。彼女はそのカーディガンをお腹に当てて、ありがとうございますと笑った。おかしくてたまらない。だって、結局いつもジャージだの、カーディガンだの、貸してくれるのに。飯綱はいつもソワソワして、大丈夫かな?と過剰なほど気遣って、その上で見ないふりが出来ないから、こうやって手を差し伸べてくれる。彼女が飯綱の優しさを躊躇なく受け止めるのは、この優しさは彼女のための特別なものではないからだ。その証拠に、彼女は体育で体育館へ向かっているときに、すれ違いの先輩が飯綱のジャージを羽織っていたのを見たことがある。
 飯綱は爽やかでかっこいい。誰もが認める事実だ。それと同じくらい飯綱は親しみやすくて、人が良い。だから、飯綱くん……と控えめに呼ばれることよりも、「飯綱くんージャージ貸してっ」と声をかけられる。えーと言いながらも、飯綱は人が良いので貸してくれる。
 最初こそそんな飯綱の優しさにときめいて、勘違いする子は多い。しかし、気付くのだ。飯綱掌は女の子みんなに優しい。人類にやさしい。そんな男の子。だから、男の子と距離がある彼女も飯綱には気を許している。
「今日俺が受付やるから」
「お願いします」
「うん」
 ◇
 暇だ。そもそも、図書室に本を借りに来る生徒は多くない。しかも、今日は全部の仕事を飯綱がやってくれている。数少ない仕事もなくなった今、彼女は究極に暇だった。でも、身体の怠けさ、頭の重さに動く気力もない。でも、保健室に行くほどでもない。おそらく鎮痛薬が効いているのだろう。ただぼんやりとしてしまう。モヤがかかったような感じがして、何も考えられない。彼女は飯綱に申し訳ない気持ちを抱えながらも、何かをしようと気持ちにもならなかった。
 唯一できそうなことと言えば。スマホでTwitterを無意味に流し見することくらい。だが、代わりに仕事をしてくれている飯綱の前で、スマホをだらだら触るわけにも行けない。ワンチャン、飯綱が先輩ではなく、同級生なら、事情を分かってくれる女友達なら、スマホに手を伸ばしたかもしれない。彼女が無意味に葛藤している間でも、唯一できたことはペンのキャップの付け外しだった。カチッとはめては、カチッと外す。その繰り返し。
 飯綱は隣から定期的にカチッカチッと聞こえてくる音を、気にしないようにしていた。彼女自身は自覚がないらしいが、彼女はよく手遊びをするのだ。特に、この心身ともに調子が不安定になる時期に。飯綱は勝手に分析する。きっと不安定な時期だからこそ、規則的なことを一定に繰り返すことが落ち着くのだろうと。甘いものいる?と以前、飯綱がたべっ子どうぶつを彼女にあげたとき、彼女はティッシュの上に一枚一枚ビスケットを並んで遊んでいた。
「たべっ」
 そして、飯綱はたまたま「たべっ子どうぶつ」を持っていた。ジャージを貸した同級生からお礼に貰ったのだ。箱でははなく、食べきりサイズの「たべっ子どうぶつ」を。飯綱が、「たべっ子どうぶつ食べる?」と声をかけようとして、失敗した。いつもより、ぼんやりしている彼女は飯綱に不意につかれて、驚いてしまう。静かな図書室に、不協和音にも感じる音が響いた。彼女は反射的に隠れるように俯いて、飯綱はへらっと笑ってこちら見つめる生徒に謝る。
 彼女は静かに椅子を元の位置に戻して、キャップを失ったペンをカウンターへ置く。
「飯綱さん、すみません……」
「いや、俺も急に話しかけてごめんな」
 色んな意味が篭った一言に、飯綱は気にするなと笑う。彼女はその飯綱の対応に、顔が熱くなった。甘い感情なんて一ミリもない。恥ずかしかった。普段あれだけ飯綱に甘え倒して、舐めた態度ばっかりとっているクセに、いざっというときも甘えてしまって。ものすごく恥ずかしい。彼女は泣きそうな顔を隠したまま、カウンターの下へと潜り込む。
 現実逃避ではなく、さっき驚いたときに落としてしまったペンのキャップを拾うためだ。
「あ、俺拾うって」
「いや、大丈夫です」
「でも」
「いや」
 いやいやでもでも。互いにそんな遠慮を口にして、カウンターの下でもちゃもちゃしていると、彼女の身体が後ろへ傾いた。彼女はカウンターの下、つまり裏の木目に相合い傘を見つけて気が遠くなった。学校の備品にらくがきするなよ。そんな風に思いもしないと、正気を保てなかった。反射的に床に手をついていたし、頭をぶつけることはなかった。
 でも、飯綱は優しい。だから、狭い場所でも彼女を庇おうと動いてしまう。飯綱は彼女の背中を抱き締めるように支えることには成功したが、それ以外は失敗した。背の高い飯綱は思い切りカウンターに頭をぶつけて、彼女と前髪が触れ合う距離まで近付いてしまった。彼女は寄り目をするように無理やり飯綱から、視線を逸らしていた。
「……」
「……」
 そんな変な格好のまま互いに沈黙を破れなかった。彼女はどうしても飯綱に異性を感じてしまって、ぎゅっと両手を握りしめる。飯綱は彼女の小さな握り拳が震えていることに気付いて、口を開こうとした。
「あの……」
 不意をつく第三者の声。本を借りに来たピカピカの一年生は首を捻る。図書委員がいない、と思ったら、カウンターのしたから這うように出て来た。ホラーゲームかと思った。一年生が本で心臓を押さえて、ドキドキしていると、爽やかな上級生が眉を下げて笑いかけて来た。
「す、すみません、えっと本の返却ですか?」
「か、借りる方で」
「はい、えっと……」
 上級生の後ろの女子生徒は、上級生の背中に隠れて顔は見えなかった。
 ◇
「あ教室まで送っ」
「だ、だいじょうぶです。すみません、か、カーディガンありがとうございました」
「それはいいんだけど、あっ、気をつけてな」
「は、はい」
 彼女はギクシャクした雰囲気から逃げるように、図書室から出て行った。

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 運命占い。
 彼女が付録目当てで買っている雑誌の占いコーナーの名前である。毎月、星座ごとに運命の相手との出会い方が書かれているのだ。ちーちゃん曰く、月一回である運命の出会いはどうなのかと物議を醸し出しているが、占いは所詮占い。毎回ふたりで「今月も出会えなかったー」と嘆くのお決まりの流れだった。
 でも、今月は違うのだ。今月は運命の出会いがあった。
 ちーちゃんは興奮している彼女を前の席に座らせると、真剣な面持ちでスクールバックから雑誌を取り出す。ぺらぺらとゆっくりとページを捲り、占いコーナーのページを開ける。彼女も、見開きの1ページを見下ろして、ちーちゃんが星座をひとつひとつ指でなぞってく様子を見守った。指が止まる。
「今日前髪が触れ合うほど、見つめ合った相手が……あなたの運命の相手です。見つめ合った?」
「……合いました」
 彼女が頷けば、ちーちゃんもこくり、と頷いた。ちーちゃんのほっぺがピンクになって、声が小さく高くなる。
「で、どんな人だった!?運命の人!」
「えっとねぇ、運命の人は……?」
「運命の人は?」
 彼女は開きかけた口を閉じる。ちーちゃんは首を傾げて、あっと気付く。ちーちゃんの目がキラキラと輝いて、彼女の顔色は対照的に悪くなっていった。
「運命の人、被っちゃった?」
「……」
「その場合はね……」
「その場合のはね!?」
「うん、確かいつもページの一番下に……あった!
 目を瞑って最初に思い浮かんだ人が、運命の相手だって!」
 ちーちゃんは「瞑って瞑って」と彼女に催促する。彼女はドキドキしながら、目を瞑る。え、運命の相手って、誰だろう……。
 今日前髪が触れ合うほど、見つめ合った相手は三人の男の子。幼稚園からずっと学校が一緒で、付かず離れずの幼馴染。小学生の頃から学校は一緒だけれど、友達未満のクラスメイト。そして、優しくて親しみもあるのに、やっぱりカッコいい先輩。
「思い浮かんだ?」
「……う、うん」
「運命のお相手は?」
「私の運命の相手は……」
 彼女の言葉に、ちーちゃんは歓喜の声を上げた。

あとがき

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