頭の先からつま先まで

 校舎裏なんて、なんてベタな!ベタ過ぎる……!

「つかさくん」
「!」

 飯綱掌はギクッと大きく肩を揺らして、そろりと振り返る。そこには、古いドラマを連想してしまう彼女の姿があった。某ドラマの家政婦は見た!かのように、彼女が壁から飯綱を覗いていて、その顔は表情が抜けて落ちていて、怖かった。普段彼女が飯綱を呼ぶときは、つかさくん!元気よく、かつ可愛らしく、尻尾を千切れるように振っているから、余計に怖かった。

 飯綱のことを愛してやまい彼女は一年に一度、飯綱を困らせてしまう日がある。そう、バレンタインである。今となっては、バレンタインは誰にでも身近あるイベントである。むしろ、恋人だけのイベントという印象は薄くなっている気もする。それでも、バレンタインと恋愛は切り離せない関係だ。こうして、飯綱が呼び出されて、チョコともに告白されているのは何よりの証拠だ。

「名前びっくりするだろ?」
「……」
「ほら」

 おいで、と飯綱が両手を広げれば、彼女はタックルする勢いで飯綱に抱き着いた。飯綱は甘い香りがする彼女を抱き締めながら、眉を下げる。飯綱が女の子に呼び出される度に、不安になる。飯綱が好きだから、不安になるのだ。飯綱を疑っているわけじゃない。彼女は自分よりも大きい背中を掴んで、泣きそうになるのを必死に耐えた。

 だって、つかさくんこんなにもかっこよくて、優しくて、素敵で、絶対女の子が放っておくわけがない。知っている。彼女である自分が一番飯綱の魅力を知っている。普段から飯綱は告白されることはある。ただイベントになると、その頻度が間違いなく上がる。それに飯綱はとても優しい性格ゆえに、告白された後は疲れた顔をしている。それも知っているから、分かる。過去に自分も告白して、飯綱に同じを顔させてるから、分かる。

「つかさくん」
「うん」
「好き。世界で一番好き」
「うん、俺も名前のことが好きだよ」
「世界で一番?」
「……せ、世界で一番好き」

 飯綱は誰が見てるわけでもないのに、照れてしまう。でも、可愛い彼女からおねだりされば、応えるに決まっている。彼女は飯綱の胸板に頬を摺り寄せて、好きと言って、好きと返ってくる幸せを噛み締める。この幸せは当たり前じゃない。これからも守っていかないといけない。もう二度、飯綱に振られたくない。十代の彼女は青臭いけど、それだけ真剣に飯綱のことを愛していた。そして、飯綱も同じように、彼女のことを愛していた。決して上を向いてくれない彼女の、旋毛にキスをして、強く抱き締めた。

「名前さん、落ち着いた?」
「落ち着いた」

 彼女は飯綱の言葉にやっと顔を上げて、飯綱から離れる。飯綱は少し赤くなっている彼女の目じりを親指で撫でた。彼女はゆるゆると飯綱に撫でられて、目を閉じた。飯綱はそんな気持ちはなかったけど、彼女に目を瞑られると、自然に色付いた唇に引き寄せられてしまうのだ。

「ん……つかさくん?」
「えっと、俺今日名前に渡したいものあって」
「チョコ?」
「いや、チョコじゃなくて」

 飯綱は頬を赤くして、スラックスのポケットからゴソゴソと取り出した。そして、彼女を目を丸くする。目の前の、小さな箱のマークには見覚えがある。

「見て見て、彼氏からネックレス貰ったの」
「いいなぁいいなぁ!かわいい!」
「そこのブランド可愛いよね」
「えへへ」

 心底嬉しそうにネックレスを見せびらかす友達はとても可愛かった。彼女もつられて、頬を緩めるほど嬉しかった。ちょびっと、自分も飯綱からプレゼントされたいと羨む気持ちも生まれてしまったけど。

「その名前が俺の事信じてないって訳じゃないのは分かってるんだけど」
「え、え……?」
「名前がそんなに不安になるのは俺からの愛情表現?も、足りないと思って」
「そ、そんなこと」

 彼女は首を横に振って、否定する。それでも、彼女の目は飯綱の手の中にある、ものに夢中だった。飯綱が名前と呼んでくれることも、抱き締めてくれることも、キスをしてくれることも、連絡を取ってくれることも、それこそが何よりの証拠だ。飯綱に愛されている証拠だ。でも、私は現金な人間だから、喜んでしまう。目に見える形の、つかさくんからの気持ちに。

「名前指出して」
「……もしかして」
「うん、ベタだけどペアリング」
「つ、つかさくんもつける?」
「普段は無理だけど、デートのときとか付けようと思ってる」

 飯綱はらしくないことをしている自覚があったので、顔を真っ赤にしながら、彼女の指に指輪をはめる。小さい手、細い指先を見ると、やっぱり飯綱は彼女を守りたいと思うのだ。些細な不安からも、寂しさからも、全て。彼女を傷付けるものを全てから、彼女を守りたいと強く思う。ただ現実は自分の存在が彼女を不安にさせて、傷付けているのだから、せめてそれ以上に彼女を幸せにできますように。そんな誓いも込めて、飯綱はこのペアリングを選んだのだ。

 彼女は指を広げて、何度も何度も指輪の存在を確かめる。飯綱も自分の指に指輪をはめて、彼女の小さな手を取って、膝を付いた。スラックスが汚れることも気にしないで。彼女はえっえっ、と飯綱の行動に戸惑いながら、飯綱を見つめる。

「名前」
「は、はい」
「将来もっとちゃんとした指輪用意するから」
「!」
「これが俺のできる精いっぱいの、名前への気持ち」

 飯綱は彼女の白い指先に口付けて、彼女を見上げて、首を傾げる。俺の気持ち、伝わった?と。彼女は顔を真っ赤にして、溢れそうになる涙に耐えながら、頷くことしか出来なかった。



「飯綱……その、指輪!」
「まさか!」
「彼女ちゃんとお揃いか!」

 飯綱は午前の部活を終えて、急いで着替えていた。汗臭くないように、制汗スプレーや汗拭きシートで入念にすることは忘れない。仕上げに、指輪を付けて、よしと頷いて、そろりそろりと出て行こうとして、チームメイトに捕まってしまう。

「そ、そうだよ!名前と……」

 お揃いだよ!と言おうとして、視線を感じて、後ろを振り向く。そこには、相変わらず感情を読めない顔をして、飯綱を見下ろす佐久早の姿があった。飯綱は恥ずかしかった。たださえチームメイトから指摘されて恥ずかしいのに、後輩に冷めた目で、白い目で見られたら、飯綱の羞恥心が限界を超えた。

「お前どうせ彼女とお揃いで、浮かれてんなとか思ってんだろ!」
「いや、普段も部活中も付けてないのに、どうして付けてるのかなって思って」
「あ……、今から名前とデートだから」
「普段付けれないから、彼女さんとデートするときに付けてるんですね!」

 佐久早の後ろから、ひょっこり古森が現れて、にっこと笑う。飯綱さん彼女さんのこと、大切にしてるんですね!と言いたげな笑顔に、飯綱は余計に頬を熱くして、唇を震わせた。

「飯綱さんは」
「?」
「彼女さんのこと大切にしてるんですね」

 佐久早の言葉に、飯綱は逆切れしてしまった。恥ずかしいことを、言葉にされて、さらに羞恥心が飯綱を襲ったのだ。

「あ、当たり前だろ!俺は世界で一番彼女のこと好きなんだから!」
「……」
「あ」

 部室が一瞬、静かになる。佐久早はきょとん、と珍しく目を丸くした後、すぐにいつもの表情に戻して、「そうなんですか」と返事をした。古森は腕で口元を隠して、飯綱から顔を背けた。古森のぷるぷる、と震えている肩は丸見えだった。飯綱は正気に戻って、両手で顔を覆う。両側からイキイキとしたチームメイトの視線を、気配を感じて、この場から消えたくなった。

「さすが主将!」
「そんな主将にお迎え来てんぞ!」
「え、だれ?」
「誰って、飯綱……お前の愛しの彼女ちゃん以外ありえねぇだろ」

 チームメイトの言葉に、飯綱は急いで振り向く。そこには、部室の前で飯綱のことを待っていた彼女の姿があった。顔を真っ赤にして、スクールバッグをぎゅう、と抱き締めていた。その手には、飯綱とお揃いのペアリングが輝いていた。

「名前」
「私も、世界で一番つかさくんのこと好き」
「!」

 いつもと違ってしおらしい彼女の告白に、さらにその場は盛り上がってしまった。



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