かわいいおばか

「名字ってさ、木葉さんのこと好きなの?」

 いち、に、さん、と救急箱の包帯を数えていたら、唐突なチームメイトの言葉に包帯を落としそうになった。それなりに散らかった部室の床に座り込んで、部誌をかき込む赤葦の胡坐姿もすっかり見慣れたものだ。赤葦が副主将になって、同い年の私の方が気を使えずに頼れるだろうなんて先輩に言われて、私は意識して赤葦の傍にいるようになった。少し解けた包帯を巻き直して、私は救急箱へ包帯をしまう。ルーズリーフにかいたリスト表をクリアファイルに挟んで、ついでにリュックの中身を整理していると、「え、無視?」と声を掛けられ我に返る。

「あ」
「名字もしかして、忘れてた?」
「うん」
「よくマネージャーできてるよね」
「……嫌味?」
「正解。こういうのは分かるのに、たまにぼーっとしてる」

 赤葦は薄い唇にボールペンを当てて、おかしそう笑う。その完璧な小悪魔のような仕草に、つい無意識のうちに私は写真を撮っていた。そんな私に怒るでもなく、完璧な決め顔と目線を寄越してから赤葦は床に膝をついて、私の所へ寄ってくる。

「可愛いく撮った?」
「ちゃんと加工使った」
「かわいい?名字的にかわいい?」
「赤葦はいつでもかわいい」
「試合のときも?」
「そんときはかっこいい」

 クラスメイト、チームメイトの境界をふわふわする会話をするようになったのはいつ頃からだろう。私たちの初めての春高が終わって、先輩たちにとっての最後の春高がくる。いや、大会は春高だけじゃないけど。隣でスマホの画面を覗き込む赤葦の横顔をじっと見つめると、赤葦もこちらを向いて首を傾げる。「かわいい」「そう?」「うん、かわいい」赤葦は柔らかく笑うと、ジャージのポケットに手を突っ込んだ。何か言いたげな様子だ。

「わ、な、なに」
「名字さ」
「なに」

 急にのしかかって来た赤葦に私の身体は大きく横へ傾きそうになる。「ひーこしょばい」「名字さ〜」首に赤葦のくせ毛が触れて、首をすくめた。ぐりぐりと頭を押し付けられて、完全に私の重心はずれた。「ぎゃあ」「あ〜」私の情けない声と、赤葦のやる気のなさそうな声が重なって、私は赤葦に潰された。起き上がろうとしても、起き上がれない。どうやら赤葦が上からわざと覆いかぶさっているらしい。あ、これ押し倒してるって言うのでは。

「これさ、今部室開いたらやばくない?」
「ね、やばいと思う」
「うん、どいてほしいです」
「いやです」
「駄々っ子モードなの?」
「そうかもしれない」

 赤葦は器用に私の身体を拘束にしたまま横へ転がる。ジャージ越しに赤葦の足が私の足へ絡まって、初めて私は羞恥心を感じた。逃げようとしても、赤葦は当然のように私の腰を引き寄せる。こんな部室で、男女の交わりみたいなこと。「赤葦」「うん?」「これ恥ずかしい」「小さくなってる名字かわいいね」「……ばか」「灰原哀じゃん」茶化すな。顔を押し付けられる赤葦の胸板を押して、逃走を試みるが失敗に終わる。普段、木兎さんと比べて力がないなんて言われるが、そんなことはない。赤葦も、私から見ればゴリラだ。ドラミングしちゃうぞ。

「赤葦」
「名字さ、木葉さんにだけチョコ渡してた」
「渡してないよ、ちゃんと先輩たちとまとめて、って形だったでしょ?」
「……今日の昼休み、木葉さんに渡してたじゃん。俺見たし」

 なんだろう。恋人に浮気を疑われているような気持ちになってきた。赤葦は私を見下ろして、厳しい顔をしている。あんまり表情を変えない赤葦にしては珍しい。私は自分の記憶に巡らせて、あ、と思い出した。とってもシャイで、とっても奥手な友達に木葉さんに渡すよう頼まれたのだ。自分から渡しなさい!と最後まで叱咤していたが、彼女はインフルエンザにかかってチョコと手紙だけ預かってきたのだ。チョコが既製品で良かった。そのわけを赤葦に話すと、赤葦は視線を右上に上げて、口を開いた。

「もしかして、メガネかけてる子?」
「あ、そうそう」
「木葉さん確か可愛い言ってたよ、あの子のこと」
「じゃあ、脈ありかな」
「多分ね。で、名字は本当に個人でチョコ用意してないの?」
「してないよ」

 はっきり答えれば、赤葦が分かりやすいぐらいに眉を下げて私に抱き着いて来た。

「赤葦?」
「俺もう消えたい」
「え、ええ」
「名字から絶対貰えると思ってた。だって、俺と名字いい感じじゃん」
「確かにいい感じだけど」
「脈あり?」
「……あり、だけど、そっちは」
「大いにあり」

 互いに、互いが特別なことは薄々気付いていた。だから赤葦に、こんな度の過ぎたスキンシップを取られても、抵抗なく私は受け入れているのだ。赤葦は深くため息をついて、「え、ほんとうにない?」「ない」「マジか」ガチ凹みである。そんなこと言われても、学生のしがないお小遣いではいくつも用意できまい。赤葦のふわふわの髪を撫でて、慰めてみれば、ますます抱き締められる。いつの間にか私の方が上に来ている。カーディガン越しだとしても、胸に顔を埋められるのは恥ずかしい。撫でていた手で、赤葦の頭を外そうとするが頑なに赤葦は離れない。

「かたい」
「失礼だよ!下着つけてるから、多少かたいの!」
「……外す?」
「外さないよ」
「チョコ……」

 また胸に顔を埋める赤葦に呆れながら、私は必死にリュックの中身を思い出していた。なんか、なんかないか。だめだ、いつものお菓子は先輩にあげてしまった。チョコ、チョコ……チョコの代わりに、あ、あれだ。

「赤葦、私チョコもってる」
「ほんと?」
「た、大したものじゃないけど」
「名字から貰えるなら、チロルチョコでも、五円チョコでもいいよ」
「あ、ありがとう?」

 やっと解放された私はリュックからポーチを取り出した。確か、混ざってた気がする。「ちょっと、赤葦」「待てない」後ろから抱き着いて来られて、バカみたいに恥ずかしくなる。ブレザーがないだけで、とても心許ない。私が取り出したものに、赤葦は首を傾げる。次は素って感じ。さっきみたいに、あざとくない。

「リップ?」
「はい、チョコ」
「……あ、これテレビで見た」

 赤葦はまじまじとリップを見つめてから、くんくんと本当にチョコかどうか確認している。かわいい。そして、何を思ったのか、私の顎を持ち始めた。赤葦、何をしている。

「え?」
「こうやって、塗って使うんじゃないの?」
「……」

 まさか。普通のリップクリームと違った感触が唇にのって、甘い香りが漂う。赤葦はさっきとは違って、楽しそうに私の唇をチョコ一色に染めて行く。

「使うんじゃなくて、食べるか」
「いやいやいや」
「……イヤ?無理?生理的に?」
「……」
「同意がないと、俺訴えられちゃうかな」
「……イヤではないけど」

 赤葦の顔がすぐ目の前まで迫って、私は反射的に目を瞑る。赤葦のジャージをぐしゃと掴んだ。ガーディアンに赤葦の手が触れて、引き寄せられているのだと分かる。微かな息遣いにドキドキして、苦しい。いつまで目を瞑っていれば、と痺れを切らしそうになったときに、ふにと唇に冷たいものが触れた。ああ、あの、赤葦の薄い唇は冷たいのか。重なったと思ったら、離れて、にゅるとしたものに触れられて、目を見開く。「な、なに」「なにって、舐めてるんだけど」「え、あ、ちょっと」「んー」食べるようにキスをしながら、唇のチョコは綺麗に舐め取られてしまった。もう、終わりで、いい。気付いたら、赤葦の唇は私の唇を塞いでいた。

 赤葦らしくない熱い舌は私の口内を好き勝手に荒らして、私を押し倒した。……押し倒した?また?

「ちょ、ちょ、ちょっと」
「なに、あ、これ脱がしていい?」
「は、だめ、やだ」
「名字下にタイツ履いてるし、問題なくない?」
「ある、あるから、ぎゃあ、やめろ」

 私を寒さから守ってくれるジャージが赤葦の手によって脱がされていく。生足命なんて、言えないくらい寒さに弱い私の足は真っ黒なタイツが必需品だ。膝を曲げても、透けないタイツが好き。足を上に向けられて、スカートが捲れそうになる。慌ててスカートを押さえれば、赤葦がやっとこちらに向いた。

「赤葦嘘でしょ」
「これさ、木兎さんと黒尾さんがやっててバカだなって思ってたんだけど」
「そう思うなら、今すぐやめてほしいです」
「名字相手だと、かなりくるね」
「知らない、やだやだ」

 容赦なく人の足を開いたと思ったら、ジャージ越しに何とも言えない感触を押し付けられた。触れたことはない。でも、そこは興奮するとかたくなる、らしい。片手でスカートを押さえて、もう片方で顔を隠せば、赤葦が迫ってくる。「赤葦やだ、これ」「うん、動いていい?」「本気?」つい不安になって赤葦を見上げれば、赤葦が上体を倒してキスしてきた。そのキスを受け入れたことが合図なのか、赤葦の腰がゆるく動き始めた。

「んっ、んっ」
「名字もうちょっと足開いて」
「……こ、こう?」
「うん、やばっ、すげえ興奮する」

 余裕のなさそうな表情と声に、きゅんってなった。髪が床と擦れてぐしゃぐしゃになってるだろうし、赤葦に揺らされる度に、変な声も出てしまう。乱れて絶対可愛くもない私を赤葦はいつもより、ずっと熱い目で見ていて、腰が痺れそうになる。赤葦のものが押し付けられても、始めは違和感しかなったのに、変な気分になってきた。思わず足を閉じそうになる。スカートを諦めて、胸元のリボンを意味なくぐしゃ、と掴んだ。乱暴に腰を掴まれて、頭がおかしくなりそう。

「名字わかる?俺の当たってるの」
「……わかる。あのさ、赤葦」
「んっ、うん?」
「そういうの、親父くさい」
「……」

 赤葦が急に動きを止めて、不自然に笑顔になった。やばい。踏んだ。踏んじゃいけないもの、踏んだ。赤葦はキャラに似合わない声で、「えい」「ひい」私をひっくり返して、マウントを取ってきた。押し付けられるだけ、だったものが、完全に太ももの間に、きた。てか、挟まってるような、感覚。赤葦はもどかしそうな声を出すと、ごそごそと動きだした。嫌な予感がして、振り向くとジャージを下げようとしてる赤葦と目が合った。

「うわ、その姿勢で振り向くのやばい。えろい」
「ま、まって、まって、赤葦まさか」
「このままじゃパンツ汚れそうだから」
「いやいやいや」
「名字そんなに俺の見たいの?」
「え、遠慮しときます」

 完全に、本気で、赤葦はジャージを下げようとしていた。今、まさに下げてる音してるし。赤葦の手が私の腰に触れて、太ももの間にさっきよりも、形がはっきりと分かるものが入ってきた。「は、やっば」今日の赤葦の語彙力のなさの方がやばい。背中にぴったり赤葦がくっついて、腰を動かし始める。ぶれる視界の中で、赤葦に擦られるたびに自分の熱が生まれるみたいで、太ももをつい動かしてしまう。その刺激は赤葦にも、伝わるのか、赤葦のものがぴくぴくと動く。次第にタイツがべっとり、としてきた。

「あっ、やだ、赤葦」
「名字も濡れてきた?」
「もー、はずか、しい」
「かわいいよ。多分ここら辺だよね、入れるなら」
「あっ、やぁ、だッ」
「タイツぬるぬるじゃん。帰り生足?あ、ジャージ履くか」
「あっ、かーしっ、それやだッ」
「その呼び方木兎さんみたいだね」

 擦るんじゃなくて、タイツ越しでも遠慮なく私の中に入ろうする動きに、お尻がもぞもぞする。もどかしい。しゅっしゅって、服の触れ合う音がすっごいやらしい。気付いたら、カーディガンの上から赤葦の手が私の胸を揉んでいた。ちょっと乱暴に感じる手つきのはずなのに、気持ちがいい。「名字かわいい、すき」「なっ、んで、いま」膝が震えて崩れそうになっても、腰には赤葦の腕が回って、赤葦は私を揺さぶり続ける。お尻だけ上げている体勢が恥ずかしい。床に肘をつけて、腕の上に顔を伏せる。じゃないと、変に擦れて痛い。

「あ、かあし」
「ん?なにっ」
「わたしも、あかあし、のことすきっ」
「……ほんと名字のそういうとさ」
「なに、んう」

 強引に右腕で掴まれると、赤葦の方へ振り向かされた。背中に腕が押さえつけられて、少し痛いけど、それよりもずっと赤葦とのキスに夢中になった。身体が動くたびに、唇が離れかける。でも、赤葦が追って来て、舌を絡ませてくる。ぐちゅぐちゅ、という音が触れ合うどちらから、しているのか分からなかった。ふいに唇が離れて、後ろから腰を掴まれて小刻みに動かされた。赤葦の荒い息が耳にかかって、腰がゆれてしまう。

「ごめ、名字っ」
 
 赤葦に揺らされて、まともに返事ができない。赤葦は謝りながら、腰の動きを激しくする。タイツがべとべどになって、じゅくじゅくと濡れた音が部室に響く。滑りやすくなった赤葦のものは容赦なく私の感じるところを、擦りあげる。赤葦の、あつくて、きもちいい。よだれが垂れそうになる唇に必死に力を入れる。

「もうっ……」

 赤葦の動きが大きくなって、タイツごと、ぐいぐいと入って、目がちかちかした。嫌でも腰が揺れて、お尻が赤葦の硬い太ももに当たる。

「あっ、や、やぁん」
「……はぁ」

 どくどく、と心臓のような鼓動に下腹部がきゅんと感じてしまう。タイツにあつくて、どろりとしたものが沁み込む。赤葦はふぅふぅと荒い息遣いを繰り返して、私を強く抱き締めた。




「もうやだ。最悪」
「ごめん」
「ちょー寒い」
「ジャージ履いてるのに?」
「タイツぷらす、ジャージが必須なの!」

 後処理を済ませて、赤葦と私は日が暮れた通学路を歩いていた。赤葦はぎゃあぎゃあ喚く私のことなんて、興味なさそうにふぅんとスルーした。酷いやつだ。

「ならさ、こうする?」
「ひい」
「多少温かいでしょ」
「ぽ、ポケットの方が温かいよ」
「……かわいくない」

 初めて赤葦と手を繋いで歩く帰り道はドキドキして、寒さどころじゃない。でも、本当に寒い。ぴゅう、とふく風邪が憎い。あることを思いついて、私は赤葦の手を解いた。すぐさま可哀想なくらいに眉を下げる赤葦に、胸が痛んだがちょっと待って欲しい。ええい、寒さに腹は代えられない。私は思い切り赤葦の腕に抱き着いた。赤葦は大袈裟に身体を揺らして、私を驚いた顔で見下ろした。

「わっ、ちょっと名字」
「寒いの。いいでしょ」
「……いいけど。また名字とえろいことしたくなる」
「赤葦今日頭のネジどうした」
「前半は嫉妬で、後半は名字と付き合えて嬉しいから浮かれてる」
「……」
「名字顔真っ赤だよ」
「……ばか」
「名字の灰原哀、俺好きだよ」
「茶化すな、ばか」



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