後編

 衝撃的な告白もどきと告白をされて、三か月ほど経った。まあ、自分で言うのもなんだが、私は中々現金な女で、すぐに影山くんのことを好きになった。許容範囲で、タイプの男の子に好意を寄せられて、悪い気はしない。何より影山くんは面白いくらい素直で、一途だった。よく分からない不思議な感覚も持ってるけど、話せば分かることだって、あるし。何より、彼は言葉以上に目が語ってる。

 バレー漬けの日々の影山くんと一応受験生の私が、一緒に過ごすのは必然的に昼休みや、影山くんの数少ないオフの日くらい。いつも月初めにアルバイトのシフトを提出するみたいに、「今月分です」っていう一言と、部活の予定表の写真が送られてくる。事務的なメールだな、と思っていた頃が懐かしい。私も私で、影山くんに合わせた日程で空いている日を提案する形で返事を送ったら、なんと「分かりました」の一言だけが返って来たのだ。空いている日の中からこの日がいいですと、言われるとばかり思っていた私はとても困惑した。そのとき、初めて影山くんに電話するほど、困惑していた。

「はい、影山です」

 意外にも影山くんはワンコールで、電話に出てくれた。私は学習机から立って、ベッドへ移動する。電話の向こうでは、ガヤガヤと騒がしい声がした。あ、まだお家じゃないのか。帰宅部の私はイマイチ部活の終わる時間が分からない。よく考えたら、同年代の男の子に電話するのって初めてかも。近くにあった枕を抱き寄せながら、私はもじもじと口を開いた。

「あ、ごめんね。急に電話して、今大丈夫?」
「大丈夫です」

 後ろから「影山ー例のカノジョかぁ?」って大きな声が聞こえて、ぎゅうと枕を抱き締める。で、電話で良かったかも。学校で真相を聞きに行って、リアルに冷やかされるのを想像してゾッとした。私は影山くんに聞こえないように、小さく深呼吸をして口を開いた。

「さっきのメールなんだけどね、分かりましたって、あれは」
「名字さんが送ってくれた日って全部会える日って意味ですよね?」
「うん、そう、予定がない日をね、送っ」
「俺も、全部会える日です」
「あ」
「だから、分かりましたって送りました」
「……な、なるほど。把握しました」

 とても迷った。うん、確かに全部会える日を送ったんだけどね、バレー以外にしたいこととか、普通あるんじゃないかって。たまには息抜きみたいな、ね。一日中ゴロゴロしたり、普段見れないテレビ見たり、何か読んだり……って。思わず私は影山くんに尋ねてしまった。

「影山くんバレー好き?」
「好きです」
「バレー以外に好きなものある?」
「ポークカレーの温玉のせが好きです」
「そ、そっかぁ〜。私も、カレー好き」
「一緒ですね」
「ねぇ〜」

 う、う〜ん。影山くんって、やっぱ不思議な子だなぁ。私と大分感覚違う。今好きなことを聞いたつもりだったんだけど。でも、決して間違ってはないんだよね。たしかに、その捉え方も出来るっていうか、とにかく癖が強い。この微妙に生じるズレを私はどう伝えればいいんだろうか。いや、伝えるべきなのか?すごく困ってる訳じゃないし、影山くんも困ってる雰囲気はないしなぁ。

「もう一つあります」
「おお、なになに?」

 なんて言えばいいか迷っていたら、影山くんの方から反応があった。やっぱり、あるよね。バレーほどじゃなくても、なにかね、別の趣味とか、ちょっとした好きな漫画や音楽とか。私はワクワクした気持ちで、影山くんの言葉を待った。

「名字さんです」
「え」
「名字さんのこと好きです」
「あ、ありがとう」

 え〜!ここでそう来る!?私は思わず耳から、スマホを離してしまう。だって、ヒューって、なんかすごく賑やかになっているのだ。本当に電話越しで良かった!と私はそう心底思った。影山くんは恥ずかしいとか、照れるとか、そういう感情はないのかな?ホントに、影山くんって掴めない。影山くんと接する機会が多くなっているはずなのに、全然影山くんのことが分からない。

「あの」
「はい」
「俺も、電話していいですか」

 そのトーンは変わらない。なんなら、俺も全部会える日です、って言ってきたとき、と同じトーンに聞こえる。でも、何となくその声が震えるように聞こえたのは、私の思い込みなのか。判断出来るほど、やっぱり、私はまだ影山くんのことを知らなかった。ただ、まあ、答えは決まっていた。

「いいよ、影山くん。カレシなんだから」
「あざっす」

 嬉しそうに弾む声は、私が棒読みの告白に頷いたときと一緒の声だった。



 影山くんは意外に積極的だった。最初に予定のやり取りをしたと思ったら、「お昼一緒に食べたいです」と申し出をされて、週に何日か一緒に食べている。影山くんは決まって私の教室まで来て、一緒に中庭まで行って、そのまま中庭で食べるのが定番になっていた。影山くんは私よりも食べるのが早くて、食べ終わったらいつもぐんぐんヨーグルトを飲んでいる。元々口数が多くない影山くんと二人きりの時間は、私が口を開く方が多かった。

「影山くんもっと身長欲しいの?」
「欲しいです」
「そっかぁ」

 まだまだ大きくなるのかぁと影山くんを見上げると、影山くんは変な顔をして私から目を逸らして、また見つめてくる。どうして?と問いかけてみると、影山くんは真顔で、ちょっと困った雰囲気になった。自分でもなんて言ったらいいか分からないように見えた。

「先輩のこと見てたいのに、ずっとは無理で」
「え」
「ずっと見てたら変な感じがして、……だから、こうやって時々逸らさないと」
「……」
「先輩は分かりますか……?
 先輩も俺と同じですか?」

 うーん、と困ってしまう。影山くんって、すごく真っ直ぐで、素直でいい子なんだけど。なんだろうなぁ、これはなんて言えばいいんだろう。真っ直ぐ……うん、方向性はあってる。間違ってはない。なのに、なんでこんな困るんだ。いや、困るっていうか、分からない。影山くんの言いたいことって、正直ニュアンスでは何となく分かるんだけど。はっきりとは掴めなくて、それが何かって言われたら、言葉に出来なくて、うーん。今言われてることも、私の中では二択なのだ。変な感じがして……って、ときめきのドキドキなのか、それとも性的欲求のドキドキなのか。どっち、だ。

 そもそも、影山くんのさわりたいって?純粋に手を繋ぎたい?それとも、本当に、その先のこと……?外していた視線を影山くんに戻して、じーっと影山くんを見上げてみる。影山くんの真っ直ぐな眼差しと視線が交わった。その瞬間、ぞわっとした。心臓を直接手で触れたような感覚だった。その感覚に耐えれず、影山くんから視線を逸らすと、名字さんと影山くんが呼ぶ。

「……変な感じ?ではないけど、ドキドキするよ」
「え」
「影山くんと目が合うと、心臓が早くなる気がする」
「俺も、そうです」
「じゃ、じゃあ、同じだね」

 分からないものは、分からない。それ以上も、それ以下もない。若干やけくそだったが、そう言うと、影山くんは初めて笑った。多分本人的には無意識な笑みだ。つり目の目尻がやさしく少しだけ下がって、きゅうっと上がる口角はとても可愛かった。幾分か幼く見える笑顔に、私はもうコロコロと落ちていった。それこそ、校門前の坂道を転げ落ちるように、呆気なく影山飛雄に恋をした。



「名字さん、ここいいですか」
「はいはい」

 今日は私のお家で勉強会だ。私は影山くんの手元を覗き込んで、おお?と声が出そうになったが、飲み込んだ。こ、これは大きな問題があって、問一、問二って分けられている系の問題だ。問一から既に、よく分からない線がふにゃふにゃと書かれている。考え方というより、これは問題の文章自体を理解していない可能性があるぞ。影山くんに一言断わって、私も問題文を読み込んでみる。ふむふむ、なるほど。苦手な数学の文章問題だが、一年生の範囲だし。多分、何とかなる。というか、なって欲しいし。一応先輩だから、良いところ見せたい。

「名字〜」
「どうしたの、菅原くん」
「影山と上手くいってる?」
「うん、仲良くしてるよ」
「へえ、なら良かった。
 てか名字たちって、どんなデートしてんの」
「どんなって…」

 正直、初デートは大変でした。だって、影山くんが聞いてくるんだもん。デートって何したらいいんですかねって。初デートの前に、初お昼の方が先だった。仲良くベンチに座って、ぽつぽつ喋っているときに、今度のデートのお話になった。そういえば、どこに行くか決めてないねって。そしたら、そう返ってきて。私の端から、ミートボールがご飯の所へころり、と落ちた。そして、変に意地を張ってしまった。私は先輩だからって。年上だからって。

「やっぱり、デートと言えば」

 遊園地!動物園!水族館!と言おうとして、私の言葉は途中で止まる。影山くんは大人しく私の言葉の続きを待っていた。影山くんを見上げて、私は困った。初デートでそれはハードル高くないか?あと、交通費や入場料それなりにかかりそう。影山くんのお小遣い事情は知らないし、遠出して話題に困ったり、なんか気まずくなったら、どうしよう。ていうか、最初から丸一日一緒なんて、無理かもしれない。別に喋れないわけじゃないけど。考え込んでいても、影山くんは大人しく待っている。そんな影山くんが不意に私から目を逸らして、不思議な目がきらきらと輝きだした。初めて見る影山くんの表情に、私もぱちぱちと瞬きを繰り返して、影山くんの視線を追った。

 そこには、にゃーんと愛らしく鳴く野良猫が一匹いた。白い毛の野良猫は呑気にあくびをして、身体を丸めて眠り始めた。

「影山くん」
「あ、はい」
「影山くんって、動物好き?」
「……嫌いじゃないです」
「ネコ好き?」

 影山くんは小さく頷いた。私は手を叩いて、提案した。

「私の家で、世界ネコ歩き見ない?」
「世界ネコ歩き?」
「きっと影山くん気に入るよ!」

 ニコニコして話す私の勢いに押されたのか、影山くんはまた小さく頷く。「名字さんがいいなら、俺もいいです」って。結果的に、私のチョイスはいい線をいっていた。影山くんは世界ネコ歩きに夢中になっていたし、きらきらとした可愛らしい表情をたくさん見せてくれた。あと、動物に嫌われてる気がするんです……って、悩みも教えてくれた。かわいい悩みだと思ったけど、本人は真剣に悩んでいたので、一応真面目にアドバイスもしてみた。動物が怖がってるだけ、かもだから、今度からゆっくり接してみたらって。これまた影山くん真面目に頷いて、ありがとうございますって頭を下げてきた。

 まあ、そんな感じで初デートは終えた。因みに、私はデートでリードしてあげなきゃ!という見栄はすっかり忘れていた。それから、私たちのデートと言えば、世界ネコ歩きを私の家で見たり(たまに動物の映画も見たりもする)、近所の野良猫の探索も兼ねて散歩をしたり、あとカレー屋さんの開拓もしてみたり、と色々している。二人の数少ない共通点の中で、日々細々と仲良くしている。菅原くん、最初は笑顔で私の話を聞いてくれてたのに、どんどん険しい顔になっていた。というか、信じられないものを見る目で見てきた。

「え、なに、その同好会みたいな活動」
「ええ、ちゃ、ちゃんとデートだもん」
「まあ、確かにな?名字の家で、まったりするのはデートっぽいけど、あっ」
「?」
「家って、まさか」
「な、何にもないから!」
「……手すら?」
「手すら握ってません!」

 顔を真っ赤にして、断言すれば、菅原くんはうーん、と考え込み始めた。そして、一つだけ私に質問した。

「名字は影山とのデート楽しい?」
「うん、楽しい」
「なら、いいや」

 菅原くんは穏やかな顔でにこにこと笑った。ふたりが楽しいなら、いいかって。なんか含みがある笑顔だったから、気になって探り入れてみたけど、ダメだった。ちょっと粘ってみたけど、結局菅原くんは何も教えてくれなかった。アレは何だったんだろう。「……!」菅原くん、影山くんのこと可愛がってから、気にかけてるんだろうけど。「……さん!」ちゃんと恋人らしく、してるか?の確認とか?そりゃあ、まあ、私たちって一緒に過ごしてはいるけど、恋人っぽいことはしたことないかも。何となく思い出した菅原くんとのやり取りを考え込んでしまっていると、目の前に影山くんの顔があった。

「わっ」
「名字さん?大丈夫ですか?」
「ご、ごめんね。ボーっとしてた」
「具合悪いですか?」
「ううん、大丈夫」

 笑顔で大丈夫だよ、と繰り返せば、影山くんはちょっと納得しない様子で頷いた。むしろ、影山くんの方が疲れて見えるけど。

「影山くん休憩しようか」

 影山くんは予想通り疲労困憊のようで、休憩という言葉にとても目を輝かせた。まるで砂漠でオアシスを見つめた旅人みたい。でも、こんな風に表情が素直な影山くん可愛いんだよなぁ。んーと背筋を伸ばして、肩を回している影山くんに「散歩行こうか」と声をかければ、影山くんは大きく頷いた。

 影山くんは勉強しているときよりも、身体を動かしているときの方が生き生きとしている。一番はバレーボールをしているときだろうけど。影山くんがスニーカーを履いてるのを見守ってて、思い出した。影山くんはとても礼儀正しいのだ。玄関から上げるとき、必ずスニーカーを揃える。初めて見た私はとても感動したのを覚えている。きっと影山くんの突拍子もない行動の印象が強すぎて、影山くんの中にある自分と同じ当たり前を見つけると、とても嬉しくなる。親しみを覚えるからかもしれない。

 私と影山くんは面白みも特にない住宅街を歩いて、ここら辺で一番野良猫と遭遇する公園へ向かう。その間も、やっぱり会話はなくて、ふたりが並んで歩いているだけだった。少女漫画にありがちな歩幅違うイベントも、特に起こった覚えもない。意外にも、影山くんは自然に私の歩くスピードで歩いてくれるのだ。

 見慣れた住宅街は古いお家や新しいお家が並んでいて、本当に何の面白みもない。すると、前から地元の中学生が歩いてきた。ふたり組で、手を繋いでいる。少し恥ずかしそうな表情をして、でも繋がれた手は決して離れる雰囲気はない。見てるこっちも、きゅんきゅんしてしまうような二人だった。きっと、あーいうのが甘酸っぱいって言うんだ。ねえ、影山くん見てた!もしかして、同じこと思ってたりしない!?と期待を込めて、影山くん側を見上げようとして、私の顔が潰された。あれ?どうして?じんじん痛む鼻の頭が無事か考えていると、頭上から舌打ちする影山くん。え、こわい。と情報過多なところに、すごい鋭いエンジン音が一瞬訪れて、すぐいなくなった。

「名字さん、大丈夫ですか」
「え、うん?え?」
「今のバイク危ねぇな」

 ぼそり、と落ちてきた言葉で、なるほどと理解した。背中にあった温もりが私を車道の反対側へ連れて行く。影山くんは満足そうに頷いて、行きましょうって私に声をかける。温もりはあっと言う間に離れて、寂しいのに、寂しくなかった。影山くんどこで、そういうの覚えてくるの。もしかして、これも菅原くんなの?なに、菅原くんはラブマスターか何かなの?ここでむすっと拗ねたくなる気持ちはあるけれど、私は年上、余裕のある年上と言い聞かせて、影山くんを呼ぶ。

「はい」
「手繋がない?」
「手ですか?」
「うん。やだ?」
「名字さんがいいなら、俺はいいです」
「う、うん?それって繋いでいいってこと?」
「はい。名字さんがいいなら」

 なんだろう。その微妙な答え方は。まあ、許しが出たので気にしない。私は影山くんの手に指先でちょっと触れて、ええい、と勢いで、握ってみた。影山くんの手は予想以上に大きくて、びっくりした。びっくりしたのは影山くんも一緒のようで、珍しく目を丸くして私の手を見下ろしていた。

「こ、これ大丈夫ですか」
「大丈夫ってなにが?」

 悲しいことに影山くんは手を握り返してくれない。影山くんは眉を寄せて、じっと重なり合ってる手を凝視する。全然分からない。そのリアクションはどういう意味なんだろうか。

「名字さんの手、大丈夫ですか」
「え、どこか変?乾燥しすぎ?手汗ひどい?」
「すっげぇ小さいから」
「……」

 影山くんの言葉に私は影山くんに真っ直ぐ見つめられたときの、気持ちを思い出した。身体の中から熱が生まれて、その熱をうまく逃がすことができない。小さいって、言われたのはそれだけなのに。影山くんの焦ってる顔とか、ほんの少しだけ震えてる大き手とか、それだけで、色んな意味が籠められているんだろうと分かってしまって。

「大丈夫だよ。大丈夫だから、影山くんにも握り返して欲しい」
「……」

 ぴくん、と大きいてが少しだけ動いて、私の手を握り返そうとする。でも、全然影山くんの指先は遠い。私の手の甲には届かない。影山くんはすごく真剣な顔で、じっと私の手元を見つめてる。勝手に言っちゃう。影山くんの、ペースもあるのに。年上の甲斐性がない私はワガママになる。「もっと強く握って」影山くんはえっ、眉を寄せて私を見下ろすが、私はもう一度言う。もっとって。震える指先が少し、少しずつ私の手のひらを包み込む。

「もっと」
「………こうですか?」
「もっと強く」
「こうですか?」

 やっとだ。やっと影山くんの指先が私の手の甲に届いて、手のひらがぴったりと重なる。触れているのは手のひらだけなのに、すごくドキドキしている。影山くんは難しくて、怖い顔をして、私を見下ろしていた。でも一度もワガママは拒否されなかった。何考えてるんだろう。知りたいって思った。影山くんの瞳に映ってる私はすごいぼーっとしていて、影山くんと対照的だった。思わず笑ったら、影山くんはびくってして、また私をじって見つめてくるの。

「公園行こっか」
「は、はい」

 手を引いて歩き出せば、影山くんはやっぱり素直に付いてきた。



「今日いないね」
「そうですね」

 滑り台、ブランコ、鉄棒、砂場しかない公園だ。ただ敷地はそれなりに広い。昔はぐるぐる回るジャングルジムがあった気がするけど、気づいたらなくなっていた。影山くんとふたりで砂場近くの草むらを覗き込んでみたけど、野良猫は一匹もいなかった。心なしか残念そうな雰囲気の影山くんを見上げて、私もしょぼん、としてしまう。うーん、なんかないかなぁ。きょろきょろと辺り見回して、見つけた。私は影山くんの手を引いて、普段バスケや野球を行われているグラウンドへ向かう。

「影山くんこれバレーボール!」
「誰かが忘れていったんですかね」
「かなぁ」

 影山くんは手を離すと、グラウンドの隅っこで寂ししそうに転がっていたバレーボールを手に取る。手慣れた動作でポーンポーンとバレーボールをバウンドさせて、「ちゃんと空気入ってますね」って言う横顔を見て、唇を一回噛んで、にこっと笑う。

「ねえ」
「はい」
「バレーしようよ」
「え」

 答えは、聞かなくても分かってる。そんなに嬉しそうな顔見たら、どんな気持ちかわかる。影山くんの私への気持ちはまだ分かんないけど、バレーへの気持ちはすごく分かりやすい。いいんですか?って聞き返してくる影山くんに、私はスカートのポケットからヘアゴムを取り出す。軽くまとめて、「私からやりたいって言ったんだよ」って笑い返したら、影山くんは少しだけ惚けたような顔をして、はいって頷いた。

「ぽーんって、ずっとトス?できる?」
「できます」
「みたいみたい」

 ふたりでパス練もどきしたけど、二回ラリーが続いたのは中々すごいと思う。だって、私体育でしかバレーしたことないのに。だって、私運動神経よくないのに。影山くんはさっきから私のリクエストに、嫌な顔しないで応えてくれる。私が触れるとどっかに行ってしまう白いボールも、影山くんが触れると素直に言うことを聞くからすごい。思うままにバレーボールを操るまで、影山くんはどれだけの時間を費やしたんだろう。ぽーん、ぽーんと白いボールが高く上がって、影山くんの手に戻ってくる。ふんわりと、高く上がるボールを見ていて、私はふと思い出した。

 やっぱり、影山くんは不思議だ。こんなにもボールも真っ直ぐに操れるのに、どうして時々分からなくなるんだろう。菅原くんは影山くんのこと分からなくなる、ないのかな。

「あ!サーブ!」
「サーブですか?」
「うん。影山くんサーブって早くてすごいって菅原くんが言ってた!見たい!」
「いいですけど。危ないんで、もう少し避けててください」
「わーい」

 私は何メートルか影山くんから距離をとって、ここだよーと軽く手を振ってみる。影山くんは渋い顔をして、もうちょっと隅に寄ってくださいって、手で指示を出してくれた。私は素直に隅によって、影山くんを見守る。わあ、本格的にバレーやってる人って、ああやって構えるんだ。授業で見る下から投げるサーブとは全然違う。

 にゃあ、と小さな声にふたりの声が重なる。影山くんはもう動き出していた。影山くんが狙う予定のところに、今日見かけることができなかった猫がいる。影山くんが舌打ちが聞こえて、私の体は勝手に動き出していた。どれくらい痛いんだろう。バレーボールが当たるのって。そももそも、私の運動神経で間に合うのかな。

 私は猫を庇う。お腹の下に隠すように、思い切りかがんだ。

「え……?」

 一瞬感じたことのない勢いが、自分の横を通り過ぎて、何が起こったか分からなかった。結び上げていたはずの髪がはらはらと首元をくすぐる。私のお腹の下に居た猫はにゃあにゃあと呑気に鳴いている。名字さんと影山くんが焦った声で、私を呼んで、急いで駆け寄ってくれる。

「かげ」
「大丈夫ですか!?」
「私当たってない?」
「咄嗟に変えたつもりだったんですけど」

 まだコントロール甘めぇな、と影山くんは眉を寄せて、ぶつぶつと言っている。でも、ぺたんと座って影山くんを見上げる私を見下ろして、影山くんは改めて焦った顔をして、しゃがんでくれる。そして、ぺたぺたと私の体に触れて、痛いところはないですか?って聞いてくれた。大きな手は優しく、慌しく私の頭へ、肩へ、腕へ、背中へ、触れる。真剣な顔の影山くん。心配してくれてるって、わかるのに。私は現金な女だから、顔を熱くしてしまう。不埒なことを思ってしまう。自分でも驚くくらい、しおらしい態度になってしまう。

「す、すみませんつ!」
「え?何が?」
「名字さんの体に勝手に触って」
「……」

 え、その顔。今まで何度も見た変な顔。もしかして、その顔するたびに触りたいって思ってたの?もしかして、私がいいよっって言うの、ずっと待ってたの?

「影山くん、もしかして」
「はい」
「私が触っていいよ、って言わなかったから、触ってこなかったの?」
「はい」

 真顔で頷く影山くん。なあに、それ。一人で悶々として馬鹿みたい。なーに、それ。影山くんは何考えてるか分からないのに、分かると、好きになるの。わかりにくい影山くんが隠してる気持ちはいつも真っ直ぐで平凡には分からない。そして、誰よりも真っ直ぐな思いは本当に愛おしくて、すごく抱き締めたくなる。

「影山くん!」
「わっ」
「大好き!」
「!?」

 この後、私は初めて形容しがたい顔をしている影山くんを初めて見るのだった。



「菅原くん聞いて!私発見したの!」
「え、うん?何発見したの?」
「影山くんは真っ直ぐものを考えてるのに、
 影山くんの言いたいことが平凡な私には分かりづらい現象の謎がわかったの!」
「すごい長いタイトルみたいだな」
「わかったの!」
「名字めっちゃテンション高いじゃん、どうぞ発表して」
「あのね!影山くんは平凡な人より思考回路?が早いんだよ!
 でもね、言葉が追いつかないの!
 影山くんは言葉を知らないから、でね、その数少ない表現で伝えようとするから、
 方向性は合ってても、相手に伝わらないって現象が起きるの!」
「わあ、結構真面目な考察だった」
「影山くんのサーブを浴びてわかったんだよ!」
「!?」
「そして、私はそんな影山くんのために、二人でどんどん言葉を勉強しようと思う!」
「名字ちょっと」
「図書館で辞書調べてくる!」
「こら!名字!その話を詳しく……行っちゃった」



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